・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑬清少納言・枕草紙の「良きもの」を想起させる一遍の詩

 イスラームの信仰に真摯に生きようとした14世紀の大詩人ハーフェズが、イスラームでは禁じられている酒(葡萄酒)を実際飲んでいたのか、あるいは詩的創造におけるシンボルとして用いるだけで現実には飲んでいなかったのか、その問題との関連で、500数編(ガザルという短形式)からなるハーフェズの詩集の中から一遍を全体として紹介する。

 因みに、ガザルという短形式の詩は、短文2つを単位とし(ベイト)、5~15個のベイトから構成される。以下のガザルの場合、ベイトは9つである。

 「恋 青春 ルビー色の葡萄酒 親しき友との交わり 気ごころの合う友との絶えまなき酒の宴 甘き唇の乙女 楽しい調べ 立派な同席の人たち 評判の従者たち 永遠の命を与えるという泉もうらやむほどの清き細身の乙女 満月も妬むほどの魅力的な美しさとやさしさ

 天国の宮殿にあるかのような楽しき宴 周りの庭はまるで平安の郷の庭園のよう 宴の同席の輩は皆心正しき人 従者は礼儀正しく 友は秘密を守り 人の成功を願う人たち 口にしみこむような しかもまろやかで美味しい花色の葡萄酒の杯

 美しい娘の赤い唇を肴に ダイヤのような葡萄酒を話のタネにして 美女の目配せは 剣が知性を裂くがごとく 美女の黒髪は心を奪うために網を広げているよう ユーモアで細やかに 美しき言葉を紡ぐひと

 ハーフェズのように 寛大な施しを与え 世界を明るくするひと ハージ ガワームのように こうした寄合を楽しく幸せと思わない人 こうした交わりを求めない人たちに 人生は禁じられたもの」

 これまで紹介してきたハーフェズの詩句の断片は、軒並み神への恋の道における苦悩・苦痛を歌い上げたものであったが、この詩のように恋と酒、良き友、人生を賛歌する詩も少なくない。青春の頃、神との幸せな出会いの時、また良き庇護者を得たときに読まれたと思われる。これを読めば、ハーフェズが現実に恋や酒に全く疎かったとは考えにくい。ハーフェズのこういった詩に接すれば、詩人が葡萄酒の味を全く知らなかったとは到底考えにくいが、いずれにしても今となっては永遠の謎である。

 ハーフェズの詩一遍全体を紹介したついでに、この詩に出てくる2人の個人名について述べておく。

 一人はハージ ガワームである。シラーズを中心とするファール地方の宮廷の有力な大臣で、王の信頼暑く財政をまかれていた。ハーフェズを庇護し、ハーフェズもこの大臣を讃嘆して歌った。ハーフェズが有力者を讃嘆して歌うのは他に例がないではないが、多くはない。ハーフェズにとって幸せな時期であり、それが詩歌に反映されている。しかし権力者がずっとその地位にとどまるわけではないから、庇護も永遠ではない。ハージ ガワーム、そのハーフェズへの庇護も例にもれなかった。

 もう一人は詩人自身である。ガザルという詩形式では、詩人が自らの名を挿入するのは珍しいことではなく、ハーフェズのガザルにはほぼすべてに詩人の名前が、大方最後かその前の行(ベイト)に言及される。

 最後に一言、この詩は、ハーフェズよりも二世紀半早く日本に生きた才女、清少納言の「枕草紙」の「良きもの」を想起させないであろうか。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)駒野欽一(元イラン大使)

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