・菊地大司教の日記 ㉕使徒ヨハネ市川嘉男神父様葬儀

2018年5月 5日 (土)

  4月29日に94歳で亡くなられた、東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様の葬儀ミサが、5月5日午後1時半から、カテドラルの関口教会で執り行われ、200名近い方が参列してくださいました。連休中のお忙しいときに、お祈りをともにしてくださり、感謝申し上げます。

 以下本日のミサの説教の原稿です。

使徒ヨハネ市川嘉男神父 葬儀ミサ   2018年5月5日

 使徒ヨハネ市川嘉男神父様は、今週の初めの日曜日、4月29日に、94年の人生に幕を下ろされ、御父のもとに帰られました。現役であった頃の市川嘉男神父様を私は存じ上げませんので、何かの手がかりにと10年ほど前の東京教区報に掲載されていた神父様のインタビュー記事を拝読いたしました。

 そこには、「東京教区司祭で 『お兄ちゃん』 といえば、 市川嘉男神父を指します。 それは弟の市川裕神父と兄弟だからということもありますが、 市川嘉男神父のお人柄が、 呼びかけに反映されているということでしょう」と記されていました。「お兄ちゃん」とは、それだけで現役時代の市川神父様のお人柄をなんとなく想像させる呼び名であります。

 そしてインタビューの中で、「司祭として大切にしてきたことは」という問いに、市川神父様はこう答えられています。
「特にはないけどねえ。 まあ、 司祭だからミサは大切にしてきたよ。 生来、 のんきな性格というか、 自分から積極的に何かをするというタイプではないから、 頼まれればするけど、 そうでなければじっと見て、 その都度対応していくという感じかな。 カッコよく言えば、 『あるがままを大事にする』 ってことかもしれないけど」

 「あるがままを大事にする」、そういう司祭としての人生は、自らのうちに秘めた信仰を素直に生き抜く人生であったと想像いたします。

 先日、5月1日に、清瀬にある東星学園で、創立記念日のミサを捧げる機会がありました。ミサの前に校長先生から、是非、市川嘉男神父様の永遠の安息のためにミサで祈ってほしいと依頼をいただきました。それは神父様が、東星学園でミサを捧げたり、宗教を教えたりと、生徒さんたちの心の教育のために30年近くにわたって関わってくださったからだと伺いました。それもまた、「あるがままを大事にする」司祭の人生は、子どもの時代に信仰によって心を育むことの大切さを、自ら身にしみて理解されていたからだろうと想像いたします。

 同じ日に、ベタニアのシスターからこんな話も聞かされました。すでに引退されてある程度時間が過ぎたときのこと、ある公的な文書に職業を記入する欄があり、記入した方が「無職」と記されたそうです。その頃、高齢のためすでにあまりいろいろとお話にならなかった神父様は、その書類をなかなか認めようとしない。そしてシスターに、職業欄を指さして、「私は東京教区司祭です」と言われたそうです。「あるがままを大事にする」司祭は、ただ時の流れに身を任せて何気なく生きていたのではなく、その人生が終わるときまで、自らの召命をしっかりと自覚して生きてこられたのではないでしょうか。司祭はその命が終わる日まで、司祭としての務めを果たし続けます。それは、そのときそのときの自らの有り様を受け入れ、まさしく「あるがままを大事に」して、そのときに与えられた可能性のうちに召命を生き抜くのです。

 司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。

 すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。司祭のこの三つの務めは、すべてのキリスト者にとって、生きる姿勢の模範となるものです。

 同時にこの三つの務めは、司祭にだけ与えられているものではありません。キリスト者は洗礼によってすべからく「キリストと合体され」、その「固有の立場に応じて、祭司、預言者、王としてのキリストの任務に参与」します。

 わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したいのです。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたいのです。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたいのです。

 パウロはローマ人への手紙で、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった」と記すことで、神のわたしたちへの愛には、世の理不尽さを遙かにしのぐ深さがあるのだと教えます。世の常識から言えば、あり得ないことを、神はわたしたちのために成し遂げられた。それほどにまで、神の愛といつくしみは、人間の理解を超えて深いものであります。

 イエスは福音で、自分こそが「道であり、真理であり、命である」と宣言されました。イエスご自身が示された生き方にこそ、本当の命へ至る道があり、その道を歩むとき初めてわたしたちは、神とともにあると確信できるのです。

 しかしながら、わたしたちが生きている今の社会は、神の御旨に従って成立しているとは言い難い。イエスの福音に忠実に生きようとすればするほど、それは理想主義であり、夢物語であり、非現実的だと見なされてしまいます。いったい、今の時代にあってわたしたちが生きるために頼りにし、その歩みを進めようとしている道は、正しい道なのでしょうか。その道は、真理へと続く道なのでしょうか。本当の命へと続く道でしょうか。それとも、刹那的な喜びと安楽を見いだすための、滅びへと続く道でしょうか。

 御父を示してほしいと頼むフィリッポに対して、イエスは、ご自分とつながることこそが御父への道であると諭されます。

 「あるがままを大事にする」生き方は、まさしく、イエスとのつながりに忠実に生きる生き方であったのではないでしょうか。まずもって大事にするのは、イエスとのつながりであり、そこがしっかりとつながっているのであれば、何も騒ぐことなく、うろたえることなく、自然体で生きることができる。この世の様々な思い煩い、この世が大切にする様々な価値観、社会の常識。そういった荒波に翻弄されることなく、イエスとのつながりに自信を持って身を任せ、悠々と生きる。市川神父様の生き方は、人生にとって一番大切なことは何かをしっかりと理解したうえでの、信仰における悠々自適な生き方ではなかったのかと思います。

 わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたい。生きる姿勢の模範を示される司祭に倣いながら、自分自身のイエスとのつながりをあらためて確認し、身を任せて、命へと続く真理の道を、歩んで参りましょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記㉔鎌田師が司祭叙階60年-カルメル会司祭叙階式-市川師帰天

 2018年5月 2日 (水)

*鎌田耕一郎神父、司祭叙階60年@新潟教会

   新潟教区司祭の鎌田耕一郎神父様が、今年で司祭叙階60年となりました。司祭に叙階されたのは、1958年3月21日ですから、なんと私の生まれた年です。私の人生と同じ年月、鎌田神父様は司祭を続けてきたことになります。そして鎌田神父様は今年の一月で90歳になられました。その叙階60年のお祝いミサが、4月30日の午前11時から、新潟教会で行われ、新潟近隣の多くの信徒、修道者、司祭が参加してくださいました。

 鎌田神父様は基本的にとてもお元気です。私も新潟にいるときには、いつも一緒に食卓を囲んでおりました。残念なことに、この冬、スロープになっている廊下で転倒され、圧迫骨折で入院となりました。しかし懸命なリハビリのおかげで無事退院され、歩行器があれば移動もできるようになりました。

 この日のミサでも、祭服に着替えられてから歩行器で内陣に入り、ちょっと腰高で座ることのできるバースツールのような特別ないすに腰掛けられて、共同司式されました。また聖体拝領も、このいすに腰掛けて授けられました。神父様は幼稚園に長年園長として関わってこられましたので、現役の教員職員の方々も参加され、信徒でない教職員も、神父様から祝福をいただいておりました。Kamata6004_2

 ミサ後には、信徒会館で祝賀会。お酒を飲めない(体質的に)神父様に変わって、周囲の者が新潟のお酒をはじめいろいろといただきながら、大いに神父様の長寿を祝い、長年の司祭としての奉仕に感謝を申し上げました。

 司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割があると言うことです。

 一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。その三つの務めのすべては、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に従って聖なる者でありたい。

 第二バチカン公会議という教会の激動の時代を忠実な司祭として生き抜き、幼稚園教育をはじめとして様々な道で福音宣教に努めてこられた鎌田神父様のこの60年の司祭としての奉仕に感謝します。さらに神父様が日々示してくださる生きる姿勢の模範に倣い、わたしたち一人ひとりも勇気を持って、それぞれに与えられた固有の召命の道を生きていくことができるよう努めたいと思います。次は100歳の誕生祝いだと、参加者みなで確認し合いました。鎌田神父様、おめでとうございます。これからもお元気で。

*カルメル会司祭叙階式@上野毛教会

 カルメル会で司祭が誕生しました。4月29日日曜日の午後2時から、東京の上野毛教会において、カルメル会員・志村武さんの司祭叙階式が行われました。天気にも恵まれ、近隣の宣教協力体の小教区をはじめ、多くの信徒、司祭、修道者が参加し、新司祭の誕生を祝いました。

 私にとっても、東京大司教として初めての司祭叙階式です。上野毛教会は、カルメル会の修道院の聖堂が教会になって行ったような形でしょうか。聖堂の写真の祭壇後ろの壁にあるスリットの向こう側には、修道者の祈りのための聖堂があり、教会の聖堂と空間的に結ばれていると伺いました。

Ocd1803 祭壇から会衆席を見渡しますと、ちょうど、新潟教会から回廊部分を取り除いたほどの大きさです。たぶん通常設置のベンチに座れる人数は、新潟教会と同じくらいではないでしょうか。その意味で、なにか安心した雰囲気の中でミサを司式することができた気がします。

 叙階式後には、正面玄関前で参加したすべての人が順番に新司祭と私も入れて記念撮影大会。その後隣の信徒会館で、温かな雰囲気の祝賀会となりました。

 カルメル会は管区長さんが名古屋におられます。名古屋教区はもともと神言会の担当する教区でしたから、現在カルメル会が担当されている教会のいくつかも、神言会から移管したものです(例えば、金沢教会など)。名古屋にいた頃は、わたしもカルメル会の神父様方と一緒に働きましたが、そのことを現在の管区長である大瀬神父様が挨拶で触れてくださり、恐縮でした。

 以下、当日の説教の前半部分です(後半部分は、叙階式の儀式書にある定式文でした)

 カルメル会司祭叙階式 2018年4月29日 受階者:ヨハネ志村武

 わたしたちは今、あふれんばかりの情報に覆い尽くされた世界で生きています。とりわけインターネットの普及で、この20年くらいの間に、わたしたちを取り巻く情報量は、格段に増加しました。

 わたしたちは今、自分たちを取り巻く情報量があまりにも多いため、そのすべてをひとりで把握することが不可能だと感じる世界に生きています。いわゆる高度情報社会とは、結局、いろんなことを知ることができる情報が豊かにある世界と言うよりも、しっかりと取捨選択をしない限りは、実際には何も知ることができない世界であることに、わたしたちはすでに気がついています。

 この、情報があふれかえった世界で、近年、フェイクニュースなどという言葉が普通に聞かれるようになりました。結局あふれかえった情報の荒波に翻弄されるとき、それが本当なのか嘘なのか判断することは至難の業です。そんなとき、わたしたちは、簡単に多数の人たちの興奮の渦に巻き込まれ、冷静に物事の真偽を判断する余裕すら失ってしまいます。

 そんな世界の直中で、わたしたちは神の言葉という情報を多くの人に伝えようとしています。イエス・キリストの福音という情報を、ひとりでも多くの人に伝えようと努力を続けています。あまりに多い情報のただ中で、人は自分の世界に閉じこもり、自分の世界観にとって都合の良い情報にばかり耳を傾けるようになってしまっている。その中で、神の言葉を語ることは、決して容易なことではありません。

 使徒ヨハネは、「言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう」とその手紙で呼びかけます。それこそが真理に属する生き方であると指摘します。あまりに大量の情報が満ちあふれているこの世界こそは、まさしく「口先だけ」の言葉で満ちあふれている世界です。ただ言ってみただけ。面白そうだったから書いてみただけ。興奮するから言ってみただけ。そこには自分の口から発する言葉や、自らが綴る言葉への責任感はなく、ただただ、自分の興奮を追い求めているだけの、自分中心の世界が広がります。

 そのような世界にあって意味を持っているのは、やはり具体的に目に見える行動であると、ヨハネの手紙は諭します。わたしたちを先に愛してくださった神の愛を、多くの人に具体的に示す行動こそが、わたしたちを真理に生きる者とするというのです。

 バルナバは、サウロが使徒として神に選ばれた者であることを識別します。それこそ、様々な情報に翻弄されたことでしょう。サウロがあちらこちらで、いかに残忍にキリスト者を迫害してきたのか。多くの人が興奮して、サウロについての情報をまき散らしたことでしょう。そのような中にあって、バルナバはその情報の波に翻弄されることなく、神の御旨を識別し、その判断を勇気を持って行動に移します。バルナバの判断と決断と行動がなければ、サウロは使徒パウロとはなり得なかったのかも知れません。神のなさる業は不思議です。神のはからいは限りなく、生涯わたしたちはその中に生きるのです。しかし同時に、神のはからいが実現するためには、わたしたちの冷静な識別と決断と行動が必要なのです。

 情報があふれかえったこの時代に、司祭として生きることは容易ではありません。真理の言葉に耳を傾ける人は少なく、多くの人は神からかけ離れた世界を代弁するような情報に翻弄され興奮しています。神の御旨を識別し、勇気を持って決断をし行動することで、神の真理を、イエス・キリストの福音を、あかしする司祭であってください。

 ♰訃報: 市川嘉男神父様

  東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様が、4月29日夜、帰天されました。94歳でした。通夜は5月4日(金)午後6時から、また葬儀と告別式は5月5日(土)午後1時半から、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われます。市川神父様は1951年12月の司祭叙階ですから、66年の司祭生活でした。神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ㉓今日こそ、召命の時ー世界召命祈願日に

2018年4月23日 (月)

世界召命祈願日ミサ 世界召命祈願日ミサ

4月22日の日曜日は、世界召命祈願日でもありました。東京教区では、一粒会の主催教区行事として、同日午後2時半からカテドラルの関口教会でミサが捧げられました。ミサには教区や修道会の司祭、神学生、そして女子修道会の会員や志願者も大勢参加してくださり、信徒の方々も合わせて400名近い方が集まって祈りを捧げました。

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またミサ中には、イエスのカリタス修道女会のシスター方の聖歌隊が美声を響かせてくださり、祭壇側から見るとよくわかるのですが、たまたま訪れた見学の方々が、パイプオルガンに合わせたシスター方の美声に聞き惚れてなのか、結構長い時間、立ち止まっているすがたも見られました。

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ミサ後には、ケルンホールを会場に、各修道会の神学生や志願者紹介。残念ながら神学生の多い神言会は名古屋にいるため誰も来られませんでしたが、神学生がいてもいなくても、東京にいるすべての修道会は男女を問わず紹介できるようにしたらよろしいのでは、とも感じました。来年以降検討です。

準備してくださった一粒会の皆さんありがとうございます。以下、ミサ中の説教の原稿です。

 私は1986年に司祭叙階を受けましたので、今年でもう32年司祭として生きてきました。司祭へと至る道を歩み始めたのは、小学校を卒業し、中学一年となった1971年ですから、そこから数えるともう47年も、この世界で生きてきたことになります。

 自分の司祭にまでいたる道のりを振り返ってみるとき、そういえばいったい、自分はいつどこで、神様から呼ばれたのだろうと、自分でも不思議に思うことがあります。

 聖書には、例えば少年サムエルが寝ていると、神が「サムエル、サムエル」と、三度も呼びかけたなどという話があります。または新約聖書にも、迫害に手を染めていたパウロに対して、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と主が直接に呼びかけた話があります。もちろん福音書には、例えばシモンとアンデレに主が直接、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかける場面が記されています。

 聖書に出てくる人たちは、そうやって直接呼びかけられて、従う者となっていくのです。そうしたら、わたしへの呼びかけはいつだったのだろう。わたしも、少なくとも自分では、主に従う道を歩んでいるつもりです。どこかで呼びかけられたに違いないはずですが、あまり気がついていない。その、呼びかけに気がついていないこと、または聞こえていないことが、今日の世界召命祈願日に当たり教皇様が発表されたメッセージの中心にあるテーマです。

 メッセージのタイトルは、「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」です。
教皇様は、この呼びかけは、「はっきりとしたものではありません」と言います。これで少し安心です。メッセージはこう続きます。「神は、わたしたちの自由を抑圧することなく、静かにそっと来られるのです」

 静かにそっとこられる神に、私たちはどうして気がつくことがないのか。教皇様はこう言います。「その声は、わたしたちの思いや心を覆っている心配や懸念によって、かき消されてしまうかも知れません」

 静かに呼びかけられる神の声が聞こえないのは、もしかしたら私たちの心が、現実社会の中で生きていくために必要な心配事や、人間関係の中での懸念に埋め尽くされているためではないのか。そんなとき、わたしたちは静かに語りかける神の声を聞き逃してしまうかも知れないのです。

 しかし考えてみれば、誰かのために心配したり、配慮したりすることは、少なくとも悪いことではないはずです。ですから教皇様の指摘はこう続きます。「自分だけの狭い世界にこもり人生を台無しにしている人に見られる無関心さの中に閉じこもるなら、神が、私たちのために考えてくださった各個人への特別な呼びかけに気づくことはできないでしょう」

 自分の世界のことだけを心配し、他者への配慮に背を向けているとき、神の声はかき消されてしまうと言うのです。ということは、神の声は、積極的に他者への配慮を示す中で、聞こえてくるのではないか。人との前向きな関係を生きようとする中で、その他者との出会いの中で、聞こえてくるのだと言うことであります。

 人生の中で、他者への積極的な配慮の関係に私たちが生きるとき、その人間関係のうちで神からの様々な語りかけがある。教皇様のメッセージは、それが何を語っているのか、そもそも神の語りかけなのか、識別するようにとも呼びかけます。霊的な識別とは、「人が、神との対話において、聖霊に声に耳を傾けながら、生き方の選択をはじめとする根本的選択を」行うことだと言います。

 「生き方の選択」です。お気づきのように、教皇様のメッセージは、召命を語るとき、単に司祭の召命だけを語っているのではなく、神に従う者すべてがどのように生きるのかについて語っています。

 私たちは、特に、まだ若い人たちは、将来を見据えて、幾度となく、どのように生きていくのか選択を迫られ、決断を重ねていきます。その選択は、どのような生き方となるにせよ、聖霊の声に耳を傾ける祈りのうちに、神の呼びかけを識別し、それに真摯に応えようとするところから始まります。司祭や修道者になることだけではなく、わたしたちが神に従う者としてどのような生き方を求められているのか、どのような生き方に招かれているのか、その神の呼びかけを聞く努力をすることは、男性女性を問わずすべてのキリスト者に共通している大事な務めです。

 その識別の過程にあって、ある人たちは司祭に、またある人たちは修道者の道へと招かれるのです。その道に招かれている人は、少なからずこの東京教区にもいるはずです。まだ神の声が聞こえていない人が、少なからずいるはずであります。

 召命のために祈るのは、単に、司祭が増えるようにとか、修道者が増えるようにと祈ることだけなのではありません。そうではなくて、キリストに従う者すべてが、自分中心の狭い世界の中だけのことにとらわれて生きるのではなく、積極的に出向いていって、そのなかで神からの呼びかけを識別しながら、命を生きるための最善の道を見いだすことができるようにと、祈ることでもあります。召命は、すべてのキリスト者の、そしてすべての人のものであります。神はすべての人に、それぞれの方法で語りかけ、すべての人にそれぞれの固有の使命を与え、それに生きるようにまねいておられるからです。

 そうして祈る中でも、果たしてそれが神からの呼びかけなのか、それとも単なる思い込みなのか、悩んでいる人もおられるのだろうと思います。

 そんな悩める人に、教皇様はメッセージでこう言われます。
「もっとふさわしい時を待っているのだと言い訳をしながら、より良い日和を期待しながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに、今日、選択しなければ、福音の喜びは、私たちのもとで実現しません。今日こそ、召命の時なのです」

 私たちの祈りは、一歩踏み出すことを躊躇している方々への霊的な励ましにもなります。わたしたちは自分自身も含めて、すべての人が召命への決断をすることができるように祈るのです。祈りながら、自分も勇気を持って一歩踏み出そうと、努力を続けるのです。

 私自身はいったいいつ神様に呼びかけられたのか定かではないと申し上げました。きっといくつかの出会いの中にそのときがあったのだと思います。しかし一つだけ確実なのは、わたし自身の召命は、多くの人の祈りによって支えられてきたことです。これまでの司祭人生の中で、いったい何人の方が「あなたのために祈っています」といってくださったことかわかりません。新潟の司教の時代には、様々なグループの方が霊的花束をくださり、祈りの支えを目に見える形にしてくださいました。多くの司祭が、自分の力ではなく、たくさんの方の祈りに支えられていると感じ、感謝しています。祈りには力があります。お祈りください。そして互いの召命のために、祈り合いましょう。

 今日こそ、召命の時です。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

 

・菊地大司教の日記 ㉒習志野教会50周年

2018年4月21日 (土)

 習志野教会50周年

  習志野教会が創立50年を迎え、本日土曜日の午前10時から、感謝のミサが捧げられました。ミサには歴代の主任助任をはじめ、近隣の司祭も参加し、10名を超える司祭の共同司式ミサとなりました。現在の主任司祭は、教区司祭のディン神父様です。

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 習志野教会は、

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元々は船橋教会として始まり、その後2000年に現在地に移転して、その名を習志野教会と定めたと伺っています。最初は100名ほどの小さな集まりであったのが、現在は多国籍の信徒の方も含めて二千人を超える大共同体になり、英語やポルトガル語でのミサも捧げられていると言うことです。

 ミサ後には信徒会館で祝賀会があり、信徒の方のお手製のケーキに、本当に50本のろうそくがともされました。ろうそくを吹き消し、ケーキカットしたのは、この教会出身の三名の教区司祭。福島、高木、泉の若手三名でした。

 今回のお祝いには、立派な記念誌も制作されていました。記念誌をはじめ、お祝い全体を準備してくださった皆さんに感謝します。(写真下右は、習志野教会信徒でわたしの中学時代の先輩ご夫婦と。写真左下は挨拶する主任のディン神父)

Narashino1804Narashino1802_2以下、本日の説教の原稿です。

 習志野教会が誕生して50年が過ぎました。1968年に船橋の地に「復活のキリスト」船橋教会として創立後、将来を長期的に展望しながら、2000年に現在の習志野の地に移転をされたと伺いました。教会の移転という事業には、膨大な時間と、膨大な労力と、膨大な調整が必要であったことと想像いたします。それこそは、この移転という事業に関わられた司祭と信徒の方々の、福音宣教への熱意を具体化した行動ではなかったかと思います。

 50年という年月は、自分が若い頃にはとても長い時間の流れであると信じていました。しかし実際に自分が50歳を超えた頃から、50年というのは思いの外あっという間に過ぎ去る時間の流れであるということも分かってきました。今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい教会の誕生に立ち会ったのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。あっという間の50年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があったことだと思います。また多くの兄弟姉妹たちが、すでに御父のもとへ旅立って行かれました。

 教会創立50周年を記念するにあたり、船橋そして習志野教会のために尽くしてこられ、いまは神の御許に旅立たれた信仰の先達たちの永遠の安息のために祈りたいと思います。

 わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会はまず第一に「神の民」であると指摘していることは、わたしたちがよく知っているところです。

 そして教会憲章は冒頭で、教会とは何かを教えてこう記しています。
教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」となるために存在する「神の民」であって、この「神の民」である共同体の存在こそが教会そのものであります。

 しかしながらこの共同体には、やはり集い祈る具体的な場が不可欠です。その意味で、聖堂の存在は、わたしたちが神の民としての互いの絆を具体的に確認し、「神との親密な交わりと全人類一致の」まさしく「道具」となるための目に見える場として、なくてはならないものでもあります。

 教会には、「神との親密な交わりと全人類の一致」の「しるし」としての意味と、「道具」としての意味の、二つの重要な役割があります。

 この地域にあって、この習志野教会の共同体と聖堂は、その「しるし」と「道具」となっているのでしょうか。その存在を通じて、「神との親密な交わりと全人類の一致」をあかししているでしょうか。50年を契機に、わたしたちの共同体のあり方を振り返ってみたいと思います。

 教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、あるべき教会のイメージを明確に示しておられます。教皇フランシスコにとって教会は、「出向いていく教会」でなければならないと言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

 第一にわたしたちには具体的な行動が求められています。教会は社会の中心部に安住しているのではなく、社会の周辺部へと出向いて行かなくてはならない。その周辺部とは、社会の主流派から見れば排除され忘れ去られている人たちの所です。この世界に誰一人として忘れ去られて構わない人はおらず、排除されても構わない人もいない。神から与えられた賜物である生命を頂いているすべての人が、大切にされ神のいつくしみのうちに生きることができるような社会。それを築きあげるために、様々な努力を積み重ねていくことが、現代社会にあって福音を告げ知らせるキリスト者の使命であると教皇は主張されます。

 同時に教皇は、挑戦し続けることの重要さも説かれます。わたしたちは変化に対して臆病になりがちです。新しいことに挑戦していくことに、気後れしてしまいがちです。でも教皇はそういった姿勢を、「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」と批判されます。これは教皇就任直後に訪れたランペドゥーザ島で、アフリカから海を渡ってきた多くの難民の方々と一緒にミサを捧げた時の、説教の一文です。変化を恐れ現状に安住しようとするとき、人は他者の叫びに耳を傾けようともしなくなる。自分たちのことばかりを考える利己主義に陥り、困難に直面する他者の叫びには無関心になってしまうという指摘です。

 教会の土台は、主イエスご自身であると、パウロはコリントの教会への手紙に記しています。復活の日から、わたしたちには変わることのない土台が存在しています。その上に築き上げられる教会共同体は、それぞれの時代の状況に適応しながら、土台である主イエスをあかしする存在であり続けようとしてきました。時にその行動は、世間の常識から見るとかけ離れているように見られることもありました。それでも教会は、土台である主イエスから離れることをせず、勇気を持ってあかしを続けてきました。それは主御自身が、神殿で、周囲の人々の常識をうち破り、弟子たちにでさえ、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い起こさせるほどの熱さを持って、真理に生きようとされたからです。ですから迫害の時代にも、教会は土台である主イエスから離れることなく、勇気を持ってあかしを続けてきました。

 そしていま、日本において、わたしたちは、勇気を持って土台である主イエスから離れず、あかしする共同体として、しるしとなり続けているでしょうか。

 日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して考えてしまいます。守ろうとするとき、わたしたちは外に対して固い殻をまとってしまうことさえあります。この聖堂に満ちあふれているであろう教会共同体の雰囲気とは、そのわたしたちの心の反映であります。

 そういった消極的な姿勢に対して、教皇フランシスコは、かつてブエノスアイレスの教会で司祭や信徒に対して語った言葉を、使徒的勧告の中で繰り返しておられます。
「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです。中心であろうと心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」

教会創立50年の節目に、教会共同体のあり方を今一度見つめ直してみましょう。社会におけるあかしの共同体として勇気を持った行動を積極的にとるためにも、主イエスご自 身の熱意にわたしたちも与ることができるよう、神様の導きを祈りましょう。

・菊地大司教の日記 ㉑多摩東宣教協力体堅信式@調布教会

多摩東宣教協力体堅信式@調布教会

  復活節第3の主日の今日、午後2時から、調布教会を会場に、多摩東宣教協力体の合同堅信式が行われました。多摩東宣教協力体は、調布教会、府中教会、多摩教会の三つからなり、それぞれ調布がサレジオ会、府中がミラノ外国宣教会、多摩が教区の司祭が主任を務めていますs。宣教協力体としての主な活動は、秋の府中墓地での合同慰霊祭を企画したり、同じく秋口に合同で宣教についての学習会を行ったりしているのだと、多摩教会の豊島神父様がミサの終わりに紹介してくださいました。

Chohu1803 今回の合同堅信式では、それぞれの教会から10数名ずつ、全部で44名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。年齢層は若い方から年配の方まで様々でした。朗読をしてくださった受堅者の方々はわかりやすい良い朗読でした。三つの教会からミサに参加してくださった方々で聖堂はいっぱいでしたが、三つの教会のそれぞれの雰囲気を反映しているのでしょう。聖堂は明るい喜びの雰囲 気に満たされていました。

 調布教会は広い敷地の中にサレジオ会の神学院などもあり、今日のミサには神学院で働く神父様方も、共同司式で参加してくださいました。その中には、ボリビアで働く倉橋神父様の姿も。まもなくボリビアに戻られるとのこと。ミサ後の茶話会の席で、得意のハーモニカ演奏を聴かせてくださいました。

 調布教会は、祭壇に向かって床が下がっていく劇場のような構造です。イグナチオ教会と同じ設計者だと伺いました。入り口から内陣までは緩やかなスロープで、入堂の時には、それほど感じなかったのですが、さすがに1時間半以上の堅信式で、ほとんど立ちっぱなしでしたので体が疲れてしまったのか、閉祭の時にはバクルス(牧杖)を、本当に杖のように使ってスロープを上りました。まだまだ若いつもりですが、徐々に、バクルスが本当に役立つようになってきました。

Chohu1805 午前中は雨模様の東京都内でしたが、午後からは曇り空でしたので、ミサ後の茶話会の前に、聖堂を出たところで記念撮影をしました。山のようにカメラがあったので、ネットのどこかを探せば、そのうち出てくるのかも知れません。

 堅信の秘跡を受けられた皆さんが、毎日の言葉と行いを通じて、福音をあかしする宣教者としての使命を果たされますように、聖霊を通じた神様の守りと導きを祈ります。

 本日の昼のレジナチェリの祈りで教皇様も力強くアピールされていましたが、他の多くの不安定な地域とともにシリアの情勢には心が痛みます。情報が報道されているとおりそのまま信じて良いものか確実ではありませんし、実際に現場にいても誰がどの攻撃を仕掛けているのかは判然としないでしょう。そんな中で、関わっている様々なサイドの非難の応酬が続いています。わたしには誰が本当のことを言っているのか、誰が正しい判断をしているのかを判断するすべはありません。ただわかっていることは、武力が行使されることで、実際にシリアの各地で命を失う人が存在し、家族を失う人が存在し、友人を失う人が存在し、親を失う子どもが存在し、子どもを失う親が存在しているという事実だけです。また、命の危険を感じ恐怖のうちに毎日を過ごさなければならない人たちが、そこに多くおられるという事実だけです。

 希望と喜びのうちにすべての人が安心して生活できる環境を取り戻すように、政治のリーダーたちには違いを乗り越え、またその行動を自制して、より良い道を見いだす努力をしてくださることを、心から期待します。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑳ 岩手、岩手、そしてパナマ・・六本木チャペルセンターで堅信式

2018年4月10日 (火)

 岩手、岩手、そしてパナマ

  今日は岩手との絆を再確認させられた日でした。ちょっと大げさですが。

 昼過ぎに、4台の大型観光バスがカテドラル構内へ。教区本部の執務室の窓から、中学生とおぼしき制服姿の男女が降車してくるのが見えます。それぞれのクラスごとなのか、カテドラルを背景にまず記念撮影。その後、聖堂の中へ。何となく気になるものがあって、わたしも聖堂へ行ってみました。そのときにバスのフロントに張られた団体名は、なんと岩手県の某町立中学。岩手県です。私の故郷です。

 聖堂へ入ってみると、なんとマイクが立てられ、録音の準備が。職員によると、毎年この学校は、修学旅行の際にこの名建築を訪れ、さらにここで生のパイプオルガンの演奏を鑑賞し、さらに自分たちの合唱を録音していくのだとか。「岩手県は合唱が盛んなんです」とはカテドラル職員の弁。そうだったのか。知らなかった。練習が始まったので耳を澄ませていると、なんと歌い出したのは、典礼聖歌にも納められている高田三郎先生の「呼ばれています」であります。公立学校です。

 「呼ばれています いつも。聞こえていますか。いつも。はるかな遠い声だから、良い耳を良い耳を持たなければ」

すばらしい。その一言。東京のカテドラルの響きの素晴らしいこと。残響は7秒でしたっけ。明日もほかの学校が、修学旅行で来られるようです。

 今度は夕方に、後述のワールドユースデー関連の行事に出かけるためにタクシーを停めました。女性の運転手さん。後ろのドアのところには、「新人」のステッカーが。行き先を告げると、さて目白からどうやってそちらへ向かうのか逆に尋ねられました。「まだ慣れていないもので」と運転手さん。

 そこで、私も事前にグーグルマップなどで調べていたので、その知識を開陳して道を指示。走り出してから、「実は私も東京に来たばかりで、道はよく知らないんですけど」とわたしが言うところから会話が始まり、なんと運転手さんは岩手県から出てきて、半年前ほどからタクシーの運転を始めたとのこと。岩手です。私の故郷です。それから、目的地に着くまで、いかに東京の道がわからないかで話が盛り上がりました。彼女のイントネーションの懐かしいこと。

 岩手、岩手でした。

 そして目的地は駐日パナマ大使公邸。パナマと言えば、もちろん2019年1月のワールド・ユース・デーの開催地です。来年1月22日から27日まで、教皇フランシスコを迎えてパナマで開催されます。もちろんこの行事はカトリック教会の行事ですが、パナマ政府は全面的にバックアップしており、駐日パナマ大使館も、できるだけたくさんの青年たちにパナマへ出かけてほしいと、全面的に協力する姿勢を見せています。

 そして今夜は関係者を大使公邸に招いて、ワールド・ユース・デーをパナマ政府がいかに支援しているかを説明し、ついでにパナマ料理を味わい、さらにパナマ音楽を味わうひとときでした。ディアス大使が教区本部まで直々に招待においでになったので、私も出かけてきました。教会関係では、教皇庁大使館の参事官、都内の南米のシスターやこれまでワールド・ユース・デーに関わった方々、上智大学関係者が招かれ、それ以外の中米の大使館関係者や、たまたま来日中だったパナマ政府の港湾庁長官や、日本の外務省の中南米局長以下関係者が参加しました。

 1月の末で、大学生などは試験期間となるので難しいかもしれませんが、多くの方がパナマでのワールド・ユース・デーに参加されることを期待しています。

2018年4月 9日 (月)

 堅信式@フランシスカンチャペルセンター

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  復活節第二主日は、六本木にあるフランシスカンチャペルセンターで堅信式ミサでした。

 六本木なる地域にはほとんどなじみがなく、足を踏み入れるのも人生で二回目ですが、何というか、地域全体の雰囲気がほかとは何か異なる感じがする場所です。(なんと形容していいか)。そんな街の中にあるフランシスコ会の運営する小教区、チャペルセンターは、英語を話す信徒の方々のための教会です。女子パウロ会のホームページの教会の紹介記事に、次のように記されています。

 「第2次大戦後、六本木の元防衛庁の敷地内にGHQの建物があった。そこで働くアメリカ人兵士たちのために、フランシスコ会のニューヨーク管区から司祭たちが来日し、教会を開いたのがそのはじまりである。そして、それ以来、外国の方が多い六本木にあって、フランシスカン・チャペルセンターは、日本に住む外国の人たちのための宣教・司牧にあたっている」。足を踏み入れた瞬間から、どこか他の国に来たのかと思わせるような雰囲気。もちろん英語が飛び交っておりました。

 この日のミサでは25名の方が堅信の秘跡を受けられました。お一人のお父さんを除いてほかの24名はすべて小学生低学年ほどの少年少女。この日のミサで、初聖体も受けられました。男の子たちはスーツに身を包み、女の子たちは白いドレスに白いベール。ミサ後に写真撮影タイムがありましたので、ネットのどこかを探せば、あの数多いカメラのどれかの写真が、どこかに掲載されていることでしょう。

 ここでのミサはもちろん英語。とてもよく準備された聖歌隊があり、ピアノの伴奏と、さらにはトランペットやトロンボーンも加わり、壮大な聖歌の演奏でした。説教は英語でしたので、原稿の掲載はいたしませんが、英語の共同体も東京教区から切り離されて孤立して存在するのではなく、司教のもとで一つの教区共同体の一部として福音を告げる宣教者としての使命を果たしてほしいなどとお話しいたしました。

 明けて月曜日の今日は会議の日。午前中はほぼ毎月開催される司祭評議会。午後は宗教法人の責任役員会。東京教区は宗教法人立の幼稚園も多く運営しているので、責任役員会は教会の事案ばかりでなく、学校法人の理事会のような役目も果たしています。

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 ところで教皇様は、本日新しい回勅を発表されました。「聖性」について書かれており、タイトルは「Gaudete et exsultate (マタイ5章12節:新共同訳聖書では「喜びなさい。大いに喜びなさい。)」です。またこの数週間で要約などの記事が出てくることでしょうが、日本語訳はいつものように、時間がかかると思われますので、今しばらくのご辛抱を。

・菊地大司教の日記 ⑲「新しい場で働き始める皆さんに神様の守りと導きと祝福を」-4月5月の予定

2018年4月 5日 (木)

   東京は、あっという間に桜も散りました。4月に入り、学校や会社では新しい年度が始まり、各地の教会でも司祭の異動の季節となりました。

 東京教区は、わたしが着座して間もないこともあり、本当に必要な数カ所での異動といたしましたが、それでも数名の司祭には新しい場でのお仕事をお願いいたしました。新しい年度の初めに当たり、新しい場で働き始める皆さんに、神様の守りと導きと祝福を祈ります。

 この数日いろいろとありました。復活の主日は、浦野神父に連れられて本郷教会へ。表通りに面している本郷教会は、それでもこれだと指摘されなければ気がつかない佇まい。実は聖堂はこの裏手に隠れているのです。3階建てで、一階と二階が信徒会館やホール。三階が聖堂。そして裏手の道を挟んでもう一つの建物が司祭館や教室や、地域のための活動に使われている箇所など。復活徹夜祭に洗礼を受けられた三人の方を祝って、ミサ後には茶話会が開催されました。

 復活の月曜日は、年度初めと言うことで、東京教区が関わる二つの学校法人と教区立の幼稚園で採用された新人職員の方々への辞令授与式。その後、東京教区のカトリック幼児教育連盟主催で、新人教職員研修会が開催されました。午前中の基調講演は、長崎南山高校の西経一神父。ちなみに西神父は、わたしと同じ神言会の会員で、神学校ではわたしの2級ほど先輩ですが、今回の講師になったのは偶然で、わたしが呼んだわけではありません。話が上手な神父として有名な人物で、この日も思いっきり先生方を笑わせておられました。

 水曜日には、ペトロの家で生活されている東京教区の寺西神父様の誕生祝い。御年89歳は、元気です。準備されたチーズケーキのバースデーケーキに並べられた9本のろうそくを一気に吹き消されました。ちなみに寺西神父と司祭叙階の同級生が新潟の鎌田神父で、こちらも御年90歳。4月末には新潟で、司祭叙階のダイアモンド祝です。

 5日は朝から司教協議会で、毎月の常任司教委員会。いろんな議題がありましたが、例えば、先般教皇様が定められた聖霊降臨祭後の月曜日を「教会の母聖マリア」の義務の記念日にする件。そんなものはさっさと翻訳して発表をすれば良いと、待っておられる方も大勢いるのだと思います。でもこういうのは実は結構大変なのです。

 ラテン語からの翻訳では、以前に典礼で翻訳された日本語との整合性をとる必要があります。同じラテン語はなるべく同じ日本語にする必要があります。その上で、翻訳しなくてはならないのはミサの祈願文や入祭唱、拝領唱だけではありません。義務の記念日になったので、教会の祈りの読書課を用意しなくてはなりません。定められている読書の第2朗読は、第2バチカン公会議中のパウロ六世の説教。これはゼロからの翻訳です。

 さらに、今年から始めなくてはならないのですが、「毎日のミサ」はすでに印刷されていて、今から変更がききません。ではどうするかも決めなくてはなりません。これ以外にももう一つ、待たれていた典礼の訳語の問題があるのですが、そちらは著作権者の許諾が得られたので、教会が望むように読み替えることができるようになりました。このあたりはまた、中央協議会のホームページなどで公示されますので、またご覧ください。

 というわけで、4月と5月の主なわたしの予定です。なおこれ以外にも所用で不在のことがありますから、わたしに御用の際は、教区本部の事務局長にお問い合わせください。

 4月=8日フランシスカンチャペルセンター堅信式・9日司祭評議会(関口)・12日「師イエズスの友」研修会(関口)・15日 多摩東合同堅信式(調布)・16日 新潟教区司祭の集まり(新潟)・17日 カリタスジャパン会議(潮見)・20日 聖心女子学院始業ミサ・21日 習志野教会50周年 ・22日 世界召命祈願日ミサ(関口、14:30)・23日 司祭月例集会、顧問会(関口)・28日 (全国カトリック学校)校長・理事長・総長・管区長の集い ・29日 カルメル会司祭叙階式(上野毛)・30日 鎌田神父ダイアモンド祝(新潟)

 5月=1日 東星学園創立記念日ミサ(清瀬) ・6日 梅田教会ミサ ・7日 司祭評議会、CTIC運営委員会(関口)・10日 常任司教委員会(潮見)・12日 井手神父納骨式(府中)・14日から18日 国際カリタス理事会(ローマ)・20日 聖霊降臨、合同堅信式(関口)・21,22日 日本カトリック女性団体連盟総会(新潟)・23,24日 男子修道会宣教会管区長協議会総会(軽井沢)・25日 東日本大震災仙台教区サポート会議(仙台)・26日 宣教司牧評議会(関口)・27日 志村教会ミサ ・28日 司祭月例集会(関口)・29日 聖母学園理事会(新潟)・30日 WCRP関連会議 ・31日 ロゴス点字図書館理事会、HIV/AIDSデスク会議(潮見)

  (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑱ご復活!新たな生き方へ出発する神の民でありたい

御復活おめでとうございます

 皆様、御復活おめでとうございます。

 暖かな復活祭になりました。東京はすでに桜も散り始めました。

 初めての関口での聖金曜日。やはり聖堂が物理的に大きいことや、そのため参加してくださる方の数が多いことから、新潟では経験したことのないことが起こります。たとえば十字架の崇敬の時に歌う典礼聖歌には、かなり多くの節が用意されていますが、新潟に限らず多くの教会では、崇敬の行列が終わってしまうために、かなりの節を飛ばして歌い、ちょうど良いくらいに合わせて最後の節に来るようにするのが、聖歌隊長の腕の見せ所です。しかし関口では、すべて歌いきってもまだ崇敬の列が終わらない。いや、驚きました。しかも一度に4名ずつも崇敬に並ぶにもかかわらずです。

 この日は古郡神父に説教をお願いしました。たとえばサンピエトロの教皇様司式の聖金曜日の受難の祭儀は、このところいつもカンタラメッサ神父さんの説教です。それに負けないほどに力のこもった良い説教を、古郡神父から聞かせてもらいました。

 そして復活徹夜祭。30名ほどのかたが洗礼を受けられました。すみません、正確に数えておけば良かったのですが、それくらいでした。多いです。要理を担当したグループごとに洗礼を行うので、西川神父と古郡神父はそれぞれご自分が担当した方々に洗礼を授け、私はシスターなどが担当された方々8名に洗礼を授けさせていただきました。

 この8名の中には、全くの偶然なのですが、私の中学時代からの友人が含まれておりました。このような形で、東京で再会し、しかも洗礼を授けさせていただくことになろうとは、思ってもみませんでした。洗礼を受けられた皆さん、おめでとうございます。

 復活の主日は、浦野神父が担当している本郷教会へ。マンションのようなたたずまいの立派な建物でびっくり。ミサ後には、復活徹夜祭で洗礼を受けられた3名の方々を囲んで、茶話会も行われました。おめでとうございます。

 以下、復活徹夜祭の関口での説教の原稿です。

 今宵、主イエスの復活を祝うわたしたちは、旧約聖書における出エジプトの出来事を記した聖書の言葉を聞きました。神はモーセにこう言われたと記されていました。「なぜ、私に向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい」。神に選ばれたイスラエルの民がエジプトにおける奴隷の状態から解放されるためには、いまの現実を完全に離れ、具体的にそして物理的に体を使って移動し、新たな地へ向かって出発することが求められたのです。

 古い生き方からまったく異なる新しい生き方への「過ぎこし」によって解放は実現します。しかしその「過ぎこし」は、与えられるのではなく、イスラエルの人々がモーセとともに自ら行動することによって、初めて達成されたのです。神の愛といつくしみは、待って願っているだけでは実現しない。それはまず出発という行動を必要とするのです。

 「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探している」。先ほど朗読された福音に記された神の使いの言葉です。イエスの復活を告げるこの言葉は、単に「あなたがたはイエスを捜しているが」といえばよいものを、わざわざ「十字架につけられたナザレのイエス」と形容しています。つまり、復活されたイエスと、これまでの弟子たちが知っているあのナザレ出身で十字架上で殺されていったイエスとは同一ではない、全く異なる生命に生きている存在なのだということを、この言葉は示唆します。その上で、過去との決別を促すように、その過去のイエスは「ここにはいない」と宣言するのです。主イエスを失ったという悲しみと絶望に至ったこの場所にとどまり続けるのではなく、全く新しい生き方へと出発するようにと、行動を促します。それが、エルサレムを離れてガリラヤへ旅立つよう、弟子たちに命じる言葉です。

 わたしたちの信仰は、恵みが与えられるのを座して待ち続ける受け身の信仰ではなく、その恵みの中に生きるために積極的に行動するよう促される信仰であります。しかも、神がイスラエルの民全体に旅立ちを求めたように、わたしたち信仰に生きる者が皆で生み出す信仰共同体が、全体として行動することを促されているのです。

 教皇フランシスコは、旅立ち行動する教会共同体を、「出向いていく教会」という言葉で表されました。「『出向いていく教会』は、宣教する弟子たちの共同体です」と「福音の喜び」に記されています。あらためて言うまでもなく、わたしたちキリストにおける信仰に生きる者には、自らが信じる福音をすべての人に伝えていく務めが与えられています。ですから「出向いていく教会」とは福音を告げ知らせる教会であります。そのことを教皇フランシスコは、こう記しています。

 「福音を宣教する共同体は、行いと態度によって他者の日常の中に入っていき、身近な者となり、必要とあらば自分をむなしくしてへりくだり、人間の生活を受け入れ、人々のうちに苦しむキリストのからだに触れるのです。・・・福音宣教する共同体には『寄り添う』用意があり、それがつらく長いものであっても、すべての道のりを人類とともに歩みます。」

 もう50年以上前、1965年12月に、第二バチカン公会議が採択した現代世界憲章の冒頭で、教会は高らかに次のように宣言しました。

 「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

 わたしたちは、それぞれの時代の現実における、人々の「喜びと希望、苦悩と不安」に寄り添うために、「出向いていく教会」であります。

 それでは人間が生きていく人生の中で、一番の喜びと希望とはいったい何なのでしょう。もちろん、それぞれの方にとって自分の喜びや希望があることではありましょうが、しかし信仰の立場にとって一番の喜びと希望は、人間の命の誕生とその尊厳が護られることであります。なぜならば、本日一番最初の創世記の朗読で耳にしたように、神はわたしたちの命を、神ご自身の似姿として、そして良いものとして創造された。私たちの命を至高の賜物として創造されたと、信仰者は信じているからです。その最高の賜物が誕生し、十全に育まれるようにと、その尊厳が護られること以上の、喜びと希望はありません。

 しかし現実はどうなのでしょうか。いま、神の賜物である人間の命は、その始まりから終わりまで、大切にされ、その尊厳は護られているのでしょうか。

 世界の各地では、今このときも地域紛争はやむことがなく、特に将来を担うはずの子どもたちを中心に賜物である命は危機にさらされています。どこに生きるどの命であっても、神が愛され大切にされているのだから、それは徹底的に護られなくてはなりません。どのような形であれ、暴力的な手段で命が奪い取られるような状況や、その尊厳がないがしろにされるような事態に、教会は賛同できません。

 私たちの国にあっても、近年、命の尊厳をどう考えているのか理解できない大量殺人ともいうべき事件を耳にすることもありました。障害とともに生きる方々の施設で、19名が殺害されるという事件も発生し、その後には、その殺害行為を正当化する考えに同調する論調が、インターネット上を中心に少なからず見られました。その現実が、日本における命に対する価値観が、身勝手で利己的なものになってしまったことを強く感じさせます。命が持つ価値を人間が決めることができるという考え方に、教会は賛同できません。

 「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

 教会共同体は、社会の現実の中にあって、困難に直面し、生きることに困難を感じている方々に寄り添い、すべての命を大切にし、人間の尊厳を尊重する価値観のために、積極的に「出向いていく教会」でありたいと思います。信仰にあって神と共に歩む人生を送るために、人間中心の価値観に生きた過去と決別し、新たな生き方へと出発する神の民でありたいと思います。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑰主の晩餐@聖木曜日「信仰者の熱い思いとは・・」

Chrism18013月29日 聖香油ミサ・主の晩餐・洗足式・@聖木曜日

 復活祭を前にした聖なる三日間となりました。聖木曜日の主の晩餐のミサを前にして、聖香油ミサが行われました。

 新潟教区の聖香油ミサは水曜日の午前10時から新潟教会で。東京教区は木曜日の午前10時半から関口教会で、それぞれ行われました。新潟教区は、遠いところでは車での移動は6から7時間、本数の限りなく少ない電車は乗り継いで5時間半という秋田県の北部にも教会がいくつかありますので、さすがに聖木曜日に集まるのは不可能です。毎年この時期に、火曜日には司祭評議会を行い、そのまま宿泊していただいて翌水曜日に聖香油ミサをしてきました。

Chrism1805 聖香油ミサでは、秘跡の執行に必要な油、洗礼志願者の油、病者の油、そして聖香油の三つが祝福されます。さらにミサ中には、その教区で働く司祭団が、叙階式の誓いを思い起こしながら初心に立ち返り、その誓いを新たにいたします。

 さすが東京と新潟では、信徒の数も司祭の数も規模が違います。油の量も、かなり異なっておりました。(写真:左右は東京、下は新潟)

 聖木曜日の主の晩餐は、やはり東京カテドラルの関口教会でミサを捧げました。ミサは関口教会と韓人教会の合同で行われ、聖堂はいっぱいとなりました。説教の後の洗足式は男性も女性もいて12名。近頃、床に膝をつくと激痛が走るようになってきたので、今回は膝パッドを手に入れ、万全の体制で臨みました。

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 ミサ後には御聖体を、カテドラルの左側にあるマリア祭壇に安置。しばらく聖体礼拝のひとときがもたれました。

 30日、聖金曜日と明日の復活徹夜祭。関口教会はともに私の司式で、午後7時からです。

 以下、29日の主の晩餐のミサの説教の原稿です。(写真は聖香油ミサです)

 この聖堂は、毎日多くの方が訪れます。観光で立ち寄られる国内外の方々。数日前にもありましたが、コンサートのために訪れる方々。結婚式で訪れる方も少なくありません。また有名な建築家の作品であることから、建築を学んでおられる方なども訪問されます。聖堂の中に足を踏み入れる人の数で言ったなら、日本有数の訪問者を誇る聖堂の一つであろうと思います。新潟のカテドラルも、1927年献堂の90年を超える歴史のある建物ですから、新潟の観光案内などには掲載されていますので、それなりに観光で訪れる方もおられますが、この関口の聖堂には適いません。

 毎日のようにそれほど多くの方が訪れるこの聖堂。訪れてくださる方々の、特にキリスト者ではない方々の心には、いったい何が残されるのでしょうか。素晴らしい建築だ。聖なる雰囲気だ。圧倒された、などなど、様々な感想があるのだと思います。

 この聖堂は、単なる礼拝の場所にとどまるのではなく、はたまた素晴らしい建築作品であるだけではなく、さらには荘厳な雰囲気の場所であるだけではなく、ここにあるキリスト者の信仰共同体を象徴する共同体の目に見える体であります。教会はただ冷たく物質的に立っている建築物ではなく、その中に育て上げられる教会共同体の精神を反映しながらここに建っております。この聖堂が醸し出す雰囲気は、常にそこに満ちあふれている信仰共同体の雰囲気そのものであります。

 パウロはコリント人への手紙の中で、最後の晩餐における主イエスの言葉を詳細に伝えています。イエスご自身は、実際にパンを手に取り、また杯を手にとって秘跡を制定されたのですから、その場でそれらを実際に示しながら、「このパン、この杯」と言われたことに、何の不思議もありません。でも、パウロはその後に続けて、あらためて自分の言葉として「このパンを食べこの杯を飲むごとに」と、「このパン、この杯」と特定して話を進めています。それは、どこにでもあるパンや杯なのではなく、イエスの体と御血となった「このパン、この杯」なのだと明確に示すためです。見た目には同じパンと杯であっても、それは全く異なる存在として特別な意味を持っているのだということを明確にするためです。

 おなじようにこの聖堂も、単なる大きなホールなのではなく、私たちにとって「この聖堂」として、そこには特別な固有の意味があるはずです。それは、私たち信仰共同体があかしをしようとする信仰のしるしとしての意味であります。

 パンと杯は、イエスの弟子たちへの切々たる愛のほとばしる思いに満ちた秘跡制定の言葉によって、特別な存在となり、特別な意味を持つようになりました。残される弟子たちへの痛いまでの愛の思いが込められたのは、「私の記念」という言葉であります。「私の思い、言葉、行いを忘れるな」というイエスの切々たる思いが込められた、「記念」という言葉です。その激しいイエスの思いを持って、ただのパンと杯は、「このパンと、この杯」になったのです。

 ですから、この聖堂もそのままでは特別な意味を持つ存在とはなりません。この聖堂が、単なる建物や大きなホールから、はたまたホテル付属の結婚式場から、「この聖堂」になるためには、私たち信仰共同体の切々たる熱い思いが必要であります。信仰のあかしをしようとする、ほとばしるような神への熱い思いが必要です。私たちの信仰共同体には、そのほとばしるような熱い思いがありますでしょうか。そして信仰共同体が熱い思いに満たされるためには、それを生み出している私たち一人ひとりが、やはり熱い思いに満たされていなくてはなりません。

 それを教皇フランシスコは使徒的勧告「福音の喜び」の冒頭で、こう記されています。

 「福音の喜びは、イエスに出会う人々の心と生活全体を満たします。イエスの差し出す救いを受け入れる者は、罪と悲しみ、内面的なむなしさと孤独から解放されるのです」

 教皇様が指摘されるように、私たち信仰者の熱い思いとは、イエスと出会った喜びによって生み出される熱意であります。そしてそれは自分ひとりのものではないことを、教皇様は次のように続けられます。

 「このむなしさは、楽な方を好む貪欲な心を持ったり、薄っぺらな快楽を病的なほどに求めたり、自己に閉じこもったりすることから生じます。内的生活が自己の関心のみに閉ざされていると、もはや他者に関心を示したり、貧しい人のことを考えたり、神の声に耳を傾けたり、神の愛がもたらす甘美な喜びを味わうこともなくなり、ついには、善を行う熱意も失ってしまうのです」

 このパンを食べこの杯を飲むとき、私たちは主の死を告げ知らせるとパウロは記します。それはすなわち、イエスの受難と死と復活によってもたらされた新しい命に生きる喜び、それを多くの人に告げ知らせることでもあります。

 私たちは、信仰者として一人ひとりが、そして一人ひとりでは力が足りない、力が不足している、またそれぞれ役割が異なるので、共同体という一つの体として全体で、このイエスとの出会いの喜びを熱くなって伝える存在でありましょうか。私たちがそうならなければ、この聖堂にはその熱意が満ちあふれることもなく、訪れてくださる多くの方の心にその熱意が伝わることもありません。

 主の晩餐のミサの福音は、イエスによる愛の奉仕の場面の朗読です。実際に足を洗うかどうかは別にして、互いに謙遜になり、互いを助け合うこと、互いに奉仕し合うこと、その大切さを自ら模範を持って示す主の姿です。

 そしてその愛の奉仕は、御聖体の秘跡とともにあるのです。あらためて教皇ベネディクト16世の回勅「神は愛」の言葉を引用します。

 「教会の本質はその三つの務めによって表されます。すなわち、神の言葉を告げ知らせることとあかし、秘跡を祝うこと、そして愛の奉仕を行うことです。これらの三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことができないものです」

 教会にはありとあらゆる方面で、愛の奉仕の業に励んでおられる方が大勢おられます。奉仕に努められている多くの方に心から敬意を表します。同時に、その一つ一つの働きは、たとえ団体は異なっていても、それに携わる信仰者にとっては、一つのキリストの体の一部としてなされているのだということを心にとめていただきたいと、いつも願っています。それは愛の奉仕の業は、教会の大事な務めとして、福音宣教や典礼と切り離すことはできないからです。

 さて、この聖堂を訪れる方々に、私たち信仰者の熱意を感じ取っていただけるように、私たち信仰共同体にとっての「この聖堂」にするために、この三つの務めを充実させながら、教会共同体を信仰において神に対する熱い思いに満たされた共同体に育てて参りましょう。私たちには、あの晩の、イエスの熱い思いを、主が再び来られる日まで、伝えていく務めがあるのですから。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑯聖週間始まる「十字架につけろ」に思う

3月25日 受難の主日@田園調布教会

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 聖週間が始まりました。洗礼の準備をしておられる方々にとっては、重要な一週間ですし、信仰者にとっては、イエスの死と受難と復活こそが信じる事柄の基本でありますから、クリスマス以上に大切な一週間です。

 枝の主日とも呼ばれる受難の主日の今日、田園調布教会に生まれて初めて赴き、ミサを捧げることができました。写真は、フランシスコ会からの借り物です。

 そうですこの田園調布教会はフランシスコ会の担当で、昨日と今日、全国のフランシスコ会担当の小教区かた侍者のリーダーたちを集めて、講習会を開催していたのです。30名くらいの侍者が集まり、新潟の高田からも参加者がありました。

 ですから今日のミサは、侍者がいっぱい。ミサの最後にはフランシスコ会による侍者の認定証(ちゃんと等級付き)の授与までありました。一番上の等級になると、特製ジャンパーがもらえるのだとか。

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 で、私はこれに誘われたとき、悩みました。初めての聖週間だからカテドラルの関口教会でミサを司式すべきかとも思いましたが、なんと言っても侍者の集まりです。私の霊名はタルチシオで、この方は初代教会のローマの殉教者ですが、御聖体を守って殺害されたことから、侍者の保護の聖人であります。ですから侍者の集まりと言われると行かないわけにもいかない。というわけで、初めての田園調布教会訪問となりました。

 ミサ後には、残った信徒の方々との茶話会もありました。たくさん写真を撮っていただいて、感謝します。

 以下本日の説教の原稿です。

 その日、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と問いかけるピラトに対して、群衆は「十字架につけろ」と盛んに激しく繰り返し叫んだと、福音には記されていました。

 「十字架につけろ」いう短い叫びは、深く考えるまでもなく、なんとなく興奮して集まった人々にはわかりやすいフレーズですから、瞬く間に人々の心をとらえ、大きなうねりとなっていきました。

 この大きなうねりを前にしたとき、「落ち着いて考えてみよう」とか「イエスの言うことも聞いてみよう」などという理性的な言葉は力を失います。大きな波に飲み込まれてしまいます。

   どんな理性的な言葉も群衆を落ち着かせることはできない、という現実に直面したとき、ピラトは、その大きな波に抵抗することをやめてしまいます。捕らえられていた犯罪者を釈放し、神の子を十字架につけて殺すために渡したのです。

 「十字架につけろ」という短い叫びは大きな波となって、集まった人々の興奮を倍増させました。考えてみれば、今日の入堂行列の前の福音朗読にあるように、同じエルサレムの町で同じ時期に起こった出来事ですから、「十字架につけろ」と叫ぶ群衆というのは、その数日前に、イエスを喜びの声を上げて迎えた群衆でもあります。数日前に、イエスを賛美し、喜んでエルサレムに迎え入れたことなど、この大きな波は、人々の記憶からすっかり忘れ去らせてしまいます。

 聖書が記している、この「群衆」という存在。それは、自分自身の頭を使って自分としての判断をすることを停止した人々、その集まりを象徴しています。その時々の大きな波に飲み込まれて、喜んでみたり悲しんだり。どちらにしろ、大切なことは興奮していることであって、その興奮を生み出している原因が何であるのか、を考えることはしない。なぜなら手間のかかる面倒なことだからです。

 その日、「十字架につけろ」と叫んでいる群衆に、たとえば今の時代のようなテレビのレポーターがそこにいたとして、一人ひとりにインタビューをしたら、どんな答えが返ってくるでしょう。「十字架につけてイエスを殺せなんて、そんな大それたことは言ったつもりはない」とか、「イエスに死んでほしいなんて、実は思ってもいない」などという、無責任な返事があるかも知れません。みんなの興奮に同調して叫んだ言葉への責任など、誰が感じるでしょう。

 今の時代、スマホに象徴されるような様々なコミュニケーション手段を、私たちは持っています。それを利用した言葉のやりとりの中で、どうしても気にかかることがいくつかあります。

 それは、まず第一に、なるべく「短い言葉」で交わすやりとりであります。なかでも、自分の感情を隠さずに直接表すような、短いけれども激しい言葉が飛び交っている様を、ネット上に目撃することがあります。短い言葉のやりとりが,時として、無責任な言葉の投げつけあいに発展することもよくあることです。長い文章であれば、じっくりと考えなければ意味が通じないので、何回も読み返してみたりする可能性もあるでしょう。しかし短いフレーズは、「十字架につけろ」と同じように、直感的にわかりやすいのです。だから深く考えることもなく、相手に送ってしまう。

 短い言葉の投げ合いは,時に人を極端に感情的にさせます。感情的な短い言葉のやりとりは,結局は罵詈雑言の投げつけ合いに発展する可能性を秘めています。短い言葉の投げつけあいで興奮してしまっているやりとりを見るときに、イエスを「十字架につけろ」と叫んで盛り上がっている現代の「群衆」の姿をそこに見るような思いがします。短いフレーズの投げつけあいの世界は、興奮という波のうねりは生み出しても、その言葉から広がる背後の広い世界に目を向けさせることはありません。でも人間は、その広い世界で生きているのです。

 教皇様は、本日の世界青年の日にあたり、メッセージを発表されています。今年のテーマは「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」というルカ福音書の言葉です。

 メッセージの中で教皇様は、聖母マリアが天使からお告げを受けたときに、その驚くべき内容に「恐れ」を感じたであろうとして、次のように書いておられます。

 「それでは若者の皆さんはどんな恐れを抱いているでしょうか。何が皆さんを心底、悩ませているのでしょうか。多くの皆さんが抱いている「根本的な」恐れは、自分という人間が愛されても、好かれても、受け入れられてもいないのではないかという恐れです。

   今日、多くの若者が人為的で実現不可能になりがちな標準に合わせるために、本来の姿とは別の姿にならなければならないと感じています。自分の姿を「画像修正」し続け、仮面と偽りのアイデンティティの後ろに隠れ、まるで自分自身を「偽造(フェイク)」しているかのようです。多くの人が出来るだけ多くの「いいね」を得ようとやっきになっています。自分が不十分であるという心情から、多くの恐れや不安が生じています。」

 教皇様は、自分自身の存在に自信がないという恐れの中で、人から好かれたいという願いが、私たちをフェイクな生き方に招き入れていると指摘しています。

   私が心配する第二の点はこの教皇様の指摘に関係します。つまり、私たちは本当の人生を生きているのかどうか。フェイクニュースという言葉が有名になりましたが、少し前なら誰も信じなかったような嘘であっても、インターネットでまことしやかに流されるとあっという間に拡散して、群衆は興奮してしまう。中身は、あの人が悪いとか、あれが諸悪の根源だとか、わかりやすい単純な方があっという間に拡散します。まさしく現代の「群衆」による「十字架につけろ」という叫びです。

 そもそも私たち自身も、自分を偽ってフェイクな生き方をしていないか。みんなと一緒になって興奮している私は、本当に本物の私なのだろうか。立ち止まって、落ち着いて考えてみる必要があります。

 教皇様は、メッセージの中で、実際に人と話をすることの重要さを説いて次のようにアドバイスされています。

 「さまざまな選択肢をしっかり見極め選べるよう助けてくれる、同じ信仰をもつ経験豊富な兄弟姉妹に相談するのです。少年サムエルは、主の声を聞いても、すぐにはそのことが分からず、老祭司エリのもとに三度駆け寄りました。エリは最後に、主の呼びかけに対する正しい答えをほのめかします。

 「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。もし疑いをもったら、教会に頼ることができることを思い出してください」

 教皇様は、信仰を同じくする多くの方と、実際にリアルに具体的に関わり、よく言葉を交わすことで、ふさわしい道を見いだすことができると教えられます。

 みなさん、受難の主日にあたって、あらためて自分の生き方を見直してみましょう。私はどちら側に立っているのでしょうか。それが興奮の波に巻き込まれ、「十字架につけろ」と叫んでいる「群衆」の側ではないことを祈ります。心落ち着けて、サムエルのように「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と答える側に立ち続けることができるように、神様に心を強めていただきましょう。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑭多摩全生園訪問・カリタスアジア理事会

◎3月18日・秋津教会、多摩全生園訪問

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四旬節第五主日、3月18日の日曜日は、秋津教会を訪問し、午前10時のミサを一緒にさせていただきました。この日はミサの中で、教会学校主催で今年度の卒業生(大学生から小学生まで)への祝福の祈りや記念品の贈呈も行われました(。写真上は秋津教会聖堂。下はミサ中の記念品の祝福)

 地理の感覚がまだつかめていないので、この日は車のナビゲーションに従って走行。関口の司教館からほぼ1時間15分ほどの距離です。途中までは首都高速を通り、途中から一般道に降りると埼玉県に。自衛隊の朝霞駐屯地などを通過して再び東京都へ舞い戻り清瀬駅前を通過して秋津教会へ。

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ここは社会福祉法人慈生会が運営する諸施設に隣接する場所、というか敷地内。教区立のベタニア修道女会がその運営母体となっていますが、ここに、乳児院と児童養護施設、病院と老人ホームが整備されています。乳児院と児童養護施設は先頃新築されたばかりとうかがいました。ミサ後に、シスターの案内をいただき、すべての施設を見学させていただきま した。

 秋津教会は、どちらかというと若い層も多い共同体で、この日はミサ後に信徒会館でランチサービスがあり、献金をいただきながら皆でテーブルを囲み、時間も忘れて交流するひとときがありましたが、子どもたちや青年も大勢テーブルを囲み、楽しいひとときでした。

秋津教会の主任司祭は、東京教区の天本神父です。

さてミサが終わり、昼食の交流会のあとに、慈生会の諸施設を見学させていただいた後、車で少し移動して、多摩全生園へ向かいました。

 ここは正式名称が、国立療養所多摩全生園。ホームページには園長の石井先生の挨拶が掲載されていますが、そこにこうあります。

「当園は正式名称を国立療養所多磨全生園(こくりつりょうようじょたまぜんしょうえん)といい、全国に13施設ある国立ハンセン病療養所の1つです」

「ハンセン病の患者さんは、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきました。我が国においては、昭和28年(1953年)制定の「らい予防法」(新法)においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ、ようやく「らい予防法の廃止に関する法律」が公布、施行されたのは平成8年(1996年)でありました。

その後、平成13年(2001年)には、ハンセン病国家賠償訴訟に関する熊本地方裁判所の判決を契機として、ハンセン病療養所入所者等の精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表すため、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が公布、施行されました(平成18年〈2006年〉一部改正)。さらに、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等のための措置を講ずることにより、ハンセン病問題の解決の促進を図るため、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が、平成21年4月に施行されました。引き続き、ハンセン病の患者であった者等に対する偏見と差別のない社会の実現に向けた取り組みが求められています。」

 わたしが多摩全生園を訪れるのは、今回が二回目ですが、前回はほぼ40年前。1979年10月頃だったと記憶しています。

 その当時わたしはまだ神言修道会の修練士でした。毎年10月に、一ヶ月間の大黙想があり、その指導を上石神井のイエズス会の黙想の家でイエズス会司祭から受けることになっていました。

 その年の神言会の修練士は6名。ひとりを除いた5名が、小神学校上がりのまだ20歳そこそこの若造です。一ヶ月の大黙想は、20名ほどのシスターたちと一緒に行われ、ベテランシスターたちの熱心さに比べて、霊的に子どものような私たちは、なんともできの悪い連中だと、指導者からもシスターたちからも見られていたと思います。確かに大変未熟者でした。

 そんな大黙想の休日の日曜日、参加者全員でミサに出かけたのが多摩全生園のカトリック教会でした。細かいことはすべて忘れ去ってしまいましたが、鮮明に記憶しているのは、ミサの時に歌われた聖歌です。答唱の歌であったでしょうか、現在の典礼聖歌61番、「神は残された、不思議なわざの記念を」であったと思うのです。

その詩編唱、詩編111です。

 「心を尽くして神に感謝しよう。神をたたえる人の集いの中で。神の業は偉大。人はその業を尋ね求めて喜ぶ」

 一緒にミサに与っていた全生園の信徒の方が、なかなか出にくい声を思いっきり出しながら、振り絞るように、全身全霊で、言ってみればシャウトするように歌う詩編のこの言葉。

 いつも自分たちがミサの時に歌っているのとは、同じ言葉なのに迫力が全く違う。全身全霊を持って神をたたえるとはこういうことなのだ。神の業に包まれて喜びに浸るとはこういうことなのだ。そう心に響いてくる歌声でした。こんな迫力のある聖歌は、それまで一度も聞いたことがなかった。

 そこには、歌われている方々の人生のすべてが込められている。命のすべてが込められている。自分もそんな風に、全身全霊を込めて神に向かって叫びたい、と感じさせられる、いわば衝撃的な体験でした。

 この日のミサの中で、その思い出を少し話させていただきました。その当時の感動がよみがえって、ちょっと涙ぐんでしまいました。ミサ後の茶話会で、「それはきっとあの人だ」と教えていただきました。当時、高田三郎先生が歌唱指導に訪れて、やはりその全身全霊を込めて歌う声に接し、人生そのものを背負って歌われている方々に指導することはなにもないと言われたというお話もしてくださいました。その通りであったと思います。

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多摩全生園の信徒の方々に、感謝します。わたし自身の信仰の道にあって、本当に刺激的で力ある体験をいただきました。今回またこうしてミサのために戻ることができて、そのことにも感謝です。

3月18日 (日)カリタスアジア理事会@東京

20180314_113108 カリタスアジアの理事会が、久しぶりに東京で開催されました。

 カリタスアジアは、国際カリタスを形成する世界七つの地域の一つで、現在アジアにある23のカリタスが名を連ねています。カリタスジャパンもカリタスアジアの一員として、国際カリタスの連盟を形作っています。現在のカリタスアジアの責任者は、2011年からわたしが務めていて、一期4年で現在二期目。再選は二期までですから、2019年の5月でわたしの役目は終わることになります。

 カリタスアジアの事務局はタイの首都バンコクにあり、フィリピン出身の事務局長を始め、タイ、インドネシア、カンボジア出身の職員で、総勢5名がフルタイムで働いています。

 カリタスアジアはアジア全体を東、東南、南、中央の四つに分けており、その代表を持って理事会を構成しています。現在は、東がマカオ、東南がミャンマー、南がパキスタン、中央がモンゴルで、英語を公用語にして会議をしています。通常は理事会をバンコクで開催するのですが、今回は私の都合で、久しぶりに東京での開催としてもらいました。前回東京で開催したのは、私がまだ司教になる前に理事を務めていた2002年頃だったと記憶しています。

 今回は、3月14日の初日は朝から晩まで理事会の会議を行い、15日は福島へ出かけました。特に今回はローマにある国際カリタスの本部から事務局長のミシェル・ロワ氏が参加してくださったこともあり、ちょうど福島の原発事故から7年目のミサが15日に南相馬の原町教会で行われることでもあり、参加者全員で電車に乗り、上野からいわきを経由して富岡まで行き、そこからはカリタス南相馬の方の案内で被災地視察をしながら、最後は原町でミサに出席。

28942564_10156268328623979_46034554 カリタスアジア理事会メンバーと国際カリタスの事務局長は、事故から七年が経過した今でも避難せざるを得ない人が多くおられる現実や、分断された地域共同体の現状、また復興の進んでいない地域の現状を実際に目にされて、本当に驚いておられました。また国際カリタスのロワ事務局長は、あらためて世界的規模で原子力発電の必要性を見直す道を模索することの重要性を今回の視察で強く感じられ、帰りの道中は脱原発の道を模索することの重要性を強調されていました。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑬あの日から7年・・一粒会総会

(2018.3.12 司教の日記より)

あの日から7年・・一粒会総会で

  東日本大震災発生から7年がたち、昨日は各地で祈りがささげられました。あらためて、大震災で亡くなられた多くの方々の永遠の安息を祈ります。また復興の過程で亡くなられた方々のためにも、心から祈ります。さらには、普通の生活を取り戻すために、日々取り組んでおられる多くの方々のためにも、神様の守りと導きを心から祈ります。

 昨日は午前10時から、カテドラルの関口教会で主日ミサを司式させていただき、そのなかで特に祈らせていただきました。なお、午後3時からは神学生の選任式がケルンホールで行われました。東京教区の小田神学生が祭壇奉仕者に、同じく東京教区の宮崎神学生が朗読奉仕者に、さらにレデンプトール会の下瀬神学生が朗読奉仕者に選任されました。この選任式は、東京教区の一粒会総会の前に行われ、総会参加者をはじめ、多くの方が参加し神学生のために祈ってくださいました。写真は、昨日の一粒会総会です。

 一粒会は神学生の召命のために祈り、また養成のために献金をしてくださる組織です。神学生が司祭になるには最短でも6年かかります。その間、召命の道を歩んでいくためには、皆様のお祈りによる支えが不可欠です。加えて、具体的には養成の費用(神学院の運営費。授業料など)がかかりますので、そのための資金的面での支援もお願いしております。また東京教区では、すべての信徒の方が自動的に一粒会の会員となっております。どうぞ、将来の教会共同体に奉仕する司祭の誕生のために、お祈りと献金をよろしくお願いいたします。

以下、昨日の10時のミサの説教の原稿です。

 東北地方一帯、特に太平洋沿岸において巨大な地震と津波が発生し、日本全国だけにとどまらず世界中に衝撃を与えた2011年3月11日のあの日から、今日でちょうど7年となりました。あらためてこの大災害で亡くなられた多くの方々と、この7年間の復興の過程で亡くなられた方々の永遠の安息を祈りたいと思います。

 人生の中で、あの日あのとき、どこで何をしていたのかを明確に記憶している出来事は、それほど多くはありません。多くの方にとって、少なくともわたしは、あの日どこにいたのか、何をしていたのか、明確に記憶に残っています。それほどに、私たちにとって衝撃的な出来事でありました。

 7年前に、被災地の復興にこれほどの時間がかかるとは想像すらしておりませんでした。この7年という時間は決して短いものではありません。それにもかかわらず、いまだ報道などで「仮設住宅」にお住まいの方々のお話や、自主避難生活を続ける方々のお話を耳にいたします。その度ごとに、この災害による被害の甚大さをあらためて認識させられます。

 政府の復興庁の統計によれば、昨年12月の段階で、8万人近い方々がいまでも避難生活を送られているといいます。被災地の方々が、何か特別なことを求めているというわけではないと思うのです。ただただ、普通の生活を取り戻したい。しかるにこれほど多くの方が、その当たり前の願いを叶えることができずにいるということを、私たちは心にとめなくてはなりません。

 カトリック教会は、全国の教会をあげて、被災地復興支援に取り組んできました。オールジャパン体制などと呼んでおります。被災地はほとんどが仙台教区でありますので、仙台を中心に、各協会管区が仙台教区との協力の下、東北の各地に拠点を設けて、ボランティアの派遣などを行ってきました。これを、カリタスジャパンが国際カリタスとの協力の中で、資金的に支えてきました。

 被災地の復興には様々な段階がありますが、7年が経過した今、地域共同体の復活のため地元の方々の活動が中心になる中で、カトリック教会の支援活動も、地元の方々を中心とする体制へと変化を続けています。

 同時に、教会は震災10年目となる2021年3月までは、このオールジャパン体制での復興支援を継続することも決めております。それは、被災地で取り組まなくてはならないことがまだまだ多くあるということを再認識させられているからです。とりわけ、原子力発電所の事故の影響が残る福島県内では、復興の歩みにはさらなる時間が必要だと感じさせられます。昨年9月に被災地を訪れ、南相馬市などを視察されたバチカン福音宣教省長官のフィローニ枢機卿も、震災発生からこれほどの時間が経過しているにもかかわらず地域共同体が再生できていない現実をあらためて驚きとともに認識され、地域再生のために祈りを捧げるとともに、特に福島の実情を教皇フランシスコに報告されました。これからも被災地の皆さんに心を向け、復興のために祈りのうちに歩みをともにする決意を新たにしたいと思います。

 私たちの信仰は、絶望の淵から必ずや新しい希望が生み出されることを教えています。最高の指導者であったイエスが十字架で殺されていったという出来事を体験し、絶望の淵にあった弟子達に、イエスはご自身の復活の栄光を示して、その絶望の暗やみから新しい生命への希望が生まれることを示されました。これこそが私たちの信仰の基本です。

 今日の福音でイエスはニコデモに受難と死を通じた救いについて語りながら、「信じるものが皆、人の子によって永遠のいのちを得るためである」と語りかけます。パウロもエフェソの教会への手紙で、人間の自らの力ではなく、神が私たちを愛してくださるからこそ救いが与えられるのだと指摘します。

 私たちが何かをして成果を上げたから、そのご褒美として神から愛してもらえるのではなく、神が自らの似姿として創造されたこのいのちを、よいものとしてその始まりから愛し抜かれているからこそ、永遠のいのちへと招いてくださるのだ。それは人間が勝ち取ったものではなく、無償で与えられた神からの賜物であるとこの聖書の箇所は教えています。

 私たちの国を襲ったこの大災害に直面し、悲しみの淵に追いやられた多くの被災者の方々と歩みを共にしながら、私たちキリスト者には、希望のともしびを掲げる責務があります。そうでなければ、キリスト者と呼ばれる資格はないではありませんか。私たちを先に愛してくださった神が、自らを犠牲にして新しい生命への希望を与えてくださったのですから、その希望の光を多くの方に分かち合うのは私たちの責務です。とりわけ、困難に直面する多くの方に、光から遠ざけられている多くの人に、出かけていってその光を届けようとするのは、キリスト者の責務です。

 私たちが掲げることのできる希望のともしびの一つは、愛の奉仕のうちに助け合う人々の姿であると思います。キリスト者は、その性格が優しいから愛の奉仕を行うのではなく、先に神から愛されたからこそ、その愛を他者に分かち合わざるを得ない。そうせざるを得ないのです。助け合い支え合う姿は、それ自体が神の愛の生きたあかしであります。

 私たちの教会共同体が、この社会のただ中にあって、常に希望の光を高く掲げる存在となり得ているか、自らのあり方をも真摯に振り返ってみたいと思います。私たちは、教会として、神が、誰ひとり例外なく、いのちを与えられた存在をすべて愛しているのだ、すべての人によりよく生きてほしいのだ、すべてのいのちの尊厳が護られてほしいのだ、そのように願っているということを、その神のほとばしる人間への愛の思いを、具体的にあかしする存在でありたいのです。そして、神の愛をあかしする教会共同体を作り出すのは、誰かではなく、私たち一人ひとりの責務であることを、この四旬節の信仰の振り返りのうちに、あらためて心に刻みましょう。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑫主にささげる24時間@東京カテドラル

 2018年3月10日

  教皇フランシスコは、四旬節第四主日直前の金曜日夜から土曜日夜までの24時間を特別な祈りの時間として定め、2015年以来毎年、「主にささげる24時間」と名付けての取り組みを推奨してこられました。

 今年は、3月9日金曜日から10日土曜日まで、「ゆるしはあなたのもとにあり」という詩篇130編4節の言葉をテーマと定め、聖体礼拝とゆるしの秘跡の機会が提供されるようにと四旬節メッセージに記されています。

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東京カテドラル関口教会の地下聖堂では、3月10日土曜日の朝7時から行われるミサ後から、夕方午後6時に行われる同教会の主日のミサまでの間、聖体を顕示し、ともに祈る場といたします。

 今朝のミサはわたしが司式させていただきました。夕方まで御聖体は顕示されていますので、どうぞお祈りにお立ち寄りください。また、明日、3月11日の10時の関口教会主日ミサは、東日本大震災の復興のための祈りとして、わたしが司式いたします。

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以下、今朝のミサの説教です。

 私たち信仰者の生きる姿勢は、人間中心ではなく、神中心であります。しかしながら今や現代社会は人間中心になり、人類の知恵と知識と技術を持って世界をコントロールできるのだ、いのちでさえもコントロールできるのだと考えております。人間がすべての王様になったとき、そこに神の存在する場所はなくなってしまいます。

 たとえば7年前の大震災のような自然の脅威の前で、なすすべもなくおののくとき、人間は初めて世界をコントロールできるのは自分たちではなく、自分たちを遙かに超える力がそこには働いているのだと悟ります。そして神の存在に目を向けるのですが、残念ながら時間がたつにつれ、再び私たち人間は、神のことなど忘れ去り、人間中心の世界に舞い戻ってしまいます。人間が万能であり、その幸福をのみ追い求める価値観は、徐々に自分さえ良ければという自己中心主義に到達します。

 なぜなら、すべての人に同じように幸福を保証することなど人間の力では不可能だと、すぐに気がついてしまうからなのです。それならば、せめて自分だけは、と自己中心に陥るのです。そして教皇様がしばしば指摘されるように、自己中心主義は、他者への無関心を、とりわけ助けを必要とする弱い存在への無関心を生み出します。それはすなわち、愛の欠如でもあります。

 教皇様は今年の四旬節メッセージの中で、次のように指摘されます。
「使徒的勧告『福音の喜び』の中で、わたしはこの愛の欠如のもっとも顕著なしるしを描こうとしました。それらは怠惰な利己主義、実りをもたらさない悲観主義、孤立願望、互いに争い続けたいという欲望、表面的なものにしか関心をもたない世間一般の考え方などです。こうして、宣教的な情熱は失われていきます」

 人間中心主義に陥るとき、教会では宣教的な情熱すら失われるのだ、と教皇様は指摘されています。

 四旬節にあって私たち信仰者は、人間中心ではなく神中心で生きることの重要性を、今一度、思い起こしたいと思います。傷ついた私たちが立ち返るのは人間の知恵や知識や技術ではなく、いやしを与え、傷を包んでくださる主のもとだ、とホセアは預言します。

 人間の自己満足である生け贄をささげることや、焼き尽くす捧げ物を差し出すことではなく、愛であり、神を知ることであるとホセアは語り、人間中心ではなく神を中心にして生きるようにと、私たちを促しています。

 ルカ福音は、まさしく人間中心の見本であるかのようなファリサイ派の人を登場させます。この人物の正しさは、結局、神のためであるよりも自分の満足のためであることが、その言葉から明らかになります。しかし徴税人は、すべてを投げ出して自らを神の手の中にゆだねるのです。神中心に生きようとする姿勢であります。

 四旬節は、私たちがどのような姿勢で生きていくのかを、信仰の目であらためて見つめ直し、その上で神にすべてをゆだねきる決断を改めてするように、と私たちを招いています。そのための特別な時間として教皇様は、四旬節中に主の御前でじっくりと祈り、ゆるしの秘跡を通じてすべてを神にゆだねるように、と四旬節第四主日直前の金曜日夜から土曜日夜までの24時間を特別な祈りの時間として定め、2015年以来毎年、「主にささげる24時間」と名付けての取り組みを推奨してこられました。そして今年は、3月9日金曜日から10日土曜日まで、「ゆるしはあなたのもとにあり」という詩篇130編4節の言葉をテーマと定め、聖体礼拝とゆるしの秘跡の機会が提供されるように、と四旬節メッセージに記されています。

 教皇様がテーマとして取り上げられた詩篇130編の冒頭から、少し読んでみましょう。

「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。 主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐えましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うのです。 わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます」

 両手を大きく広げ、すべてをゆだねるようにと私たちを招いてくださる主の存在を感じさせるような詩編の言葉であります。神の前に素直に頭を垂れ、徴税人のようにすべてを神にゆだねきって、主にそれぞれの叫びを上げましょう。

 このミサから、今晩のミサまで一日、この聖堂で主イエスの現存である御聖体を顕示し、その御前で祈りながら、自分が人間中心となっていないか、振り返ってみましょう。御聖体のうちにおられる主イエスに、すべてをゆだねきることができているか、私たちの生き方を振り返ってみましょう。

 教会の伝統は私たちに、四旬節において「祈りと節制と愛の業」という三点をもって、信仰を見つめ直すように求めています。この四旬節、どのように信仰生活を過ごしているのか、今日のこの特別な祈りの日を通じて、ゆっくりと黙想いたしましょう。

⇒菊地大司教の「司教の日記」はhttp://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/で、これまでの日記の全文がご覧になれます。

・菊地大司教の日記 ⑩⑪3月の予定・東京教区司祭月修・定例司教総会

菊地大司教の「司教の日記」はhttp://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/で全文がご覧になれます。

2018年3月 1日 (木)

 三月です。春はまだか。

  何十年ぶりかで、首都高速を運転しました。これまで長年、車で東京に乗り込むのは避けてきたのです。最後に首都高を運転したのは40年近く前の大学生時代だったと思います。最新のナビのおかげで、右に左に分岐する首都高も、なんとか迷わず走ることができました。

 で、出かけた先は、調布。カルメル会の修道院で、シスター方と一緒にミサを捧げて参りました。着座してから、初めての女子修道院訪問でした。

シスター方にお祝いの言葉をいただいて、それで思い出したくらいに忘れていましたが、今日、3月1日は、わたしの終生誓願の記念日。名古屋の神言会で1985年でしたから、33年目です。シスター方のおかげで、自分がまず第一に修道者であることを、あらためて心に刻むことができました。感謝。

この数日、シリアの混乱の悪化の状況がしばしば報道されています。先ほどカリタス・シリアのFacebookにも、平和のための祈りの呼びかけが記されていました。政治には政治の正当化する理由があるのでしょうが、しかし私たちは、人間のいのちの尊厳を繰り返し、繰り返し、宣言するしか道はありません。神は、私たちのいのちを自らの似姿として、良い存在として、尊厳を持って創造されました。日本に生きていようが、ヨーロッパに生きていようが、シリアに生きていようが、人は命を生きる場を自分で選ぶことはできません。どこにあっても、いのちの尊厳は護られなくてはなりません。いのちは、その始まりから終わりまで、すべての時にあって、護られなければなりません。シリアの平和のために祈ります。

教皇様は先日来、シリアを始め、コンゴや南スーダンでの平和への祈りを呼びかけておられます。特別なときだけではなく、繰り返し、繰り返し、平和のための祈りを心がけたいと思います。

3月になりましたので、今月の主な予定を記しておきます。

  • 3月1日 カルメル会修道院ミサ (調布)

  • 3月5日 カリタスジャパン会議 (潮見)

  • 3月6日 カリタスジャパン会議 (潮見)

  • 3月8日 常任司教委員会・社会司教委員会 (潮見)

  • 3月10日 聖心女子大学卒業式 (東京)

  • 3月11日 関口教会10時ミサ、東北震災復興祈祷会13時半 (上智大学)、一粒会総会15時 (関口)

  • 3月12日 司祭評議会、責任役員会 (東京)

  • 3月13日 カトリック新聞会議 (潮見)

  • 3月14日~16日 カリタスアジア理事会 (潮見、南相馬)

  • 3月17日 宣教司牧評議会 (東京)

  • 3月18日 秋津教会ミサ、多摩全生園ミサ (東京)

  • 3月20日 経済問題評議会 (東京)

  • 3月23日 HIV/AIDSデスク会議 (潮見)、ペトロの家運営委員会 (東京)

  • 3月25日 受難の主日 (田園調布教会)

  • 3月27日 司祭代表会議 (新潟)

  • 3月28日 聖香油ミサ 10時 (新潟教会)

  • 3月29日 聖香油ミサ (関口教会)、聖木曜日ミサ 19時 (関口教会)

  • 3月30日 聖金曜日 19時 (関口教会)

  • 3月31日 復活徹夜祭 19時 (関口教会)

2018年2月26日 (月)司祭の月修@東京教区

  今日は東京教区の司祭の月修でした。東京教区で働く司祭が対象で,もちろん教区司祭も修道会司祭も宣教会司祭も含まれます。全員が参加するわけではありませんが、それでも今日は50人近い司祭が集まってくださいました。

 新潟教区ではだいたい月の初めの月曜の夕食に集まって一晩泊まり、翌朝ミサと昼食で終わりというパターンでした。最も全員が泊まれるほどのスペースは教区本部にありませんし、地理的条件から教区全部の司祭が集まることも不可能です。ですからいきおい、新潟県内で働く司祭が中心になり、市内の司祭は泊まらずに帰るというパターンでありました。それでも,ほぼ毎月、泊まりがけで集まっていろいろと話をする機会があったことは、少ない人数ながら司祭団の結束を強めてくれていた気がします。

 東京教区では、新潟に比べると比較できないほど多くの司祭が働いています。さすがに毎月皆が泊まりがけは不可能です。東京教区では,基本的に月の最後の月曜日に、10時半からカテドラルで昼の祈りを唱え、その後ケルンホールで研修。そして12時半頃から昼食を一緒にとって解散となります。教区司祭だけではなく、修道会の司祭も、多く集まってくださっています。

 本日の研修は,私が話をする番でした。東京の大司教として着座して2ヶ月ほどがたちましたが、そもそもこの教区で働いていたことがないので、私がどんな人物なのかをよく知らない方が多い。そこで、今回は私が32年前に神言会の司祭に叙階してから今に至るまで、どのような道を歩んだのか、そして今の司祭としての自分のあり方に対して大きな影響を受けた出来事について、1時間ほどお話をさせていただきました。

 もちろんいろいろな経験をしながら32年という時間を刻んできましたが、その中から、特に三つの体験を分かち合いました。

 ひとつは、叙階してすぐに派遣されたアフリカのガーナでの司牧体験。わたしはそこで、様々な困難に直面したけれど、人間結局はなんとかなるという、非常に楽天的な視点を持って生きることを学びました。

 二つ目は、カリタスジャパンから派遣されたルワンダ難民キャンプでの体験。それには二つあり、私たちが働いていたキャンプが武装集団に襲撃され、2時間を超える銃撃戦に巻き込まれ、収容されていた難民の方々から30名以上が殺害されるという体験の中で、いかに自分が命の危機に直面しておろおろする頼りない存在であるのかを悟ったこと。そして洗礼を受けた信仰者があれほど多かった宣教が成功したと言われた国で、歴史に残る虐殺が起きたという事実に直面したとき、信仰が本来持っているはずのいのちに対する尊厳をしっかりと一人一人の心に刻むことこそが、本当の福音宣教の使命ではないかと感じたこと。

 三つ目は、同じルワンダ難民キャンプから始まり、その後、東北の震災の復興現場に至るまで、訪れた様々な紛争の地、災害の地で、困難に直面する多くの人から、「私たちは、世界から忘れ去られた」という言葉を聞かされたこと。その言葉が聞かれないような現実を作り出していくのが、キリスト者の使命の一つではないかと感じたこと。

 そんなあたりをお話しさせていただきました。話をする機会を与えてくださった月修の担当者の司祭団に感謝します。

この週末、土曜日の午後に、朝祷会全国連合の会長さんが、日本エキュメニカル協会の担当者と、関東ブロックの代表の牧師先生と一緒に、訪問してくださいました。ちなみに現在の会長さんはカトリックの方です。

 朝祷会は、1957年頃に大阪から始まった超教派の祈りの集いで、朝早くに集まることから朝祷会と名付けられました。現在休会中の会もありますが、全国で登録されている会は200を超えており、中にはカトリック教会を会場にしている朝祷会も多くあります。

 わたし自身は、まだ神学生で名古屋にいた頃、名古屋の朝祷会で歌を歌いに来いと、カトリックの信徒のリーダーの方から何回か呼び出されて参加したことがありましたし、新潟では近くの日本基督教団の教会を会場に、盛んに行われており、何度かお邪魔したり、お話をさせていただいたこともありました。

 数年前には、定期的に行っている全国大会が新潟の新発田市にある敬和大学を会場に行われたこともあり、ご挨拶にうかがったこともありました。

 その全国大会が、来年は東京で行われるのだとうかがいました。そのお話で、皆さんおいでくださいました。わたし自身が、そのときにちょうどローマでの会議と重なるようなので申し訳ないのですが、できる限り応援したいと思います。

 それぞれの教派の伝統を大切にしつつも、同じ神を、同じキリストを信じているのですから、協力しながら、一緒に福音を広めていくことができればと思います。

2018年2月23日 (金)定例司教総会開催

  2018年度の定例司教総会が、2月19日月曜午後から22日木曜午後まで、江東区潮見の日本カトリック会館で開催されました。今回の司教総会には、先日叙階したばかりの那覇教区のウェイン・バーント司教も参加。空位の新潟は管理者の私が、また同じく空位のさいたまは管理者の岡田名誉大司教が代表して参加しました。

 司教協議会は、会計年度を1月から12月に変更しており、そのため以前は6月に定例司教総会を開催し、2月に臨時総会を開催していましたが、現在は2月が定例、7月が臨時と変更されています。

 今回の司教総会では、東北における全国のカトリック教会による復興支援活動の報告や、新福音化委員会が中心になって取り組んでいる福音宣教への取り組みの報告、また福者ペトロ岐部と187福者殉教者の列福10周年に当たって、さらに列聖運動を推進することなどが話し合われました。

 また議決事項では、すでに中央協議会のホームページにも掲載されていますが、日本カトリック神学院の2キャンパス制から、二つの諸教区共立神学校制への以降が決定されました。

 これは、司教団の発表文書をお読みいただきたいのですが(リンクはこちら)、かつて福岡にあったサンスルピス大神学院と東京カトリック神学院が、2009年4月に一つの神学院となり、東京と福岡にキャンパスを持つ日本カトリック神学院として再出発をしていました。ところが、様々な事由から、二つのキャンパスに分けることに伴う司祭養成と組織運営の弊害が散見されるようになり、2014年4月頃から、キャンパスを一つにする可能性の模索が始まっていました。

 その話し合いの中で、最終的には九州の司教様たちが福岡での独自の神学院がやはり必要だと判断され、司教団全員での度重なる話し合いの結果、このたび福岡と東京に、それぞれ別個の大神学院を設置することで合意したものです。

 東京では、東京教会管区(札幌、仙台、さいたま、新潟、東京、横浜)と、大阪教会管区(名古屋、京都、大阪、高松、広島)が運営に参加し、福岡は長崎教会管区(福岡、長崎、大分、鹿児島、那覇)が運営に参加することになりました。今後詳細を詰め、聖座(バチカン)の許可を受けた上で、できるだけ早い時期に新しい制度が始まります。

 なおこれ以外には、その内容が決まりつつある来年の天皇退位と即位に際しての政教分離の要望書を採択し、カトリック新聞のこれからについてインターネットを通じた発信の重点化を軸とした将来ビジョンチームの提案を承認し、昨年度の中央協議会の収支決算書を承認しました。

 また司教総会中の一日、勉強会を企画し、午前中はイエズス会の川村信三師による、「幕末・明治初期の信仰と教会」の講演をいただきました。信徒発見から浦上四番崩れに至る歴史を振り返りながら、現代の福音宣教への様々な示唆をいただきました。

 その午後には、ヤフー株式会社の執行役員である志立正嗣氏においでいただき、「ITを通じた福音宣教」について非常に興味深いお話をいただきました。志立氏は、信徒の方です。

 →「カトリック・あい」もITを通じた福音宣教です。お忘れなく!(「カトリック・あい」)

・菊地大司教の日記より ⑨新潟で共同洗礼志願式と助祭・司祭志願者認定式

2018年2月18日 (日)

  灰の水曜日の夜から、新潟に来ています。大雪です。これまで13年ほど新潟に住んでいましたが、この時期に新潟市内でこれだけ雪が降るのは、珍しいことです。

 そんな寒い新潟で、木曜日は朝から、新潟県内にある16のカトリック幼稚園を統括する学校法人聖母学園の理事会。そして午後からは、その園長や副園長が集まる園長会。この学校法人の理事長は、今年五月の任期前に交代すると、手続きなどが大変なので、任期までわたしがそのまま務めています。

 東京では多くの幼稚園が宗教法人立でやっていけることに驚きましたが、地方では、子どもの減少は著しく、かつてのような幼稚園一本槍ではもう経営が成り立ちません。つまりいわゆる教育機関としての幼稚園だけで、文科省系統の補助金だけでは、経営していくのが大変難しい。そのためほとんどのところが、保育園としての機能を取り入れたこども園に模様替えをして、厚生労働省系の補助金をいただくことで、何とか経営を成り立たせています。教育機関としての特性よりも、社会福祉機関としての特性が強くなりつつあるなかで、これまでのカトリック幼児教育のあり方は、大きな曲がり角にあるように感じております。

金曜日は新潟を朝6時過ぎに出発して、仙台へ。仙台教区本部で定期的に開催される、東北の復興支援に当たっている各ボランティアベースの関係者の会議と、それに続いて開催される仙台教区サポート会議に参加するためです。まもなく大震災発生から七年です。復興支援活動も変化する時期に入り、岩手県の大槌ベースや、福島のいわきにあるもみの木ベースなどは、まもなく閉鎖されていくことになります。それ以外のベースでも、復興支援から地域の再生へと、活動の主眼を大きく変更する時期に来ているように思います。

 そして本日の日曜日。四旬節第一主日は、新潟教会で、毎年恒例となった共同洗礼志願式ミサを行いました。なかなかいろいろな教会から集まってくるのは難しいですし(天候の問題)、また教区全体で洗礼志願者が非常に多いというわけでもないので、共同と言いながら膨大な数の志願者が集まるわけではありません。今年は、新潟教会から6名、十日町と花園教会からそれぞれ一名の、合計8名の方が洗礼志願者として受け入れられました。

Img_2260 代父母による証言、志願者の皆さんの意思の表明の後に、実際にノートに署名をしていただき、さらに全会衆」が一節ずつ唱える使徒信条を繰り返し、最後にわたしが洗礼志願者の油で塗油をいたしました。これからの四旬節の間、本当に良い準備ができますように、お祈りいたします。

 そして今日のミサでは、新潟教区の岡秀太神学生の、助祭・司祭志願者認定式も行われました。岡神学生は、これで2年間の哲学の課程を修了し、四月からは4年間の神学の課程に進むことになりました。神学の課程に進むにあたって、正式に助祭・司祭志願者として、新潟教区から認定されました。外見上はそれほど変わることはないのですが、一応この認定を受けることで、公式の場でスータンを着用したり、ローマンカラーのシャツを着用したりすることができるようになります。(ちなみに今日のミサには、岡神学生の同級生で、横浜教区の水上神学生が参加してくれました。岡神学生、水上神学生とも、人生経験が豊富な50歳前後の人物です)岡神学生のこれからの司祭養成のために、どうぞお祈りください。また彼に続く司祭志願者が新潟教区に誕生するよう、お祈りをお願いいたします。

2018年2月14日 (水)

 灰の水曜日@東京カテドラル

  今日は灰の水曜日。四旬節が始まりました。復活祭に洗礼を受けられる方々が、最終的な準備をするこの時期は、すでに洗礼を受けている信仰者にとっても、洗礼志願者とともに信仰の原点に立ち返り、あらためてイエスとの出会いを模索する時でもあります。

 次の日曜日、四旬節第一主日には、多くの教会で洗礼志願式が執り行われることと思います。関口教会でも30名近い方が洗礼志願者として準備をしているとうかがいました。

 四旬節の始まりに洗礼志願式を共同体として行うのは、洗礼を受けることは、個人的な内心の問題だけではないことを教会共同体の全員が実感することが大切だからです。私たちの信仰は個人の内心の問題にとどまるのではなく、共同体において生きられるものだからです。

 共同体のないキリスト教は考えられません。イエスご自身が、まず最初に12人の弟子という共同体を形成して、祈りをともにし、聖体の秘蹟を定め、福音宣教に送り出されました。

 洗礼を受けることは、ひとり個人が新しい生命に生きることだけではなく、それを通じて、「神との交わりと全人類一致のしるし、道具」である教会の一部となることをも意味しています。一つの体の部分となるのだという自覚を皆が持つためにも、洗礼志願者として洗礼への最終的準備を始めるとき、それは共同体の中で行われるのがふさわしいのです。

 今年の四旬節第一主日は、新潟教会9時半のミサで、例年の通り、共同の洗礼志願式を行います。また新潟では同日、岡神学生の司祭・助祭候補者認定式も執り行います。哲学の2年間にわたる勉強を終え、神学の課程に進む前に、正式に、将来司祭となる候補者として認定されなければなりません。召命のために、続けてお祈りください。

 また今日からカリタスジャパンの四旬節キャンペーンが始まっています。どうぞ皆様の協力をお願いします。