Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑭ 夫婦で過ごす「100年」

 それは、やわらかな朝日が差し込む病室での光景だった。

 私の勤務する高齢者専門病院には、夫婦で入院生活を送る患者のための病室がある。 歳の大迫優司さん(仮名)と 歳の栄子さん(同)も、病棟の一角にある陽当りの良い部屋で日々を過ごしている。

 午前9時 自らは言葉を発することもできなくなった優司さんの胸に、栄子さんはそっと頭を乗せる。すると、その栄子さんの背中を、優司さんがトントンと指で優しく叩き始める。「お父さん、叩いてくれてるのね。ありがとう」。しばらくすると、優司さんは手を止める。「お父さん、疲れたの?」。栄子さんの声に、優司さんは再び手をトントンと動かす――そうやって夫婦の間では、ふんわりとした時間が過ぎてゆく。ベッドの傍らで私たちスタッフは、声にはならない夫婦の「会話」を耳にしているのだ。

 寒い晩だな、寒い晩です。妻のナグサメとは、まさに斯くの如きもの也

 明治期に活躍した小説家・評論家の斎藤緑雨が1899(明治 )年、格言集「眼前口頭」に記した言葉である。ともに暮らす夫婦がお互いを思いやって交わす 会話 は、緑雨の時代から120年近い時を経ても、大きく変わるものではない。
ただ一つ、はっきりと変わった点がある。ここで紹介した緑雨の言は、彼が 歳で早世する5年前、 歳になったばかりの時点で残した言葉なのだ。

 明治の世と、平成の現代――。食生活の変化、衛生状態の改善、医療技術の進歩、そのいずれもが国民の平均寿命を押し上げる方向に働き、平成時代の終幕を迎えようとする今、日本は「人生100年時代」と言われるまでになっている。
事実、私の勤務先の患者の平均年齢は88・5歳だ。年齢構成で言うと90歳以上がほぼ半分、100歳以上のいわゆる百寿者も約20名を数える歳の優司さんと 歳の栄子さんというカップルは、院内で特別に高齢というわけではない。夫婦が会話を交わす年数は、とにかく格段に長くなっている。

 私事に及んで恐縮だが、終末期医療をテーマにした小説「ロングターム・サバイバー」が日本推理作家協会の編集による「ザ・ベストミステリーズ2017」(講談社)の一編に選ばれるという栄誉を受けた。この作品の発想も、一組の夫婦の会話にあった。それは、「末期がんを宣告された老齢の夫は、妻に何を、どのように語るだろうか?」というものだった。
厳しさを増す寒い晩に、あるいは朝の日差しの中で、あなたは大切な人にどんな言葉をかけるだろうか どのような会話をつむぐだろうか。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

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2017年11月25日 | カテゴリー :