Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑰「バチカンでの日本語ミサ」

 

 1981年1月13日午前7時、教皇ヨハネ・パウロ二世はバチカン宮殿の最上階にある私的聖堂で初めて日本語のミサを捧げられた。ローマ在住の日本人シスター12,3人がミサに招かれた。

 ミサ中、わたしは第一朗読を任された。教皇さまがじっと聞いていらっしゃるのを感じた。この日は、聖ペトロから264代続いたカトリック教会の教皇が、たとえ私的ではあっても、初めて日本語でミサを捧げるという、歴史に記憶されるべき日であった。

 わたしは朗読の他にもう一つ大きな宿題を胸に、その成功を祈りつつ、教皇ミサに与った。

 宿題とは、教皇の訪日を前にしてバチカンに取材に来ている日本カトリック・ジャーナリスト・クラブのメンバーと、教皇との特別謁見を実現させるための許可を得ることである。実は日本のジャーナリストたちは、教皇庁広報評議会に正式な手続きで事前に申請書を出していたが、許可が下りず、暗礁に乗り上げていて、わたしに「SOS」を出してきたのだ。

 ミサ後、わたしたちは隣の控室で一人ひとり教皇さまにご挨拶した。その時、わたしは日本カトリック・ジャーナリストたちが教皇さまと特別謁見ができるよう、教皇の個人秘書S.Z.師にお願いした。「みんなカトリック?」と神父。

 「ハイ」と答えると、「したいことは何でもさせてあげる」と考えていた10倍もの返事が師から返ってきた。わたしはただ感激した。教皇さまとの謁見やインタビューを求めるリクエストは、毎日、世界中から何百も教皇庁広報評議会に届いていることをわたしは知っていたからだ。そしてなかなか許可が下りず、その実現が難しいことも。

 ( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2017年11月27日 | カテゴリー :