今から113年前の明治39年4月1日に世に出た医学書が手元にある。刊行されたのは、日露戦争の終戦翌年に当たり、「満鉄」設立の勅令が出され、夏目漱石が『坊っちゃん』と『草枕』を発表した年だ。本の題名は、『実用家庭看護法』(目黒書店)。当時はまだ相当に珍しかった女性の医師・大八木幸子氏が編集した家庭向けの医学書である。現代医学の立場から眺め直して、違和感を覚える記述もある。しかし、「在宅医療」に関する記述には、大いに学ぶべきところがあると感じた。
明治の世に病気を患った人々は、家庭で療養生活に入り、必要に応じて医師の往診を受けるというケースが非常に多かった。俳人・正岡子規が結核で療養生活を送り、36歳の若き一生を閉じたのも自宅だ。その<終の間>を公開している東京・根岸の「子規庵」を見学されたことのある方も多いだろう。子規の没年は明治35年。『実用家庭看護法』が刊行される4年前に当たる。
一方、明治政府のテコ入れもあって、首都・東京を中心に近代的な病院の整備は急速に進みつつあった。患者や家族にとっては、「在宅医療を受けるか?」「入院生活を送るか?」を選択できるようになった初めての時代だった。
こうした中で、前掲の『実用家庭看護法』は次のように記述する。
〈病人は、心静かに、快楽に日を送らしむることをはかるべし。人の、病にかかりたる時に、家族の者より慰めを受くるは、最大幸福なることにして、これをもって家庭療養の病院療養にまされりとするところなり〉(第二編『病者の衛生および各容体について』の『慰愉』の章から=仮名遣いなどを一部改め、句読点も追記した)
在宅医療には家族の慰めがある――。自宅に身を置いて療養生活を送ることの長所をずばりと指摘した記述だ。家族とともに穏やかで安らぎに満ちた時間を過ごせる点を強調することで、在宅医療のメリットをうたう。
求められる家族のケアについては、次のように記述されている。
〈病人には、病苦を忘れしめむために、その病人の好むところに従いて、花を活け、琴を弾じ、書籍を読み聞かせ、また静かに談話などして気を転ぜしむべし。しかしながら、ただ安静をのみ必要とする場合には、これらも害あり〉(同)
令和の時代に、ベッドサイドで琴を演奏するのはさすがに難しい。だが、患者が好む環境を作り出す工夫を指摘している点は、なるほどとうなずける。注目したいのは、介護に当たる家族に対して「休息を取る」ことの重要性を繰り返し説いている点だ。
〈病人のある家にては、看護する人も良く摂生を守り、相当に休息せざれば、第二の病者を生ずることあり。あるいは、看護に怠たりを生ずるものなれば、看護者も疲労せざるようにすべし。夜間看護を要する場合には、二人以上あい交代し、睡眠時間はかならず六時間以上取り、食事を正しくし、滋養分を取り、日々入浴して身体清潔にし、健康を破らざるようにすべきなり〉(第二編の『診察を受け看護するについての注意』の章から、同)