・Sr.岡のマリアの風 ㊺長崎の教皇ミサー土砂降り…でもパパ様到着前に晴れ上がり…死ぬほど歌った

 ミサ、朝食が終わり、わたしたちも、これから小長井の山を出発します。毎朝、修道院のミサを捧げるために来てくださるY神父さま(長崎出身)に、教皇ミサに行くから(朝、早く出発するから) 栄光の賛歌」は歌わずに唱えましょうか?…と聞いたら、「王たるキリストの祭日ぞ!全部歌う!」とさすが…大先輩の信仰感覚、尊敬…結局、修道院での主日のミサの時間を30分、早くしました。外は曇り空。天気予報は「雨」。

 そう言えば、昨日の、会場(競技場)でのリハーサルで、聖歌隊指揮のH神父さまが、「みなさん、明日は雨です!」と宣言していました。やっぱり「長崎=雨」という連想は、つきものなのか…?朝食の食卓でシスターたちが、曇り空を眺めながら、 やっぱり雨降るかな~」と言っている。

 ふと、思う。聖書の中で、雨、露…は、神さまの みことば 神さまの「思い」、神さまの「望み」のしるし。だから、キリスト教伝統の中で、マリアさまは「雲」 「雨」、「露」である「みことば」イエスさまを運ぶ とか、「水源」 生ける「水」であるイエスさまを、この世にもたらす方 と呼ばれているなぁ…雨の多い日本人には、「恵みの雨」と言うと、なんとなく言い訳っぽいけれど、乾季には川も干上がるパレスチナ地方では、文字通り、雨は天からの恵みなんだ…

 それから、預言者エゼキエルの、神殿の幻視(ヴィジョン)のシーンも頭に浮かぶ。わたしたちは、今日、神殿の東の門から流れ出る水のように、エデンの園を潤す水のように、長崎の地、日本の地を、いのちの水」で潤そうと望んでいる神さまの、水の一粒一粒になるのかな~。

 もし、一日中雨が降ったら、シンプルな透明のレインコートで、どこまで頑張れるか…。お年寄り、子供たちに、少しでもやさしい天気になってください!主よ、あなたのお望みのとおりになりますように!

 H神父の言葉を受けて、わたしたちも「長崎の心意気」を捧げます…すべての人々と共に… 千人集めた」といわれる、聖歌隊の「一粒」として、パパさまに長崎の心意気を歌で伝えます!パパさま日本滞在中、日本の司教団のため、信徒の方たちのため、特別に祈ります…きっと、今日は、パパさまを待ちながら、ロザリオをたくさん捧げられると思います。行ってきます!

 今日は、何とも、不思議な一日だった。何よりも「冗談」みたいな天気で… 長崎に着いたころから、雨が強くなる。おにぎりとパン、水を持ち、リュックを背負い、その上から透明のレインコートを着て、車から会場まで歩く。会場は野球場だけれど、入場は隣のラグビー場から。朝、まだ早いのに、道路沿い、数メートルおきに、白いレインコートを着た警官が立っている。

 稲光、雷まで…。まさに、シナイ山での、神と民の出会いの時のように!(…と、大雨の中を歩きながら、わたしは思った)。猛烈な雨の中、おしゃべりしながら歩く余裕なんてない。とにかく、一歩一歩、歩く。昔、雨の中、こんな風に山に登ったっけ…。わたしと自然。わたしと神さま。一歩一歩を重ねていけば、やがては頂上に着くだろう、と。

 ラグビー場に近づくと、黄色いジャンパーを着た「スタッフ(ボランティア)」の方たちの姿が増える。とにかく、大雨の中 レインコート、傘、呼び合う声、「青いカード(スタンド席)の方は左、赤いカード(フィールド内)の方は右に並んで下さ~い」…という声が交差して…。すでに長蛇の列が出来ている。

 入場チェックの場所に近づくと、「カードと身分証明書を、すぐ出せるようにしてくださ~い」。やっと屋根の下に入るけれど、びしょぬれのレインコートを脱いで片手で持ち、おにぎりの入った袋を持ち、人ごみの中、リュックの中からカードと身分証明書の入ったケースを取り出すのに、また一苦労。シスター!こっち空いてますよ!と声をかけてもらい、おたおたと「本人確認」。そこからは、人の流れに沿って、会場へ。「聖歌隊の方は16番ゲートから入ってくださ~い」と、ボランティアの方が教えてくれる。

 聖歌隊席に着くと、当たり前だけれど、椅子も床もびしょぬれ。わたしたちも、すでにびしょぬれ状態。持ってきたごみ袋にリュックを入れて、「ソプラノ・シスター席」、前から二番目、横の方に座る(自分たちの歌の能力を考えると、最前列はちょっと…)。

 大雨の中でも、気温がそんなに低くなかったので、最初のうちはよかったが、1時間、2時間と過ぎると、だんだん寒くなってくる。レインコートと言っても、万能ではない。何より、靴がびしょびしょ。足が冷えてくる。でも、動くとまた、違う方向から水が入ってくる…。

 ロザリオを祈る時間がいっぱいある…と、思っていたけれど、レインコートの下の修道服のポケットの中に入っている、ロザリオを出すことも出来ない(さらに濡れるから)。手の指を折りながら祈る。神さまのお望みが、この日を、この時を満たすように…。フィールド内には、レインコートを着た車いすの方、小さな子供たちも見える。きっと寒いだろう。…主の祝福がありますように…。

 指揮のH神父は、山登りが好きなので、まさに山用の格好をしている。それでも、じっとしていると寒くなるのか、時々、ブルっと震えている。心配して、年配のシスターがカイロを持ってきたり、音響スタッフのおじさんが、上着を持ってきたり…。

 「だいじょうぶです、始まったら燃えますから」とH神父。テレビ局のインタビューにも、「この雨とも一緒に、神さまを賛美して歌います!」と言っている。このまま、雨が降り続いたら、どうなるんだろう。低体温になるよね~。内側からエネルギーを蓄えるために、とにかく何か食べよう。コッペパンを袋から出すと、口に入れる前に雨で濡れる。どこを向いても濡れるから、仕方がない。続いて、これまた雨に濡れたおにぎりを食べる。

 土砂降りの中、レインコートを着て、こんなに濡れたのは、昔、山登りの最中にバケツをひっくり返したような雨に会って以来…だと思う。…もう、我慢も限界か…と思ったころ、本当に、雨が小降りになってきた。強い風が一回ビュ~ッと吹く。それから、さわやかな風がさ~っ、そよそよ…と吹く。空が少し明るくなる。そして…太陽が出てきた 信じられない!びしょぬれになった楽譜を乾かす。体も、やっと暖かくなってきた。みな、レインコートを脱ぎだす。

 ごみ袋の中に入れていたリュックを取り出すと、なんと、水でぐっしょり。あまりの雨の多さに、ごみ袋の下から水が浸水していた。どうすることも出来ず(まだ、床は水がたまっているので)、リュックの中にもう一枚、ごみ袋を入れて、その中に中身を移して応急処置。入り口で渡された小さな旗(パパさま入場の時に振るはずだった)も、びっしょり。

 しばらくすると、青空も出てくる。太陽は、もう「しっかりと」出ている。自分の体の中から蒸気が出ているような感じ。少しずつ乾いてくる。パパさま到着前には、すっかり晴れ。「想定外」の天気。

 ついに、パパさまの入場!聖歌隊は「ビバ、ビバ、パパー、平和の使い!!」と、まさに満身で歌う。H神父は、ジェスチャーで、「もっと、もっと!」。パパが、「パパ・モービル」に乗ってゆっくりと会場を回る。時々、赤ちゃんにキスをして祝福するために、止まる。そのたびに、「わぁ~っ!!」と人々。パパのほほえみに、少しずつあたたかくなってきている体と一緒に、心もあったまってくる。パパさまと「一緒の空間にいる」ことの喜び。みんなと「共に」、パパさまと一緒に、ここにいることの喜び。

 パパ・フランシスコは、どこでも、ミサを捧げるときは、真剣そのものだ。当たり前だけれど、キリストに仕えているという、畏れと、キリストのみ前でのへりくだりが、あふれている。真剣勝負で、キリストの「いのち」-いのちのパン-を伝える。…そんな風に、わたしには思われる。

 パパさまの入場から退場まで、一時間半くらい…だっただろうか?とにかく、「死ぬほど」歌いました。大げさな…。でも、出せる限りの声を出して、歌いました。みんなで一緒に。もう、自分の声など聞こえません。みんなの声が、わたしの声になり、わたしの声が、みんなの声になりました。

 賛美の歌を通して、パパさまに「長崎の心意気」を捧げる、それだけが頭にありました。指揮のH神父さまは、汗びっしょり。正面の大画面は、音響設備の機器にさえぎられてよく見えず、ミサの説教も(字幕が見えなかったので)よく分からない。ミサの内容は、後で、ネットで見よう。今は、とにかく歌う。パパさま退場後も歌い続け、H神父の「最後の歌で~す。力いっぱい!」の掛け声とともに、「しあわせなかた、マリア」を歌い。そして最後の最後に、「アーメン!」と。力を使い果たし、それでも上に広がる青空のように、何かおおらかな気持ちで、感謝に満たされて。

 H神父は、「みなさん、これで終わりです。お疲れさまでした。どうぞ、ご自由におかえりください」と、シンプルにひとこと。いつも思うけれど、H神父は「仕える者」の姿そのもの。尊敬します。

 会場を出て、車が置いてあるところにたどり着き、フィールド内でミサにあずかっていた姉妹たちと再会。大画面で説教を「見ていた(字幕で)」姉妹たちに、どんな話だった?と聞いても、パパさまの「素敵な笑顔」、「赤ちゃんにキスをしたときの、やさしさにあふれた目」…のことばかり話している。

 そうなんだなあ~。「何を」話したか、よりも、どんな顔、表情、姿だった、ということが大切なんだな。言葉のメッセージは大切だけれど、それよりも、先に、イエスさまの「姿」の現われが、わたしたちの心を打つんだ。

 とても疲れているに違いない。それでも、パパさまは、目の前のキリストの小さな民(わたしたち)に、キリストのほほえみを運ぶ… 神さまが、この「小さな群れ」に心をかけてくださっていること、その神さまの「ぬくもり」を運ぶ…。

 わたしたちは、パパさまの中に、神さまがわたしたちを、わたしを大切にしてくださっていることを感じるんだ。…そして、そこから「派遣」されるわたしたちも、その「神さまのぬくもり」「ほほえみ」を運ぶ者とならなければいけない、ということを、思い起こしてくれるんだ。

 「ビバ、パパ!」で終わっていはいけないのですね。わたしたち、一人一人、神さまから、「ビバ、○○!」と呼ばれているんだ。「ビバ(Viva)!」とは、直訳すれば、「生きよ!」…。神さまが、預言者ホセアを通して、イスラエルの民に語りかけた言葉…「生きよ!…あなたは、わたしにとって、かけがえのない者。愛する者…」。そうやって、神さまは、わたしたちを呼んでいるんですね。…

 そんなことを考えていたら、「シスター!」と呼ばれる。振り向くと、神学校のM神父。「神父さま!上から(スタンド席から)見えましたよ!(聖体拝領のとき)。…冗談みたいな天気でしたね~。神学的にどんな意味があったのでしょう?」。M神父は笑いながら言う、「そうだね~。死を通って、復活かな~」。

 軽いタッチの会話だったけれど、突然、紅海を渡って、エジプトを脱出したイスラエルの民のことが、思い浮かんだ。水の中をくぐって、約束の地、出会いの地へ!びしょぬれのわたしたちを、太陽が乾かしてくれた。そして「出会い」の場、ミサに!…まさに、そんな経験だった。

 暗くなって、山の中の修道院に帰ってくると、待っていたシスターたちが、「シスター、聖歌隊で歌っているところ、テレビに映っていたよ!」と、自分のことのように嬉しそうに。中継ライブでも、映っていたらしく、友人たちから「シスターを見ました!」とメール、メッセージが届く。

 大画面が見えてなくてよかったね。(自分が映っているのが見えたら、カッコつけるじゃないですか。…無意識でも…)。自分が映っているなんて知らなかったから、無心に、ひたすら歌えたんだ。H神父の、汗だくの「熱指揮(?)」に共鳴しながら。

 朝食を食べた後、競技場のスタンド席で、雨に濡れたコッペパンとおにぎりを食べたきりでした。急におなかがすいてきた…。でも、パンやご飯は、もういい。野菜か果物が欲しい!…と、わがままなわたし。もう、修道院の夕食は終わり、片付けをしていたところだったのに、炊事場のやさしいシスターKが、「明日の朝食の大根、食べる?」と、持ってきてくれる。シスターYは、「みかん、食べんね!」と。…姉妹たちの心遣いに満たされて、千切り大根と、みかんを七個は食べたかな…。

 最後の最後まで、感謝!みかんを食べていると、テレビ中継で、もうすぐパパさまが 広島の平和記念公園に到着…と。みかんを片手にくつろいでいるわたし。淡々と使命を遂行しているパパさま。そして、周りで支えている人々…

 今のわたしに出来ることは…しっかりと、パパ・フランシスコのメッセージを読むこと…かな?それぞれの使命を、「あなたのお言葉通りになりますように!」と、シンプルに、しかし心を尽くして行っていくことが出来ますように!

 わたしたちの生活が、神さまへの感謝と賛美になりますように!アーメン

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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2019年12月3日