Sr石野のバチカン放送今昔 ⑪教皇狙撃事件

 

 「教皇が撃たれた!」階段を二段跳びに勢いよく昇ってきた一人のミキサーが、すれ違いざまに吐き出すように言った。

 「えっ!」顔を見合わせたわたしたち二人に言葉はなかった。特別放送室では二人の神父が二か国語で事件を速報している。だが、未だ詳細は分からない。事件の全体像をつかむことも出来ず、断片的なニュースの提供にすぎない。

でも、「教皇暗殺未遂」は確かだった。このニュースは電光石火のごとく、世界中を駆け巡った。1981年5月13日、イタリア時間で午後5時24 分、一般謁見中に起きた教皇ヨハネ・パウロ二世狙撃事件である。

 犯人はトルコ人のアリ・アジャ。彼は、ジープでゆっくりと会衆の間を巡る教皇をめがけて二発を発射した。一発目は、教皇の腹部をめちゃくちゃにして貫通し、二発目は、教皇の右肘を傷つけ、左手の人差し指を骨折させた。意識がもうろうとする中で教皇は「マリア、わたしの母マリア」と唱え続けられたという。

 教皇は救急車でローマのジェメッリ病院に運ばれ、すぐに手術を受けた。手術は7,8時間かかった。その間、30分おきくらいに、4、5行のニュースが入る。ほとんどが「手術は順調に進められています」という内容。バチカンの日本語放送のオン・エアはイタリア時間で午後10時45分。できるだけ新しい情報を提供したくて、1人、オン・エアの時間ぎりぎりまで局で仕事を続けた。

 「これ以上は待てない」というニュース締め切り時間を迎え、「まだ、手術は続いています」という言葉でニュース原稿を書き終え、放送し、教皇さまのご無事を祈りつつ、暗いローマの夜道を一人、修道院に向かった。普段でも静かなローマの町全体が静まり返り、寂しさと悲しみに覆われていた。

( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2017年5月25日 | カテゴリー :