森司教のことば④ 日本人の心に響かない教会の言葉—日本の教会に求められる創造力ー

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 日本で働く宣教師たちが,異口同音に口にする言葉は、日本社会における宣教の難しさである。

 過去を振り返るとき、日本社会全体が、カトリック教会に好意を寄せ、カトリック教会に積極的に近づこうとした時期がある。それは,第二次世界大戦(1945年)が終わり、天皇を中心とした軍国主義の呪縛から解放され,人々が,新しい光,新しい希望を求め始めた頃である。

 その願いに応えるような形で、1950年代の初めには,欧米諸国から多くの修道会・宣教会が大挙して来日し、日本のカトリック教会がかってなかったほど活気づいたことは事実である。

 各地に創設されたカトリック学校教育施設や福祉施設などの存在は、人々のカトリック教会への信頼をかち得るために大きな力となり、人格的に魅力ある司祭や修道女たちの働きで、多くの人々が洗礼に導かれ、1950年代の後半には年間の成人の洗礼者数は10000人を超えるようになったこともある。

 ところが、60年代に入ると、年間の成人の洗礼者数は減少し始め、70年代にはさらに激減し、4000人代までになってしまうのである。それは、社会が高度経済成長に向かって猛烈に走り始めた時期であった。

 当時の教会の中では、洗礼者数の減少の原因を社会の流れに転嫁して、人々が物質的な豊かさを積極的に求めるようになったことに問題がある、と分析・指摘する聖職者たちが大半であったが、しかし、それでは、減少の原因のすべてを説明仕切れないという思いが、当時の私にはあった。

 というのは、その頃,日本社会に新たな宗教へのニードが高まってきていたからである。実に、1970年代には、立正佼成会や創価学会などの仏教系の新しい宗教が勢力を拡大したり、1980年代になってからも次から次へと新しい宗教が誕生したりして、若い人々を引き寄せるようになっていたからである。

 それは、人々が経済的な豊かさに満足できず、人間を根本から支える真の光に飢え渇いていたことを証すものであり、宗教に対するニードは衰えるどころか、強まっていたことを証すものである。

 社会に宗教的なニードが高まっているにもかかわらず、カトリック教会に近づき、洗礼を受けようとする者が数の上で激減してしまったと言うことは、カトリック教会の側に、何らかの原因があったというべきなのである。

 さまざまな理由が考えられる中で,私にとって最も根本的な理由と思われるものは、伝統的な教義を伝えようとする司祭や宣教師たちが使う言葉が、日本人の心に響かなかったという点である。実に教えの中で使われる用語や教会で使われる言葉が,人々の実生活や日本人の思考方法からあまりにはかけ離れていて、それを受け入れ理解していくことは、日本人にとっては容易なことではないと言うことである。

 それを、別の言葉に言い換えれば,1945年以降,新たな宣教活動を開始した日本の教会が、人材面でも財政面でも欧米からの修道会・宣教会に依存しすぎて、独自性を育てられなかったこと、つまり自分たちなりのキリスト教理解を深め、自分たちなりの言葉を紡ぎ出すことが出来ずにきてしまったことである。

 今、日本の教会に求められることの一つは、日本の人々の心に届く「言葉」を生み出して行こうとする創造力である。

(森一弘・もり・かずひろ・真生会館理事長)

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2016年11月26日 | カテゴリー :