森司教のことば ⑮フィローニ枢機卿が読み上げた親書の気になる点は

*ネオ・カテクメナートを示唆する言及

  この度、福音宣教省の長官フィローニ枢機卿が、来日し、一週間の日程で東京、長崎、大阪、仙台と司牧訪問し、9月24日、離日した。
日本のカトリック教会は、宣教国として福音宣教省の監督下にあり、日本の各教区の司教人事も、福音宣教省で検討されているので、長官は、ある意味で、日本のカトリック教会の上司とも言える。その上司が、日本の到着早々、その日の夕刻、ヴァチカン大使館で、迎えに出た日本の9人の司教たちの前で、教皇からの親書を読み上げたのである。
その親書は、日本の社会の問題点を的確に分析、指摘しており、その内容に敬意を示すことに私はやぶさかではないのだが、後半の部分で気になるものがあった。それは、新しい運動体に言及し、その働きを高く評価し、それを受け入れるように、日本の司教たちに暗黙の内に指示しているような印象を与えていたからである。
「最後に聖座が承認している教会運動について話したいと思います。これらの運動の福音宣教熱とそのあかしは、司牧活動や人々への宣教においても助けとなりえます(中略)これらの運動にかかわりをもつ司祭や修道者も少なくありません。彼らもまた、神がそれぞれの宣教使命を十全に生きるよう招いている神の民の一員です。これらの運動は福音宣教活動に寄与します。わたしたちは司教としてこれらの運動のカリスマを知り、同伴し、全体的な司牧活動の中でのわたしたちの働きへ参与するよう導くように招かれています」
その文言が私の心にひっかかってしまったのは、フィローニ枢機卿が、ネオ・カテクメナートの熱心な信奉者・擁護者としてとして良く知られていたからである。

  恐らく、そこに居合わせた司教たちも、私と同じように、その文言から、四国から去って行かざるを得なかったネオ・カテクメナートに言及していると受け取ったに違いないと思うのである。日本のカトリック教会は、運動体に比較的開放的である。しかし、日本のカトリック教会は、新しい運動体に対して決して閉鎖的でなかったことは、事実である。

  過去を振り返ってみれば明らかなように、ヴィンセンシオパウロ会、レジオマリア、クルシリヨ、聖霊運動、フォコラーレ、聖エジディオ共同体、エンマヌエル共同体などなど、数多くの運動体が日本に入ってきて、それなりの活動を展開してきているのである。個人的には、司教たちにも、それぞれの運動体に対しては好き嫌いという個人的な好みがあるかも知れないが、しかし、そうした活動団体がそれぞれの会の精神にそって主体的に活動することに関しては、日本の司教たちは、細かく干渉したり、否定的に介入したりしたという事実は、これまでなかったことは確かである。また気になる点があっても、ほとんどの司教たちは見て見ぬ振りをして、寛容に振る舞ってきているのである。
むしろ、小教区の指導や活動では物足りない信者たちが、そうした運動体に触れ、生き生きとし、活気づけられ、キリスト者として熱心に生きている姿を見て、喜び、歓迎していたとも言えるのである。

*しかし、ネオ・カテクメナートに対しては・・・!!

 日本の司教たちの多くが拒絶反応を示した運動体は、私の知る限り、唯一ネオ・カテクメナートだけである。司教たちが、高松教区に設立
されていたネオ・カテクメナートの神学院に否定的な断を下し、閉院を求め、日本から去って行ってもらったことは、紛れもない事実である。
なぜ、司教たちのほとんどが、ネオ・カテクメナートの運動に否定的だったのか、その理由の一つは、小教区に派遣されたネオ・カテクメナート共同体の司祭たちが、独自の司牧を展開し、信徒たちの間に分裂をもたらしてしまったことにある。
独自な司牧とは、小教区の中で、独自のカテキズムを教え、その実行を求めたり、土曜の午後や復活の大祭日などに自分たちの仲間だけを対象とした独自の形のミサを行ったりして、小教区の中に、もう一つ別の小教区共同体をつくるような結果を招いてしまったのである。
当然のように、ネオ・カテクメナート共同体の司祭に従う信者たちと一般の信徒たちの間に軋みが生じ、その分裂の苦情は、早い時期から、司教たちに寄せられるようになってしまっていたのである。
問題点は、ネオ・カテクメナート共同体の司祭たちが分裂に心を痛めた教区司教たちの指導には従わず、あくまでもネオ・カテクメナート共同体の精神にそって行動し、その長上たちの指導にしたがってしまったことである。
こうした苦い経験を持つ司教たちが中心になって、ネオ・カテクメナートに対する反対の声が高まり、一般の教区司祭の間でもネオ・カテクメナート共同体に対する不信感が拡がって行ってしまったのである。

*ネオ・カテクメナートの神学院の設立に関しても・・・!!

 当時の高松教区の教区長深掘司教が、ネオ・カテクメナートの神学院の創設をはかろうとした際に、多くの司教たちは憂慮し、緊急の司教会議を招集し、その是非について議論したのである。
それまで、日本の司教たちは、教区神学生の養成に関しては、福岡と東京の二つの神学院に任せると言うことに合意し、修道会が、それぞれの会の神学生の養成に固有の神学院を持つことに関しては納得し、認めてきていたのである。
ネオ・カテクメナートの神学院の創設に多くの司教たちが否定的だったのは、その神学院が、小教区で働く司祭の養成を目指したものであったからである。したがって、高松教区内に新たな神学院設立することは、司教たちの間にあった合意に背くことだったのである。
将来日本の小教区で司牧することを目指したものであるならば、福岡か東京の神学院で学べば良いはずである。そうすれば、司祭になってからともに働くことになる日本人の神学生たちとも交わり、日本人の固有な感性や伝統・風習などを身につけていくことも出来るはずである。司教たちの何人かは、そのように説得を試みたのだが、ネオ・カテクメナートは、それを拒み、独自に養成に拘ったのである。
また、教区内に神学院を設立することは、教会法上は、あくまでも教区長の権限に属するため、ほとんどの司教たちが反対であるにもかかわらず、高松教区長は設立に踏み切ってしまったのである。
そして、その神学院を卒業し、高松教区内の各小教区に派遣された司祭たちが、その小教区の中に分裂を引き起こし、社会問題として一般紙にも取り上げられるようなってしまい、多くの一般信徒の心に深い傷を与えてしまったことから、司教たちが心配し、改めて話し合い、バチカンに訴えたりなどして、ようやっとその閉鎖に辿り着いて、今になっているのである。

*なぜ、高松教区の教区長が、設立に踏み切ったのか・・・?

 なぜ、当時の高松教区の教区長がネオ・カテクメナートの神学院の設立に踏み切ったのか、同情すべき理由はある。それは、召命不足、司祭不足だったのである。実に、長年にわたって、高松教区には、召命がなく、司教は、活動出来る司祭の不足に苦しんでいたのである。
教区長は、近隣の教区に事情を訴え、司祭の派遣を求めたが、どの教区にも余裕がなく、最後に溺れる者が藁をもつかむような思いで、ネオ・カテクメナートからの司祭の派遣と神学院の設立の申し出に、飛びついたと言う事情があったのである。

*結び

  司祭の召命の不足、そして司祭の高齢化は、高松教区だけでなく、すべての教区に共通する深刻な問題である。その問題に、他の誰よりも頭を抱え悩んでいるのは、司教たちであることはいうまでもないことであるが、それは、司教たちだけではなく、すべての信者が真剣に考えていかなければならない重大な問題なのである。
それを、目先の解決に飛びついて、安易に解決しようとすると、同じ轍を踏むことになる。同じような過ちを繰り返さないためには、拙速は避けつつ、日本のカトリック全体で考えて行くべきことである。私の個人的な願望だが、第一回全国福音宣教推進会議(ナイス)のような、日本のカトリック教会のこれからのありようを考える場を、再び開催できたら・・・と思うのだが、無理なことだろうか。

(森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)

関係資料・・「カトリック・あい」作成

英ランカスター司教、「新求道共同体」の典礼に規制

  2017年6月13日【CJC】英カトリック教会ランカスター教区のマイケル・キャンベル司教は6日、運動体「新求道共同体」に対する典礼規範を発表した。同団体の活動に対する「懸念が増大している」ためという。カトリック・ヘラルド紙が報じた。キャンベル司教の発表は、ミサは教会、聖堂の祭壇だけで行われるべきであり、信徒は聖体を受けたら「遅滞なく」食すべきだというもので、7月1日から実施するという。

  今回の指示は、新求道共同体で行われている、信徒がすべて聖体を受けてから食すという独自の方法に関するもの。キャンベル司教は、司祭たちはそれぞれの小教区(各個教会)で行われる特別な典礼に制限を加える権限があるとしている。

   新求道共同体側は、このような規制が行われるのは「完全に驚き」だとして、実施方法やその理由について説明させてほしいと司教に要請しているのに、と反発している。

 日本司教訪問団、新求道共同体に活動5年間中止を要請  

  2010年12月20日【CJC=東京】日本カトリック司教協議会のバチカン訪問団は、「問題」続きの年月だったとして、新求道共同体に今後5年間、活動を中止するよう要請した。高見三明・長崎大司教が長崎から電話でカトリック通信CNAに12月15日語ったところでは、司教側の提案は共同体のキコ・アルグエリヨ創設者に直接行なったが、受け入れられなかった。教皇ベネディクト16世は、司教側の計画に満足していないと見られる。ただバチカンも共同体当局者も会談や提案について公式なコメントは出していない。

  ローマのレデンプトリス・マーテル神学校副校長のアンゲル・ルイス・ロメロ神父は、CNA通信に、自身も主任の平山高明司教も、現段階で意見を明らかにするのが賢明とは思っていない、と語っている。ロメロ神父は、日本神学校プログラムに登録している学生は21人。ローマに移籍以来、日本人とイタリア人の2人が司祭に叙階され、現在ローマで活動中と語った。

  高松の神学校閉鎖の際、バチカンは共同体が日本で活動を継続する際の管理方法を決定するため司教団と協力する教皇代理を任命した。当時、バチカンは、神学校が将来、「日本の福音化のために最も適当と見られる方向で貢献を続けられるよう」との「信頼」を表明していた。しかし高見大司教は、問題解決は難しいと見ている。共同体は「長年の間、高松教区で問題を数多く引き起こしてきた」と言う。大司教は、共同体のある司祭との経験や、他の司教からの同様な問題に対する聞き取りで、自分の教区では共同体の宣教を許可しないことに決めたと語った。

  共同体の司祭は、現地の司教と東京にいる上長の双方に従属することが、大きな問題だ、と大司教は説明する。「彼らは、活動している教区の司教に従いたいとは言うものの、それを全く実行していない。とにかく十分でも正当な方法でもない」と言う。問題は、権威に関することだけでなく、行なわれるミサの方法にもある。共同体の司祭は、ミサで日本語を使うが聖歌などは異なる。「彼らは全てキコ創設者の霊性に従うが、それは私たちの文化は心情からは全くかけ離れている」と高見大司教。

  さらに、教区司祭が執行するミサを「不完全」として、共同体のメンバーが自分たちのミサを優れたものとして推進しており、これも教区内に分裂をもたらした、と言う。財務面の問題もある。共同体は財務を教区から独立させており、官庁への収支報告を困難なものにし、また教区の力を削いでもいる

  司教側は、共同体の日本でのあり方に指針を設ける方法を探っている。高見大司教は、今回の教皇と司教団との会談で何が討議されたか正確に把握してはいないが、「日本の全司教が今回の会談に深い関心を寄せていることは確か」と言う。大司教は、日本の司教が、共同体の日本における将来について教皇の決定に従おうとしていることでは結束していることを強調した。

  高見大司教は、キコ創設者に出した提案が、共同体の活動5年間停止と、その期間を「日本における活動を反省するためのもの」とすることと言う。「5年経過した後に、司教側は共同体と問題の議論を始めたい。私たちは、彼らに立ち去って、二度と戻るな、と言いたいのでは決してない。望ましい形で活動して欲しい。日本語と特に日本文化を学んでほしいのだ」と語った。

 (なお、高松にあった「高松教区立国際宣教神学院」は2009年3月31日付で閉鎖、と当時、報道されている「カトリック・あい」)

 

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2017年9月29日 | カテゴリー :