Sr石野のバチカン放送今昔⑤ 新教皇、就任1か月で帰らぬ人に

 

 教皇が亡くなると、次期教皇を選挙するために枢機卿たちが直ちにローマに召集されることは、すでに述べた。そして教皇選挙を控えて、毎日、幾人かの枢機卿がローマに着く。そして、枢機卿たちより一足先に、ローマ入りするのが、ジャーナリストたちだ。

 パウロ六世の死後、ローマに集まったジャーナリストの数は1500人を下回らなかった。ベテラン・ジャーナリストたちは、バチカン省庁に勤務する知人、友人からニュースを聞き出し、それをもとに記事を書く。だが、彼らは、教皇の死を報じるためだけにローマ入りを急ぐのではない。それに続くコンクラーベ(教皇選挙)に興味があるからだ。

 次期教皇候補と噂されている枢機卿がローマの国際空港やテルミニ駅に降り立つと、待ち構えていたジャーナリストたちがマイク攻勢に出る。「枢機卿様、あなたの名前は次期教皇候補にあがっていますが、ご自分では教皇になるとお思いですか?」「いやー、わたしはイタリア人ではないから・・・」「わたしはもう年ですから・・・・」

 政治選挙に見られる厳しさや激しさは一切ない。真剣な顔で質問するジャーナリストたちに応える枢機卿たちの顔は穏やかで静かだ。しかしその胸中は・・・教皇のポストは450年以上イタリア人によって占められてきた。

 その伝統を守るべきか、国際化が進んだ今、イタリア人以外から教皇を選ぶべきではないか。枢機卿たちの意見は割れた。新聞も「枢機卿たち、次期教皇候補に対し、意見の一致を見ないまま、コンクラーベに入る」と書いた。ところが1日目(選挙は1日4回行われる)にして教皇は選出された。ベニスのルチア―ニ枢機卿。教皇名は、ヨハネ・パウロ。やさしくて穏やかな笑顔が特徴の教皇。たちまち「微笑みの教皇」と言うニックネームで世界中の人たちから慕われた。ところがわずか1か月の後、彼は帰らぬ人となってしまった。

 ( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2016年12月25日 | カテゴリー :