Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑪太宰の「津軽」2017年

 

  昭和19年、太宰治が3週間にわたって旅した津軽半島を8月中旬、急ぎ足で回った。太宰の旅は、出版社から執筆を依頼された風土記の取材のため。私のそれは、津軽地方の地域医療現場を視察させていただくことが目的だった。

 「きょうは、どうされました?」。若い医師が、ゆっくりと丁寧な問診に努めて いる。この日の外来担当は、ふだんは東京の病院で勤務している医師だ。定期的な派遣要請を受け、東京から一泊二日の日程で外来診療、入院患者や関連施設に入所 する高齢者の回診などを担当している。

 医師の問いかけに、ほんの短い言葉だけを返す患者もいれば、早口の津軽弁で主訴を詳しく語り始める患者もいる。「先生、咲江ちゃんは昨日から熱が下がらない んですって……」。医師の傍らに立つ看護師が、患者の話す地元の言葉を医師に向けてひとつひとつ“通訳”する。

 この診察室で、患者は「ちゃん付け」である。ただし、医師の前に座った小柄な患者は80歳をとうに過ぎたと見える高齢女性だ。集落内に同じ名字が多いため、 患者の識別を明確に行いたいという対応側の知恵でもあると同時に、医療者と患者 の距離の近さをも感じさせる。それを証明するように、看護師の頭の中には、「咲江ちゃん」の年齢や既往症をはじめ、前回の受診時期、詳しい家族構成などがすべ て入っている。「息子さん、あした仙台に帰るんでしょ? 今回はゆっくりできて 良かったね――」。津軽半島の町で診療の合間に交わされる会話は、どの患者に対してもそんな具合だった。

 だが僻地医療が直面する現実は、厳しいと言わざるを得なかった。医師の確保と定住問題、更新が必要な医療設備といった医療供給側の問題だけではない。医療を受ける側の集落や町そのものが、やせ衰えている現状が横たわっているのだ。

 本州最北端の新幹線停車駅「奥津軽いまべつ駅」がある今別町を例に取ると、良く分かる。

 70年以上前に発表された小説「津軽」の中で太宰は、「今別は(中略)明るく、近代的とさえ言いたくなるくらいの港町である。人口も、四千に近いようである 」と書いている。その今別町の人口は、今や約2700人だ。世界最長の海底トン ネルが開通し、新幹線が通る町の人口が、太宰の生きた時代の約7割にまで落ち込んでいるのだ。「人口急減」と「地方消滅」という言葉の重みが胸にしみわたる。

 人口減少は、医療の形態も変える。

 辺地であれば、医療の中心は在宅診療であろうと想像していた。だが、私が訪問 したあるクリニックでは、訪問診療は数年前に止めてしまったという。集落の中で、高齢の患者を支える若い家族、あるいは同居する家族そのものがいないために、 在宅医療そのものが無理になっているのだ。独居高齢者ばかりが増え、もはや「老老介護」をもできない現状。患者は治療も含めて身の回りの世話を病院に頼るしか なく、いわゆる「社会的入院」が高齢者を守る最後の砦になっていた。

 身寄りのない高齢者であふれる病院&高齢者施設――津軽地方の現実は、決して 他人事ではなく、日本の将来の姿とも思えてくる。

 ただ、大きな救いもある。冒頭で紹介した外来診察室の風景だ。クリニックを訪ねる患者をはじめ、入院中の患者、施設の入居者たちは、みな穏やかな笑顔であっ た。年をとり、病気になり、身寄りがなくても、人は心穏やかに老後を過ごすこと ができる。少なくとも、医療者と患者の信頼関係があれば、そうしたケアや優しさを提供できる施設を作りうる――基本的だが重要な事実を、津軽の人たちと風土が私に教えてくれた。

 ところで、今回の小さな旅の途中、「津軽」を再読して驚いた。太宰の津軽旅行 に同行した青森の学友・T君、今別町のMさん、蟹田のSさんは、みな医師や薬剤 師、病院事務長といった医療関係者ばかりだった。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

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2017年8月26日 | カテゴリー :