三輪先生の国際関係論 ⑧イラク―歴史に学んだ楽観主義の失敗

 「失敗は成功の母」というが、近頃は「失敗に学べ」とよく聞く。『文芸春秋』6月号の目玉も「朝鮮危機・太平洋戦争の失敗に学べ」である。朝鮮問題を離れて、単に「太平洋戦争に学べ」というのであれば、教訓というか選択肢は二つある。「戦争は馬鹿馬鹿しい、戦争はするな」、「今度するなら勝ち戦をしろ」である。

 つまり歴史の教訓はポジティブに学ぶか、ネガティブに学ぶか、二通りある。その上、歴史的事実を正確に認識した上での判断か、不正確な認識の下での決断かで、結果は月とスッポンだろう。二代目ブッシュ大統領はサダム・フセイン討伐に向かった時、米軍の日本占領統治の成果を誤って認識していた。

 わずか数年の占領統治でアメリカ文明の金科玉条である民主主義と自由主義を受け入れ、非キリスト教圏ではじめて日本で起ったアメリカ文明化を、一時も例外的とか特殊例である、とか考えたようすが無い。単純に、アメリカ文明の絶対的優位性ゆえに、普遍的適用性があるもの、と一点の疑いも抱かなかったようである。

 日本の軍国主義を倒したように、サダムの独裁を倒しさえすれば、アメリカ軍の占領統治の下で、日本で起ったと同じことが起り、イラクに、政治的には民主主義が、経済活動では自由主義が確立するはずだ、と信じていたとしか思えない。

 実際、ブッシュ自身ではなかったが、ニューヨークタイムズだったか英字新聞に、日本で起こったことが、イラクでも必ず起こる筈だ、とする見通しを、政治評論家かなにかが書いていた。多くのアメリカ人は同意見だったのだろう。そうしてブッシュ大統領の決断に賛同し、サダム・フセイン追放の戦争を支持したのだろう。

 だが日本のようには行かなかった。どこがどう違っていたのか。

 太平洋戦争にいたるまでの一年か半年の間、日本の思想界は「近代の超克」論で湧いていた。そしてその「近代」とは、日本の「アメリカニゼイション」の謂いであった。つまり日本はあまりにもハリウッド映画に代表されるアメリカの軽佻浮薄な物質文明に毒されている、というのであった。

 軍国主義の直接の敵であった。しかし、太平洋戦争の結果は、日本の敗北、であった。物質だけに負けたわけではない、日本に「大和魂」あれば、アメリカにはピューリタン以来の「ヤンキー魂」があり、アメリカ大陸を東海岸地域から西へ西へと進んだ「開拓者魂」があったのである。それを「天命」と考える強固な精神があったのである。

 占領軍総司令官マッカーサー元帥は、占領開始に当り、個々の将兵の胸にしっかりと刻み込まれる訓辞をした。「ここに偉大な使命がある。諸子の天命は戦いに敗れ、信ずるものを失った日本国民にアメリカ文明の誉れを伝達する事である・・・」

 日本国民にしてみれば、占領軍は軍国主義を追い払い、大正時代に栄えた豊な日常的なアメリカ文明への回帰であった。そこにたくまずして、占領政策への自発的、積極的協力者、いわゆるコラボレイショニストを排出することになったのである。言い換えれば、戦前にアメリカ文明化した日本社会があって、占領政策はその土壌の上に、花開き、いくつかの恒久的な実を結んだのである。

 イラクではサダムの銅像は巨大な台座から引き摺り降ろされた。それは世界に向けてサダムの独裁体制の終焉を告げる、ドラマチックなニュース映像にはなったが、日本で起ったような文明の変革を示すものとはならなかったのである。

(2017.6・3記)(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所所長)

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