・菊地大司教の日記㉙アジア司教協議会連盟の援助関係会議、そして日本の司教団総会

FABCの会議でマニラへ

司教総会が終わった翌金曜日夕方の便で、フィリピンのマニラへ飛びました。アジアの司教協議会連盟(FABC)関係の会議に参加するためです。

 マニラ空港の混雑でなかなか着陸できず、夜の9時前のはずが到着したら10時過ぎ。外へ出てタクシーを待ってさらに1時間。会場は結構空港からは距離的には近いはずのパコという地区にあるマニラ教区のピオ12世カトリックセンター。司教総会など大きな会議や研修会の開かれる宿泊できる施設です。これがまたマニラ湾沿いの道は大渋滞で、空港から1時間以上。結局宿舎に到着したのは真夜中12時過ぎでした。空港で並んで乗ったイエロータクシーのドライバーは、親切に開いている入り口を探してくれました。

 会議はFABCのOHDというセクションの会議。OHDは「人間開発局」と訳されています。わたしはそこの委員であるとともに、協働するはずのカリタスアジアの責任者としても呼ばれました。

 OHDはFABCができる以前に、社会活動に携わっていた司教や司祭や修道者、信徒の話し合いの中で1969年頃にフィリピンで誕生した組織で、1970年以降はFABCの一部門となりました。それでも誕生の経緯から、マニラに実際の事務所を構え、独立した組織として運営されてきました。故浜尾枢機卿様も、OHDの責任者を務めたことがあります。

 わたしがカリタスに関わるようになった90年代後半までは、OHDの責任者がカリタスアジアの総裁を兼務していましたので、両者は協力しながら活動を進めてきました。ところがアジアのカリタスに関わるメンバーたちの希望で、1999年に、カリタスアジアはOHDから独立した組織となっています。

 その後、紆余曲折があり、人材を見つけることもできない事情もあり、OHDを今後どのように運営していくのか、また事務所をこのまま運営するのかが、この数年の大きな課題でした。今回の会議は、これにめどをつけて、次の3年の計画を明確にすることにありました。

 集まったのは、FABCの会長を務めるボンベイのオジワルド・グラシアス枢機卿。その補佐司教で、OHDの秘書を務めるアーヴィン司教。タイで難民救援組織に長年関わるピブル司教。そしてカリタスアジアを代表して私。加えてバチカンに新しくできたタクソン枢機卿の人間開発の部署から難民と移民セクションのアジアコーディネーター、ムラヤマさん。気候変動の専門家であるノエリン博士。そして香港のFABC事務局から司祭が一人。

 少しは将来の方向性を定めることができたと思いますし、今後のカリタスアジアとの長期的な協力体制にも目処をつけることができたのではないかと思います。

 私は明日の大阪での補佐司教お二人の叙階式に行かなくてはならないので、日曜日午後の便で早めに失礼することに。羽田行きの全日空便は午後2時40分の出発ですが、この土日は、マニラ市内で、キリスト教系の新興団体イグレシア・ニ・クリストが大規模集会を開催し、主な道路が閉鎖されることになっているのだとか。日曜とはいえ、大渋滞が懸念されていました。どうなるかわからないので、会議場の車で送って頂くことに。10時に玄関にやってきた車の運転席には、私が見た感じでは80歳ほどの超ベテランです。街の裏の路地のようなところを右に左にと走り抜け、最後は高速道路で、結局、40分で空港に到着。さすが、道を知り尽くしているベテラン。感謝でした。(2018年7月15日記)

司教総会開催

 7月9日から12日まで、日本のカトリック司教団の司教総会が、東京のカトリック中央協議会で開催されました。議事が思いの外早く進み。13日昼までの予定が、12日夕方で終わりとなりました。

 今回は、この数週間の間に教皇様から新しく任命された4名の被選司教たちと、開催直前に引退が受理された郡山司教、そして後任が任命されたさいたま教区管理者の岡田大司教も加わり、19名の参加となりました。

Soukai1806 総会の議事については、カトリック中央協議会のホームページに公式の報告がありますので、このリンクからご覧ください。

Soukai1803 11日の水曜日夕方には、場所をイグナチオ教会に移して、司教団主催で、ペトロ岐部と187福者殉教者の列福10周年と列聖祈願ミサを捧げました。司式はこのたび枢機卿の親任された大阪の前田枢機卿。教皇大使のチェノットゥ大司教も参加されました。

 また、このたびの西日本豪雨災害で亡くなられた方々の安息と、被災された方々のために、ミサの中で祈りを捧げました。聖歌隊で奉仕してくださったイエスのカリタス会のシスター方、イグナチオ教会の皆様、ありがとうございました。

 災害の発生中に司教総会があったこともあり、急遽でしたがわたしが起案して、豪雨災害で被災された方々へのメッセージを司教団として発表することができました。司教団の名前で出すメッセージは、司教全員の賛成が必要であるため、よく見ていただくとわかりますが、多くのメッセージはそれ以外の名称、つまり会長個人や、常任司教委員会や各委員会の名前で発信されています。今回は即座に賛成が得られたので、頂いた意見を基に加筆して発表メッセージとなりました。

カリタスジャパンは、被災された教区の担当者と連絡を取りながら、教会としてできることへ取り組むために動いているところです。(2018年7月14日記)

 

カリタス・ウガンダのンダミラ師の講演など

*十数年前、ンダミラ師に会いにウガンダまで

 カリタスジャパンと長年のパートナー関係にあるアフリカのカリタス・ウガンダ。私が司教になる以前、2003年頃に初めて訪問したのは、当時、あまりにもたくさんの援助申請書がウガンダから届くようになり、添付の推薦状が同じ人物のはずなのに、どれもこれも署名の字体が異なる、という事態に直面したからでした。その署名の人物の名前はモンセニョール・ンダミラ師。これは本人に会って確かめなくてはと、ウガンダまで出かけました。

 カンパラ郊外のエンテベ空港まで迎えに来てくれたンダミラ師は、笑顔の優しい神父さんでした。早速、彼の事務所で、持参した推薦状のコピーを見せながら話をすると、どれもこれも偽物。まるで本物のような司教協議会のレターヘッドの偽物までありました。

 そのときに合意したのが、ンダミラ師の事務所と直接やりとりをして、現地で進められるプログラムをカリタス・ジャパンで支援すること。いわゆる持続可能な農業の様々なプログラムを中心に、それ以降、今に至るまで、カリタス・ジャパンはンダミラ師の率いるカリタスウガンダを支援してきました。カリタス・ジャパンからも、毎年現地視察に出かけ、日本からの支援が生かされている現状を確認してきました。

 その後司教になった後に一度、ンダミラ師と一緒に、ウガンダ北部のグルへ出かけ、当時激化していた内戦とそれに伴う国内避難民の様子を、特に子どもたちの状況を中心に視察に出かけたことがあります。

 グルのオダマ大司教は、国内避難民の子どもたちの保護に奔走し、反政府勢力と政府の和平の仲介になったりと、国際的に知られた人物です。そこで、農業支援に取り組む時とは異なる、平和構築に真摯に取り組むンダミラ師とカリタス・ウガンダの姿を見ることになりました。現時点では、ウガンダ北西部で、南スーダンからの難民への対応に当っておられます。

 カリタス・ジャパンは、国際カリタスが昨年から推進する難民や移住者への理解を深め、排除することのない世界を築こうという「Share the Journey・排除ゼロ」キャンペーンに積極的に関わっています。司教協議会の難民移住移動者委員会とも連携し、様々な企画を行っています。ちょうど6月の末が、国際カリタスの進める世界的行動の週であったことから、日本での企画を考えました。

*ンダミラ師を招いて、アフリカの難民や移住者の現実を

 そしてカリタスジャパンとの長年のパートナーとして信頼関係にあるンダミラ師を招いて、アフリカの難民や移住者の現実についてお話をしていただくことになりました。

 講演会を一つだけではもったいないので呼びかけたところ、聖心女子大学のグローバル共生研究所の協力が得られ、同研究所との共催で、7月6日夜に、ンダミラ師の講演と、学生さんとのクロストークのイベントが開催され、100名を超える方々に参加していただきました。会場はかつてJICAの海外青年協力隊の研修所だった広尾の聖心女子大学の建物です。中心になって動いてくださる大橋正明先生は、シャプラニールをはじめ海外で活躍する多くのNGOに関わって来られた方です。

 学生の皆さんからも、様々に興味深い質問をいただき、ンダミラ師のお話を皆で深く聞く機会となりました。ではもったいないので呼びかけたところ、聖心女子大学のグローバル共生研究所の協力が得られ、同研究所との共催で、7月6日夜に、ンダミラ師の講演と、学生さんとのクロストークのイベントが開催され、100名を超える方々に参加していただきました。(7月6日記)

*東京教会管区アクションデーを関口で:7月8月の予定

 翌日、7月7日は、難民移住移動者委員会と共催で東京教会管区アクションデーを関口で行いました。これには遠くは札幌教区からも参加者があり、300人近い方が集まりました。東京教区の国際センターCTIC所長の高木健次神父がスタッフも動員して準備に奔走してくださいました。感謝です。

 午前中は私の導入の後、私が質問してンダミラしに答えていただく形でお話を伺い、さらに難民や移住者としての当事者の方々3名のお話を伺い、キャンペー

ンの趣旨に則って一緒に昼食を分かち合い、午後はワークショップ。そして3時からカテドラルで国際ミサとなりました。ミサは基本は日本語でしたが、歌は、特にインドネシアの方々を中心とした素晴らしい聖歌隊が歌ってくださり、共同祈願も各国語で。多くの人が様々な役割を担うミサとなりました。

 参加してくださった皆さん、準備してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

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 移民や難民として流入してくる人たちが、世界各国で増加するにつれ、どこの国でも排斥する傾向が強くなっています。それに対して教皇フランシスコは、手を広げて迎え入れようと呼びかけます。様々な理由で人は旅に出るのですけれど、自分自身の毎日と照らし合わせて考えてみれば、今の生活を捨てて旅に出ることは、簡単な決意でできることではありません。多くの人が重大な決断のもとに旅に出ます。その人たちを、迎え入れようというのが教皇フランシスコの呼びかけです。

 同時に、そういった人たちを受け入れることを難しくしているのは、相手を知らないからだとも、教皇は指摘されています。知らないから不安になり、排斥に進むのだと。だから理解するためにも互いに知り合おう、互いの旅路を物語を分かち合おう。食事を分かち合おう.そこから相互の理解が生まれるのだと、教皇フランシスコは呼びかけています。

 このキャンペーンも、まず互いに知り合って理解を深めようとするキャンペーンです。ンダミラ師はあと数日は日本に滞在され、今週初めには、名古屋の南山大学でも話をされることになっています。

7月8月の主な予定

 あっという間に関東の梅雨は明け、真夏のような7月が始まっています。7月と8月の主な予定を記しておきます。
  • 7月4日 ペトロの家司祭ミーティング (朝)
  • 7月5日 常任司教委員会 (10時、潮見)
  • 7月5日と6日 神学院常任司教委員会 (東京キャンパス)
  • 7月6日 カリタスウガンダ講演会 (聖心女子大学)
  • 7月7日 排除ゼロキャンペーン・アクションデー (午前中、関口教会)
  • 7月7日 国際ミサ (キャンペーン行事) (15時、東京カテドラル)
  • 7月8日 下井草教会堅信式 (9時半、ミサ)
  • 7月9日~13日 司教総会 (潮見)
  • 7月14日 FABC/OHD (アジア司教協議会連盟人間開発局)会議 (全日、マニラ)
  • 7月16日 大阪教区司教叙階式 (11時、玉造教会)
  • 7月17日 新潟教区顧問会など (全日、新潟)
  • 7月18日・19日 東京教会管区会議 (札幌教区)
  • 7月21日 宣教司牧評議会 (14時半)、永代働く人の家 (夕方)
  • 7月23日 HIV/AIDSデスク会議 (13時、潮見)
  • 7月24日 ペトロの家運営会議 (14時)
  • 7月25日 マリアの宣教者フランシスコ会瀬田修道院 (午後)
  • 7月26日・27日 聖体奉仕会 (秋田)
  • 7月29日 豊四季教会英語ミサ (14時)
  • 8月3日 日本カトリック医療施設協会全国大会 (都内)
  • 8月11日 平和旬間行事、平和祈願ミサ (14時、イグナチオ、18時、東京カテドラル)
  • 8月12日 平和旬間行事、ミサ・講演 (10時、上野教会、18時半、立川教会ミサのみ)
  • 8月15日 聖母被昇天祭
  • 8月17日 新潟教区保育者研修会 (新潟)
  • 8月19日 宮古教会ミサ (岩手県宮古)
  • 8月21日 EWTNインタビュー収録 (午前中)
  • 8月22日 生涯養成委員会 (夕方)
  • 8月24日 仙台教区サポート会議 (10時、仙台)
  • 8月25日 神言会宣教事務局講演会 (13時半、吉祥寺教会、16時ミサ)
  • 8月27日 カリタスジャパン事務局会議 (9時半、潮見)
  • 8月28日 カリタスジャパン会議 (午前午後、潮見)
  • 8月29~31日 教区神学生合宿
  • (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記㉘14名の枢機卿親任、首都大司教のパリウム祝福

2018年7月 3日 (火)

ローマにて

 先週は、月曜日の司祭金銀祝のお祝いの翌日火曜日、朝からカリタスジャパンの委員会といつもの血圧の医者通いを済ませてから成田へ移動して、ローマへ飛びました。

 6月28日の午後4時から、聖ペトロ大聖堂において、大阪教区の前田大司教様をはじめ14名の枢機卿親任のための枢機卿会が開催されたことと、その翌日29日の午前9時半から、大聖堂前の聖ペトロ広場で聖ペトロとパウロの祝日のミサが教皇様司式で行われ、それに共同司式で参加するためでありました。

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共同司式に参加したのは、このミサの中で、この一年間に新たに任命された管区大司教(メトロポリタン大司教)に授与されるパリウムが祝福され、手渡されることになっていたからです。(上の写真、教皇様から受け取っているのが私です。私の後ろ、  ひとりおいた次がパリの大司教)

 私を含めて30名の大司教が、今年のミサの中で祝福されるパリウムを授けられることになっており、そのうちの28名がミサに参加しました。ミサの模様は、中央協議会のこのリンクのページにビデオがあります.パリウムの授与は一番最後の方です。

 ちなみにパリウムは、肩掛けのような形状で、司牧の権威と使命の象徴として、教皇と管区大司教が着用します。白い羊毛で編まれた丸い帯状の布で、黒い十字架の刺しゅうがついています。「よい牧者は、失った羊を見つけると、これを肩に乗せる」ということを象徴的に示しています。

 2015年に前田大司教様が授与されたときの式次第の記載によれば、「このパリウムは4世紀ごろから司教の祭服として用いられており、ミトラ(司教のかぶる帽子)やバクルス(司教の持つ杖)よりも古い起源を持つものです。管区大司教は、教会法に基づく任命を受けてから3ヶ月以内に、ローマ教皇に対してパリウムを授与して下さるよう申請することが決められています。パリウムをローマ教皇から受けることによって、管区大司教は、ローマとの交わりの中で、自らの管区における法的な権限を与えられていることを示します」とのことです。

 以前は聖ペトロとパウロの祝日に、教皇様から直接授与されていましたが、数年前から、このミサの中では祝福のみが行われ、教皇様からは箱に入れたパリウムを受け取り、後日それぞれの教区において、教皇大使から授与される形式に変更となりました。ですから今回も箱に入ったパリウムをいただき、後日、今の予定では9月初めに、カテドラルで授与のミサを行う予定です。詳細は後日またお知らせします。

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 今回パリウムを受け取った28名の中には、先日私の着座式に来られたガーナのバックル大司教(アクラ大司教区からケープコースト大司教区に転任、上の写真。聖ペトロ大聖堂内で)、ラテンアメリカカリタスの総裁で、ベネズエラのホセ・ルイス・アズアヘ大司教な  ど、以前から知り合いもおられました。

 29日のミサは、入祭直後、最初にパリウムを受ける大司教が教皇様の前に整列して、誓約の言葉を読み、ミサの最後に一人ひとりが教皇様の前に進み出て、箱に入ったパリウムをいただきました。前日午後に枢機卿に親任され他14名をはじめ、枢機卿団も共同司式。祭壇を挟んで向かって右の私たちプラス外交団と、向かって左の枢機卿団にはテントがあり、厳しい日差しを避けることができましたが、それ以外の共同司式の大司教や司教さんたちは、直射日光の中、厚めの赤い祭服を着て大変だったと思います。

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また祭壇後ろ右手には、聖体拝領を担当した司祭団が控え、こちらも直射日光の中、信仰宣言を唱えるあたりからそれぞれがチボリウムを持ち、祭壇の左右に整列して、これまた暑さで大変だったと思います。この聖体拝領の係の司祭団には、神言会の副総会長キサラ神父、総本部の成井神父、日本管区長のジェブーラ神父も参加。(上の写真で、私が手にしているのが、パリウムの入った箱.一番右端は、神言会 の本部総会計。)

 中央協議会のホームページには、「バチカン放送によりますと、説教で、ペトロの信仰告白の場面について語る教皇は、「ペトロのように、教会もまた、宣教のつまずきとなる悪のささやきに、常にさらされている」と述べ、「キリスト者でありながらも、主の傷と適度な距離を保とうとする誘惑」に

注意を促し、「人間の苦しみに触れるイエスは、わたしたちにご自身とともに隣人の苦しみに触れるようにと招いておられる」と呼びかけました」。

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 説教後、信仰宣言が歌われ、その後の共同祈願では、一番最後に日本語の祈りが聖ペトロ広場に響き渡りました。日本人のシスターが祈りを唱えられました。

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 前日午後の枢機卿会は、大勢の枢機卿さんたちが勢揃いして、あの深紅のスータンですから、壮観でした。参加する司教や大司教、そして枢機卿にも服装の指示が事前にあり、私はアビトコラーレと呼ばれる、いわゆる赤というか紫のスータンで、また新しい枢機卿たちは、大聖堂に来るとき指輪はつけず、スケットもつけないでと。もちろん教皇様から指輪とビレッタ(深紅の帽子)をいただくからです。

 枢機卿会終了後、新しい枢機卿様たちは教皇様に連れられて聖ペトロ大聖堂裏手に住まわれているベネディクト16世名誉教皇を訪問されたそうです。その後、パウロ6世謁見ホールに場所を移し、それぞれの新しい枢機卿がスタンドを設け、そこで一般の方々からの祝福の挨拶を受けられました。また前駐日バチカン大使であったボッターリ大司教もお祝いに駆けつけてくださいました。(写真上:パウロ6世謁見ホールでの前田枢機卿と、アベイヤ被選司教。中央後ろ姿は私で、話しているのはバングラデシュのパトリック・デロザリオ枢機卿様)

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 なお日本からも参加された方々がおられましたし、ローマ在住の日本人の信徒や修道者の方々も大勢参加されました。真夏のような暑さのローマで、皆さんご苦労様でした。29日の午後には、駐バチカン日本大使のご厚意で、大使公邸を会場に大阪教区主催の感謝レセプションも開かれ、各国の外交官やバチカン関係者など、多くの方が参加し、前田枢機卿様のこれからの活躍の上に、神様の祝福を皆で祈りました。(右の写真は、ミサに出かける前に、神言会総本部で、キサラ副総会長と)

7月8月の主な予定

あっという間に関東の梅雨は明け、真夏のような7月が始まっています。7月と8月の主な予定を記しておきます。

  • 7月4日 ペトロの家司祭ミーティング (朝)Cjcamp18zero

  • 7月5日 常任司教委員会 (10時、潮見)

  • 7月5日と6日 神学院常任司教委員会 (東京キャンパス)

  • 7月6日 カリタスウガンダ講演会 (聖心女子大学)

  • 7月7日 排除ゼロキャンペーン・アクションデー (午前中、関口教会)

  • 7月7日 国際ミサ (キャンペーン行事) (15時、東京カテドラル)

  • 7月8日 下井草教会堅信式 (9時半、ミサ)

  • 7月9日~13日 司教総会 (潮見)

  • 7月14日 FABC/OHD (アジア司教協議会連盟人間開発局)会議 (全日、マニラ)

  • 7月16日 大阪教区司教叙階式 (11時、玉造教会)

  • 7月17日 新潟教区顧問会など (全日、新潟)

  • 7月18日・19日 東京教会管区会議 (札幌教区)

  • 7月21日 宣教司牧評議会 (14時半)、永代働く人の家 (夕方)

  • 7月23日 HIV/AIDSデスク会議 (13時、潮見)

  • 7月24日 ペトロの家運営会議 (14時)

  • 7月25日 マリアの宣教者フランシスコ会瀬田修道院 (午後)

  • 7月26日・27日 聖体奉仕会 (秋田)

  • 7月29日 豊四季教会英語ミサ (14時)

  • 8月3日 日本カトリック医療施設協会全国大会 (都内)

  • 8月11日 平和旬間行事、平和祈願ミサ (14時、イグナチオ、18時、東京カテドラル)

  • 8月12日 平和旬間行事、ミサ・講演 (10時、上野教会、18時半、立川教会ミサのみ)

  • 8月15日 聖母被昇天祭

  • 8月17日 新潟教区保育者研修会 (新潟)

  • 8月19日 宮古教会ミサ (岩手県宮古)

  • 8月21日 EWTNインタビュー収録 (午前中)

  • 8月22日 生涯養成委員会 (夕方)

  • 8月24日 仙台教区サポート会議 (10時、仙台)

  • 8月25日 神言会宣教事務局講演会 (13時半、吉祥寺教会、16時ミサ)

  • 8月27日 カリタスジャパン事務局会議 (9時半、潮見)

  • 8月28日 カリタスジャパン会議 (午前午後、潮見)

  • 8月29~31日 教区神学生合宿

 

・菊地大司教の日記㉗6月-土曜日は六本木、日曜は築地・今月の予定・・

2018年6月 3日 (日)

土曜日は六本木、日曜は築地

土曜日は午前11時から、六本木のフランシスカンチャペルセンターで、東京教区内のそれぞれの小教区にあるフィリピン出身信徒の共同体の集まりであるGFGC (Gathering of Filipino Groups and Communities)の総会ミサでした。

Fccgfgc1801 この集まりは、何か独立した団体と言うよりも、基本的には各小教区共同体の枠組みの中で活動しているフィリピン人信徒のグループや共同体が、緩やかに集まっている組織です。

 ですから、各地の小教区において、その小教区共同体との関わりの中で活動することを目指している点で、私が理想としている小教区共同体における多様性と一致を具現化しているものだと感じます。

ミサは素晴らしい歌でした。ミサ後は、フィリピン文化に欠かせない(?)、写真撮影タイム。すべてのグループが入れ割り立ち替わり、私や司祭団を囲んで、写真を撮り続けました。

 ミサ後は地下のホールで、これまたフィリピン文化にとって欠かせない、持ち寄りの食事タイム。

 その後に、このグループについてのプレゼンテーションを皆で聞き、私から、これからの東京教区における滞日外国人司牧の方向性についての講演をし、最後には質疑応答となりました。

 参加してくださった皆さん、ありがとう。皆がそれぞれの場で、主から呼ばれ派遣された福音宣教者であることを常に心に刻んでいてください。

Tsukiji1804 そしてキリストの聖体の主日である今日は、築地教会で9時半の主日ミサでした。築地教会は、カテドラルが関口に定められるまで、初代から4代までの教区長の時代に、カテドラルとされていた教会です。教会は聖路加国際病院のすぐ隣り。近隣の都心部にあるホテルから、多くの海外からの観光客がミサに参加されていました。

Tsukiji1802 今日のミサは、すでに亡くなられた初代から第7代までの前任司教様方の追悼ミサを兼ね、祭壇の前に歴代の写真が飾られました。

 またミサ中には、二人の小学生の女の子が、初聖体を受けられました。おめでとうございます。ミサ後に、この二人を囲んで、旧幼稚園舎を改装したホールで茶話会となりました。特に幼児洗礼から育ってきた信徒には、初聖体は重要な秘跡であり、信仰育成の通過点です。今日、主ご自身が聖体を通じてともに歩みを始められた、その主のやさしさと愛に信頼しながら、そして主の「私を忘れないでいなさい」という言葉を胸に刻んで、次のステップである堅信の時まで、大切に信仰を生きてください。

2018年5月31日 (木)

聖母のご訪問@5月も終わりです

 5月最後の日は、聖母マリアのご訪問の祝日です。典礼の暦が改訂される前は他の時期に合ったようですが、現在は聖母の月である5月の最後を締めくくる祝日として、定められています。Visitation17
イエスの母となるマリアは、洗礼者ヨハネの母であるエリザベトを訪問されました。現在その地は、エルサレム郊外のエインカレム(エン・カレム)とされ、丘の上に聖母訪問の教会が建ち(写真上)、構内には各国語でマグニフィカトが掲示されています。

 ちなみに谷を挟んで反対側の丘の上には洗礼者ヨハネが誕生した教会があり、こちらにはベネディクトゥス(ザカリアの讃歌)が各国語で掲示されています。

 ところで、教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」も他の教皇文書と同様、最後は聖母マリアへの言及で締めくくられています。ただし、「福音の喜び」における聖母への言及部分は、結構な分量となっており、教会の福音宣教への姿勢に関して教皇フランシスコが「聖母の存在を重要」だと考えていることが理解されます。

 教皇は、「聖霊とともにマリアは民の中につねにおられます。マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です」と、単に「教会の母」という伝統的な称号に留まらず、「福音を宣べ伝える教会の母」という呼び方をします。その上で、聖母マリアは、福音宣教の業において、「私たちとともに歩み、ともに闘い、神の愛で絶え間なく私たちを包んでくださる」方(同勧告286項)だと指摘します。すなわち、教会の福音宣教において、聖母は脇役ではなくてその中心に位置している重要な存在であることが示唆されているのです。

 さらに教皇フランシスコは、「教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります。というのは、マリアへと目を向けるたびに、優しさと愛情の革命的な力をあらためて信じるようになるからです」(同288項)とも述べています。

 ここで指摘されている、「マリアという生き方」が福音宣教にとって重要な姿勢であるという指摘に注目したいと思います。いったい「マリアという生き方」という言葉で何を語っているのでしょうか。

 カテキズムには次のような指摘があります。「マリアは、しみやしわのない花嫁としての教会の神秘、つまり、その聖性を、私たちすべての者に先立って現しました。『教会のマリア的な面がペトロ的な面に先立っている』のはこのためです。(カトリック教会のカテキズム773項)」

 教会のペトロ的な面とは、ペトロの後継者であるローマ教皇に代表されるような使徒的な側面、目に見える地上の組織という側面です。

 教会のマリア的な面については、教皇ヨハネパウロ二世が使徒的書簡「女性の尊厳と使命」の中でこう指摘しています。「聖性の段階において教会の『かたどり』となるものは、ナザレのマリアであることを思い起こします。マリアは聖性への道において皆に『先行』するものです。彼女において『教会は、すでに完成に到達し、しみもしわもないもの』でした(27項)」。

 つまり聖母マリアこそはキリスト者が完成を目指して進むときに模範となる存在であり、教会のあるべき姿、「かたどり」なのだという指摘です。ですから教会にはマリア的な面があるというのです。

 教皇フランシスコは、教会のマリア的な面がペトロ的な面に先行することを強調しつつ、同時にマリア的な面こそが福音宣教をする教会にとっては不可欠であることをいっそう強調されていると考えることが出来ます。それほどまでに、教皇フランシスコが大切だと考える福音宣教における教会のマリア的な面は、「マリアという生き方」という言葉に表されています。

 聖母マリアがマグニフィカトにおいて「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌い上げる理由は何でしょうか。それはそのすぐ後に記されている言葉から明らかです。それは主が「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったから」に他なりません。

 教皇フランシスコはこの言葉に、「謙虚さと優しさは、弱い者の徳ではなく、強い者のそれである」ことを見て取ります。そして続けます。「強い者は、自分の重要さを実感するために他者を虐げたりしません(「福音の喜び」288項)」。

 聖母マリアの人生を見れば、それは決して弱さのうちに恐れているような生き方ではありません。それどころか、神から選ばれ救い主の母となるというすさまじいまでの人生の転換点にあって、恐れることなくその運命を受け入れ、主イエスとともに歩み、その受難の苦しみをともにしながら死と復活に立ち会い、そして聖霊降臨の時に弟子たちとともに祈ることで、教会の歴史の始まりにも重要な位置を占めるのです。それほどの選びを受けた聖母マリアは、あくまでもその力を誇ることなく、謙虚さと優しさのうちに生きて行かれます。

 教皇の言葉は、現代社会が優先するさまざまな価値観への警鐘であることがしばしばですが、この部分にも、いったい本当に力のあるものはだれなのかという基準への警告が含まれているといえるでしょう。今の世界では、いったいどういう人が強いものだと考えられているのか。その判断基準は本当の強さに基づいているのか。本当の強さとは、謙虚さと優しさという徳のうちにあるのではないか。

 聖母の生きる姿に倣い、神のみ手にすべてをゆだねるところにすべては始まるという生き方。それはあきらめた弱い生き方ではなく、力ある生き方であることを、聖母は示しています。

明日から6月です。6月の主な予定を記しておきます。

  • 1日(金)板橋教会初金ミサ(10時)

  • 2日(土)フィリピン共同体・GFGCミサ(六本木、11時)

  • 3日(日)築地教会ミサ(9時半)

  • 4日~6日新潟教区司祭の集い(秋田県内)

  • 7日(木)常任司教委員会ほか(潮見)

  • 8日(金)日本カトリック大学連盟総会な

  • 9日(土)日本カトリック大学連盟ミサ(11時)、ロゴス点字図書館文化教室講演会(14時、ニコラバレ)

  • 10日(日)神田教会ミサ(10時)

  • 11日~14日カリタスアジア年次総会(バンコク)

  • 16日(土)故市川嘉男師納骨式(府中墓地、11時

  • 17日(日)吉祥寺教会堅信式(10時半)

  • 18日(月)司教顧問会ほか(教区本部)

  • 19日(火)カリタスジャパン会議(潮見)

  • 20日(水)横浜教区女性の会パスカ、ミサなど(10時半、関口)、(福)ブドウの木(ロゴス点字図書館)評議員会(14時、潮見)、オルガンコンサート挨拶(19時、関口)

  • 21日(木)カリタスジャパン会議(9時半、潮見)、(福)ゲマインダハウス評議員会(18時半、名古屋)

  • 23日(土)ペトロの家後援会ミサ(13時、関口)

  • 24日(日)麹町教会堅信式(15時半)

  • 25日(月)司祭金銀祝ミサ(11時、関口)

  • 26日(火)カリタスジャパン委員会(10時、潮見)

  • 27日~30日 ローマ

5月20日 教区合同堅信式@聖霊降臨の主日

 20日の聖霊降臨の主日は、東京カテドラルの関口教会で、午後2時半から教区合同堅信式が行われました。

 いくつの教会から信徒の方が来られたのかは数え忘れたのですが、(もちろん公式な記録は残っています)、少なくとも7つくらいの小教区から、206人の方が集まり、堅信の秘跡を受けられました。私にとって、200人を超える堅信式は、ガーナで働いていた30年ほど前以来、久しぶりのことでした。

 そのためにカテドラルに皆さん来られたのですから、司教が堅信を授けないわけには行きません。私ひとりですべての方に堅信を授けました。ですからミサ中の堅信の秘跡の部分だけで1時間以上かかり、結局2時半に始まったミサが終わり、記念撮影も終わったら、すでに5時を過ぎていました。参加した皆さん、おめでとうございます。そしてお疲れ様でした。カテドラルに一緒に集まり、教区の共同体の一部としてともに歩んでいることを肌で感じていただけたのであれば、幸いです。

 以下、堅信式ミサの説教の原稿です。

私たちは、信仰に生きています。私たちが生きていくためには、例えば食事を誰かに代わりに食べてもらうことができないように、信仰に生きることも、誰かに変わってもらうことはできず、私たち一人ひとりの個人的な関わりと決断が必要です。その意味で、信仰に生きると言うことは、プライベートな個人的な事柄と言うこともできるでしょう。
しかし、第二バチカン公会議の教会憲章には、こう記されています。
「神は、人々を個別的に、まったく相互の関わりなしに聖化し救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に仕える一つの民として確立することを望んだ。(9)」
そして教皇フランシスコも、「福音のよろこび」の中で、こう言われます。
「神は人々を個々人としてではなく、民として呼び集めることをお選びになりました。一人で救われる人はいません。」(「福音の喜び」113)
わたしたちは、個人として信じると決断して受けたこの信仰を、一人で孤立して生きるのではなく、共同体の中でともに生きていくのです。それは神ご自身が、わたしたちを、一つの民、「神の民」として呼び集められたからに他なりません。教会にとって、信仰者が共に生きる共同体の存在はとても大切なものです。共同体なしに、教会はあり得ません。信仰者は個人として責任を持って信仰に生きるのですが、同時にその信仰を共同体の中で育むのです。
聖霊降臨の主日にあたり、多くの方がこのミサの中で堅信の秘跡を受けられます。聖霊の賜物をこの秘跡を通じて受けることで、キリスト教入信の秘跡が完結します。聖霊の賜物はそれぞれの方に、それぞれ固有の生き方の可能性を与えます。堅信の秘跡を受けることによって、いわば大人の信徒になるのですから、神からいただいた恵みに応える大人としての責務を自覚して行動してください。
五旬祭の日に、弟子たちは一つになって集まっていたと、第一朗読に記されていました。そこには共同体として一致している弟子たちの姿が描かれています。同時に集まりからは、主イエスを失い、戸惑いと恐れのうちに、社会の現実から自らを切り離し隠れようとしている、消極的な姿勢も垣間見ることができます。
しかし、その消極的だった弟子たちは、聖霊を受けることによって、「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と記されています。
聖霊を受けることで、急に外国語がペラペラになるのであれば、そんな素晴らしいことはないのですが、残念ながらそういうことはなかなか起こらない。ではこの弟子たちに起こった変化には、どういう意味があったのか。
この弟子たちの様子を目撃した人々の言葉にこうあります。「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。
すなわち弟子たちは聖霊に満たされることによって、神の業を語り始めたのだけれど、それは人々が理解できる言葉であったということです。私は、たぶん、外国語を話したと言うことよりも、人々がわかる言葉で、福音を語り始めたことの方が大切であるように思います。
堅信の秘跡を受ける信仰者は、大人の信徒としての道を歩み始めます。大人の信仰には、与えられた賜物に応えていく責任が伴います。その責任とは、主イエス御自身が弟子たちを通じて私たちに与えられている、福音宣教の命令です。大人の信徒の責任は、福音宣教の務めを果たすこと、すなわち、神の業を人々がわかる言葉で語ることであります。
聖霊を受けた弟子たちがそうであったように、私たちも教会共同体において聖霊を受け、そこから外に向かって派遣されていくのです。ですから問題は、派遣されて出た社会の現実の中で、果たして私たちは、人々が理解できる言葉で福音を語っているのかどうかであります。
私は口べただから、何を語って良いのかわからない。そうかも知れません。実は、福音宣教は、雄弁に語ることだけなのではありません。問題は聖霊の賜物を受けて、どのように生き.その生きる姿勢であかしをするのかであります。
わたしたちは、自分の生きる姿を通じて、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
わたしたちは、ほかの方々との関わりの中で、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
わたしたちは、愛の奉仕の業を行うことで、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
本日の第二の朗読、ガラテヤの教会への手紙でパウロは、霊の望むところと、肉の望むところは相反しているのだ。私たちは霊の導きに従って生きるのだ、と教えます。
肉の望むところとしてパウロは、具体的な様々な罪を掲げます。それらはすべて見てみると、結局は自分の欲望を中心とした、全くもって自分中心の利己的な欲望やそれに基づく罪ばかりであります。
それに対してパウロは、霊の結ぶ実として、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制を掲げます。これらは、自分の欲望を中心にするのではなく、誰か相手に対して良くしよう、仕えよう、奉仕しようとするときに必要な徳であります。他者中心の徳です。
すなわち私たちが、聖霊に促されて社会の現実の中で福音をあかしするとき、その言葉と行いは、自分中心ではなく、困難を抱えている人を中心に据えた、他者のために自らを犠牲にする行いによらなければなりません。まさしく、イエスご自身の人生は、他者のために自らを犠牲にする人生でありました。
一人ひとりの能力には限界があります。私たちはひとりでは完璧にはなることができません。でも私たちには互いを支え合う信仰の共同体があります。そしてなによりも、私たちを支え導く聖霊の照らしがあります。聖霊の導きに信頼しながら、そして共同体の支えに力づけられながら、勇気を持って、自らの言葉と行いで、福音をあかしして参りましょう。

 5月21・22日新潟―日本カトリック女性団体連盟第44回新潟総会

 この一週間は、なんとも忙しい一週間でした。21日の月曜日と22日の火曜日は新潟。23日の水曜日と24日の木曜日は軽井沢。そして25日の金曜日は仙台。さらに26日の土曜日は東京で宣教司牧評議会。今日の日曜日、三位一体の主日は、志村教会で堅信式でありました。

 新潟から軽井沢へ回って仙台へ行くためには、新幹線を乗り継いでいたのでは時間とお金がかかりすぎるので、とりあえず新潟と軽井沢へは自分で運転していくことに。関口を出発すると、本当に一度右折するだけで、まっすぐに練馬インターから関越道へ。道路がそのまままっすぐに関越道になるので、一度も右左折しません。何を言っているかというと、いわゆる都市伝説で、関口教会の近くにある故田中角栄邸から新潟の西山にある実家まで、車で移動するには三回しか曲がらない、といわれているのです。今回走ってみて、なるほどと思いました。実際私も、新潟中央インターで降りたので、関口から新潟教会前まで四回しか右左折しませんでした。

  新潟へ出かけたのは、日本カトリック女性団体連盟(日カ連)の第44回新潟総会に参加するため。昨年、まだ新潟教区司教であったときに、講演するように頼まれていました。

  21日は夕方の懇親会から参加。顧問の浜口司教とともに、舞台に『引きずり出されて』、仮装のうえで踊らさせられました。私が人生で一番苦手としているのが踊り、ダンス。そのまま、山形教会の千原神父の職人芸とも言うべきギター演奏で、歌まで歌わさせられました。歌は、ダ  ンスに比べれば、何百倍も得意なので構いません。

  翌22日は、朝から講演会。「いのちへのまなざし」をメインテーマに、どうして教会は人を助けるのか、カリタスジャパンでの活動で学んだことを中心にお話しさせていただきました。

   講演会後は派遣ミサ。新潟市内や近隣の司祭も参加してくださり、私と浜口司教の共同司式で、ミサを捧げました。参加してくださった全国の女性団体の方々、ありがとうございます。また準備に当たってくださった新潟の女性団体の皆様や小教区の皆様、ご苦労様でした。素晴らしい大会でした。

   残念ながら東京からは日カ連に加盟していないので、できれば何らかの形で、将来的に、東京のカトリックの女性団体も、全国とつながることができればと期待しています。

23・24日-男子修道会と宣教会の管区長、責任上長の全国会議

   水曜日と木曜日は、軽井沢の宣教クララ会修道院を会場に、全国で働く男子修道会と宣教会の管区長や責任上長の全国会議。修道会などは日本管区として独立しているところは『管区長』ですが、会員の減少から、多の国の地区と一緒になって管区を構成している会では、『地区長』などのタイトルを持っておられます。ほとんどの会が、東京に何らかの拠点を持っておられますが、例えば神言会やカルメル会のように、管区本部が名古屋にあったり、そのほかの町(例えば淳心会は姫路)にあるものもあります。

    今回でかけた理由は、これまた二年越しで、会長の柴田神父様(アウグスチノ会)から、講演を頼まれていたため。日本の教会で修道会が果たす役割について、質疑応答もあって、一時間のお話を三回。いろいろと意見交換もできました。  それぞれの修道会が会員の減少や高齢化という悩みを抱えるなかで、これからの日本の教会の福音宣教にどのような役割を果たしていくのかについて、今回同伴してくださった勝谷司教も交えて、良い話し合いができたと思います。初日には教皇大使も来られ、皆ど意見を交わして行かれました。

25日-仙台教区の東北大震災復興支援の会議

 金曜日は定例の仙台教区の東北大震災復興支援の会議。7年が経過し、全国の教会としての支援活動である震災から10年目が視野に入る中で、例えば大槌のように閉鎖となったボランティアベースや、活動を地元に移管した宮古での札幌教区の活動なども出てきています。釜石のベースは、すでにNPO法人として独立しました。これから、10年以降にどのように地元に引き継いでいくのか、方策を考える時期になってきました。もっとも、福島は事情が異なり、まだまだ先が見えません。東京教区ではCTVCが中心になって南相馬市の原町教会敷地内の拠点を設置しています。今後これをどのように地元に根付かせていくのかが、課題となってきますが、10年と言わずさらに長期の関わりが、必要だと感じています。

27日-志村教会での堅信式

  そして今日の日曜日、志村教会での堅信式。志村教会は、深水神父様が担当されています。ミサには100人近い方が集まり聖堂はいっぱい。東京教区の標準から言うと、小さい部類の小教区だと思いますが、例えば新潟教区であれば、十分に大きな小教区です。

 今日は9名の方が堅信を受けられました.。またそのうちのお一人は、今日が洗礼式。またお一人は今日が初聖体でもありました。堅信を受けられた方との関係で、イエズス会の竹内神父様(写真下)も共同司式に加わってくださいました。

ミサ後には、先日教区の司祭団でもお話ししたのと同じパワーポイント資料を使って、アフリカでの宣教の体験についてお話しさせていただき、その後、皆で祝賀会。堅信を受けられた皆さん、本当におめでとう。

・菊地大司教の日記 ㉖アフリカ国際会議、ロメロ列聖、前田新枢機卿…

アフリカ開発の新しい視点を求めて@上智大学

  アフリカの新たなビジョンをテーマにした国際会議が、ローマから帰国した翌日、5月19日に土曜日に上智大学で開催されました。今回の会議は、カトリックの聖エジディオ共同体、上智大学、立正佼成会が共催し、駐日イタリア大使館も協力。日本の政府関係者(外務省関係、国会議員、JICA関係者など)も参加し、日本とイタリアがアフリカでどのような役割を果たしていけるかの、意見を交換。

 主催者の一人であり、今回の企画を自らの人間関係の豊かさの中で実現した立役者である聖エジディオ共同体の事務局長、アルベルト・クアトルッチ氏を以前から存じ上げていたこともあり、東京の大司教として、また元アフリカ宣教師としてあいさつをしてほしいと依頼され、参加しました。

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また講演者の一人は、ガーナ独立の父クワメ・エンクルマの娘サミア・エンクルマ女史でした。お名前は存じ上げていたものの、初めて話を聞き、挨拶をすることもできました。サミア女史は現在、ガーナの国民会議党の党首として、政治の場で活躍中ですが、ガーナにかかわるものとして、その父クワメ・エンクルマはガーナ独立の父として伝説の人物です。

1957年3月7日のガーナ独立の立役者であり、初代ガーナの首相、その後大統領になったエンクルマは、1966年に北京訪問中に起こったクーデターで失脚。そのままガーナへ帰ることなく、1972年にルーマニアで亡くなりました。現在首都のアクラに立派な記念廟が建立され、そこに葬られています。

エンクルマに対する評価は分かれるところがあり、パンアフリカニズムの旗手としてジョモ・ケニヤッタやユリウス・ニエレレなどとともに新生アフリカのリーダーとなったことは確かですし、非同盟運動においても重要な役割を果たしましたが、内政はそれほどうまくは運営されていなかったのも事実です。ちなみに1966年のクーデターは、共産化を恐れた米国のCIAが深くかかわっていたことは歴史的な事実であるといわれます。

サミアさんは1960年に生まれ、父の政権が転覆させられたクーデター後、一時は母親の祖国であるエジプトに住んでいたこともありましたが、その後帰国し、政治活動を続けています。

今回の会議には、多くの講演者が招かれており、それぞれの持ち時間が本当に短くて残念でした。次回以降の企画に期待したいと思います。なおバチカンからは、総合的人間開発促進の部署から、トマシ大司教が参加されました。

聖エジディオ共同体については、どう説明してよいかわからないのですが、1999年に庭野平和賞を受賞した時の、庭野平和財団のホームページの記載がわかりやすいので引用します。

カトリックの在家運動体として30年余、祈りの精神を基盤に国内外の社会的弱者への奉仕活動を展開。国際紛争の調停にも積極的にかかわり、1987年以降は、諸宗教の対話を促進するため、「人びとと諸宗教の出会いと平和の祈りの集会」を開催している。「聖エジディオ共同体のメンバーは誰もが、貧しい人びとやホームレスの人びとと日夜接しており、その中に友情と呼び得る個人的な絆を少しずつ築いています。実際、私たちは、誰かを支援したり、助けようとしたりするよりは、福音書がか弱き人と呼ぶ人びとの兄弟姉妹になり得るようにと努めています」

ローマのトラステベレに本部があり、日本でも宗教者の平和活動や死刑廃止運動にエキュメニカルにかかわっています。

 ローマで会議、そして枢機卿の誕生

  先週はローマで会議でした。5月13日日曜日の夜9時過ぎに成田空港をトルコ航空機で出発し、イスタンブール経由で翌日の月曜日朝9時過ぎにはローマに到着。

 その日は、駐バチカン日本大使館からのご招待で、京野菜を紹介するイベントに出席。場所はなんとバチカン美術館です。300人近くが参加しての夕食会では、京野菜がふんだんに使われた食事が提供され、京都のJA関係者や日本政府関係者、そして駐バチカンの各国外交官も招かれておりました。もちろん枢機卿たちも招待されており、一番のゲストはタグレ枢機卿でありました。

20180515_161642 翌火曜の午後から木曜昼までの会議は、国際カリタスの年に二度の、評議員会にあたる地域代表会議。アジアからは責任者の私と、パキスタン、ミャンマーの代表、そしてタイに駐在する事務局長が参加。

 毎年の恒例の議題に加え、2019年に開催される4年に一度の総会とその後の活動方針、さらには現在展開中の難民や移住者を受け入れようというキャンペーンについてなどが話し合われました。議長はタグレ枢機卿。すぐ隣に事務局がある総合的人間開発促進の部署から、責任者のタクソン枢機卿も参加してくださいました。(上の写真、右から二人目がタグレ枢機卿。その左隣がタクソン枢機卿。その左隣がミシェル・ロワ国際カリタス事務局長)

 そして今回の会議のハイライトは、国際カリタスの保護の聖人である福者オスカル・ロメロ大司教の像の序幕と会議室への安置。福者オスカル・ロメロ大司教は、パウロ六世とともに、今年の10月に列聖が決まりました。世界に数えるほどしかないロメロ大司教のこの像は(確か四つしかないと聞きました)、同じものがエルサルバドルのロメロ大司教暗殺現場の聖堂に安置してあるのだそうです。

 タグレ枢機卿によって安置された像のある場所は、以前から国際カリタスの「ロメロ・ルーム」と名付けられていました。今回、この像の安置を手配したのは、以前からロメロ大司教の列聖運動を中心になって進めてきた英国人のジュリアン・フィロコウスキー氏)。以前、イギリスのカリタスの責任者を務めていた人物です。(彼について、そして福者ロメロ大司教について詳しくは、拙著「真の喜びに出会った人々」を参照ください)

20180515_141618 会議が終わった週末の19日土曜日には、パウロ六世やロメロ大司教の列聖を決める枢機卿会議があったこともあり、何人かの方から、そろそろ枢機卿の発表があるらしい、という噂は聞いていました。

そして5月20日。聖霊降臨の主日。教皇様は14名の新しい枢機卿の任命を発表され、そのうちの11名が80歳未満の教皇選挙権を持つ枢機卿。そしてそのうちの一人が、大阪の前田万葉大司教様でした。

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久しぶりに、やっと日本にも枢機卿が誕生です。白柳枢機卿様がなくなられてからほぼ10年。この数年、機会あるごとに教皇様に、日本にもぜひ枢機卿をとお願いしてきました。長崎の信仰の歴史に生きる枢機卿の誕生です。

前田大司教様、おめでとうございます。6月29日が親任式になるそうですが、その日はちょうど、私も東京大司教としてのパリウムなるものを教皇様に祝福していただく日で、バチカンでのミサに参加することになっていましたので、枢機卿親任式を目の当たりにする栄誉にあずかることになりました。

 ちなみにネット上では、前田大司教様が枢機卿になることで、大阪からいなくなるというような心配を記されている方が散見されます。枢機卿になったからと言って、大阪の大司教でなくなるのではありませんから、大丈夫です。そのまま大阪でお続けになります。ただ、ローマでのいろいろな役所の委員に任命されるでしょうから、その意味では、しばしばローマにお出かけになる機会は増えるでしょうし、アジアでの会議に出席を要請されることも増えるだろうと思います。重責を担われることになった前田大司教様のために、お祈りを忘れないようにしたいと思います。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ㉕使徒ヨハネ市川嘉男神父様葬儀

2018年5月 5日 (土)

  4月29日に94歳で亡くなられた、東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様の葬儀ミサが、5月5日午後1時半から、カテドラルの関口教会で執り行われ、200名近い方が参列してくださいました。連休中のお忙しいときに、お祈りをともにしてくださり、感謝申し上げます。

 以下本日のミサの説教の原稿です。

使徒ヨハネ市川嘉男神父 葬儀ミサ   2018年5月5日

 使徒ヨハネ市川嘉男神父様は、今週の初めの日曜日、4月29日に、94年の人生に幕を下ろされ、御父のもとに帰られました。現役であった頃の市川嘉男神父様を私は存じ上げませんので、何かの手がかりにと10年ほど前の東京教区報に掲載されていた神父様のインタビュー記事を拝読いたしました。

 そこには、「東京教区司祭で 『お兄ちゃん』 といえば、 市川嘉男神父を指します。 それは弟の市川裕神父と兄弟だからということもありますが、 市川嘉男神父のお人柄が、 呼びかけに反映されているということでしょう」と記されていました。「お兄ちゃん」とは、それだけで現役時代の市川神父様のお人柄をなんとなく想像させる呼び名であります。

 そしてインタビューの中で、「司祭として大切にしてきたことは」という問いに、市川神父様はこう答えられています。
「特にはないけどねえ。 まあ、 司祭だからミサは大切にしてきたよ。 生来、 のんきな性格というか、 自分から積極的に何かをするというタイプではないから、 頼まれればするけど、 そうでなければじっと見て、 その都度対応していくという感じかな。 カッコよく言えば、 『あるがままを大事にする』 ってことかもしれないけど」

 「あるがままを大事にする」、そういう司祭としての人生は、自らのうちに秘めた信仰を素直に生き抜く人生であったと想像いたします。

 先日、5月1日に、清瀬にある東星学園で、創立記念日のミサを捧げる機会がありました。ミサの前に校長先生から、是非、市川嘉男神父様の永遠の安息のためにミサで祈ってほしいと依頼をいただきました。それは神父様が、東星学園でミサを捧げたり、宗教を教えたりと、生徒さんたちの心の教育のために30年近くにわたって関わってくださったからだと伺いました。それもまた、「あるがままを大事にする」司祭の人生は、子どもの時代に信仰によって心を育むことの大切さを、自ら身にしみて理解されていたからだろうと想像いたします。

 同じ日に、ベタニアのシスターからこんな話も聞かされました。すでに引退されてある程度時間が過ぎたときのこと、ある公的な文書に職業を記入する欄があり、記入した方が「無職」と記されたそうです。その頃、高齢のためすでにあまりいろいろとお話にならなかった神父様は、その書類をなかなか認めようとしない。そしてシスターに、職業欄を指さして、「私は東京教区司祭です」と言われたそうです。「あるがままを大事にする」司祭は、ただ時の流れに身を任せて何気なく生きていたのではなく、その人生が終わるときまで、自らの召命をしっかりと自覚して生きてこられたのではないでしょうか。司祭はその命が終わる日まで、司祭としての務めを果たし続けます。それは、そのときそのときの自らの有り様を受け入れ、まさしく「あるがままを大事に」して、そのときに与えられた可能性のうちに召命を生き抜くのです。

 司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。

 すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。司祭のこの三つの務めは、すべてのキリスト者にとって、生きる姿勢の模範となるものです。

 同時にこの三つの務めは、司祭にだけ与えられているものではありません。キリスト者は洗礼によってすべからく「キリストと合体され」、その「固有の立場に応じて、祭司、預言者、王としてのキリストの任務に参与」します。

 わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したいのです。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたいのです。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたいのです。

 パウロはローマ人への手紙で、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった」と記すことで、神のわたしたちへの愛には、世の理不尽さを遙かにしのぐ深さがあるのだと教えます。世の常識から言えば、あり得ないことを、神はわたしたちのために成し遂げられた。それほどにまで、神の愛といつくしみは、人間の理解を超えて深いものであります。

 イエスは福音で、自分こそが「道であり、真理であり、命である」と宣言されました。イエスご自身が示された生き方にこそ、本当の命へ至る道があり、その道を歩むとき初めてわたしたちは、神とともにあると確信できるのです。

 しかしながら、わたしたちが生きている今の社会は、神の御旨に従って成立しているとは言い難い。イエスの福音に忠実に生きようとすればするほど、それは理想主義であり、夢物語であり、非現実的だと見なされてしまいます。いったい、今の時代にあってわたしたちが生きるために頼りにし、その歩みを進めようとしている道は、正しい道なのでしょうか。その道は、真理へと続く道なのでしょうか。本当の命へと続く道でしょうか。それとも、刹那的な喜びと安楽を見いだすための、滅びへと続く道でしょうか。

 御父を示してほしいと頼むフィリッポに対して、イエスは、ご自分とつながることこそが御父への道であると諭されます。

 「あるがままを大事にする」生き方は、まさしく、イエスとのつながりに忠実に生きる生き方であったのではないでしょうか。まずもって大事にするのは、イエスとのつながりであり、そこがしっかりとつながっているのであれば、何も騒ぐことなく、うろたえることなく、自然体で生きることができる。この世の様々な思い煩い、この世が大切にする様々な価値観、社会の常識。そういった荒波に翻弄されることなく、イエスとのつながりに自信を持って身を任せ、悠々と生きる。市川神父様の生き方は、人生にとって一番大切なことは何かをしっかりと理解したうえでの、信仰における悠々自適な生き方ではなかったのかと思います。

 わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたい。生きる姿勢の模範を示される司祭に倣いながら、自分自身のイエスとのつながりをあらためて確認し、身を任せて、命へと続く真理の道を、歩んで参りましょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記㉔鎌田師が司祭叙階60年-カルメル会司祭叙階式-市川師帰天

 2018年5月 2日 (水)

*鎌田耕一郎神父、司祭叙階60年@新潟教会

   新潟教区司祭の鎌田耕一郎神父様が、今年で司祭叙階60年となりました。司祭に叙階されたのは、1958年3月21日ですから、なんと私の生まれた年です。私の人生と同じ年月、鎌田神父様は司祭を続けてきたことになります。そして鎌田神父様は今年の一月で90歳になられました。その叙階60年のお祝いミサが、4月30日の午前11時から、新潟教会で行われ、新潟近隣の多くの信徒、修道者、司祭が参加してくださいました。

 鎌田神父様は基本的にとてもお元気です。私も新潟にいるときには、いつも一緒に食卓を囲んでおりました。残念なことに、この冬、スロープになっている廊下で転倒され、圧迫骨折で入院となりました。しかし懸命なリハビリのおかげで無事退院され、歩行器があれば移動もできるようになりました。

 この日のミサでも、祭服に着替えられてから歩行器で内陣に入り、ちょっと腰高で座ることのできるバースツールのような特別ないすに腰掛けられて、共同司式されました。また聖体拝領も、このいすに腰掛けて授けられました。神父様は幼稚園に長年園長として関わってこられましたので、現役の教員職員の方々も参加され、信徒でない教職員も、神父様から祝福をいただいておりました。Kamata6004_2

 ミサ後には、信徒会館で祝賀会。お酒を飲めない(体質的に)神父様に変わって、周囲の者が新潟のお酒をはじめいろいろといただきながら、大いに神父様の長寿を祝い、長年の司祭としての奉仕に感謝を申し上げました。

 司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割があると言うことです。

 一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。その三つの務めのすべては、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に従って聖なる者でありたい。

 第二バチカン公会議という教会の激動の時代を忠実な司祭として生き抜き、幼稚園教育をはじめとして様々な道で福音宣教に努めてこられた鎌田神父様のこの60年の司祭としての奉仕に感謝します。さらに神父様が日々示してくださる生きる姿勢の模範に倣い、わたしたち一人ひとりも勇気を持って、それぞれに与えられた固有の召命の道を生きていくことができるよう努めたいと思います。次は100歳の誕生祝いだと、参加者みなで確認し合いました。鎌田神父様、おめでとうございます。これからもお元気で。

*カルメル会司祭叙階式@上野毛教会

 カルメル会で司祭が誕生しました。4月29日日曜日の午後2時から、東京の上野毛教会において、カルメル会員・志村武さんの司祭叙階式が行われました。天気にも恵まれ、近隣の宣教協力体の小教区をはじめ、多くの信徒、司祭、修道者が参加し、新司祭の誕生を祝いました。

 私にとっても、東京大司教として初めての司祭叙階式です。上野毛教会は、カルメル会の修道院の聖堂が教会になって行ったような形でしょうか。聖堂の写真の祭壇後ろの壁にあるスリットの向こう側には、修道者の祈りのための聖堂があり、教会の聖堂と空間的に結ばれていると伺いました。

Ocd1803 祭壇から会衆席を見渡しますと、ちょうど、新潟教会から回廊部分を取り除いたほどの大きさです。たぶん通常設置のベンチに座れる人数は、新潟教会と同じくらいではないでしょうか。その意味で、なにか安心した雰囲気の中でミサを司式することができた気がします。

 叙階式後には、正面玄関前で参加したすべての人が順番に新司祭と私も入れて記念撮影大会。その後隣の信徒会館で、温かな雰囲気の祝賀会となりました。

 カルメル会は管区長さんが名古屋におられます。名古屋教区はもともと神言会の担当する教区でしたから、現在カルメル会が担当されている教会のいくつかも、神言会から移管したものです(例えば、金沢教会など)。名古屋にいた頃は、わたしもカルメル会の神父様方と一緒に働きましたが、そのことを現在の管区長である大瀬神父様が挨拶で触れてくださり、恐縮でした。

 以下、当日の説教の前半部分です(後半部分は、叙階式の儀式書にある定式文でした)

 カルメル会司祭叙階式 2018年4月29日 受階者:ヨハネ志村武

 わたしたちは今、あふれんばかりの情報に覆い尽くされた世界で生きています。とりわけインターネットの普及で、この20年くらいの間に、わたしたちを取り巻く情報量は、格段に増加しました。

 わたしたちは今、自分たちを取り巻く情報量があまりにも多いため、そのすべてをひとりで把握することが不可能だと感じる世界に生きています。いわゆる高度情報社会とは、結局、いろんなことを知ることができる情報が豊かにある世界と言うよりも、しっかりと取捨選択をしない限りは、実際には何も知ることができない世界であることに、わたしたちはすでに気がついています。

 この、情報があふれかえった世界で、近年、フェイクニュースなどという言葉が普通に聞かれるようになりました。結局あふれかえった情報の荒波に翻弄されるとき、それが本当なのか嘘なのか判断することは至難の業です。そんなとき、わたしたちは、簡単に多数の人たちの興奮の渦に巻き込まれ、冷静に物事の真偽を判断する余裕すら失ってしまいます。

 そんな世界の直中で、わたしたちは神の言葉という情報を多くの人に伝えようとしています。イエス・キリストの福音という情報を、ひとりでも多くの人に伝えようと努力を続けています。あまりに多い情報のただ中で、人は自分の世界に閉じこもり、自分の世界観にとって都合の良い情報にばかり耳を傾けるようになってしまっている。その中で、神の言葉を語ることは、決して容易なことではありません。

 使徒ヨハネは、「言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう」とその手紙で呼びかけます。それこそが真理に属する生き方であると指摘します。あまりに大量の情報が満ちあふれているこの世界こそは、まさしく「口先だけ」の言葉で満ちあふれている世界です。ただ言ってみただけ。面白そうだったから書いてみただけ。興奮するから言ってみただけ。そこには自分の口から発する言葉や、自らが綴る言葉への責任感はなく、ただただ、自分の興奮を追い求めているだけの、自分中心の世界が広がります。

 そのような世界にあって意味を持っているのは、やはり具体的に目に見える行動であると、ヨハネの手紙は諭します。わたしたちを先に愛してくださった神の愛を、多くの人に具体的に示す行動こそが、わたしたちを真理に生きる者とするというのです。

 バルナバは、サウロが使徒として神に選ばれた者であることを識別します。それこそ、様々な情報に翻弄されたことでしょう。サウロがあちらこちらで、いかに残忍にキリスト者を迫害してきたのか。多くの人が興奮して、サウロについての情報をまき散らしたことでしょう。そのような中にあって、バルナバはその情報の波に翻弄されることなく、神の御旨を識別し、その判断を勇気を持って行動に移します。バルナバの判断と決断と行動がなければ、サウロは使徒パウロとはなり得なかったのかも知れません。神のなさる業は不思議です。神のはからいは限りなく、生涯わたしたちはその中に生きるのです。しかし同時に、神のはからいが実現するためには、わたしたちの冷静な識別と決断と行動が必要なのです。

 情報があふれかえったこの時代に、司祭として生きることは容易ではありません。真理の言葉に耳を傾ける人は少なく、多くの人は神からかけ離れた世界を代弁するような情報に翻弄され興奮しています。神の御旨を識別し、勇気を持って決断をし行動することで、神の真理を、イエス・キリストの福音を、あかしする司祭であってください。

 ♰訃報: 市川嘉男神父様

  東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様が、4月29日夜、帰天されました。94歳でした。通夜は5月4日(金)午後6時から、また葬儀と告別式は5月5日(土)午後1時半から、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われます。市川神父様は1951年12月の司祭叙階ですから、66年の司祭生活でした。神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ㉓今日こそ、召命の時ー世界召命祈願日に

2018年4月23日 (月)

世界召命祈願日ミサ 世界召命祈願日ミサ

4月22日の日曜日は、世界召命祈願日でもありました。東京教区では、一粒会の主催教区行事として、同日午後2時半からカテドラルの関口教会でミサが捧げられました。ミサには教区や修道会の司祭、神学生、そして女子修道会の会員や志願者も大勢参加してくださり、信徒の方々も合わせて400名近い方が集まって祈りを捧げました。

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またミサ中には、イエスのカリタス修道女会のシスター方の聖歌隊が美声を響かせてくださり、祭壇側から見るとよくわかるのですが、たまたま訪れた見学の方々が、パイプオルガンに合わせたシスター方の美声に聞き惚れてなのか、結構長い時間、立ち止まっているすがたも見られました。

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ミサ後には、ケルンホールを会場に、各修道会の神学生や志願者紹介。残念ながら神学生の多い神言会は名古屋にいるため誰も来られませんでしたが、神学生がいてもいなくても、東京にいるすべての修道会は男女を問わず紹介できるようにしたらよろしいのでは、とも感じました。来年以降検討です。

準備してくださった一粒会の皆さんありがとうございます。以下、ミサ中の説教の原稿です。

 私は1986年に司祭叙階を受けましたので、今年でもう32年司祭として生きてきました。司祭へと至る道を歩み始めたのは、小学校を卒業し、中学一年となった1971年ですから、そこから数えるともう47年も、この世界で生きてきたことになります。

 自分の司祭にまでいたる道のりを振り返ってみるとき、そういえばいったい、自分はいつどこで、神様から呼ばれたのだろうと、自分でも不思議に思うことがあります。

 聖書には、例えば少年サムエルが寝ていると、神が「サムエル、サムエル」と、三度も呼びかけたなどという話があります。または新約聖書にも、迫害に手を染めていたパウロに対して、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と主が直接に呼びかけた話があります。もちろん福音書には、例えばシモンとアンデレに主が直接、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかける場面が記されています。

 聖書に出てくる人たちは、そうやって直接呼びかけられて、従う者となっていくのです。そうしたら、わたしへの呼びかけはいつだったのだろう。わたしも、少なくとも自分では、主に従う道を歩んでいるつもりです。どこかで呼びかけられたに違いないはずですが、あまり気がついていない。その、呼びかけに気がついていないこと、または聞こえていないことが、今日の世界召命祈願日に当たり教皇様が発表されたメッセージの中心にあるテーマです。

 メッセージのタイトルは、「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」です。
教皇様は、この呼びかけは、「はっきりとしたものではありません」と言います。これで少し安心です。メッセージはこう続きます。「神は、わたしたちの自由を抑圧することなく、静かにそっと来られるのです」

 静かにそっとこられる神に、私たちはどうして気がつくことがないのか。教皇様はこう言います。「その声は、わたしたちの思いや心を覆っている心配や懸念によって、かき消されてしまうかも知れません」

 静かに呼びかけられる神の声が聞こえないのは、もしかしたら私たちの心が、現実社会の中で生きていくために必要な心配事や、人間関係の中での懸念に埋め尽くされているためではないのか。そんなとき、わたしたちは静かに語りかける神の声を聞き逃してしまうかも知れないのです。

 しかし考えてみれば、誰かのために心配したり、配慮したりすることは、少なくとも悪いことではないはずです。ですから教皇様の指摘はこう続きます。「自分だけの狭い世界にこもり人生を台無しにしている人に見られる無関心さの中に閉じこもるなら、神が、私たちのために考えてくださった各個人への特別な呼びかけに気づくことはできないでしょう」

 自分の世界のことだけを心配し、他者への配慮に背を向けているとき、神の声はかき消されてしまうと言うのです。ということは、神の声は、積極的に他者への配慮を示す中で、聞こえてくるのではないか。人との前向きな関係を生きようとする中で、その他者との出会いの中で、聞こえてくるのだと言うことであります。

 人生の中で、他者への積極的な配慮の関係に私たちが生きるとき、その人間関係のうちで神からの様々な語りかけがある。教皇様のメッセージは、それが何を語っているのか、そもそも神の語りかけなのか、識別するようにとも呼びかけます。霊的な識別とは、「人が、神との対話において、聖霊に声に耳を傾けながら、生き方の選択をはじめとする根本的選択を」行うことだと言います。

 「生き方の選択」です。お気づきのように、教皇様のメッセージは、召命を語るとき、単に司祭の召命だけを語っているのではなく、神に従う者すべてがどのように生きるのかについて語っています。

 私たちは、特に、まだ若い人たちは、将来を見据えて、幾度となく、どのように生きていくのか選択を迫られ、決断を重ねていきます。その選択は、どのような生き方となるにせよ、聖霊の声に耳を傾ける祈りのうちに、神の呼びかけを識別し、それに真摯に応えようとするところから始まります。司祭や修道者になることだけではなく、わたしたちが神に従う者としてどのような生き方を求められているのか、どのような生き方に招かれているのか、その神の呼びかけを聞く努力をすることは、男性女性を問わずすべてのキリスト者に共通している大事な務めです。

 その識別の過程にあって、ある人たちは司祭に、またある人たちは修道者の道へと招かれるのです。その道に招かれている人は、少なからずこの東京教区にもいるはずです。まだ神の声が聞こえていない人が、少なからずいるはずであります。

 召命のために祈るのは、単に、司祭が増えるようにとか、修道者が増えるようにと祈ることだけなのではありません。そうではなくて、キリストに従う者すべてが、自分中心の狭い世界の中だけのことにとらわれて生きるのではなく、積極的に出向いていって、そのなかで神からの呼びかけを識別しながら、命を生きるための最善の道を見いだすことができるようにと、祈ることでもあります。召命は、すべてのキリスト者の、そしてすべての人のものであります。神はすべての人に、それぞれの方法で語りかけ、すべての人にそれぞれの固有の使命を与え、それに生きるようにまねいておられるからです。

 そうして祈る中でも、果たしてそれが神からの呼びかけなのか、それとも単なる思い込みなのか、悩んでいる人もおられるのだろうと思います。

 そんな悩める人に、教皇様はメッセージでこう言われます。
「もっとふさわしい時を待っているのだと言い訳をしながら、より良い日和を期待しながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに、今日、選択しなければ、福音の喜びは、私たちのもとで実現しません。今日こそ、召命の時なのです」

 私たちの祈りは、一歩踏み出すことを躊躇している方々への霊的な励ましにもなります。わたしたちは自分自身も含めて、すべての人が召命への決断をすることができるように祈るのです。祈りながら、自分も勇気を持って一歩踏み出そうと、努力を続けるのです。

 私自身はいったいいつ神様に呼びかけられたのか定かではないと申し上げました。きっといくつかの出会いの中にそのときがあったのだと思います。しかし一つだけ確実なのは、わたし自身の召命は、多くの人の祈りによって支えられてきたことです。これまでの司祭人生の中で、いったい何人の方が「あなたのために祈っています」といってくださったことかわかりません。新潟の司教の時代には、様々なグループの方が霊的花束をくださり、祈りの支えを目に見える形にしてくださいました。多くの司祭が、自分の力ではなく、たくさんの方の祈りに支えられていると感じ、感謝しています。祈りには力があります。お祈りください。そして互いの召命のために、祈り合いましょう。

 今日こそ、召命の時です。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

 

・菊地大司教の日記 ㉒習志野教会50周年

2018年4月21日 (土)

 習志野教会50周年

  習志野教会が創立50年を迎え、本日土曜日の午前10時から、感謝のミサが捧げられました。ミサには歴代の主任助任をはじめ、近隣の司祭も参加し、10名を超える司祭の共同司式ミサとなりました。現在の主任司祭は、教区司祭のディン神父様です。

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 習志野教会は、

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元々は船橋教会として始まり、その後2000年に現在地に移転して、その名を習志野教会と定めたと伺っています。最初は100名ほどの小さな集まりであったのが、現在は多国籍の信徒の方も含めて二千人を超える大共同体になり、英語やポルトガル語でのミサも捧げられていると言うことです。

 ミサ後には信徒会館で祝賀会があり、信徒の方のお手製のケーキに、本当に50本のろうそくがともされました。ろうそくを吹き消し、ケーキカットしたのは、この教会出身の三名の教区司祭。福島、高木、泉の若手三名でした。

 今回のお祝いには、立派な記念誌も制作されていました。記念誌をはじめ、お祝い全体を準備してくださった皆さんに感謝します。(写真下右は、習志野教会信徒でわたしの中学時代の先輩ご夫婦と。写真左下は挨拶する主任のディン神父)

Narashino1804Narashino1802_2以下、本日の説教の原稿です。

 習志野教会が誕生して50年が過ぎました。1968年に船橋の地に「復活のキリスト」船橋教会として創立後、将来を長期的に展望しながら、2000年に現在の習志野の地に移転をされたと伺いました。教会の移転という事業には、膨大な時間と、膨大な労力と、膨大な調整が必要であったことと想像いたします。それこそは、この移転という事業に関わられた司祭と信徒の方々の、福音宣教への熱意を具体化した行動ではなかったかと思います。

 50年という年月は、自分が若い頃にはとても長い時間の流れであると信じていました。しかし実際に自分が50歳を超えた頃から、50年というのは思いの外あっという間に過ぎ去る時間の流れであるということも分かってきました。今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい教会の誕生に立ち会ったのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。あっという間の50年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があったことだと思います。また多くの兄弟姉妹たちが、すでに御父のもとへ旅立って行かれました。

 教会創立50周年を記念するにあたり、船橋そして習志野教会のために尽くしてこられ、いまは神の御許に旅立たれた信仰の先達たちの永遠の安息のために祈りたいと思います。

 わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会はまず第一に「神の民」であると指摘していることは、わたしたちがよく知っているところです。

 そして教会憲章は冒頭で、教会とは何かを教えてこう記しています。
教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」となるために存在する「神の民」であって、この「神の民」である共同体の存在こそが教会そのものであります。

 しかしながらこの共同体には、やはり集い祈る具体的な場が不可欠です。その意味で、聖堂の存在は、わたしたちが神の民としての互いの絆を具体的に確認し、「神との親密な交わりと全人類一致の」まさしく「道具」となるための目に見える場として、なくてはならないものでもあります。

 教会には、「神との親密な交わりと全人類の一致」の「しるし」としての意味と、「道具」としての意味の、二つの重要な役割があります。

 この地域にあって、この習志野教会の共同体と聖堂は、その「しるし」と「道具」となっているのでしょうか。その存在を通じて、「神との親密な交わりと全人類の一致」をあかししているでしょうか。50年を契機に、わたしたちの共同体のあり方を振り返ってみたいと思います。

 教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、あるべき教会のイメージを明確に示しておられます。教皇フランシスコにとって教会は、「出向いていく教会」でなければならないと言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

 第一にわたしたちには具体的な行動が求められています。教会は社会の中心部に安住しているのではなく、社会の周辺部へと出向いて行かなくてはならない。その周辺部とは、社会の主流派から見れば排除され忘れ去られている人たちの所です。この世界に誰一人として忘れ去られて構わない人はおらず、排除されても構わない人もいない。神から与えられた賜物である生命を頂いているすべての人が、大切にされ神のいつくしみのうちに生きることができるような社会。それを築きあげるために、様々な努力を積み重ねていくことが、現代社会にあって福音を告げ知らせるキリスト者の使命であると教皇は主張されます。

 同時に教皇は、挑戦し続けることの重要さも説かれます。わたしたちは変化に対して臆病になりがちです。新しいことに挑戦していくことに、気後れしてしまいがちです。でも教皇はそういった姿勢を、「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」と批判されます。これは教皇就任直後に訪れたランペドゥーザ島で、アフリカから海を渡ってきた多くの難民の方々と一緒にミサを捧げた時の、説教の一文です。変化を恐れ現状に安住しようとするとき、人は他者の叫びに耳を傾けようともしなくなる。自分たちのことばかりを考える利己主義に陥り、困難に直面する他者の叫びには無関心になってしまうという指摘です。

 教会の土台は、主イエスご自身であると、パウロはコリントの教会への手紙に記しています。復活の日から、わたしたちには変わることのない土台が存在しています。その上に築き上げられる教会共同体は、それぞれの時代の状況に適応しながら、土台である主イエスをあかしする存在であり続けようとしてきました。時にその行動は、世間の常識から見るとかけ離れているように見られることもありました。それでも教会は、土台である主イエスから離れることをせず、勇気を持ってあかしを続けてきました。それは主御自身が、神殿で、周囲の人々の常識をうち破り、弟子たちにでさえ、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い起こさせるほどの熱さを持って、真理に生きようとされたからです。ですから迫害の時代にも、教会は土台である主イエスから離れることなく、勇気を持ってあかしを続けてきました。

 そしていま、日本において、わたしたちは、勇気を持って土台である主イエスから離れず、あかしする共同体として、しるしとなり続けているでしょうか。

 日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して考えてしまいます。守ろうとするとき、わたしたちは外に対して固い殻をまとってしまうことさえあります。この聖堂に満ちあふれているであろう教会共同体の雰囲気とは、そのわたしたちの心の反映であります。

 そういった消極的な姿勢に対して、教皇フランシスコは、かつてブエノスアイレスの教会で司祭や信徒に対して語った言葉を、使徒的勧告の中で繰り返しておられます。
「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです。中心であろうと心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」

教会創立50年の節目に、教会共同体のあり方を今一度見つめ直してみましょう。社会におけるあかしの共同体として勇気を持った行動を積極的にとるためにも、主イエスご自 身の熱意にわたしたちも与ることができるよう、神様の導きを祈りましょう。

・菊地大司教の日記 ㉑多摩東宣教協力体堅信式@調布教会

多摩東宣教協力体堅信式@調布教会

  復活節第3の主日の今日、午後2時から、調布教会を会場に、多摩東宣教協力体の合同堅信式が行われました。多摩東宣教協力体は、調布教会、府中教会、多摩教会の三つからなり、それぞれ調布がサレジオ会、府中がミラノ外国宣教会、多摩が教区の司祭が主任を務めていますs。宣教協力体としての主な活動は、秋の府中墓地での合同慰霊祭を企画したり、同じく秋口に合同で宣教についての学習会を行ったりしているのだと、多摩教会の豊島神父様がミサの終わりに紹介してくださいました。

Chohu1803 今回の合同堅信式では、それぞれの教会から10数名ずつ、全部で44名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。年齢層は若い方から年配の方まで様々でした。朗読をしてくださった受堅者の方々はわかりやすい良い朗読でした。三つの教会からミサに参加してくださった方々で聖堂はいっぱいでしたが、三つの教会のそれぞれの雰囲気を反映しているのでしょう。聖堂は明るい喜びの雰囲 気に満たされていました。

 調布教会は広い敷地の中にサレジオ会の神学院などもあり、今日のミサには神学院で働く神父様方も、共同司式で参加してくださいました。その中には、ボリビアで働く倉橋神父様の姿も。まもなくボリビアに戻られるとのこと。ミサ後の茶話会の席で、得意のハーモニカ演奏を聴かせてくださいました。

 調布教会は、祭壇に向かって床が下がっていく劇場のような構造です。イグナチオ教会と同じ設計者だと伺いました。入り口から内陣までは緩やかなスロープで、入堂の時には、それほど感じなかったのですが、さすがに1時間半以上の堅信式で、ほとんど立ちっぱなしでしたので体が疲れてしまったのか、閉祭の時にはバクルス(牧杖)を、本当に杖のように使ってスロープを上りました。まだまだ若いつもりですが、徐々に、バクルスが本当に役立つようになってきました。

Chohu1805 午前中は雨模様の東京都内でしたが、午後からは曇り空でしたので、ミサ後の茶話会の前に、聖堂を出たところで記念撮影をしました。山のようにカメラがあったので、ネットのどこかを探せば、そのうち出てくるのかも知れません。

 堅信の秘跡を受けられた皆さんが、毎日の言葉と行いを通じて、福音をあかしする宣教者としての使命を果たされますように、聖霊を通じた神様の守りと導きを祈ります。

 本日の昼のレジナチェリの祈りで教皇様も力強くアピールされていましたが、他の多くの不安定な地域とともにシリアの情勢には心が痛みます。情報が報道されているとおりそのまま信じて良いものか確実ではありませんし、実際に現場にいても誰がどの攻撃を仕掛けているのかは判然としないでしょう。そんな中で、関わっている様々なサイドの非難の応酬が続いています。わたしには誰が本当のことを言っているのか、誰が正しい判断をしているのかを判断するすべはありません。ただわかっていることは、武力が行使されることで、実際にシリアの各地で命を失う人が存在し、家族を失う人が存在し、友人を失う人が存在し、親を失う子どもが存在し、子どもを失う親が存在しているという事実だけです。また、命の危険を感じ恐怖のうちに毎日を過ごさなければならない人たちが、そこに多くおられるという事実だけです。

 希望と喜びのうちにすべての人が安心して生活できる環境を取り戻すように、政治のリーダーたちには違いを乗り越え、またその行動を自制して、より良い道を見いだす努力をしてくださることを、心から期待します。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑳ 岩手、岩手、そしてパナマ・・六本木チャペルセンターで堅信式

2018年4月10日 (火)

 岩手、岩手、そしてパナマ

  今日は岩手との絆を再確認させられた日でした。ちょっと大げさですが。

 昼過ぎに、4台の大型観光バスがカテドラル構内へ。教区本部の執務室の窓から、中学生とおぼしき制服姿の男女が降車してくるのが見えます。それぞれのクラスごとなのか、カテドラルを背景にまず記念撮影。その後、聖堂の中へ。何となく気になるものがあって、わたしも聖堂へ行ってみました。そのときにバスのフロントに張られた団体名は、なんと岩手県の某町立中学。岩手県です。私の故郷です。

 聖堂へ入ってみると、なんとマイクが立てられ、録音の準備が。職員によると、毎年この学校は、修学旅行の際にこの名建築を訪れ、さらにここで生のパイプオルガンの演奏を鑑賞し、さらに自分たちの合唱を録音していくのだとか。「岩手県は合唱が盛んなんです」とはカテドラル職員の弁。そうだったのか。知らなかった。練習が始まったので耳を澄ませていると、なんと歌い出したのは、典礼聖歌にも納められている高田三郎先生の「呼ばれています」であります。公立学校です。

 「呼ばれています いつも。聞こえていますか。いつも。はるかな遠い声だから、良い耳を良い耳を持たなければ」

すばらしい。その一言。東京のカテドラルの響きの素晴らしいこと。残響は7秒でしたっけ。明日もほかの学校が、修学旅行で来られるようです。

 今度は夕方に、後述のワールドユースデー関連の行事に出かけるためにタクシーを停めました。女性の運転手さん。後ろのドアのところには、「新人」のステッカーが。行き先を告げると、さて目白からどうやってそちらへ向かうのか逆に尋ねられました。「まだ慣れていないもので」と運転手さん。

 そこで、私も事前にグーグルマップなどで調べていたので、その知識を開陳して道を指示。走り出してから、「実は私も東京に来たばかりで、道はよく知らないんですけど」とわたしが言うところから会話が始まり、なんと運転手さんは岩手県から出てきて、半年前ほどからタクシーの運転を始めたとのこと。岩手です。私の故郷です。それから、目的地に着くまで、いかに東京の道がわからないかで話が盛り上がりました。彼女のイントネーションの懐かしいこと。

 岩手、岩手でした。

 そして目的地は駐日パナマ大使公邸。パナマと言えば、もちろん2019年1月のワールド・ユース・デーの開催地です。来年1月22日から27日まで、教皇フランシスコを迎えてパナマで開催されます。もちろんこの行事はカトリック教会の行事ですが、パナマ政府は全面的にバックアップしており、駐日パナマ大使館も、できるだけたくさんの青年たちにパナマへ出かけてほしいと、全面的に協力する姿勢を見せています。

 そして今夜は関係者を大使公邸に招いて、ワールド・ユース・デーをパナマ政府がいかに支援しているかを説明し、ついでにパナマ料理を味わい、さらにパナマ音楽を味わうひとときでした。ディアス大使が教区本部まで直々に招待においでになったので、私も出かけてきました。教会関係では、教皇庁大使館の参事官、都内の南米のシスターやこれまでワールド・ユース・デーに関わった方々、上智大学関係者が招かれ、それ以外の中米の大使館関係者や、たまたま来日中だったパナマ政府の港湾庁長官や、日本の外務省の中南米局長以下関係者が参加しました。

 1月の末で、大学生などは試験期間となるので難しいかもしれませんが、多くの方がパナマでのワールド・ユース・デーに参加されることを期待しています。

2018年4月 9日 (月)

 堅信式@フランシスカンチャペルセンター

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  復活節第二主日は、六本木にあるフランシスカンチャペルセンターで堅信式ミサでした。

 六本木なる地域にはほとんどなじみがなく、足を踏み入れるのも人生で二回目ですが、何というか、地域全体の雰囲気がほかとは何か異なる感じがする場所です。(なんと形容していいか)。そんな街の中にあるフランシスコ会の運営する小教区、チャペルセンターは、英語を話す信徒の方々のための教会です。女子パウロ会のホームページの教会の紹介記事に、次のように記されています。

 「第2次大戦後、六本木の元防衛庁の敷地内にGHQの建物があった。そこで働くアメリカ人兵士たちのために、フランシスコ会のニューヨーク管区から司祭たちが来日し、教会を開いたのがそのはじまりである。そして、それ以来、外国の方が多い六本木にあって、フランシスカン・チャペルセンターは、日本に住む外国の人たちのための宣教・司牧にあたっている」。足を踏み入れた瞬間から、どこか他の国に来たのかと思わせるような雰囲気。もちろん英語が飛び交っておりました。

 この日のミサでは25名の方が堅信の秘跡を受けられました。お一人のお父さんを除いてほかの24名はすべて小学生低学年ほどの少年少女。この日のミサで、初聖体も受けられました。男の子たちはスーツに身を包み、女の子たちは白いドレスに白いベール。ミサ後に写真撮影タイムがありましたので、ネットのどこかを探せば、あの数多いカメラのどれかの写真が、どこかに掲載されていることでしょう。

 ここでのミサはもちろん英語。とてもよく準備された聖歌隊があり、ピアノの伴奏と、さらにはトランペットやトロンボーンも加わり、壮大な聖歌の演奏でした。説教は英語でしたので、原稿の掲載はいたしませんが、英語の共同体も東京教区から切り離されて孤立して存在するのではなく、司教のもとで一つの教区共同体の一部として福音を告げる宣教者としての使命を果たしてほしいなどとお話しいたしました。

 明けて月曜日の今日は会議の日。午前中はほぼ毎月開催される司祭評議会。午後は宗教法人の責任役員会。東京教区は宗教法人立の幼稚園も多く運営しているので、責任役員会は教会の事案ばかりでなく、学校法人の理事会のような役目も果たしています。

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 ところで教皇様は、本日新しい回勅を発表されました。「聖性」について書かれており、タイトルは「Gaudete et exsultate (マタイ5章12節:新共同訳聖書では「喜びなさい。大いに喜びなさい。)」です。またこの数週間で要約などの記事が出てくることでしょうが、日本語訳はいつものように、時間がかかると思われますので、今しばらくのご辛抱を。