・Sr.阿部のバンコク通信㉚ガルシアさんの訃報-祈りと医療に一生を捧げ、日本兵への感謝も忘れず…

 先日、敬愛するドメニカ ・ガルシアさんが、安らかに天に召されたとの連絡がありました。フィリピンのサンロレンソの出身。貧しく弱い人々の傍に立ち、全き奉仕の生涯を生きた女医。毎朝のミサに始まり、祈り、医療活動に身も魂も投じ、「神の名は慈愛」を証しした、85年の生涯。叱咤激励してくれた人生の、カトリック教徒の大先輩でした。

 ガルシアさんとは、私が25年前にタイに来て、間もなく親しくなりました。当時、バンコクの拘置所には常時5千人前後の不法滞在者が収容されていました。1987年にタイに来た彼女は30年余にわたって、拘置所にあるJRS(イエズス会難民司牧)クリニックの医師として活躍するかたわら、国境沿いのジャングルに潜む難民、北部の山奥の山岳民の村々をまわって治療にあたりました。薬と食料品を満載、協力する友人や看護師を連れ、時には警察の目を避けて、抜け道を通って、彼らに会いに行かれました。私も都合がつく限り、拘置所や巡回治療にご一緒しましたが、表立っては見えないタイの”ゲッセマネ”の主の兄弟に出会う機会となりました。

 タイに来る前のガルシアさんは、マルコス政権下の母国フィリピンを拠点に、クメール・ルージュ政権下のカンボジア国境、べトナムからの難民キャンプ、タイとラオス国境のノンカイ、マレーシア…と、国連機関からの要請を受けて各地に飛び、全力投球で奉仕されました。タイに来てからも、難民認定の為の検診書類作成や、数えきれない難民を受け入れ国へ同伴なさいました。

 彼女が私に、こう話したことがありました-「私は日本の兵士に救われました。高熱で瀕死の私を毛布で包み、昼夜交代で抱き、看護して、命を救ってくれたのです」。フィリピン唯一の聖人、聖ロレンソ・ルイス( 1636 年にドミニコ会の宣教師とともに来日、長崎で処刑され、聖トマス西と15殉教者の一人として列聖された)や、第二次大戦中、フィリピンに駐屯した日本兵への熱き思いを、飽くことなく語り、彼らが歌った日本語の童謡も聞かせてくれたガルシア先生。天国への凱旋を祝い、ご安息を心よりお祈りいたします。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

 

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2019年3月6日