・菊地大司教の日記 (56)1月1日は聖マリアの祝日、世界平和の日、守るべき祝日

2019年12月30日 (月)

主の降誕、おめでとうございます

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 まもなく2019年が終わろうとしています。12月31日の深夜、年が明けて2020年1月1日零時ちょうどから、東京カテドラル聖マリア大聖堂では新年のミサが捧げられます。わたしが司式いたします。1月1日は神の母聖マリアの祝日であり、世界平和の日でもあります。日本では1月1日は守るべき祝日となっていることをお忘れなく。31日の深夜ミサは、その守るべき祝日の1月1日のミサです。信徒ではない方も、年の初めのミサに、どうぞおいでくださり、祈りの時を一緒にいたしましょう。

 さて少し遅くなりましたが、主の降誕のお喜びを申し上げます。クリスマスおめでとうございます。

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12月24日の夜、典礼的には日没後ですから翌日ですの、クリスマスの夜半のミサを捧げました。わたしの担当は夜10時。遅い時間にもかかわらず、大聖堂が一杯で、立ち見の方もおられる盛況でしたが、聖体拝領の時に祝福の方が半分ほどでした。

この日、関口教会では夕方5時、夜7時、夜10時、深夜零時の4回、夜半のミサが捧げられ、翌朝7時に早朝のミサ、そして10時に再びわたしが司式して日中のミサが捧げられました。典礼ではこれに前晩のミサも整えられており、4回のミサがクリスマスのために用意されていますが、伝統的には、夜半、早朝、日中の三回のミサが捧げられてきました。

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教皇様の訪日の記憶がまだまだ鮮明ですし、その語られて言葉のインパクトは大きく、さらに深めていく必要もあると思います。ですので、このところどこに行っても説教は、教皇様の日本での言葉の引用です。お許しを。

以下、夜半のミサの説教の原稿です。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住むものの上に、光が輝いた」

愛する自分の子どもに、最高の贈り物を与えたい。愛するあの人に、最高のプレゼントがしたい。クリスマスと言えばプレゼントがつきものですし、今日もこのミサが終わってから、またはもうすでにそういうシーズンですから、プレゼント交換をする人も少なくないことだと思います。

もちろんクリスマスとプレゼントは無関係ではありません。それは、クリスマスの出来事そのものが、神から人間への最高のプレゼントとして起こったからに他なりません。神は自ら創造した人間を愛するがあまりに、闇にさまようようにして生きている人間を見捨てることなく、神に至る道を指し示すために、自らを人間としてお与えになった。

最初に天地を創造された状態にこそ、神が定められた秩序が実現しており、それこそが本当の意味での正義と平和に満ちあふれた状態であった。しかし人間は与えられた自由意志を乱用し、その世界からはみ出し神から逃れることによって、闇の中をさまようことになった。そこで神は、闇の中をさまよい続ける民に、自らが道しるべの光となるために、そして神の道に立ち返るよう呼びかけるために、自ら人となって誕生し、人類の歴史に直接介入する道を選ばれました。

この神の行為にこそ、わたしたちの信仰における重要な行動の原理が示されています。
必要があるところに直接自分から出向いていくという、行動の原理です。
神は天の高みから人に命令を下すのではなくて、自ら人間となって、人のもとへと出向いていくことによって、そこに光をもたらそうとされました。

教会は、神が示された道を歩みたいと願っています。ですから、神ご自身の行動の原理に倣い、必要とされているところへ自ら出向いていく教会でなければなりません。

「出向いていく教会」とは、あらためていうまでもなく、先日訪日された教皇フランシスコが、幾たびも繰り返されている教会のあるべき姿であります。

教皇はなぜ日本に来られたのか、と問う声がありました。教皇はまさしくこの教会のあるべき姿を自ら実践されたのではないかとわたしは思います。そこに必要があるからこそ、教皇は日本に来られた。

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それではいったいどのような必要が日本にはあるのか。それは今回の訪日のテーマであった「すべてのいのちを守るため」という福音のメッセージを、伝えなければならないような現実が日本にあるからこそ、教皇は自ら出向いて、現場に足を運んだのです。宮殿の中から教え命じる教皇ではなく、現場に足を運び、苦しみのうちに助けを、闇の中に光を必要としている人たちとともに歩みながら、大切なメッセージを発信するのは、今の教皇のスタイルです。

今わたしたちが生きている社会の現実は、ともにいのちを守ることよりも、自らのいのちを守るために他者を排除する社会でもあると感じることがあります。異質な存在を排除して安心安定を得ようとする誘惑に満ちあふれています。それは障害のある人たちへの排除であったり、海外から来られた方々への排除であったり、性的指向性による排除であったり、思想の違いによる排除であったり、姿格好の相違による排除であったり、文化や言葉や慣習の違いによる排除であったり、ありとあらゆる排除の傾向が現実社会には存在します。

異質な存在を排除することで安心安定を目指す社会は、残念ながら一部のいのちを守ることはできるでしょうが、「すべてのいのちを守るため」の社会ではありません。

教皇は、東京ドームでのミサで、こう呼びかけられました。
「わたしたちは、すべてのいのちを守り、あかしするよう招かれています。知恵と勇気をもって、無償性と思いやり、寛大さとすなおに耳を傾ける姿勢、それらに特徴づけられるあかしです。それは、実際に目前にあるいのちを、抱擁し、受け入れる態度です。『そこにあるもろさ、さもしさをそっくりそのまま、そして少なからず見られる、矛盾やくだらなさをもすべてそのまま』引き受けるのです。わたしたちは、この教えを推し進める共同体となるよう招かれています」

その上で教皇は、「傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」と述べて、誰も排除されない社会は、神のいつくしみを状況判断の基準とする社会だと指摘されました。

さらに教皇は、このカテドラルで、集まった青年たちを前にして、こう言われています。
「世界には、物質的には豊かでありながらも、孤独に支配されて生きている人のなんと多いことでしょう。わたしは、繁栄した、しかし顔のない社会の中で、老いも若きも、多くの人が味わっている孤独のことを思います。・・・抱えている最大の貧しさは、孤独であり、愛されていないと感じることです」

クリスマスにはプレゼントがつきものです。神はすでに最高のプレゼントをわたしたちに与えられました。闇に輝く光を輝かせ、わたしたちに善の道を示し続けてくださっています。

今夜、主の降誕を祝うわたしたちが、自ら与えることのできるプレゼントはいったいなんでしょうか。わたしたち一人ひとりは、いったい何のために、どこへ出かけていくことができるでしょうか。伝えなければならないメッセージの必要があるところは、いったいどこでしょうか。

教皇は、「何のために生きているのではなく、だれのために生きているのか。だれと、人生を共有しているのか」と問いかけました。

わたしたちはこの問いかけにどう答えることができるでしょう。それぞれの生きている場の中で、この問いかけへの答えを探し続けたいと思います。

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誰のもとへ、どのようなプレゼントを持ってで向いていくのか。

「すべてのいのちを守るため」は、いま、この日本に生きているわたしたちすべてにとって、最も重要な呼びかけの一つであると思います。わたしたちは、この呼びかけに応えて積極的に出向いていき、いのちが危機に直面している暗闇の中で、互いに支え合い、互いを尊重し合い、理解を深め、いのちを守り抜いている姿を光のように輝かせ、より善なる道を指し示すプレゼントとなりたいと思います。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住むものの上に、光が輝いた」

 主イエスの輝ける光を、わたしたちも輝かし続けましょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)(「司教の日記」より)

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2019年12月30日