Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑫エレベーターの通学路

 2017年1月に新校舎となったその学校は、さいたま新都心の駅前、さいたま スーパーアリーナやおしゃれなショップ・レストランが隣接する街区にある。ただ、始業時刻前の時間帯、「県の木」であるケヤキ約220本が立ち並ぶこの地に立っても、にぎやかな歓声を上げて通学を急ぐ子供たちの姿を目にすることはない。
ここは、埼玉県立けやき特別支援学校。地下1階地上13階、ベッド数316床 を擁する県立小児医療センターの7階部分をそっくりそのまま「学舎」にしている小中学校だ。児童・生徒の多くは毎朝、病棟から専用のエレベーターに乗って、「 登校」してくる。治療状況や体調がかなえば、授業は1日6時間。授業の後は一般の学校と同様に学活を行い、病室へ戻るのは午後3時過ぎ。「下校」ルートもエレ ベーターだ。
病気で入院中の児童・生徒に教育の機会を提供する場としては、<病院内の一室 を活用した小さな院内学級>をイメージされる方が多いだろう。だが、けやき特別 支援学校は事情が違う。普通教室を11室備え、音楽、理科、家庭、美術・技術各 科の専門教室、図書室や体育館、さらには年間を通じて使用できる温水プールもあ る。「児童・生徒が、入院前と変わらない学習に参加できる」ように配慮された病弱教育の推進校だ。
小児医療の技術は確実に進歩している。例えば、血液のがんである急性リンパ性白血病では、15歳未満の子供の場合、5年以上の長期生存率は約80パーセント にまで高まっている。
専門医の診療のもとで、決められた時間に投薬や注射を受け、適切な感染防止対 策や体調管理を続けていれば、入院中でも学習指導を受けられる状態にある児童・ 生徒は少なくない。病院内で治療を続けながらも、学習の機会を十分に与え、将来の夢に向かって成長していく子供を支援しよう――という学校側の方針がそこにある。
こうした積極的な支援が、すべての子供に行き渡っているわけではない。
文部科学省のまとめによると、病気などで長期入院(年間延べ30日以上)して いる児童・生徒は全国で約6300人。このうち約半数は、学習指導を受ける機会 を失っている。在籍校の教師が病院を訪問して指導をしているケースでも、その実施頻度は「週1日以下、1日75分未満」という回答が大半だ。
「小説現代」10月号に一編の医療小説を発表した。病院に入院して急性リンパ 性白血病と闘う小学6年生の男子児童が、ピアノの発表会への出演を強く希望する 。だがその子は、抗がん剤治療の影響で免疫力が極端に低下しており、大勢の人が集まる会場に出向けば、感染症にかかる危険性が非常に高い。子供の夢をかなえる ために、主治医や周囲の大人たちはどのようにサポートするべきか――。物語には 「屋根まで飛んで」という題名をつけた。
闘病中の子供たちからチャンスを奪ってはならない。現実の世界でも教育者はあ たたかいメッセージを送る。「治療中でもできることはたくさんあります。入院中 だからこそできることもあります。そして、皆さんを応援してくれる人も大勢いま す。自信を持って、今できることにひとつずつチャレンジしてください」(けやき 特別支援学校「学校だより」4月号)。
夢に挑む子供の姿は力強く、頼もしい。それは健康であろうと、病気であろうと 、どんな環境のもとで育てられようが変わらない。ひとりひとりの子供たちが大きく成長する秋を迎え、私はそう信じている。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

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2017年9月27日 | カテゴリー :