・菊地大司教の日記㊼京都の放火犠牲者のために祈る・教皇フランシスコ6「難民・移住者、貧しい人々への深い思い」

2019年7月20日 (土)

Adlimmina15

 多くの人の命が一瞬にして犠牲となった凄まじい放火事件が京都で発生しました。「京都アニメーション」のスタジオが放火され、34名もの方が亡くなられ、さらに多くの方がやけどなどで負傷されるという凄まじい事件内容の報道に、心が冷え込みました。亡くなられた方々の無念の思いに心を馳せながら、永遠の安息を心から祈るとともに、負傷された方々の一日も早い回復をお祈りいたします。

 どのような理由があったにせよ、このようにして人の命を奪い去ることは許されてはなりませんし、加えてこのあまりにも暴力的な手段をとることは、与えられた命を生きているわたしたちにゆるされている選択肢ではありません。人間のいのちは、その始めから終わりまで、尊厳を守られ大切にされなければならないとあらためて主張します。

 アニメの制作に必死に取り組んでこられた多くの方々の未来への希望が一瞬にして奪い去された理不尽さを思うとき、本当に心が冷え込んでしまいます。大きな悲しみを抱えられた被害者のご家族のみなさまが、神の愛しみといやしに包まれますように、心から祈ります。

 さて教皇フランシスコの来日は、このところしばしば一般のメディアで報道されることが相次いでいますが、バチカンからの公式な発表はまだなく、残念ながら今の段階で、100%確実だとは断言できる状態ではありません。しかしかなりの程度で訪日は確実とみられますから、やはりわたしたちは、教皇フランシスコについての学びを継続して深めていきたいと思います。

 教皇フランシスコの呼びかけの特徴のひとつは、難民や移住者への深い思いと同時に、貧しい人たちへの特別な配慮にあります。『福音の喜び』の中には、しばしば現代の経済システムへの批判が、格差と排除を生み出すシステムだと記されています。

 加えて教皇は「貧しい人のため、教会は貧しくあってほしい(198)」とも言います。教皇は、具体的に行動する一つの象徴として、自らの側近を「教皇の慈善担当(Papal Almoner)」に任命し、さらに彼を枢機卿として親任して、さらにそれまで教皇の祝福証明などを配布する役割であったこの役職を、実際に外へ出て、困窮する人たちを具体的に手助けする役割に変えてしまわれました。Konrad Krajewski枢機卿です。

 教皇は『福音の喜び』で、パウロ6世の「ガウデーテ・イン・ドミノ」を引用し、次のように記します。

 「『技術文明社会は、快楽をもたらす機会を増やすことに成功しました。しかし喜びを生み出すことには困難を強いられている』からです。私が人生において見てきた、最も美しく自然な喜びは、固執するものをもたない貧しい人々のうちにあったということです」(7)

 楽しいことや心地よいこと、すなわち快楽を現代社会の技術の発展は人類にもたらしたけれど、それらは本当の『喜び』ではないという指摘です。教皇フランシスコは、その本当の喜びを、貧しい人たちの中に見いだしたと言うのです。

 私は、その本当の『喜び』とは、生きていくことへの希望であると思っています。楽しいとかうれしいとか、そういう感情的なことではなく、未来に向けて生きていくことへの希望を持っているかどうかであると思います。教皇の語られる『喜び』の本質は、『生きることへの希望』にあると思っています。

 まさしく『技術文明社会』は、生きていくことへの希望を生み出しているのだろうか。残念ながら、自信を持って『はい』とはいえません。わたしたちは、いったい何に『固執』しているのでしょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

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2019年7月21日