・Sr石野の思い出あれこれ①焼け野原の東京-修道院の門を初めてくぐった時のこと

 わたしが修道院の門を初めてくぐったのは、今から60年以上も前のことである。戦争で東京も廃墟と化し、通っていた学校も講堂を残して全焼した。だから授業も午前と午後に分かれて二部授業が行われていた。なにをするでもなく時間を持て余していた。

 そんなある日、「公共要理の勉強に行かないか」と、一人の学友から誘われた。「勉強」と聞いたわたしはとびついた。公共要理と言う言葉をまだ知らなかったから、代数や幾何学、国語などが学べると思ったのだ。放課後、行く先も知らずその友の後について歩いた。そして目的地に着いた。

 近くまで戦火に見舞われているのに、立派な門構えの家が建っている。門の中に入ったわたしは度肝を抜かれた。青々と茂った大きな木々、話すのも控えたいような沈黙と静寂。修道院と聞いてわたしは緊張していた。恐ろしく緊張していた。

 玄関までの砂利道を黙って歩いた。玄関を入り、シスターがいらっしゃるまで、ここに座って待つようにと勧められた椅子にも座らず直立不動でシスターをお待ちするほど程緊張していた。やがて美しい外人のシスターがにこにこしながら出ていらして挨拶し、会話が始まった。

 わたしは緊張のあまり、シスターが何語を話していらっしゃるのか分からなかった。外国語と思いこんでいた。気持ちを落ち着け注意して聞いて、日本語だと分かった。

 戦争に負けて街全体が焼け野原になった東京に、こんな清らかですがすがしい感じのするところがあったのか。大発見したわたしは、心が洗われたような思いで、また訪れることを約束して修道院を後にし、言葉に出せない深い幸せ感に包まれて家路に向かった。

 その夜、わたしの心は満たされていた。何で?と聞かれても分からない。お布団に入っても眠れない。人生で初めて足を踏み入れた修道院で見たこと、聞いたこと、感じたことすべてがわたしの頭の中で走馬灯のように映し出され、心が平和と喜びに溢れた。

 翌日、学校に行った。数人の友に、前日経験したことを語った。みな興味を示した。大好きだった代数や幾何学が学べなくてもよい、早口だけど日本語で話してくださる外人のシスターのやさしい笑顔に触れながら過ごす時間は、戦争や戦災で傷つき、これからの人生に対する夢も希望も見つけることの出来ない殺伐とした心を癒し、満たしてくれた。わたしは大きな宝を見つけたような思いで前日の出来事をあれやこれやと語った。

 そして放課後、前日行ったところに自然に足が向いてしまうのを止めることは出来なかった。叱られるのを覚悟で、2・3人の友を連れて修道院を訪れた。前日シスターのやさしい笑顔に癒されたわたしは、その日はそれほど緊張していなかった。ただ二日も続けて来ることにお小言をいただくことだけは覚悟していた。

 ところが・・・わたしたちをご覧になったシスターは両手を広げて歓待して下さった。緊張は一気に消え、嬉しさと喜びが込み上げてきた。そして、早口ではあったけれど、話される日本語はよく理解できた。「またお待ちしています」。

 内容はよく分からなかったけれど、キリスト教について話してくださったシスターのやさしい心に触れて、その日も修道院を後にした。その日も前日のように、言葉に表すことが出来ない喜びと幸せ感に、心は満たされていた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2018年7月29日 | カテゴリー :