・三輪先生の時々の思い ⑨日韓歴史認識の断層

 朝鮮半島をめぐる日韓両国民の間に介在する歴史認識の断層は、何によって生じているのか。そして、それを克服するにはどうすれば良いのかについて、いささか卑見を開陳してみたい。

 はじめに、一つの歴史的事実としての日清戦争(第一次日中戦争)に触れておこう。

 この戦争の正義を、内村鑑三は、「李氏朝鮮を日本と同じ近代国家にすること」に見ていた。明治維新と共に立ち上がった新日本は、西欧発の国際法秩序の一角に参入して、大日本帝国建設の途に就いた。

 当時の朝鮮は、東アジアの旧秩序である清国による冊封体制下にあった。つまり、宗主国である中国の「属国」の一つに位置付けられていた。

 「脱亜論」を世に問うた福沢諭吉は、日本の国防に重大な戦略的位置を占めていた朝鮮が、ロシアの拡張主義の歯牙にかかり、滅びることを予測して、危機感を募らせていた。アヘン戦争以降、英国のみならずフランスにも侵略されて、衰退著しい清朝中国に、朝鮮を防衛する余力は最早、皆無であった。

 そのような状況下であったから、李王朝を援け、日本を模範とする近代化路線に乗せ、共々、国運開拓の道を進もう、と考えるのは、理の当然であった。

 というわけで、日清戦争の目的は、朝鮮を冊封制度から切り離し、国際法秩序の中の一国とすることにあった。それ故に、理想主義者の内村鑑三は、朝鮮が中国から独立したことをもって、日清戦争の戦争目的が達成されたもの、とし、明治政府が自身の期待に添わず、強権支配の政策に転じると、そのような現実主義政治に幻滅し、「理想は、戦争では達成されないもの」と観念して、戦争を否定、放棄する絶対平和主義者に転じるのであった。

(2019.8.30)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長)

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2019年9月1日