・菊地大司教の日記 ⑦⑧8日は「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」3日は初の「福者ユスト高山右近の記念日」

2018年2月 8日 (木)「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」、2月8日

  教皇フランシスコは、2015年に2月8日を、「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」と定められました。

 この日、2月8日は聖ジョゼッピーナ・バキタの祝日です。彼女は1869年にスーダンのダルフールで生まれ、1876年、まだ幼い頃に奴隷として売買され、様々な体験の後イタリアにおいて1889年に自由の身となり、洗礼を受けた後にカノッサ会の修道女になりました。1947年に亡くなった彼女は、2000年に列聖されています。カノッサ会のホームページに聖バキタの次の言葉が紹介されていました。

「人々は私の過去の話を聞くと、「かわいそう!かわいそう!」と言います。でも、もっとかわいそうなのは神を知らない人です」

 聖バキタの人生に象徴されているように、現代の世界において、人間的な尊厳を奪われ、自由意思を否定され、理不尽さのうちに囚われの身にあるすべての人のために、またそういった状況の中で生命の危険にさらされている人たちのために、教皇様は祈ること、その事実を知ること、そして行動することをこの日を定めた2015年の世界平和の日のメッセージで呼びかけられました。

 人身売買や奴隷などという言葉を聞くと、現代の日本社会とは関係の無い話のように感じてしまうのかもしれません。実際は,そうなのではありません。一般に「人身取引議定書」と呼ばれる「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性および児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」には,次のような定義が掲載されています。

 「“人身取引”とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。」
(同議定書第3条(a)

 すなわち、売春の強制や安価な労働力として,自己の意思に反して強制的に労働に服させられている人たちは,日本にも多く存在していますし、日本は受け入れ大国であるという指摘すらあるのです。

 カリタスジャパンと難民移住移動者委員会は、現在「排除ゼロキャンペーン」と題して、国際カリタスが主導する難民移民のための国際キャンペーンに参加しています。今日の世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」に当たり、国際カリタスは、南シナ海で強制的な労働にかり出されているミャンマーの人たちにスポットライトを当てて紹介をしています。(英語ですが,こちらのリンクを参照ください

その記事の中で、世界中で4千万人もの人が人身取引の被害者となり、その取引によって年間1500億ドルもの利益が生み出されていると指摘します。 こういった状況に対処するためには,二つのことが必要です。十分な情報の提供によって多くの人がその現実を知ること。そして政府だけではなく民間をも巻き込んだ決まり事の制定。国際カリタスのキャンペーンはこの二つを目指して,現在進められています。詳しくは,カリタスジャパンのホームページをご覧ください

 世界中で,そして私たちの身の回りで,自分の意思に反した過酷な条件の下で働かざるを得ない状況にある人々のために、祈り、またその現実を知ろうとする努力を忘れないようにいたしましょう。

   

2018年2月 5日 (月) 3日は初の福者ユスト高山右近の記念日

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この2月3日は、福者ユスト高山右近の初めての記念日でした。禁教令の中、信仰を捨てることのなかった高山右近は、日本を追放され、マニラにおいて1615年2月3日に病死されました。その人生そのものが、信仰を守り抜いたあかしの人生であったとして、昨年2月に大阪において、殉教者として福者の列に加えられたことは記憶に新しいところです。

 その最初の記念日であるこの2月3日、右近終焉の地であるマニラにおいて、記念ミサが捧げられました。場所は、右近がマニラに上陸し、盛大な歓迎を受けてパレードをしたマニラの旧市街、イントラムロスにある、マニラ教区のカテドラルで、司式はマニラ教区大司教のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿でした。

 このミサに合わせ、日本からも60名を超える巡礼団が組織され、司教団からも会長の高見大司教と列聖委員会の委員長の大塚司教をはじめ、押川、郡山、勝谷、そしてわたしと6名の司教が参加しました。

巡礼団は三つのコースに分かれ、わたしは高見大司教と勝谷司教とともに、一番短い三日間のコースに参加しました。金曜日に東京を出発し、その日はマニラ市内のパコの教会でミサ。翌日はマニラカテドラルで枢機卿ミサ。そして日曜日にはサントトーマス大学内の神学校聖堂でミサを捧げ、夜には東京へ戻りました。

日本とマニラの間には30度に近い温度差があり、時差はほとんどないものの、やはり少しばかり体に堪える強行軍でありました。

 巡礼団はマニラ教区からだけではなく政府の観光庁からも大歓迎を受け、空港からホテルまでの移動を始めすべての移動には白バイの先導付きとなりました。

 土曜日のマニラ大聖堂でのミサには、日本からの巡礼団を始め、フィリピンに在住する日本人信徒・司祭・修道者や日本の教会にゆかりのある方々が参加され、またタグレ枢機卿の人気を反映して、多くの地元の信徒の方が集まってくださいました。

 わたしは、何年ぶりでしょうか、本当に久しぶりに、マニラで活躍されている神言会のホルスト神父様に会うことができました。昔、まだ私が神学生だった頃にドイツから来日し、日本で司祭になり、名古屋で働いていた司祭です。現在は、マニラで神学生の霊的指導をしておられます。

 このミサの模様は、以下のリンクで、Youtubeにアップされています。是非ご覧ください。カテドラルの聖歌隊が歌ってくれていますが、入祭の歌は途中から日本語になっています。また閉祭は、高山右近の歌が日本語で歌われています。また祭壇前には右近の木像と、聖遺物が顕示され、ミサ後には参加者が列をなして崇敬に訪れていました。

 タグレ枢機卿の説教も、いつものようにわかりやすい説教です。苦しみの意味について解説しています。キリスト者は、十字架のキリストを掲げ、殉教者を崇敬するからといって、苦しむことや苦しみそれ自体を目的としているわけではなく、また苦しみを美化しているわけでもない。神から与えられた使命を果たす全体の中で、使命のために苦しみに意味を持たせているのであり、それは、キリストが「あなた方のために渡される私の体」、「あなた方のために流される私の血」と言われたように、他者への愛を具体化するための苦しみである。苦しみのその先の「他者への愛」という使命の実践があってこそ、はじめて苦しみには意味があるのだ、というような内容です。

 三日目の日曜は、一番短いコース参加者だけでマニラ市内のカトリック大学であるサントトーマス大学へ向かいました。ドミニコ会の運営する歴史のある(アジアで一番古い)大学です。この中にある神学校(諸教区立)の聖堂で、日本語のミサを捧げました。わたしが司式させていただきました。

 ミサ後、大学構内にある右近の像を訪れ、皆で祈りを捧げました。

Manila1806 これからも、日本とフィリピンの教会のつながりの中で、互いの教会にとって大きな意味を持つ福者殉教者の模範に習いながら、列聖に向けた運動を続けながら、信仰のあかしに努めたいと思います。福者高山右近の生き方が、現代社会に生きる私たちの生き方とどのように関係するのか。信仰の目から、それをしっかりと見極めることが大切です。そうしなければ、単に、その昔、すごいヒーローがいたのだ、という話で終わってしまいます。聖人は単なるあこがれではなく、信仰を生きる私たちに具体的な道を示す存在です。すべてを失っても守るべき価値が厳として存在するのだという、いうならば頑固なまでの信仰におけるこだわりこそが、風に流されてふらふら生きるような私たちに、福音をあかしする生き方の道を教えているのではないでしょうか。

 2月の予定など(2018.1.31「司教の日記」から)

  あっという間に1月は終わり、2月になります。東京で仕事を始めてから、多くの方から面会のリクエストや,教会訪問のリクエストをいただいています。リクエストは、どうぞ、東京教区本部事務局にお願いいたします。事務局長がお話を伺い、相談の上、お返事いたしますので。)

2月の主な予定を,ご参考までに記しておきます。

  • 2月2日から4日 司教団公式巡礼、高山右近列福感謝ミサ(マニラ)

  • 2月5日 東京教区責任役員会

  • 2月6日と7日 カリタスジャパン援助部会

  • 2月8日 常任司教委員会、神学院常任委員会

  • 2月10日 札幌教区司教館本部竣工式 (札幌)

  • 2月12日 那覇教区司教叙階式 (沖縄)

  • 2月13日 カリタスジャパン会議

  • 2月14日 灰の水曜日、カテドラル関口教会ミサ (10時)

  • 2月15日 新潟 聖母学園理事会 園長会 (新潟)

  • 2月16日 仙台教区サポート会議 (仙台)

  • 2月18日 新潟 共同洗礼志願式ミサ 新潟教会9時半

  • 2月19日から23日 定例司教総会 (潮見)

  • 2月26日 東京、司祭月例会、平和旬間会議

  • 2月28日 東京、生涯養成委員会

 

マリア会創立200周年アジア・シンポジウム

  司祭に叙階されてからまもなく32年になります。東京大司教に着座してからのこの一ヶ月半は、その32年間で「最多忙」と言っても過言ではないほどに忙しくしています。わたしは「忙しい」と口にするのがあまり好きではないのですが、さすがにこの一ヶ月半は,忙しくて目が回りそうです。

 一番の理由は、東京へ移ることが決まる遙かに以前から約束していたことと、東京に移ったことで新しく取り組まなくてはならないことと,当分兼任している新潟教区の事柄の三つが,絶妙に絡み合ってしまっているためです。そのため、2月半ば頃までは,この超多忙な状態が続きそうであります。

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 その遙か以前から約束していたことのひとつが、1月半ばに行われたマリア会創立200周年のアジア地域シンポジウム。すでに2年も前から,マリア会の日本の責任者である青木神父様を通じてローマの本部から、このシンポジウムで話をするように依頼を受けていました。(上の写真は、会議参加者を迎えてくれた,現地の修道会志願者たちのダンス。ちなみにこの修道院の院長は韓国から派遣されてきたシスターでした)

 マリア会は,東京ではたとえば暁星学園などの運営母体です。マリア会のホームページにはこう記されています。

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 「マリア会は、福者ギョーム・ヨゼフ・シャミナード神父によって1817年10月2日フランスのボルドー市において創立された、ブラザーと司祭から成る国際的な男子修道会です。

 日本においては、今日まで主に教育の分野で活動し、暁星学園(東京)、海星学園(長崎)、明星学園(大阪)、光星学園(札幌)の経営母体として、教育の場を通しての信仰教育と信仰共同体の育成をめざして、教会に奉仕してきました。」(上の写真は,会場の修道院の聖堂前にある福者シャミナード神父の御像のまえで)

 そして今回初めて知りましたが、このマリア会のファミリーには、女子の修道会もあり、今回のシンポジウムにも参加されていました。それが、汚れなきマリア修道会。東京では、調布で晃華学園の経営母体です。

 さらにマリア会のファミリーには信徒の方々による,信徒マリアニスト共同体があり、日本にも会員がおられ,今回の集まりに代表が参加されていました。

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 シンポジウムの会場は,インドのラーンチーにある汚れなきマリア会の修道院。(上の写真)ニューデリーとコルカタ(カルカッタ)の間で,コルカタに近い方にある町ですが、カトリック教会では大司教区で、教区長はテレンス・トッポ枢機卿。ちなみに補佐司教のビルン師は,わたしと同じ神言会員です。

 ここで、カリタスアジアの体験から、貧困の撲滅と福音宣教の可能性について、1時間半ほど英語でお話をさせていただきました。

 参加者は,インドを中心に,日本、韓国、ベトナムから40名近く。日本語と韓国語の同時通訳を会員の方がしておられました。

 わたしの話の後には国別に分かれてグループディスカッション。マリア会のこれからの活動のために,様々な新しいアイディアが分かち合われていました。

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 わたしが講演した翌日は,インド人の神学者であるジェイコブ・パラパリィ神父の講演。アジアの現実の中で、諸宗教、そして諸文化の人々とどのように対話するのか。わかりやすく示唆に富んだ講演でした。

 日本からはニューデリーまで直行便(エアインディアで飛びました)で10時間。その後乗り換えて国内線で3時間。インドだから暑いかと思いきや、北部はこの時期寒い。しかも会場の修道院には暖房がない。日本の今の時期の格好でぴったりでした。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教に2018年12月16日着座)

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