Sr 阿部のバンコク通信 ⑭見えない主への信望愛を胸に、タイ国王の葬儀に参列

 「臨終洗礼を授けてあげたいのですが、方法を忘れてしまいました、教えて下さい」

 急に様態が悪化し、緊急入院したご主人に付き添う友人からの電話。長年献身した夫への、心からの見送りをしたいとの友人の言葉に、ご主人への熱い思いが伝わって来て、幸せな方だな―と思いました。洗礼を授けた翌日召され、安らかな神々しいご主人の最期、安堵した友人の気持ちがメールに綴られていました。

 タイの人々は一般に信心の業を大切にしています。事あるごとにお寺にお参りして線香を炊き献花し、仏像に金箔を貼って祈り、跪座し合掌して僧侶に散水して祈ってもらう。お布施と善行に励む姿、心から美しいと思います。

 カトリック信徒も同様、「見えない恵の見えるしるし」である秘跡(ミサ、聖体、ゆるしの秘跡、洗礼他)、聖水を使い十字を切る、ご像に触れて祈る、ロザリオ、十字架の道行、他の信心の業に惜しみなく励む敬虔な姿、敏感な感性に生かされた信仰に、少なからず感化されています。

 新鮮な花が毎週美しく祭壇に飾られ、人々の賛美と感謝の思いが生き生きしているのです。
見えない有難い存在への畏敬の念、聖霊と悪霊の働きへの敏感な感性は、物質文明が急速に発展する社会の救いであり、決して魂抜きの社会にはさせまい、そう思います。

 見えない主への信望愛の念を胸に、感謝と賛美を感性で生き生きと現したい、プーミポン国王陛下と友の葬儀に参列して心底思いました。(写真は、私の修道院前の聖ミカエル教会で、早朝からマリア様に祈りを捧げる若い人たち)

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

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2017年10月29日 | カテゴリー :