・Sr.石野のバチカン放送今昔 ㉒バチカンの空に泳ぐ日本の鯉のぼり!

 リーン、リーン、オフィスの電話がなった。「もしもし・・・」なんと!横浜教区長の濱尾文郎司教さま(当時:のちに教皇庁移住・移動者司牧評議会議長・枢機卿、2007年没)のお声。「実はバチカンで鯉のぼりを揚げるために、ずっと前にバチカンに手紙を書き、万端整えてツアーを組んで、出発も間近に迫っているのに、バチカンから何の返事もない。ちょっと調べてほしい」とのこと。声と同時に司教さまの心配と焦りが伝わってきた。「ハイ、わかりました」と返事をして、教皇の秘書に連絡を取り、翌日倉庫に見に行った。

 あった!教皇さまが訪日された際、東京の武道館で行われた“young and Pope”の集いで「若さの力と勢いのシンボル」として献上した鯉が。早速、「日本の若者たちがローマに来る時、バチカンの空に泳がせたい」と教皇秘書にお願いした。

 彼は即座に命令を出してくれた。二日後には、バチカンの職人たちに手配して、バチカン宮殿の屋上、聖ペトロ広場に面したところにポールを立て、鯉を泳がせることに決まった。一般謁見の二日前、日本の若者たちの一行がローマ入りした。翌謁見の前日、8人の職人がバチカン宮殿の広場に面した屋上に長いポールを立てた。

 濱尾司教さまは工事が終わるまで現場で立ち会った。職人たちは「僕たちが働く現場に司教さまがずっといてくださるのは、初めてだ」と感激していた。司教さまにしてみれば、本当に実現するかどうか心配で、居ても立ってもいられなかったのだろう。

 翌日一般謁見の時、前日準備されたポールに3匹の鯉がとり付けられ、バチカンの空高く舞った。広場に集まった10万近い人々は、3匹の巨大な魚が宙に舞うのを見て歓声をあげた。・・こうして、教皇さまの招きに応えて、「バチカンの空に鯉のぼりを泳がせたい」という日本の若者たちの希望が実現したのだった。(写真は日本のもの、当時のものではありません「カトリック・あい」)

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2018年4月28日 | カテゴリー :