Sr石野のバチカン放送今昔 ⑩名物神父J.C.、またの名を「ブルドーザー」  

 

 バチカン放送にJ.C.というスペイン人の神父がいた。中央編集局の局長。実にダイナミックでよく働く。誰言うともなく「ブルドーザー」のニックネームで呼ばれるようになった。

 「空飛ぶ教皇」が外国を訪問されるときは、よい番組の準備ができるようにと、毎回、教皇が訪問する国々に関する資料が配られる。旅行中は、バチカン放送の特派員たちが送るニュースを直ちにコピーして各セクションに配布する。各言語セクションで、その原稿を翻訳して放送する。その時活躍するのが、中央編集局。もっとも編集局の働きはその時だけではないが。

 J.C.神父はニュースの速報性を非常に重んじる人だった。大げさなまでに。情報は出来るだけ早く提供すること、「今すぐ、ではもう遅い」が口癖。教皇の外国旅行中は朝早くから、夜遅くまでよく働いた。時差の大きい国に教皇が行かれると、夜中も働いた。それほどスリムな体でもないのに、放送局の廊下を身軽によく動いていた。

 朝の出勤時間、局員たちが出勤する時間、彼はもう働きの真最中。前には大きなハサミをぶら下げ、背中には「こんにちは!よい一日を祈ります。今、超多忙、声をかけないで」と大きく書いた厚紙を背負って、教皇の旅行先から着いたニュースの区分けをしたり、切り貼りして、私たちがデスクに就く前に、読みやすいようにしてくれていた。

 明るくて寛大、働き者の神父さんだから、誰も彼のそのやり方に文句を言ったり、不満をこぼす人はいなかった。私たちは「こんにちは」と、笑いながら彼の背中の厚紙に向かって声をかけたり、「またやってる」と言って微笑みながら、そばを通り過ぎていく・・。

 彼のすさまじいまでの働きで、私たちはずいぶん助けられた。私がバチカン放送をお役御免になった数年後、彼も辞めた。ある大学で、コミュニケーション学を教えていた。

( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女)

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2017年4月25日 | カテゴリー :