・Dr.南杏⼦の「サイレント・ブレス⽇記」㉓宗派超えた灯篭流し-この川だけの⾵景

 夏の猛暑がわずかに⼩休⽌を⾒せた8⽉17⽇の⼣暮れ時、東京・多摩東部の調布市を流れる野川の川辺を訪ねた。

 野川は、東京都のほぼ「真ん中」に位置する国分寺市東恋ヶ窪の湧⽔を源とする延⻑約20キロの川だ。国分寺から南東へ流れ、世⽥⾕区内で多摩川へと合流する。途中、調布、⼩⾦井、三鷹の三市にまたがるエリアは、野趣に富む都⽴公園「野川公園」として市⺠の憩いの場となっている。

 この河川については、⽇本⾃然保護協会の⻲⼭章理事⻑が、「それは東京に息づく貴重な『緑と⽔』の景観である」と書いておられる。ただ、その知名度は、都⺠の間でもあまり⾼くないと⾔えるだろう。

 ⾒聞の狭い私⾃⾝も、近隣市に住みながら野川を訪れるのは初めてである。

 暮れ合いの時分に慣れぬ川辺に下りた⽬的は、「灯籠流し」の⾒物だった。⽕を⼊れた灯籠を慰霊のために⽔⾯へ流す灯籠流しは、⽇本各地で⾏われている。全国的に⾒れば、広島市の原爆ドーム対岸にある元安川で開催される「ピースメッセージとうろう流し」や桂川・渡⽉橋で⾏われる「京都嵐⼭灯籠流し」などはつとに有名だ。多摩の住宅地を流れる⼩さな川で⾏われる灯籠流しなど、新聞やテレビなどで報じられる機会もない。

 しかし、野川の⼣べは記憶に刻まれる時間となった。今年で17回を数えるという野川灯籠流しは、他所で⾏われている同様の催事とはまさに趣を異にしていた。なぜなら、ここでは灯籠を川に流して物故者を追悼するという⾏事そのものが、キリスト教をはじめとする地域のさまざまな宗教の聖職者たちが参加する形で営まれていたからだ。

 午後6時半過ぎ、調布市を流れる野川・御塔坂(おとうざか)橋の近く。草茂る川辺にずらりと集まったのは、カトリック調布教会の神⽗、調布市神職会の神主、調布市仏教会の僧侶、⽴正佼成会の⼥性信者、築地本願寺ら雅楽奏者たちだった。本願寺の奏者が雅楽を奏でたのに続き、教会の聖歌隊が賛美歌を歌う。神主は祝詞を、僧侶は経を唱えていく……。

 ⽔の犠牲者の慰霊のために、もともとは多摩川で⾏われていた供養祭を野川に会場を移して今年で17回⽬。2011年からは東⽇本⼤震災の犠牲者追悼
も追記するようになったという。

 各宗教の祈りが続く中で、灯籠に⽕が⼊れられ、次々と川⾯に放されていく。家名⼊りで先祖の供養を託された灯籠、両親の名前や、亡くなって間もない愛する⼈の名を記した灯り、ペットの名前で揺れる灯籠……。

 この⽇、野川に流された灯籠は約1000基にのぼった。カトリック調布教会の聖歌隊が歌う「花は咲く」を聞いて、⽬尻を押さえる参加者の姿がとりわけ印象的だった。

 俳句で「灯籠流し」は、秋の季語だという。川辺には夏の終わりが近づきつつあることをほのかに感じさせる⾵が吹いていた。

 午後7時30分。⼀連の⾏事を終えて、⼈々は野川を後にする。聖職者たちは互いにあいさつを交わし、参列者たちとともに、おだやかで平和な⼼持ちで帰路についていった。先に紹介した⻲⼭⽒の表現をお借りするとすれば、「それは東京に息づく貴重な『祈りと⽔』の景観だった」と⾔えるだろう。来年もまた、同じ場所で、同じ景⾊を⽬にしてみたいと感じる⼣べだった。

 (みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり⽅を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が、7⽉12⽇に⽂庫化されました。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた⻑編⼩説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)

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2018年8月25日 | カテゴリー :