・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑲友がサアディの詩に託した東日本大震災への哀悼

 イスラム世界に大きな役割を果たしたペルシャ文化、その華であるペルシャ詩の巨星、14世紀の詩人ハーフェズの詩の紹介である。筆者が日ごろ暗唱し自らへの励み、教訓としているハーフェズの詩の断片を、サアディが詠んだ以下の短形詩(ガザルという)全体とともに解説する。

 「夜泣き鶯(詩人自身のこと)は 心に血を流しながら 花(詩人最愛の息子)を育んだ(神が吹かせた)見えざる風により(花弁は散り)百ものとげが夜泣き鶯の心に突き刺さる オウム(同じく詩人自身)は(大好物の)砂糖(同じく詩人の最愛の息子)を思い浮かべて 心楽しかった

 『突然虚無の大岩がすべての夢を木っ端みじんにした』 我が目を輝かす源 かの心の果実 楽しい思い出(いずれも息子のこと)自らはさっと行ってしまった 我には苦難が残される 隊商の先導者よ 我が荷物が落ちた 神よ助けたまえ 恵みを信じてこの隊商に加わったのに 土色の顔 滂沱の涙の我を見下すことなかれ

 大空の下 わら入りの泥で作られた楽しみの場(流転する現世におけるハーフェズの詩作品)は(土色の顔に滂沱の涙を流す)我が作 ああ何ということか 天空の月は嫉妬して悪しき目 我が月のごとき弓のような額(美男子の息子)は墓を住処とした 王手に差し掛かった時ハーフェズはチャンスを生かせなかった いかんせん 運命のいたずらは我を金縛りにした」。

 筆者が暗唱している『 』の部分は、かつて本コラム冒頭で紹介した通り、筆者がペルシャ文学に開眼したハーフェズの一句である。3.11東日本大震災に際して、ペルシャの詩を読み上げて弔意と哀悼の意を伝えてくれたイランの友人。その詩心にいたく感動して、分からぬままに詩集の頁をめくる我が目を釘付けにしたのがこの一句である。未曽有の大災害に深い衝撃を受けた日本人、その一人である筆者の心にずしんと響き、その時の気持ちをぴたりと表現した一句である。

 この詩をハーフェズは、最愛の息子を突然失った時に読んでいる。“シャー ラフマン”という名のハーフェズの息子は、インドへの旅行中なくなったと言われる。自慢の種であり、希望の源、将来への期待であった若き息子の突然の死、あとに残されて心は真っ白になり呆然とする詩人の気持ちを伝えて余すところがない。

 冒頭にある夜泣き鶯は、ペルシャ文学ではおなじみの”ボルボル”という鳥、ここではハーフェズ自身である(両者の醸し出す音色、すなわち鳥の囀りとハーフェズの詩のリズムの心地よさが共通)。心血を注いで育て上げた花、すなわち我が息子が、運命により吹き散らされ花弁は散り散りになるとともに、あとに残ったとげが夜泣き鶯、すなわちハーフェズの心に突き刺さる。

 オウムもハーフェズ自身であり(オウムも喋るのを得意とする)、オウムの大好物の砂糖は息子である。その息子の突然の死は、まさにすべての夢を木っ端みじんにした。すべてを失ったハーフェズに残るのは苦難のみ、隊商すなわち神の愛を求める修行の道に加わったのも、運命の気ままに打ち勝つためであったのに、との嘆き節も禁じ得ない。そんな落胆のどん底にあっても、詩人としての自負は萎えない。むしろそれにすがらざるを得ない。

 ハーフェズの顔面からは血の気は失せ、滂沱の涙、そんな我が姿を見て、日ごろの修行はどうしたのかと言って見下すことはしてくれるな、と詩人としての自負を精一杯歌い上げている。 この世の人々の楽しみは己が紡ぎだしたもの(ハーフェズの詩作)と虚勢は張ってみても、恨めしいのはこの世の運命、息子に何もしてやれなかったことを最後まで悔いている。

 天空の月の「悪しき目」とは、他人に「悪しき目」でにらまれれば、「悪しき運」に侵される、との今に至るペルシャ世界の俗信を踏まえたものである。

(翻訳は筆者)(駒野欽一=元イラン大使)

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2019年2月28日