・菊地大司教の日記 ⑭多摩全生園訪問・カリタスアジア理事会

◎3月18日・秋津教会、多摩全生園訪問

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四旬節第五主日、3月18日の日曜日は、秋津教会を訪問し、午前10時のミサを一緒にさせていただきました。この日はミサの中で、教会学校主催で今年度の卒業生(大学生から小学生まで)への祝福の祈りや記念品の贈呈も行われました(。写真上は秋津教会聖堂。下はミサ中の記念品の祝福)

 地理の感覚がまだつかめていないので、この日は車のナビゲーションに従って走行。関口の司教館からほぼ1時間15分ほどの距離です。途中までは首都高速を通り、途中から一般道に降りると埼玉県に。自衛隊の朝霞駐屯地などを通過して再び東京都へ舞い戻り清瀬駅前を通過して秋津教会へ。

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ここは社会福祉法人慈生会が運営する諸施設に隣接する場所、というか敷地内。教区立のベタニア修道女会がその運営母体となっていますが、ここに、乳児院と児童養護施設、病院と老人ホームが整備されています。乳児院と児童養護施設は先頃新築されたばかりとうかがいました。ミサ後に、シスターの案内をいただき、すべての施設を見学させていただきま した。

 秋津教会は、どちらかというと若い層も多い共同体で、この日はミサ後に信徒会館でランチサービスがあり、献金をいただきながら皆でテーブルを囲み、時間も忘れて交流するひとときがありましたが、子どもたちや青年も大勢テーブルを囲み、楽しいひとときでした。

秋津教会の主任司祭は、東京教区の天本神父です。

さてミサが終わり、昼食の交流会のあとに、慈生会の諸施設を見学させていただいた後、車で少し移動して、多摩全生園へ向かいました。

 ここは正式名称が、国立療養所多摩全生園。ホームページには園長の石井先生の挨拶が掲載されていますが、そこにこうあります。

「当園は正式名称を国立療養所多磨全生園(こくりつりょうようじょたまぜんしょうえん)といい、全国に13施設ある国立ハンセン病療養所の1つです」

「ハンセン病の患者さんは、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきました。我が国においては、昭和28年(1953年)制定の「らい予防法」(新法)においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ、ようやく「らい予防法の廃止に関する法律」が公布、施行されたのは平成8年(1996年)でありました。

その後、平成13年(2001年)には、ハンセン病国家賠償訴訟に関する熊本地方裁判所の判決を契機として、ハンセン病療養所入所者等の精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表すため、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が公布、施行されました(平成18年〈2006年〉一部改正)。さらに、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等のための措置を講ずることにより、ハンセン病問題の解決の促進を図るため、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が、平成21年4月に施行されました。引き続き、ハンセン病の患者であった者等に対する偏見と差別のない社会の実現に向けた取り組みが求められています。」

 わたしが多摩全生園を訪れるのは、今回が二回目ですが、前回はほぼ40年前。1979年10月頃だったと記憶しています。

 その当時わたしはまだ神言修道会の修練士でした。毎年10月に、一ヶ月間の大黙想があり、その指導を上石神井のイエズス会の黙想の家でイエズス会司祭から受けることになっていました。

 その年の神言会の修練士は6名。ひとりを除いた5名が、小神学校上がりのまだ20歳そこそこの若造です。一ヶ月の大黙想は、20名ほどのシスターたちと一緒に行われ、ベテランシスターたちの熱心さに比べて、霊的に子どものような私たちは、なんともできの悪い連中だと、指導者からもシスターたちからも見られていたと思います。確かに大変未熟者でした。

 そんな大黙想の休日の日曜日、参加者全員でミサに出かけたのが多摩全生園のカトリック教会でした。細かいことはすべて忘れ去ってしまいましたが、鮮明に記憶しているのは、ミサの時に歌われた聖歌です。答唱の歌であったでしょうか、現在の典礼聖歌61番、「神は残された、不思議なわざの記念を」であったと思うのです。

その詩編唱、詩編111です。

 「心を尽くして神に感謝しよう。神をたたえる人の集いの中で。神の業は偉大。人はその業を尋ね求めて喜ぶ」

 一緒にミサに与っていた全生園の信徒の方が、なかなか出にくい声を思いっきり出しながら、振り絞るように、全身全霊で、言ってみればシャウトするように歌う詩編のこの言葉。

 いつも自分たちがミサの時に歌っているのとは、同じ言葉なのに迫力が全く違う。全身全霊を持って神をたたえるとはこういうことなのだ。神の業に包まれて喜びに浸るとはこういうことなのだ。そう心に響いてくる歌声でした。こんな迫力のある聖歌は、それまで一度も聞いたことがなかった。

 そこには、歌われている方々の人生のすべてが込められている。命のすべてが込められている。自分もそんな風に、全身全霊を込めて神に向かって叫びたい、と感じさせられる、いわば衝撃的な体験でした。

 この日のミサの中で、その思い出を少し話させていただきました。その当時の感動がよみがえって、ちょっと涙ぐんでしまいました。ミサ後の茶話会で、「それはきっとあの人だ」と教えていただきました。当時、高田三郎先生が歌唱指導に訪れて、やはりその全身全霊を込めて歌う声に接し、人生そのものを背負って歌われている方々に指導することはなにもないと言われたというお話もしてくださいました。その通りであったと思います。

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多摩全生園の信徒の方々に、感謝します。わたし自身の信仰の道にあって、本当に刺激的で力ある体験をいただきました。今回またこうしてミサのために戻ることができて、そのことにも感謝です。

3月18日 (日)カリタスアジア理事会@東京

20180314_113108 カリタスアジアの理事会が、久しぶりに東京で開催されました。

 カリタスアジアは、国際カリタスを形成する世界七つの地域の一つで、現在アジアにある23のカリタスが名を連ねています。カリタスジャパンもカリタスアジアの一員として、国際カリタスの連盟を形作っています。現在のカリタスアジアの責任者は、2011年からわたしが務めていて、一期4年で現在二期目。再選は二期までですから、2019年の5月でわたしの役目は終わることになります。

 カリタスアジアの事務局はタイの首都バンコクにあり、フィリピン出身の事務局長を始め、タイ、インドネシア、カンボジア出身の職員で、総勢5名がフルタイムで働いています。

 カリタスアジアはアジア全体を東、東南、南、中央の四つに分けており、その代表を持って理事会を構成しています。現在は、東がマカオ、東南がミャンマー、南がパキスタン、中央がモンゴルで、英語を公用語にして会議をしています。通常は理事会をバンコクで開催するのですが、今回は私の都合で、久しぶりに東京での開催としてもらいました。前回東京で開催したのは、私がまだ司教になる前に理事を務めていた2002年頃だったと記憶しています。

 今回は、3月14日の初日は朝から晩まで理事会の会議を行い、15日は福島へ出かけました。特に今回はローマにある国際カリタスの本部から事務局長のミシェル・ロワ氏が参加してくださったこともあり、ちょうど福島の原発事故から7年目のミサが15日に南相馬の原町教会で行われることでもあり、参加者全員で電車に乗り、上野からいわきを経由して富岡まで行き、そこからはカリタス南相馬の方の案内で被災地視察をしながら、最後は原町でミサに出席。

28942564_10156268328623979_46034554 カリタスアジア理事会メンバーと国際カリタスの事務局長は、事故から七年が経過した今でも避難せざるを得ない人が多くおられる現実や、分断された地域共同体の現状、また復興の進んでいない地域の現状を実際に目にされて、本当に驚いておられました。また国際カリタスのロワ事務局長は、あらためて世界的規模で原子力発電の必要性を見直す道を模索することの重要性を今回の視察で強く感じられ、帰りの道中は脱原発の道を模索することの重要性を強調されていました。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

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