三輪先生の国際関係論⑱追想‐イエズス会士・門脇神父:天籟窟主人の「場所」の神学

 神学専攻の上智大学名誉教授、門脇佳吉神父が亡くなられたのは今年、2017年7月27日のこと。 それまで毎年夏、北軽井沢大学村池南に所在する私達家族の山荘「恵誠望楼」で過ごすわずか2週間の暑 中休暇の間に、必ず2回は門脇神父が「道の共同体」「天籟窟」と称する、門脇神父専用の教会堂で 日曜ミサにあずかってきた。

 いったい何年になるのだろうか。 「地元」群馬県長野原町北軽井沢で日曜ミサにあずかれる幸運はいつ始まったのだろうか。10年 にもなるのだろうか。それまでは、義母がまだ健在だったころには、日曜ミサを欠かすことなど想い もつかない私たちの生活習慣のままに、避暑客で渋滞しがちな山道を縫って旧軽井沢のセントポ-ル 教会までドライヴしたものだった。

 大学村で隣人の渋沢家の皆さんと連絡を取りながら、門脇神父があげられるミサの時間を確かめ たりしたものだ。大学村からはそのほかに信徒として集まり来る者は誰もいなかった。あとは長野原 町方面から車で昇ってこられるA夫人だった。

 一般信徒の常連はそれだけで、他には遠くスペインか ら毎年参加する修道士とか、お隣の韓国からは聖心会の修道女達が、日本の清泉の聖心侍女修道会の シスターなど長期修練のために滞在されていらっしゃるようであった。フィリピンからの滞在者もい らっした。昨年などはモスクワからキリル神父がみえていた。

 大きな2階建の不動産業者の賃貸ビルででもあったのだろうか。その一角に1,2階を使って本格的 に改装したところが、門脇神父の居宅と聖堂であった。京都の宮大工が仕上げたとか聞いた気がする 。立派な純和風の造りであった。

 それと不釣合いといえば言えないこともないのは、典礼に神父が使用した諸道具であった。台所にそなえつけの茶碗や皿類から選んできたのでもあったろうか、粗末なものといったら言いすぎだっ たろうか。聖水はウイスキーの空瓶にはいっていた。そして会衆を誘い一緒に、臍下丹田から絞り出 す「アバ、パパ」の絶叫で、ミサがはじまるのだった。

 東京都心の教区の教会で経験してきたことから言うと、此の異文化接触は衝撃的だった。 聖堂に宛てられていた床の間つきの部屋が8畳間で、襖で仕切ることの出来る玄関寄り付きの部屋 も8畳で、その鴨居にイエズス会創立者イグナチオの四つ切り相当の白黒写真が飾られていた。ローマの イエズス会本部にある大理石像の頭部であった

 廊下をはさんで6畳の客間があって、その床の間に は、禅の導師からいただいたものでもあったろうか、墨痕清々しい掛軸がさがっていた。 これが、門脇神父が「天籟窟」と名付け「道の共同体」と称していた施設に会衆として立ち入るこ との出来る一階部分のスケッチである。2階は神父自身や、その他滞在者の生活部分であった。

 北軽では天籟窟を名乗っていたが、門脇神父と同じイエズス会士で上智大学教授だったラサール・エノミヤ神父が東京の奥多摩に「神冥窟」と呼ばれている禅道場を開いていた。カトリック学校の生徒学生として、また一般の信徒として、 そこの活動に参加した経験のある人は結構いるはずだ。

 しかし天籟窟に集う人々はごく限られていた。別荘族にしてしかり。そもそも周辺の定住者が数 少ないせいもあったろうが、地元の人々にミサで御目にかかるという事は絶えてなかった。 毎年お会いしたのは遥か遠い異国からの参加者で、修道士、修道女など修練のため長期滞在する 人たちが数名はいた。

 それらの人たちは門脇神父の独創的というか、ひなびた感じの雰囲気を日本の 古い伝統に根ざした土着性とか、あるいは大都会の頽廃とは一線を画す革新性と捉えていただろうか 洋の東西を問わず普通の若者が侍、忍者などに興味を抱くように、カトリック教徒として生まれ ついているキリスト教文化圏の出身者が日本文化に抱く異国趣味は遅かれ早かれいずれは禅の門口に 至ることが多いだろう。

 門脇神父はそのニーズに応えてくれるのだ。 此の畳敷、障子、襖、それから特注と思われる、分厚く幅広な座布団の聖堂に、海外から参加している善男善女たちは、みなにこやかであった。

 門脇神父と禅との関係を日本人のためにカトリックの土着化をすすめる一つの小道ととらえる人は 多いかもしれない。確かに神父は、禅の修行をし、その霊性をカトリックの典礼に取り込んだ。曹洞 宗の開祖、鎌倉時代の道元の主著『正法眼蔵』を読み込んだにちがいない。道元の何に一番、惹きつけられたのだろうか。

 道元については、本物の仏教に到達しようとして、実はそれまでの仏教を破壊してしまったという評価がある。 門脇神父は神学者として日本人の素朴ながらしっかりした宗教心に西洋伝来のキリスト教、ロー マのカトリシズムの真髄にどうしたら引き付け得るものかと思考し続けてきていたのに違いない。独 特な典礼の様式もその結果として考案されてきていたのだろう。

 そんな夏も2013年の事、門脇神父から大きな仕事を託された。ちょうど岩波書店の月刊誌の一つ『思想』に二ヶ月連続で掲載されることになっていた書き上げたばかりの論考を英訳してほしいと言われた。うかがえばそれは日本を代表する哲学者西田幾多郎の「場所」の概念によってキリスト教の「 聖霊の を解明するものであった。

 2014年2月28日付けの門脇神父からのe-mailによると、不完全ではあったがスペイン語訳を急遽ロ ーマに送ったところ、Civilta Cattolica の編集長Antonio Spadaro S.J.がこれを高く評価し、「英訳が 出来れば、全世界で一番早く知られる事になるでしょう」と言い、英訳を進めるよう促してきたという のであった。そして私がすでに率先して英訳を進めていることを知って「先生が予想したことが、こんなに早く実現するとは、神の“はからい”としか言いようがありません」と結んでいた。

 門脇神父は西田哲学における「場所」の概念の特異性を次のように説明している。 「西洋哲学が有る(存在)から出発するのに対して、西田は、有るもの(存在者)が於いてある「場所」から出発します。存在から場所へのこの転換は、非常に簡単に見えますが、よく考え れば、思想史開闢以来初めての大転換なのです」。

 そして門脇神父が展開する論証の道筋は省くが、天地創造の経過を通して、神父は、聖霊 と西田の「場所」の機能が同じだ、と結論している。「無からの創造」はギリシャ哲学的発想から生まれたものであるが、「ヘブライ的思惟では、カオス・闇・死の世界・苦難・悲哀に満ちた世界から、コス モス・光・生命の世界、平和と幸いに満ちた世界への転換が最大の関心事なのです」という。

 そして 「世界とそこに於いてある万物を創造したのは母的な聖霊なのです」。 創世記の冒頭に以下のように書かれている事に読者の注意を喚起する 。「はじめに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ』。こうして、光があった」。門脇神父は言う、「光あれ」は、原語に即して翻訳すれば「光よ生じよ」。すると「光があった」は「光が生じた」となります。このくだりを読めば、聖霊が西田の「場所」に符合していることがわかります、と

 先を急ごう。門脇佳吉神父の最大の関心は、日本人のために西洋に発するキリスト教を土 着化するなどという狭小なものではなくて、衰弱している本場西洋のカトリック世界に西田哲学の「 場所」の概念から新たな聖霊の息吹を吹きかけ、活性化しようというものであったことがわかる。

 以上をもって門脇神父の神学の完成を英訳で寿ぐことの出来た望外の幸運に感謝しつつ、私の拙い思い出の記といたしたい。(2017年9月22日)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

このエントリーをはてなブックマークに追加