・菊地大司教の日記㊸佐渡巡礼-語り継がれる、信仰を守った先人たちの偉業

2019.5.11 佐渡島巡礼 

 新潟教区には、福者となった殉教者が53名おられます。米沢の殉教者たちです。しかしそれ以外にも、各地にキリシタン殉教の歴史を物語る遺跡が残されており、その中の一つが佐渡島の百人塚です。ここには名も知れぬ多くのキリシタンが、迫害の嵐の中でいのちを捧げ、葬られていると伝えられています。

 新潟港からフェリーに乗って二時間半ほど。高速船なら1時間10分。(先日、鯨と思われる海洋動物と衝突したこともあり、現在速度が落とされているため、通常より時間がかかっています)佐渡島の玄関口の一つである両津港に着くと、近くに百年以上の歴史を誇るカトリック佐渡教会の聖堂があります。再宣教の早い時期から佐渡島にはフランス人宣教師が訪れたこともあり、新潟教区(秋田。山形、新潟の各県))では最も古い聖堂の一つです。

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 17世紀の初頭に、両津から島の反対側にある相川に金山が開山し、全国から多くの働き手が佐渡に集められました。その中には、背景のはっきりとしない「無宿者」も多くいたとみられ、キリシタンはその中に紛れていたのでしょう。両津から相川に向かう途中に中山峠があります。いまでこそ中山峠はトンネルで通過しますが、そのトンネルの上に、当時の峠があり、そこにキリシタンの墓と伝えられる百人塚(キリシタン塚)があるのです。

 いまでも、軽自動車以外は、自動車がはいることはできません。整備されていない山道を徒歩で登ること一時間ほどで、峠にある百人塚に到達します。今そこにあるのは、明治以降のカトリック教会の信徒の墓で、ここを教会の墓地とすることで遺跡を守ってきたのは、当時の宣教師や教会員の知恵でした。峠のさらに奥へと登っていくと、小道の傍らには聖母子像がおかれ、さらにその奥にはキリシタン殉教地を象徴する十字架がそびえています。

 キリシタン迫害の時代に、この地にあっていのちをかけて信仰を守った先人たちの偉業は、多くの人を通じていまも語り継がれています。

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 新潟教区では、基本的に5年に一度、佐渡に巡礼を行ってきました。今回は、かなり久しぶりになるのかも知れません。前回は、教区100周年の時でしたでしょうか。今回は5月11日の土曜日に教区の巡礼が行われ、中山峠の百人塚では、12時半からミサが捧げられました。Sado1906

 久しぶりに企画された佐渡巡礼には、70名ほどの方が参加されました。新潟からのグループとともに、直江津港からも直行されたグループもありました。お天気に恵まれ、殉教地の十字架の前の祭壇で、ミサを捧げることができました。

 わたしは、その前日が仙台での会議でしたから、前晩に新潟へ入り、当日11日の朝9時40分発の高速船で佐渡へ。そして帰りは、入院中の佐渡教会主任司祭の川崎神父様を見舞った後、午後4時半の高速船で新潟へ戻り、そのまま東京へ戻りました。

 巡礼は観光旅行ではありませんから、歩いて山道を登り、苦労をして祈りを捧げる、その苦労にこそ意味があるのだと思います。なぜなら、わたしたちの信仰は、楽をするためのものではなく、まさしく信仰するが故に、面倒を生み出し、苦労させられるものだからです。信仰の先達の生き方に学び、勇気を持って苦労する道を歩んでいきたいと思います。

(菊地功=菊地・功=東京大司教、新潟司教兼務)(写真は菊地大司教撮影、佐渡教会のみ南條俊二撮影=2018.6)

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2019年5月17日