・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」(17)神への”恋”を実現する修行の要諦

 引き続き、筆者が毎日暗唱し、教訓・励みとしている14世紀ペルシャの大詩人ハーフェズの詩句である。

 「知らざるものよ 知ることのできるよう努力せよ 道を踏み出さなければいつ導くものになれるのか 愛の導師の導きで真実を求める道においては

 少年よ 急ぎ父親(導師)になれるよう努力せよ 修道の者のごとく 銅(無用のもの)から手を引け 恋の錬金術を手に入れ真金になれ

 惰眠と安逸をむさぼったため(本来の)自分から遊離した それならば惰眠と安逸をやめて(本来の)自分に戻ろう
真実の恋の光が汝の心と魂に降り注げばきっと地上の光よりも美しくなる

 ひとたび神の大海に浸れば 疑いなく 7つの大海の水も(汝の)髪一つ濡らすことはできない 汝の足から頭まですべてが神の光に包まれる

 威厳と威光(神の特性)の道に一心に邁進せよ 常に神の意を忘れず(神の意を)汝のものとするならば 正しい見方ができること疑いなし

 汝の存在の礎(生活)が失われようと 汝の心が乱されることをもはや恐れることはない

 ハーフェズよ 汝が神との邂逅を願うならば 徳(完璧)を求める(修道の)場に自らを置かなければならない」

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 筆者にとり、意味は明白であり、当然ですらあるが、実際においてはなかなかむつかしい。新たな道に乗り出す、といった大冒険ならずとも、毎日の勉強や些細な努力すらも、惰眠と安逸に流れてしまいかねない。そんなことでは目的や夢の成就はとてもおぼつかない、そのことを日々肝に命じている。

 他方、ハーフェズの意図するところは、自らの人生そのもの、人生に対する取り組み、すなわち神への恋を実現する道での修行の要諦を歌い上げるものである。その人生とは、(人を創造した)神から切り離されて別離と孤独を宿命とする人間として、それを克服するため神との再結合・融合を求め、本来の自分になれるよう努める生き方である。

 それが人生をよく生きることであり、完全な人間、徳の実現をかなえることになる。神との融合が実現すれば、大海の水すら人の髪ひとつ濡らすことはできず、神との恋が成就すれば愉悦に包まれた絶対的な人生が実現する。そうなれば、現実の生活の不足や不安、憂いなどは物の数ではなくなる。

 人生を生きるとは、よく生きるとは、そうした修道の人生を生きることである。実際の人生においては、修行が実を結ぶことは容易ではないが、裏切られても失望しても求め続けるほかにないのが人としての務め、宿命である。修道の場に踏みとどまる以外ない。そうした己の立場を理解し、修道の途に具体的に踏み出し、早く人をも導けるよう努めよ、と叱咤している。

 そのためには人の常である惰眠と安逸を排し、また修行にとって無用なもの(現世の権力や財、名声など)に気をひかれないで、ひたすら本来の自己発見(神との融合)に努めよ、そうすれば絶対的な境地を得られるのだ、と自らに言い聞かせている。

(翻訳は筆者)(駒野欽一=元イラン大使)

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2018年12月31日