・Sr.岡のマリアの風 ㊽ルーマニア、ローマ出張報告⑴

【出張の目的】

①ルーマニア訪問:エキュメニカルな「ビザンティン・マリアン・センター」設立準備をしている、Ionuţ Blidar神父(ギリシャ・カトリック教会[ビザンティン典礼])から、わたしが「アジアとオセアニアのマリアン・アカデミー」(AOMA)の秘書として招待された。わたしたちが同じ「東方」であること、また、同じように、さまざまな宗教、キリスト諸教会が混在する現実を生きていること、さらに「平和・いのち」のために境を越えての協働を模索していることで、互いの経験、思いを分かち合い、さらに大きな協働の輪を広げるため。

②ローマ訪問:AOMAの活動について、また、今年九月に開かれる「教皇庁立国際マリアン・アカデミー」(PAMI 主催の国際会議での、アジアとオセアニア部門の貢献についての話し合いのため。

2月17日(月):羽田出発

 長崎地方が雪の予報。予定より1便早い飛行機に乗る。空港に行く道で、雪が降り始める。羽田空港に着くと、打って変わって暖かく、晴天。春のよう。羽田空港は、新型コロナウィルス対策のためだろう、なんとなく物々しい。みなさん、マスクをしているけれど、欧米系と思われる旅行者たちは、ほとんど付けていない。客室乗務員も、マスクと、ナイロン手袋使用 NHK交響楽団の方たちが、同じ飛行機に乗るらしい。皆より先に、楽器を持って乗り込んでいる。

2月18日(火):ウィーン乗り換えでブダペスト(ハンガリー)へ

 早朝、乗り換えのウィーン空港着。コロナウィルスの影響があるかと心配していたけれど アジア人だからバイキン扱いされるとか、いろいろ質問されるとか 、まったくそんなことはなく
、パスポート・コントロールも並ぶこともなく、質問もなく、さっさと通過。もちろん(?)、マスクをしている人は皆無。羽田の、あの緊張感はなんだったんだろう。ほっとするが、大丈夫なのだろうかと、かえって心配する。

 空港内では、人々の列が出来ていた生ジュースのお店で、ミスター・ミントという名の、りんご、バナナ、ミントなどのミックス・ジュースを注文して飲む。プラスチックの大きなコップに、なみなみと入っている。おいしい。

 日本から、EU諸国への飛行機乗り換えは、空港によって、かかる時間が、ひじょうに違う、といつも経験する(一度、ドイツのミュンヘン空港だったか、延々と歩いた上に、パスポート・コントロールで、これまた延々と続く列に並び、乗り継ぎに一時間以上かかったことがあった) ウィーン空港乗り換えは、スムーズだし、歩く距離も短い(空港によってはターミナルが異なり、電車、バス、または歩きで移動しなければならない。まったく訳が分からなかったのは、数年前に行った中国での、上海空港乗り換え)

 乗り換え時間に余裕があるので、休憩エリアで休む。ブダペストへの飛行機は、 オーストリア航空のプロペラ機(さすがに、プロペラ機は久しぶり)。左右2列の座席、客室乗務員は二人 空いているし、 さながらバス旅行感覚。風は冷たいが、よい天気。座席の上の収納スペースが小さいので、飛行機に乗る前に、手荷物をワゴンのようなものに乗せて預ける(これは、ポーランドの小さな飛行場でもそうだった)。

 飛行機に乗り込み、プロペラが大きな音を立てて回り始める。まことにすごい音。ゆっくり進みながら滑走路へ。 けつこうガタガタ揺れる。こんなことで飛ぶんだろうか、と思ったが、滑走路で助走を始めるとかなりのスピードが出る(当たり前だけど)。

 今回、ルーマニアに招待してくださったのは、ルーマニア人でギリシャ・カトリック教会所属のP. Ionut Blidar神父(「ヨハネ神父」:Ionutは、福音作者「ヨハネ」のルーマニア語)。イタリアのベネツィアとローマで、ビザンティン典礼・神学を学び、ローマのアントニアヌム大学で博士号取得、PAMI(教皇庁立国際マリアン・アカデミー)の、各地の「通信(連絡)会員」である。今、PAMIの助力のもと、ルーマニアに、「ビザンティン典礼の、エキュメニカルなマリアン・センター」を設立するために尽力している。東方教会の司祭で、奥さんがいて、男の子が生まれたばかりだ。

 ちなみに、P. Ionuţは、ルーマニア語では、Părinte(「神父」)Ionuţ Blidar。 Blidarは「器を作る人」の意味だそうだ。(「Ionuţ」は、わたしの耳には「イヨヌッツ」と聞こえる。最後のtの下にひげが付く)。

 【ブダペスト(ハンガリー)で夕方まで】

 ブダペストはハンガリーだが、 P. Ionut(ヨハネ)が住んでいるところは、ルーマニアの西の端、ティミショアラ(Timisoara)という町で、国際空港としてはブタペストが一番近い。
ウィーンを離れ、飛行機の窓から見ると、どこまでも続く平野に 風力発電の白い柱が点在している。 40分くらいで、ブダペスト着。福岡・釜山間よりも短い。

 荷物を取って出てくると、P. Ionutは、まだ来ていない まったく未知の場所なので、とにかく待つ。空港のフリーWiFiに繋がったので、「 今着きました、待っています」とメッセージを送る。ぼーっと立っていると、空港案内のお姉さんが近寄ってきて、「何か、お困りですか?」。「人を待っています」と言うと、(わたしの荷物が多かったので、人通りの邪魔をしていたらしい)「こちらの柱の近くに寄って待っていてください」と親切に。よく見ていると、このお姉さん、ちょっと困っているような人のところに、さっさと行って、声をかけている。

 まもなく、P. Ionutからメッセージ 「ようこそ!もう着いたの?僕たちも空港にいるよ、今、どここ」。「あの」お姉さんを呼んで、ここは第何ターミナルですか?と聞く。「第2Aターミナルの到着ロビーです」と丁寧に教えてくれる。その通りP. Ionutに返事。「動かないで待ってて!」と神父から返事。よかった。

 ほどなく、P. Ionutと、 友人で東方教会の信徒であるCosmin コスミン さんが迎えに来る。 P. Ionutは暑がりらしく、けっこう軽装。彼らは、わたしの飛行機が着いてから、わたしが出てくるまで もっと時間がかかると思っていたらしい。実際、バス旅行くらいの人数だったので荷物はすぐに出てきたし 、パスポートコントロールはウィーンで済ませていたので、出てきたのは、日本の国内線よりも早かったかも知れない。

 Cosminさんの運転で、11時半前に空港を出発して 夕方まで、ブタペストの町を回る。主に見た場所は ブタペスト中央駅 ハンガリーの保護の聖人、聖ジャラルド(Gerardo Sagredo 980年、ベネツィア―1046年、ハンガリー)の大きな像が町を見下ろしている公園。ゴシック式のカテドラルのような議事堂 、カテドラル(司教座聖堂)(入場料有りだったが、「司祭と修道者は無料でどうぞ」と言われる)。 無原罪の聖母像が中央祭壇の上にある ゴシック様式だが、柱など色鮮やかな彩色。これは、ルーマニアの教会でもしばしば見られた。

 ハンガリーも、ルーマニア同様、共産主義政権を経験した。通りの建物を見ていると、ひじょうに繊細な彫刻、飾りが施されている古い建物と、みんな同じ形の、そっけないアパートのような建物が混在している。後者は「それまであった建物を壊して、共産主義政権が建てたものだ」とP. Ionut。場所によっては観光客でにぎわっているが、全体的に「灰色の町」という印象を受けたのは、わたしだけだろうか。

 夕方、ブタペスト出発 車の中で、もうれつに眠くなる(時差ぼけのときは、いつもこのように急激に眠くなる)。 途中、コーヒー休憩(これはもちろん、運転手のコスミンさんのため)。コスミンさんに、「おなかすいていませんか?何か食べますか?」と聞かれるが、ジュースだけでいいです、と言うと、遠慮していると思ったのか(?)、チョコレートを二つ買って、持ってきてくれる。

 【ティミショアラ(ルーマニア)に到着】

 ハンガリーとルーマニアの国境、パスポート・コントロール所で「どこから?」と聞かれる。「日本から 」と答えると、「ちょっと待ってて」と警備員 。新型コロナウィルス関係で問題なのか、と心配するが、すぐに戻ってきて「どうぞ」。 よかった。

 二人は、「さあ、ここからルーマニアだよ。ようこそ、僕たちの国に」。P. IonutとCosminさんが住んでいるTimișoara(「ティミショアラ」と発音)は、Timiș(ティミシュ)地方に属している。

 Timișは川の名前。さらに、Timisc地方は、Transilvania(トランシルヴァニア)地方-現在のルーマニアの西方半分以上を占めている―にある。Transilvaniaは「森の奥(後ろ)」を意味し、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国で、1917年、ルーマニア国として統一された。ルーマニアの中で「西洋化」された、生活水準が高い地方だ、とP. Ionutから説明を受ける。

 宿泊場所は、P. Ionutが、彼の家の近くの(同じ通りらしい) 小さなキッチン付きの「アパートメント」に部屋を予約してくださった。 エキュメニカル・センターの宿泊施設は、まだ準備中なのでアパートに行く前に スーパーに寄って 明日の朝食のために牛乳、水、ビスケットなど購入(21時、閉店ギリギリだったので、パンはなかった) 。日常の小さなことに関する、この辺の気遣いは、彼が家庭をもっているからかもしれない。

 アパートに着き、荷物を下ろす。P. Ionutが「自分はミサを捧げるが、よければ、ここ(アパートの部屋 )で捧げてもいいですよ。疲れているなら、僕は家に帰って捧げます」と言ってくれる。「ミサにあずかりたいです」と言うと、P. Ionutは、アパートの一室の机の上に祭壇を準備(イコン、ろうそく… )し、イタリア語で、東方典礼のミサを捧げてくださった(イタリア語のミサ、教会の祈りのテキストは わたしのために準備してくれていた)。

 ミサの後、祭壇(となった机)はそのままにしておいてくださる。「いつでも主の前で祈れるように」とP. Ionut [写真]

 「明日の朝はゆっくりしましょう」と言って、P. Ionutは家に帰る。寝たのは夜中ごろ。 P. Ionut、コスミン氏のほうが、よっぽど疲れただろう…  感謝!

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

 

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2020年3月14日