菊地功・司教の日記

アフリカ開発会議への期待 2016.8.20

  第6回目となるTICAD が、まもなくケニアで開催されます。8月27日と28日。一般に「アフリカ開発会議」と呼ばれていて、それだけを聞くと、国連か何かの会議のような響きがあります。

  しかしそうではないのです。TICADの最初にある「T」は、「TOKYO(東京)」の頭文字です。この会議は、日本政府が音頭をとって始めた会議で、これまでの5回は日本で開催されてきましたが、今回初めてアフリカの地で開催されることになりました。安倍首相の出席も予定されているようです。

  昔ガーナで働いていた体験や、その後カリタスジャパンの仕事でアフリカのいくつかの国への支援に関わった体験から、アフリカの開発と発展は、私にとって大きな関心事です。そして官民の様々な取り組みがあるなかで、日本政府の取り組みは小さいものではなく、またこういった会議を主催してきた実績もあるのですから、もっと内外に宣伝をするべき重要な会議であると、個人的には思います。

  第一回目のTICADは1993年10月5日と6日に開催されました。「アフリカ諸国(48国)、援助国(12国)、EC、国際機関(8機関)及びオブザーバー多数、延べ約千名の参加」を得て開催され、「東京宣言」が採択されました。

  「東京宣言」は、アフリカ支援の必要性を強調しつつも、援助だけではアフリカの問題が全て解決されることはないと指摘し、さらに援助のためにはアフリカ諸国の対応(民主化、良い統治等)が必要であることも指摘しています。その上で、アジアにおける経験をアフリカ開発に生かす可能性にも言及していました。正しい指摘でした。

  つまりTICADとは、日本政府が音頭をとって、国連諸機関や世界銀行とともに、アフリカ諸国のリーダーや援助国の代表を一堂に集め、アフリカ開発のための諸課題を話し合い、さらには国際社会にその重要性を訴えようという場なのです。

  前回2013年の第五回TICADでは、横浜宣言が採択され、主に6点ほどの重点項目が指摘されていました。

第一に「民間主導の経済発展」、第二に「インフラ整備」、第三に「農業従事者自身の重視」、第四に「持続可能な成長」、第五に「すべての人のための幸福をもたらす社会の構築」、そして第六に「平和と安定、良い統治の確立」

  それに基づいた行動計画が2017年まで策定されており、今回の会議もそれを受けたものとされています。さらに外務省は、今回のケニアでのTICADで、新たに取り上げられる課題を次のようにホームページに記しています。

  「TICAD V以降にアフリカで発生した諸問題(エボラ出血熱の流行と保健システムの脆弱性,暴力的過激主義の拡大,国際資源価格の下落等)への対応の必要性が顕在化しています。開発と貧困削減に向けたアフリカ自身の取組(アジェンダ2063)の推進を支援する必要があります。国際的な取組(気候変動(COP21),持続可能な開発目標(SDGs))を進めることが期待されています。」

  日本にとって自分たちの立ち位置でもあるアジアの安定と発展が重要なのは言うまでもありませんが、アフリカへのコミットメントを明確に行動で示していくことは、国際社会の中で重要な意味をもっていると思います。特に歴史的にアフリカ諸国と様々な関係を構築してきたヨーロッパ諸国の目の前で、アフリカへの支援を、自国の利益のためではなく人類普遍の善益のために(教会で言う共通善のために)積極的に行う姿勢を明確にすることは、日本にとって大きな利益を長期的にもたらすと思います。

  今後も日本政府が、この素晴らしい取り組みを積極的に推進し、アフリカ支援の態度を明確に示されることに、心から期待しています。

  ところでアフリカへの支援と言えば、もちろん「貧困」の解決が重要な課題となります。しかしながら、「貧困」というのは実は定義づけるのが非常に難しい。なぜならば、それは何かと比較して初めて明らかに出来る相対的な概念だからです。しかしながら、開発援助などの取り組みのためには、数値を明確にしなくてはなりません。ですから、何かの基準を設けて、それ以上とそれ以下で貧困を定義づけることが、様々な機関によって行われます。

  例えば、世界銀行は、一日1.25USドル未満で生活する人を極度の貧困状態にあると定めていました。2010年にその数は世界で12億人。世界の人口の約2割です。

  「絶対的貧困」は、たぶん多くの人が想像する「貧困」の状況なのかもしれません。しかし、「貧困」は、必ずしもそこだけの問題ではありません。日本では、「絶対的貧困」と言えるような状況におかれた人は、人口比で言えば少ないのかも知れません。また相対的な貧困を量るために、様々な機関が様々な基準を提供しています。その多くが、「日本に貧困はない」とはいえない現状を指摘します。そしてそれはわたしたちの信仰の立場からも、同じように言えると私は思います。

  わたしたちの信仰の立場から考えると、貧困は「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」その個人から奪い去っている状態のことに他なりません。引用したのはヨハネパウロ二世が回勅「新しい課題」において「発展とは何か」について述べている29番の箇所です。ここで教皇は、発展とは皆が富める国のようになることではないと指摘し、「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」具体的に高めることこそが発展であると説きます。そうであればこそ、発展の対極にある貧困とは、その欠如に他なりません。

  だからなのです。「貧困」とは、何かを持っているとかいないとか、見栄えがどうだとか、生活スタイルがどうだとかの問題ではなく、その個人が置かれている社会の状況が、ふさわしく「個々人の尊厳と創造性、そして天職、すなわち神の召し出しにこたえる力を」具体的に高めているのか否かに、判断の基準があると言うことになります。少なくとも、将来に対する夢や希望を持つことが難しい若者が存在している状況は、ふさわしい発展の状況ではなく、貧困の状態であると考えざるを得ません。

神学生と合宿@佐渡島 2016.8.14

  新潟教区の唯一の神学生である岡君と一緒に、神学生合宿と称して、佐渡へ一泊で出かけてきました。佐渡島はもちろん新潟県ですから新潟教区内。そして島内には港のある両津にカトリック教会と幼稚園があります。以前はもう一つ、相川にも教会と保育園がありましたが、現在は両津のみ。司教総代理でもある川崎神父が、主任司祭を務めておられます。同行したのは、教区の養成担当の大瀧師。なお川崎師も養成担当です。

  18日の朝9時台のジェットフォイルで出発。佐渡へ行くには新潟西港からジェットフォイル(運賃は高い)で一時間か、カーフェリー(運賃は比較的安い)で二時間半。現在、飛行機の便はありません。今回は佐渡汽船の宿泊とレンタカーもすべてセットになった料金を利用したので、行きはジェットフォイル、帰りはカーフェリーとなりました。

Sado1601両津の港に迎えに来た川崎師と合流して、早速レンタカーで一路島の北側へ。この先端部分に近い集落に、かつて新潟教区の神学生であった頃に亡くなられた坂上氏のお墓があります。昭和11年に、神学院に在籍中に亡くなられたと伺いました。まずここでお祈り。

翌日は、朝の涼しい時間から、中山峠近くで車を停め、史跡に指定されている旧中山道を30分ほど歩いて登り、峠にあるキリシタン塚へ。ここは寛永14年(1637年)に、キリシタン100名以上が処刑されたと伝えられている場所です。現在は峠に十字架が立ち、野外ミサが出来る石の祭壇もあります。その背後には、信徒の方々の墓地も。わたし自身がここでミサをしたのは、2012年の教区100周年にあたって行った十字架リレーの時でした。またこのキリシタン塚の整備のためには、以前から東京教区の支援もいただいています。

そして最後に(というのも、佐渡島は一般に想像される以上に大きな島で、移動するだけでも時間を要するのです)、両津の町にあるカトリック佐渡教会へ。この聖堂はパリ外国宣教会の宣教師によって、1887年に献堂されたもので、新潟教区内では最古です。Sado1605佐渡には1837年にパリ外国宣教会のレゼー師が来島し、再宣教をはじめました。

 

Sado1608Sado1603

またキリシタン塚にある石碑は、献堂100周年を記念して1987年に建立され、当時は佐藤司教とともにカルー教皇大使も来島されたそうです。

そして夕方4時過ぎに両津を出港するカーフェリーで新潟へ。何かイベントでもあったのか、フェリーは佐渡から戻っていく高校生で一杯でした。(きくち・いさお・新潟教区司教)

このエントリーをはてなブックマークに追加