・Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑳教皇訪日準備・ビジネスホテルは満員

 

 1981年の2月18日、バチカン放送の技術者一行がJALで東京に着いた。彼らはモスクワ経由で日本にやってきた。彼らは座席の狭さに、長い脚のやり場もなく、閉口したとのことだった。バチカン放送特派員全員が揃ったので、予約してあったホテル・ニュー・オータニに入った。なぜニュー・オータニに?そこには教皇来日に関するプレス・センターがあった。

 わたしたちは驚いた。東京の渋谷にあるNHKで、バチカン放送局と緊密な関係を取りながら働かなければならない。だからNHK近辺にあるビジネスホテルを予約してほしいと、バチカンから日本のカトリック司教協議会広報委員会にお願いしてあった。

 ところが「どこも満員。ホテル・ニュー・オータニに決まりました」という返事が届いたときには理解に苦しんだ。日本に来て、初めてその理由が分かった。2月は大学受験期。今はそう言ってもピンと来ないかもしれないが、当時はこの時期に大学受験生がビジネスホテルを占領し、そこで受験に備えるという習慣があったのだ。だから早くから、ビジネスホテルは満員になってしまうとか。今はそんなこと、夢のまた夢といった感じだが。

 NHKでは、大きなスタジオと副調整室、それに原稿を書いたり、打ち合わせをするなどのために大きな部屋を一つわたしたちに提供してくれた。KDDの協力でバチカン放送局とNHKのわたしたちの職場にホットラインがひかれた。こうして教皇を迎える準備は着々と進められていった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2018年2月27日 | カテゴリー :