・ガブリエルの信仰”見聞思” ②パソコンに残っていたヤコブの手紙の一口メモは…

明けましておめでとうございます。

 先日、久しぶりに自宅のパソコンのデータをクリーンアップしている時、ずっと放置していた多くのデータファイルの中、あるファイルの内に書いてある一口メモを目にしました。

 「James 4:13-16、Never forget! 」(ヤコブの手紙4章13節ー16節、忘れるな!)

 20年以上も前に自分自身に残したメモでした。自分にとって大事な聖句の一つであったから、従うことを忘れないようにメモっておきました。しかし、久しぶりにこのメモを再び見れば、やはり時が経つに連れて、その教えを忘れたりすることがあることに気が付きました。

 「13節 さて、『今日か明日、これこれの町へ行って一年滞在し、商売をして、ひと儲けしよう』と言う人たち、 14節 あなたがたは明日のことも、自分の命がどうなるかも知らないのです。あなたがたは、つかの間現れ、やがては消えてゆく霧にすぎません。15節 むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生きて、あのことや、このことをしよう』と言うべきです。 16節 ところが実際は、見栄を張り誇っています。そのような誇りはすべて悪です」

 一見、使徒ヤコブは商人や大人を批判しているようですが、実際には年齢と関係なくすべての人たちに向けた教えなのです。当時私が尊敬していたあるお年寄りの神父様がそう教えてくれました。何かを計画して、目的(目標)があって、そのために一定の時間を投入し、ある特定の行動を遂行して、ある特定の結果(報い)を求め得ることは、すなわち第13節のこと、学生を含めほとんどの人たちが網羅されています。

 ここでの問題は、計画を立てることではありません。使徒ヤコブは、計画を立てることが罪深い、または愚かだとは言っていません。彼は第15節で、あのことを行い、このことを計画すること自体は合理的であると指しています。また、ルカ福音書にも「あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰を据えて計算しない者がいるだろうか 」(14章28節)。

 むしろ、ヤコブが指摘している問題は、完全な自立、自分の能力に対する自信、そして謙虚さ欠如の態度です。自分が高ぶって、自分の欲と野望を叶えるための計画だけで、頭にはその目標と結果のことしかなく、神様の御心が何なのか、などを考えたり、祈ったりすることがないままひたすら、自己中心的、自分に夢中であるということです。

 久しぶりにこのメモを再び目にしたことで、使徒ヤコブの教えと尊敬していたお年寄りの神父様のことを思い出させられ、神様に感謝いたします。今度こそは忘れることのないように、常に見れるようにスマホにもメモっておきました。

  2020年は神様の内に皆様にとって素晴らしい年となることを心からお祈りします。

このエントリーをはてなブックマークに追加
2020年1月16日