・Sr.石野の思い出あれこれ⑤洗礼の喜びと感動…そして修道院に惹かれていく

 洗礼は言葉で表現できない喜びと深い感動を私の心に刻んだ。

 教会が教える通り、全く新しい人になった気持がした。修道院でのお友達もたくさん増えた。中にはシスターになることを希望して修道院に入る人もいた。その都度修道会のことが話題に上る。わたしはそのような話は極力避けた。

 当時は「格子無き牢獄」とまで呼ばれた厳しい規則と禁欲に彩られた生活。しかも一回入ったら生涯出ることはできない。そのような生活に魅力を感じるどころか嫌気さえ感じていた。

 そんなある日、中央線のA駅の北側に新しい修道院が開設された、イタリア人のシスタ-が幾人かいらして云々ということを聴いた。よく調べてみると A 駅の南側にあるわが家から歩いて40分。交通網が今ほど発達していなかった当時30分、40分、50分くらい歩くのは当たり前のことだった。

 ある日、学校の帰りに興味本位でその修道院を訪れてみた。二階建ての日本家屋。玄関のチャイムを押すと出てきてわたしを迎え入れてくれたのはイタリア人のシスター。笑顔で挨拶はしたものの、その先が続かない。

 アメリカ経由で日本にいらしたというシスターは片言の英語を操り、わたしも学校で学んだ片言の英語をしゃべった。二人は知っている英語の単語を並べ、分からなくなると二人の間に置いた大きな英和-和英辞典の単語を探して指さす。「イエス、イエス」二人の会話はこうして成立した。

 けっこう意志の疎通が図れ、私はいつも満足して、その修道院を後にした。そして、近いという地理的条件もあって、この修道院にも時々訪れるようになった。

 シスターのやさしさ、とんちんかんな英語、意味が通じないで時々首を傾げ、辞書を何ページも繰りながら適当と思われる単語を探しあてる面白さ、そして通じて理解しあえた時の喜びと笑い。そんなこともこの修道院を訪ねる魅力の一つだった。

 何回も通っているうち、ある日、シスターがわたしに、「シスターになりたいですか?」と、単刀直入に尋ねていらしてわたしを驚かせた。即座に「 no!」と答えたわたしに、シスターはあれやこれやと、シスターの素晴らしさを説明してくる。

 シスター?修道生活?どう見たってわたしなんかにふさわしくない。そう思っているわたしにはそんな話は面白くなかった。かえってうるさく感じられた。

 でも一方好奇心が首を持ち上げ初めているのも感じていた。全く知らない世界のこと、夢にも考えたことのない生活のことを、シスターにしてみれば最低の英語と最高の熱意をもってわたしに告げようとしているのだ。その熱意には心動かされた。そして…「わたしがシスターになったら、もし修道院に入ったら」と、いつか知らないうちに、心の片隅で思うようになっていた。

 またあの話が出たら嫌やだからと、しばらく修道院を訪問するのを避けていたが、どうしても目に見えない引力がわたしを修道院の方に引き寄せるので、また通うようになった。

 辞書を使っての単語並べの英語も結構進歩した。勘違いしたり失敗したり、それでも真面目に修道生活についてなど話せるようにまでになった。

(続く)

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2018年11月28日 | カテゴリー :