駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」④神へ至る道は実践で体得せねばならぬ

 私の詩の恩師、ハッダード アーデル先生は、文学・哲学を専門とする学者であり政治家であるが、文字通り書物のひとである。
鉄筋造りの自宅には、自分専用に図書館が作られている。自ら何冊もの本を出している。テヘラン在勤中には、御自分でペルシャ語に翻訳した「コーラン」をいただいたし、ペルシャの2大詩人のひとりモウラナーの代表作(マスナビ)を90年前に初めて全部英語訳したニコルソンの復刻版もいただいた。

 私が日本に戻り外務省を退職してからも、人づてに2冊の近刊の自著をいただいた。そのうちの一つは、折々に記したもう一人のペルシャの大詩人ハーフェズに関する論考を本にまとめたものである。

 その中の一編に、ハーフェズの詩の特徴を分析したものがあるが、その中で「実践的知恵」の表題の下、ハーフェズの詩の中から、人生訓・処世訓となるような詩句をたくさん例示している。

 例えば、「無智なるものよ 知恵あるものとなるよう努めよ 歩き始めなければ いつ道を進む者になれるのか」(ハーフェズの詩)
さらには、「裏庭に住するもの(真摯に道を励む修行者)に (偽善の導師よ)かっこよく徳を語ることなかれ いかなる話にも(ふさわしい)時があり いかなる論にも(なすべき)場所がある」(同)
など、30編近くの詩句が引用されている。うれしいことに、上記2編を含めて5つは、私がいつも暗唱している詩句と同じであった。

 ハッダード アーデル先生からは直接ハーフェズを教わったわけではないが(同先生から学んだのはモウラナーの詩)、人生訓・処世訓に関しては、自分も先生の理解に少しは近づいたものと思う。

 上記2つの詩句はいずれも修道の心得を述べたものであるが、人生万般に通じる教訓であろう。前者について一言触れておくと、当時のイスラーム世界の知識・科学の水準は世界最先端であったが、ここでいう知恵とは、神に至る道は神の知恵に頼る以外ないこと、知識や理解ではだめで実践して体得しなければならないことを述べている。ハーフェズ・モウラナーともに時代の一級の知識人であって、その科学理解の一旦は詩句からも感じられるが、それはまたの機会に譲る。

 ハッダード アーデル先生であるが、その娘さんの一人は、日本の金沢で留学生として学び、のち米国でナノテクノロジーの博士号を取得、そのまた娘さん(先生の孫娘)は、日本で小学校に通ったことで、日本語が大変流暢であった。先生も娘の家族に会うため何度か日本を訪れていて、大変な日本びいきとお見受けした。先生のもう一人の娘さんは、ハーメネイ最高指導者の息子に嫁いでいる。先生は、したがって最高指導者と親戚関係である。

 次回は、イスラーム哲学の最高峰の学者であられた故井筒俊彦先生についてお話ししよう。
(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

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