Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑮「63歳・芥川賞」への期待

  2018年1月16日に選考が行われる第158回芥川賞で、遅咲きの新人作家・若竹千佐子さん(63歳)の候補作「おらおらでひとりいぐも」(文藝賞受賞作)に注目が集まっている。

  「おらおらで…」の主人公は、70歳代半ばの「桃子さん」。東京オリンピックの頃に東北から上京した専業主婦だ。物語は、夫と死に別れ、子供も巣立って一人暮らしになったところから突然始まる。封印していた故郷の言葉が内面から湧き上がり、何人もの「おら」=自分=となって自身に語りかけるようになる。

  <あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが>。複数の声が東北弁で聞こえる事態に困惑し、先行きを不安視する主人公。彼女は大勢の「おら」たちと会話を交わし、次第に自分の過去を振り返るようになる。

  作品は50年にわたる家族との暮らしを回想する。その中で主人公は、15年前に夫・周造を失った悲しみに再び見舞われ、激しく涙する。 <周造、逝ってしまった、おらを残して><周造、どごさ、逝った、おらを残して><周造、これからだずどぎに、なして>。コントロール不能な感情が荒れ狂うシーンは、読む者の胸を打つ。東北弁が標準語を押しのけて地の文へ浸出していく展開は、幻想的でもある。

  悲しみの記憶の先に、これからの「生」を見いだすシーンも印象的だ。体の痛みを押し、長い坂道を登って夫の墓参りをした時。おかしな形で赤いカラスウリが卒塔婆に絡まっているのを見つけ、主人公は笑い声を上げる。ひとしきり笑った後に達観がある。<まだ戦える。おらはこれがらの人だ。こみあげる笑いはこみあげる意欲だ。まだ終わっていない>――と。従来の老境小説とは大きく異なる新しさが感じられる。

  文藝賞の選考会でも、選考委員から同様の声が上がった。「若竹さんの言葉が四作品の中で一番若々しくもあった」(保坂和志選考委員)。「力強く新しい次元を感じさせてくれた」(藤沢周選考委員)。

  若竹さんは岩手県出身。現在は千葉県に暮らし、夫を8年前に亡くした過去を持つなど、作中には自身の人生が投影されている。夫の四十九日の翌日から小説教室の受講を開始し、8年間の修練の後にデビューを果たした。(筆者も師事する文芸評論家の根本昌夫氏の指導を受けたという事実には、ご縁も感じる)

  2013年、当時75歳の黒田夏子さんが「abさんご」で芥川賞の最高齢受賞者となったことは記憶に新しい。黒田さんが残した「生きているうちに見つけてくださいまして、ありがとうございました」という受賞の言葉は、出版界の流行語になった。そして若竹さんも、同じニュアンスのコメントを発している。「数ある原稿の中から桃子と私を見つけ出してくださりありがとうございます。どこまでご期待に応えられるか。私はこれから勇躍出発いたします」。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

このエントリーをはてなブックマークに追加
2017年12月26日 | カテゴリー :