2018年5月 2日 (水)
新潟教区司祭の鎌田耕一郎神父様が、今年で司祭叙階60年となりました。司祭に叙階されたのは、1958年3月21日ですから、なんと私の生まれた年です。私の人生と同じ年月、鎌田神父様は司祭を続けてきたことになります。そして鎌田神父様は今年の一月で90歳になられました。その叙階60年のお祝いミサが、4月30日の午前11時から、新潟教会で行われ、新潟近隣の多くの信徒、修道者、司祭が参加してくださいました。
鎌田神父様は基本的にとてもお元気です。私も新潟にいるときには、いつも一緒に食卓を囲んでおりました。残念なことに、この冬、スロープになっている廊下で転倒され、圧迫骨折で入院となりました。しかし懸命なリハビリのおかげで無事退院され、歩行器があれば移動もできるようになりました。
この日のミサでも、祭服に着替えられてから歩行器で内陣に入り、ちょっと腰高で座ることのできるバースツールのような特別ないすに腰掛けられて、共同司式されました。また聖体拝領も、このいすに腰掛けて授けられました。神父様は幼稚園に長年園長として関わってこられましたので、現役の教員職員の方々も参加され、信徒でない教職員も、神父様から祝福をいただいておりました。
ミサ後には、信徒会館で祝賀会。お酒を飲めない(体質的に)神父様に変わって、周囲の者が新潟のお酒をはじめいろいろといただきながら、大いに神父様の長寿を祝い、長年の司祭としての奉仕に感謝を申し上げました。
司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割があると言うことです。
一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。その三つの務めのすべては、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に従って聖なる者でありたい。
第二バチカン公会議という教会の激動の時代を忠実な司祭として生き抜き、幼稚園教育をはじめとして様々な道で福音宣教に努めてこられた鎌田神父様のこの60年の司祭としての奉仕に感謝します。さらに神父様が日々示してくださる生きる姿勢の模範に倣い、わたしたち一人ひとりも勇気を持って、それぞれに与えられた固有の召命の道を生きていくことができるよう努めたいと思います。次は100歳の誕生祝いだと、参加者みなで確認し合いました。鎌田神父様、おめでとうございます。これからもお元気で。
カルメル会で司祭が誕生しました。4月29日日曜日の午後2時から、東京の上野毛教会において、カルメル会員・志村武さんの司祭叙階式が行われました。天気にも恵まれ、近隣の宣教協力体の小教区をはじめ、多くの信徒、司祭、修道者が参加し、新司祭の誕生を祝いました。
私にとっても、東京大司教として初めての司祭叙階式です。上野毛教会は、カルメル会の修道院の聖堂が教会になって行ったような形でしょうか。聖堂の写真の祭壇後ろの壁にあるスリットの向こう側には、修道者の祈りのための聖堂があり、教会の聖堂と空間的に結ばれていると伺いました。
祭壇から会衆席を見渡しますと、ちょうど、新潟教会から回廊部分を取り除いたほどの大きさです。たぶん通常設置のベンチに座れる人数は、新潟教会と同じくらいではないでしょうか。その意味で、なにか安心した雰囲気の中でミサを司式することができた気がします。
叙階式後には、正面玄関前で参加したすべての人が順番に新司祭と私も入れて記念撮影大会。その後隣の信徒会館で、温かな雰囲気の祝賀会となりました。
カルメル会は管区長さんが名古屋におられます。名古屋教区はもともと神言会の担当する教区でしたから、現在カルメル会が担当されている教会のいくつかも、神言会から移管したものです(例えば、金沢教会など)。名古屋にいた頃は、わたしもカルメル会の神父様方と一緒に働きましたが、そのことを現在の管区長である大瀬神父様が挨拶で触れてくださり、恐縮でした。
以下、当日の説教の前半部分です(後半部分は、叙階式の儀式書にある定式文でした)
カルメル会司祭叙階式 2018年4月29日 受階者:ヨハネ志村武
わたしたちは今、あふれんばかりの情報に覆い尽くされた世界で生きています。とりわけインターネットの普及で、この20年くらいの間に、わたしたちを取り巻く情報量は、格段に増加しました。
わたしたちは今、自分たちを取り巻く情報量があまりにも多いため、そのすべてをひとりで把握することが不可能だと感じる世界に生きています。いわゆる高度情報社会とは、結局、いろんなことを知ることができる情報が豊かにある世界と言うよりも、しっかりと取捨選択をしない限りは、実際には何も知ることができない世界であることに、わたしたちはすでに気がついています。
この、情報があふれかえった世界で、近年、フェイクニュースなどという言葉が普通に聞かれるようになりました。結局あふれかえった情報の荒波に翻弄されるとき、それが本当なのか嘘なのか判断することは至難の業です。そんなとき、わたしたちは、簡単に多数の人たちの興奮の渦に巻き込まれ、冷静に物事の真偽を判断する余裕すら失ってしまいます。
そんな世界の直中で、わたしたちは神の言葉という情報を多くの人に伝えようとしています。イエス・キリストの福音という情報を、ひとりでも多くの人に伝えようと努力を続けています。あまりに多い情報のただ中で、人は自分の世界に閉じこもり、自分の世界観にとって都合の良い情報にばかり耳を傾けるようになってしまっている。その中で、神の言葉を語ることは、決して容易なことではありません。
使徒ヨハネは、「言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう」とその手紙で呼びかけます。それこそが真理に属する生き方であると指摘します。あまりに大量の情報が満ちあふれているこの世界こそは、まさしく「口先だけ」の言葉で満ちあふれている世界です。ただ言ってみただけ。面白そうだったから書いてみただけ。興奮するから言ってみただけ。そこには自分の口から発する言葉や、自らが綴る言葉への責任感はなく、ただただ、自分の興奮を追い求めているだけの、自分中心の世界が広がります。
そのような世界にあって意味を持っているのは、やはり具体的に目に見える行動であると、ヨハネの手紙は諭します。わたしたちを先に愛してくださった神の愛を、多くの人に具体的に示す行動こそが、わたしたちを真理に生きる者とするというのです。
バルナバは、サウロが使徒として神に選ばれた者であることを識別します。それこそ、様々な情報に翻弄されたことでしょう。サウロがあちらこちらで、いかに残忍にキリスト者を迫害してきたのか。多くの人が興奮して、サウロについての情報をまき散らしたことでしょう。そのような中にあって、バルナバはその情報の波に翻弄されることなく、神の御旨を識別し、その判断を勇気を持って行動に移します。バルナバの判断と決断と行動がなければ、サウロは使徒パウロとはなり得なかったのかも知れません。神のなさる業は不思議です。神のはからいは限りなく、生涯わたしたちはその中に生きるのです。しかし同時に、神のはからいが実現するためには、わたしたちの冷静な識別と決断と行動が必要なのです。
情報があふれかえったこの時代に、司祭として生きることは容易ではありません。真理の言葉に耳を傾ける人は少なく、多くの人は神からかけ離れた世界を代弁するような情報に翻弄され興奮しています。神の御旨を識別し、勇気を持って決断をし行動することで、神の真理を、イエス・キリストの福音を、あかしする司祭であってください。
東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様が、4月29日夜、帰天されました。94歳でした。通夜は5月4日(金)午後6時から、また葬儀と告別式は5月5日(土)午後1時半から、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われます。市川神父様は1951年12月の司祭叙階ですから、66年の司祭生活でした。神父様の永遠の安息のためにお祈りください。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
2018年5月2日
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2018年4月10日 (火)
今日は岩手との絆を再確認させられた日でした。ちょっと大げさですが。
昼過ぎに、4台の大型観光バスがカテドラル構内へ。教区本部の執務室の窓から、中学生とおぼしき制服姿の男女が降車してくるのが見えます。それぞれのクラスごとなのか、カテドラルを背景にまず記念撮影。その後、聖堂の中へ。何となく気になるものがあって、わたしも聖堂へ行ってみました。そのときにバスのフロントに張られた団体名は、なんと岩手県の某町立中学。岩手県です。私の故郷です。
聖堂へ入ってみると、なんとマイクが立てられ、録音の準備が。職員によると、毎年この学校は、修学旅行の際にこの名建築を訪れ、さらにここで生のパイプオルガンの演奏を鑑賞し、さらに自分たちの合唱を録音していくのだとか。「岩手県は合唱が盛んなんです」とはカテドラル職員の弁。そうだったのか。知らなかった。練習が始まったので耳を澄ませていると、なんと歌い出したのは、典礼聖歌にも納められている高田三郎先生の「呼ばれています」であります。公立学校です。
「呼ばれています いつも。聞こえていますか。いつも。はるかな遠い声だから、良い耳を良い耳を持たなければ」
すばらしい。その一言。東京のカテドラルの響きの素晴らしいこと。残響は7秒でしたっけ。明日もほかの学校が、修学旅行で来られるようです。
今度は夕方に、後述のワールドユースデー関連の行事に出かけるためにタクシーを停めました。女性の運転手さん。後ろのドアのところには、「新人」のステッカーが。行き先を告げると、さて目白からどうやってそちらへ向かうのか逆に尋ねられました。「まだ慣れていないもので」と運転手さん。
そこで、私も事前にグーグルマップなどで調べていたので、その知識を開陳して道を指示。走り出してから、「実は私も東京に来たばかりで、道はよく知らないんですけど」とわたしが言うところから会話が始まり、なんと運転手さんは岩手県から出てきて、半年前ほどからタクシーの運転を始めたとのこと。岩手です。私の故郷です。それから、目的地に着くまで、いかに東京の道がわからないかで話が盛り上がりました。彼女のイントネーションの懐かしいこと。
岩手、岩手でした。
そして目的地は駐日パナマ大使公邸。パナマと言えば、もちろん2019年1月のワールド・ユース・デーの開催地です。来年1月22日から27日まで、教皇フランシスコを迎えてパナマで開催されます。もちろんこの行事はカトリック教会の行事ですが、パナマ政府は全面的にバックアップしており、駐日パナマ大使館も、できるだけたくさんの青年たちにパナマへ出かけてほしいと、全面的に協力する姿勢を見せています。
そして今夜は関係者を大使公邸に招いて、ワールド・ユース・デーをパナマ政府がいかに支援しているかを説明し、ついでにパナマ料理を味わい、さらにパナマ音楽を味わうひとときでした。ディアス大使が教区本部まで直々に招待においでになったので、私も出かけてきました。教会関係では、教皇庁大使館の参事官、都内の南米のシスターやこれまでワールド・ユース・デーに関わった方々、上智大学関係者が招かれ、それ以外の中米の大使館関係者や、たまたま来日中だったパナマ政府の港湾庁長官や、日本の外務省の中南米局長以下関係者が参加しました。
1月の末で、大学生などは試験期間となるので難しいかもしれませんが、多くの方がパナマでのワールド・ユース・デーに参加されることを期待しています。
2018年4月 9日 (月)
復活節第二主日は、六本木にあるフランシスカンチャペルセンターで堅信式ミサでした。
六本木なる地域にはほとんどなじみがなく、足を踏み入れるのも人生で二回目ですが、何というか、地域全体の雰囲気がほかとは何か異なる感じがする場所です。(なんと形容していいか)。そんな街の中にあるフランシスコ会の運営する小教区、チャペルセンターは、英語を話す信徒の方々のための教会です。女子パウロ会のホームページの教会の紹介記事に、次のように記されています。
「第2次大戦後、六本木の元防衛庁の敷地内にGHQの建物があった。そこで働くアメリカ人兵士たちのために、フランシスコ会のニューヨーク管区から司祭たちが来日し、教会を開いたのがそのはじまりである。そして、それ以来、外国の方が多い六本木にあって、フランシスカン・チャペルセンターは、日本に住む外国の人たちのための宣教・司牧にあたっている」。足を踏み入れた瞬間から、どこか他の国に来たのかと思わせるような雰囲気。もちろん英語が飛び交っておりました。
この日のミサでは25名の方が堅信の秘跡を受けられました。お一人のお父さんを除いてほかの24名はすべて小学生低学年ほどの少年少女。この日のミサで、初聖体も受けられました。男の子たちはスーツに身を包み、女の子たちは白いドレスに白いベール。ミサ後に写真撮影タイムがありましたので、ネットのどこかを探せば、あの数多いカメラのどれかの写真が、どこかに掲載されていることでしょう。
ここでのミサはもちろん英語。とてもよく準備された聖歌隊があり、ピアノの伴奏と、さらにはトランペットやトロンボーンも加わり、壮大な聖歌の演奏でした。説教は英語でしたので、原稿の掲載はいたしませんが、英語の共同体も東京教区から切り離されて孤立して存在するのではなく、司教のもとで一つの教区共同体の一部として福音を告げる宣教者としての使命を果たしてほしいなどとお話しいたしました。
明けて月曜日の今日は会議の日。午前中はほぼ毎月開催される司祭評議会。午後は宗教法人の責任役員会。東京教区は宗教法人立の幼稚園も多く運営しているので、責任役員会は教会の事案ばかりでなく、学校法人の理事会のような役目も果たしています。
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ところで教皇様は、本日新しい回勅を発表されました。「聖性」について書かれており、タイトルは「Gaudete et exsultate (マタイ5章12節:新共同訳聖書では「喜びなさい。大いに喜びなさい。)」です。またこの数週間で要約などの記事が出てくることでしょうが、日本語訳はいつものように、時間がかかると思われますので、今しばらくのご辛抱を。
2018年4月11日
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(2018.3.12 司教の日記より)
東日本大震災発生から7年がたち、昨日は各地で祈りがささげられました。あらためて、大震災で亡くなられた多くの方々の永遠の安息を祈ります。また復興の過程で亡くなられた方々のためにも、心から祈ります。さらには、普通の生活を取り戻すために、日々取り組んでおられる多くの方々のためにも、神様の守りと導きを心から祈ります。
昨日は午前10時から、カテドラルの関口教会で主日ミサを司式させていただき、そのなかで特に祈らせていただきました。なお、午後3時からは神学生の選任式がケルンホールで行われました。東京教区の小田神学生が祭壇奉仕者に、同じく東京教区の宮崎神学生が朗読奉仕者に、さらにレデンプトール会の下瀬神学生が朗読奉仕者に選任されました。この選任式は、東京教区の一粒会総会の前に行われ、総会参加者をはじめ、多くの方が参加し神学生のために祈ってくださいました。写真は、昨日の一粒会総会です。
一粒会は神学生の召命のために祈り、また養成のために献金をしてくださる組織です。神学生が司祭になるには最短でも6年かかります。その間、召命の道を歩んでいくためには、皆様のお祈りによる支えが不可欠です。加えて、具体的には養成の費用(神学院の運営費。授業料など)がかかりますので、そのための資金的面での支援もお願いしております。また東京教区では、すべての信徒の方が自動的に一粒会の会員となっております。どうぞ、将来の教会共同体に奉仕する司祭の誕生のために、お祈りと献金をよろしくお願いいたします。
以下、昨日の10時のミサの説教の原稿です。
東北地方一帯、特に太平洋沿岸において巨大な地震と津波が発生し、日本全国だけにとどまらず世界中に衝撃を与えた2011年3月11日のあの日から、今日でちょうど7年となりました。あらためてこの大災害で亡くなられた多くの方々と、この7年間の復興の過程で亡くなられた方々の永遠の安息を祈りたいと思います。
人生の中で、あの日あのとき、どこで何をしていたのかを明確に記憶している出来事は、それほど多くはありません。多くの方にとって、少なくともわたしは、あの日どこにいたのか、何をしていたのか、明確に記憶に残っています。それほどに、私たちにとって衝撃的な出来事でありました。
7年前に、被災地の復興にこれほどの時間がかかるとは想像すらしておりませんでした。この7年という時間は決して短いものではありません。それにもかかわらず、いまだ報道などで「仮設住宅」にお住まいの方々のお話や、自主避難生活を続ける方々のお話を耳にいたします。その度ごとに、この災害による被害の甚大さをあらためて認識させられます。
政府の復興庁の統計によれば、昨年12月の段階で、8万人近い方々がいまでも避難生活を送られているといいます。被災地の方々が、何か特別なことを求めているというわけではないと思うのです。ただただ、普通の生活を取り戻したい。しかるにこれほど多くの方が、その当たり前の願いを叶えることができずにいるということを、私たちは心にとめなくてはなりません。
カトリック教会は、全国の教会をあげて、被災地復興支援に取り組んできました。オールジャパン体制などと呼んでおります。被災地はほとんどが仙台教区でありますので、仙台を中心に、各協会管区が仙台教区との協力の下、東北の各地に拠点を設けて、ボランティアの派遣などを行ってきました。これを、カリタスジャパンが国際カリタスとの協力の中で、資金的に支えてきました。
被災地の復興には様々な段階がありますが、7年が経過した今、地域共同体の復活のため地元の方々の活動が中心になる中で、カトリック教会の支援活動も、地元の方々を中心とする体制へと変化を続けています。
同時に、教会は震災10年目となる2021年3月までは、このオールジャパン体制での復興支援を継続することも決めております。それは、被災地で取り組まなくてはならないことがまだまだ多くあるということを再認識させられているからです。とりわけ、原子力発電所の事故の影響が残る福島県内では、復興の歩みにはさらなる時間が必要だと感じさせられます。昨年9月に被災地を訪れ、南相馬市などを視察されたバチカン福音宣教省長官のフィローニ枢機卿も、震災発生からこれほどの時間が経過しているにもかかわらず地域共同体が再生できていない現実をあらためて驚きとともに認識され、地域再生のために祈りを捧げるとともに、特に福島の実情を教皇フランシスコに報告されました。これからも被災地の皆さんに心を向け、復興のために祈りのうちに歩みをともにする決意を新たにしたいと思います。
私たちの信仰は、絶望の淵から必ずや新しい希望が生み出されることを教えています。最高の指導者であったイエスが十字架で殺されていったという出来事を体験し、絶望の淵にあった弟子達に、イエスはご自身の復活の栄光を示して、その絶望の暗やみから新しい生命への希望が生まれることを示されました。これこそが私たちの信仰の基本です。
今日の福音でイエスはニコデモに受難と死を通じた救いについて語りながら、「信じるものが皆、人の子によって永遠のいのちを得るためである」と語りかけます。パウロもエフェソの教会への手紙で、人間の自らの力ではなく、神が私たちを愛してくださるからこそ救いが与えられるのだと指摘します。
私たちが何かをして成果を上げたから、そのご褒美として神から愛してもらえるのではなく、神が自らの似姿として創造されたこのいのちを、よいものとしてその始まりから愛し抜かれているからこそ、永遠のいのちへと招いてくださるのだ。それは人間が勝ち取ったものではなく、無償で与えられた神からの賜物であるとこの聖書の箇所は教えています。
私たちの国を襲ったこの大災害に直面し、悲しみの淵に追いやられた多くの被災者の方々と歩みを共にしながら、私たちキリスト者には、希望のともしびを掲げる責務があります。そうでなければ、キリスト者と呼ばれる資格はないではありませんか。私たちを先に愛してくださった神が、自らを犠牲にして新しい生命への希望を与えてくださったのですから、その希望の光を多くの方に分かち合うのは私たちの責務です。とりわけ、困難に直面する多くの方に、光から遠ざけられている多くの人に、出かけていってその光を届けようとするのは、キリスト者の責務です。
私たちが掲げることのできる希望のともしびの一つは、愛の奉仕のうちに助け合う人々の姿であると思います。キリスト者は、その性格が優しいから愛の奉仕を行うのではなく、先に神から愛されたからこそ、その愛を他者に分かち合わざるを得ない。そうせざるを得ないのです。助け合い支え合う姿は、それ自体が神の愛の生きたあかしであります。
私たちの教会共同体が、この社会のただ中にあって、常に希望の光を高く掲げる存在となり得ているか、自らのあり方をも真摯に振り返ってみたいと思います。私たちは、教会として、神が、誰ひとり例外なく、いのちを与えられた存在をすべて愛しているのだ、すべての人によりよく生きてほしいのだ、すべてのいのちの尊厳が護られてほしいのだ、そのように願っているということを、その神のほとばしる人間への愛の思いを、具体的にあかしする存在でありたいのです。そして、神の愛をあかしする教会共同体を作り出すのは、誰かではなく、私たち一人ひとりの責務であることを、この四旬節の信仰の振り返りのうちに、あらためて心に刻みましょう。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
2018年3月13日
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カテゴリー : 菊地大司教