・Sr.岡のマリアの風㉞「地元の病院」に通って気が付いたことは・・

  優しくて人気(?)のH先生の担当日に、いつものように定期通院。でも、いつも車で一杯で、停めるところを探すのに苦労する駐車場が、がら空き。思わず「えっ?H先生、休み?」と、そちらに思考が行く。

 車を降りると、やはり通院に来たおばあちゃんが「今日は、人が少なかとですね~」と、わたしに声をかけてくる。「大丈夫ですか?」とヨロヨロ歩いているおばあちゃんと一緒に病院に入ると、待合室もがら空き。H先生の担当日には、二時間以上待つこともざらなのに…。

 名前をすぐに呼ばれて行くと、H先生は、いた。

 「今日は、人が少ないですね~」と看護師さんに言うと、「そうですね~。稲刈りだからじゃなかとですか~」。「地元の病院」に四週間に一度の定期通院を始めて数か月(お恵みで、いたって健康だけれど、骨密度が問題らしい)。

 初めのころは、あまり病院に通ったことのないわたしにとって、何となく「場違い」な感じがしていた。でも、だんだん、「地元感」の良さを発見するようになってきている。

 確かに、車の窓から、田植え、稲刈りの風景は、見ている。だけど、「いつも通院してきている」おじいちゃん、おばあちゃんが、実際に稲刈りで通院を休んでいる(?)」と思うと、何か、季節感がぐっと現実味を帯びてくる。確かに、最近、台風をはじめとして天気が悪かった。今日は、秋晴れ。そうか、みんな、体が痛いことより、まず、稲刈りなのか…。

 そういえば、と、急に思い出した。東日本大震災後の、岩手県O町で、ボラティアをしていたとき。学童支援センターにいつも来ていたお兄さんが、いなかった。「○○先生は休みですか?」と聞くと、「わかめ取りに行っている。彼は漁師だから」との答え。その時、O町は、こうやって、少しずつ、地道に復興しているのだな~、と実感したっけ。

 O町で、カトリック教会のボランティア活動を立ち上げた、故F神父が、言っていた。わたしたち、長崎で生まれた三つの修道女会(「みつあみの会」)が被災地にボランティアを送ることを計画し、「でも、わたしたちに何が出来るでしょうか?」と尋ねたときだ。「とにかく、まず、現地に行ってください。

 地元の空気を吸い、地元の店で買い物をし、地元の食材を買って味わい…。人々と『共にいる』、同じ空気を吸う、それが、すでにボランティアです」。

 F神父は、その土地その土地で異なる「空気」、「雰囲気」は、決して言葉では通じない。ニュースで見ただけでも感じることは出来ない。自分が、地元に
行かなければ分からない、と言っていた。初めて、O町に行ったとき、それはすぐに分かった。理屈ではなく、体で。

 「地元の病院」の待合室では、病気の話しよりも、「あんたの息子、嫁さんもらうってな~」「○○さんのとこ、男の子が生まれしゃったとよ~」「母ちゃん、元気にしとるとね?」…と、単なる挨拶、好奇心以上に、「寄り添う」心、「関心をもっている」心に出会う。

 キリスト教のある伝統は、ナザレのマリアが、神の使いのお告げを受けた時(受胎告知)、最初の部分は、マリアが井戸に水を汲みに行ったときだった、と語っている。それが事実かどうかはともかく、このような、人類の歴史の中で最も偉大な出来事の一つが、小さな村の「普段性」、「日常性」の中で起きたと考えることが、わたしは好きだ。神はわたしたち自身さえも気づかない時、場所、方法で、わたしたちに会いに来る。教皇フランシスコは、しばしば、わたしたちの神は「サプライズの神」だ、と言う。

 地元の待合室での、何気ない「寄り添い」のひと時。稲刈りの時期には人が少なく、雨が続くと人の多い、待合室。「おはようございます」と挨拶すれば、恥ずかしそうに答えてくれる、おじいちゃん、おばあちゃんたち。

 通院を始めたこともあり、初めて、特定健康診断も「地元の病院」で受けた。シスターたちとは長い付き合いの看護師さんたち。すべての診断(胃カメラも)で、ベールを取らなくていいです、と言われ、「地元感」から来る何とも言えない温かさに、すっかりリラックスした。

 「都会の有名病院」ではないから、高度な治療を受けるわけにはいかないかもしれない。もしかしたら、病気が発見されなかった、ということがあるかもしれない。でも、60歳も過ぎれば、あとは「返す」人生。今まで、わたしだけでなく、先輩たちがお世話になった地域の人々の中で、今日は調子が良いとか悪いとか、痛いとか痛くないとか、よく眠れたとか眠れなかったとか、そんなことを繰り返しながら、一緒に「返していく」ことが出来たらいい、と思うようになった。

 いつかは行くんだ、天国に。それが一年早くても、一年遅くても、同じ共同体のシスターたちだけでなく、「地元の」おじいちゃん、おばあちゃん」たちと一緒に行く方がいい。だって、こうやって、だんだん「中古車」になってきた自分の体と付き合いながら、ときにはつぶやきながらも、それでも寄り添いながら、いたわりながら、共に今まで、歩いてきたのだから。

 教皇フランシスコは、特にシスターたちと話すとき、「お母さんになってください」と呼びかける。「お母さん」は、「わたし」よりも「あなた」-子ども-を中心に置く。お母さんは、生活の中心に「他者」を置くことを、自然に知っている。

 昔、映画が大好きで、よく出かけていた友人が、結婚して、子どもが出来たら、映画を見に行くことも出来なくなった(ビデオやDVDのない時代である。映画館に行かなければ、なかなか映画を見ることは出来なかった)。やっと時間が出来て外出するつもりでいても、子どもが熱を出して行けなくなった、ということはしばしばだった。

 でも、彼女は、だから昔が良かった、とは言わなかった。むしろ、ずっと幸せそうだった。

 生まれてくる子ども、障がいをもった人、高齢者…を、この世は「問題」として提示するけれど、それは「賜物」です、とパパは言う。なぜ「賜物」か、と言うと、この人たちは、わたしたちに、一番大切なもの、中心に置くべきものを教えてくれるから。それは「いのち」。わたしたちが他者に、特に、より弱い、より傷つきやすい「いのち」に、わたしの時間を、わたしの心を、わたしの空間を開く時、その時、わたしたちは、知らない内に、「いのち」を真ん中に置いて生きることを学ぶ。

 パパ・フランシスコは、「若者」をテーマにしたシノドスの機会に集まった若者たちに、語りかけた。

 いただいた賜物であるいのちを、あたかも自分だけのものであるかのように考え、先人たちに耳を傾けることなく、「わたしが」好きなように生きようとする時、わたしたちは迷路に入り、行き詰まり、閉じこもる。「いのち」に開かれていないからだ。わたしたちを解放するのは、自由にするのは、「あなた」、そして特にもっとも小さな「あなた」の「いのち」である。「わたし」が「あなた」に中心を譲る時、わたしたちは癒され、ゆるされ、解放される。

 わたしたちは、一人だけでは、決して解放されることはない。自分の利益だけを求めていると、いくらお金、権力、名声を得ても、「孤独」である。孤独な人は、自由にはなれない…

 「地元の病院」の待合室で、今日も、いろいろなことを考えている。人生は、いくつになっても、学ぶことに満ちている。もし、「謙虚に」「耳を傾ける」ことを知っているなら…。祈りつつ。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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2018年10月13日