・三輪先生の国際関係論 ㉔相手を知らない戦争 

 高木八尺は、東京帝国大学法学部教授として、新渡戸稲造の意向を受けてアメリカ政治学などを担当した。日米戦争回避に向けて、近衛首相を動かし、アメリカ大統領との会談をセットアップしようともした。

 彼の著書は、アメリカ人の精神がアメリカ発展に及ぼした影響を説いて、余人の及ぶところではなかった。

 しかし、その物質力については読者が得心するほどには物語ってはいない。大和魂だけでアメリカの物質力に勝てる、と思っている日本人の習性に警鐘を鳴らすつもりだったのだろうか。それがもし対米開戦の愚かしさを伝えるつもりであったのなら、結果は全く裏目に出たといえそうである。

 普通の読者は、ヤンキー魂、開拓者精神に感心したとすれば、それを帳消ししてしまう自己補強を「大和魂」でやっていたのではないか。それが「皇紀2600年」と呼んでいた昭和15年の日本人の精神状況だったのではないか。世はまさに国粋主義、皇国至上主義の絶頂期に到達していたのである。西暦で1940年、その年は、ナチスドイツのべルリンオリンピックに続く、東京オリンピックが予定されていた年でもあった。ただ中国大陸における戦争に解決の見通しも無いなか、返上されていたのであった。

 対米戦争について、連合艦隊の山本五十六司令長官は「やれと言われれば、最初の半年か一年は暴れて見せます。しかしその先は分かりません」といっていた。そんな状況の中で、1941年12月8日払暁、対米戦争の幕は切って落とされたのである。国民はヤンキー魂に優る大和魂に賭けたことになるのだろう。

 その大和魂は、敗戦が色濃くなっても、一億一心、玉砕を覚悟した徹底抗戦の姿勢になって行った。そして勝利には至らなかったが、戦後の復興にその大和魂は貢献していた、と考えることが出来る。そして、戦前に返上していた東京オリンピックは1964年に開催され、戦争で倒れた人々の魂と共にことほぐ再生日本の象徴となったのである。

 2020年のオリンピックが近づいてきた。輝かしい未来のために東京の暗い歴史もさらってみる必要があるだろう。(2018・2・15)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

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