・森司教のことば ㉑『自己中心的な教会は、イエスを自身の目的のために利用し 、イエスを外に出さない。これは病気だ』・・教皇の言葉

 カトリック教会の現状について心配し、将来どうなるのだろうと不安を抱く人は、少なくないのではなかろうか。

 現教皇もその一人である。あまり知られていないが、まだ一枢機卿でおられたとき、ベネデイクト16世が引退した直後の、次期教皇を選ぶための準備の枢機卿会議の中で、教会の現状を憂いて、「教会は病気だ」とまで発言されているのである。

 「自己中心的な教会は、イエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。これは病気だ。教会機関のさまざまな悪なる現象はそこに原因がある。この自己中心主義は教会の刷新のエネルギーを奪っている」と述べ、そして最後に、「2つの教会像がある。一つは福音を述べ伝えるため、飛び出す教会だ。もう一つは社交界の教会だ。それは自身の世界に閉じこもり、自身のために生きる教会だ。それは魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投げ捨ててしまっている」(2013年3月)と。

 この発言には、列席していた他の枢機卿たちはきっと驚き、中には、その発言に眉をひそめた方もおられたかもしれない。しかし、枢機卿団は、そのような枢機卿を敢えて教皇に選出したのである。

 「自己中心的な教会は、イエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。こんな教会は、病気だ」という教皇の言葉の背後には、長いカトリック教会の歴史がある。

 先ずは、16世紀に教会が分裂した後の、プロテスタントからカトリック教会を守らなければならないという思いから生まれた教会の護教的な体質である。

 教会分裂を招いた責任は、無論、教皇をはじめとする高位聖職者たちの腐敗堕落といかがわしい免罪符の乱発にある。直接のきっかけは、メジチ家出身のレオ10世が、サンピエトロ大聖堂改築の資金集めのために免罪符を乱発したことだった。

 こうした教会の腐敗堕落を目の当たりにして、刷新しなければという声をあげたのがルターである。彼によって始まったプロテスタント運動は、基本的には、教会の刷新・改革を求めたモーブメントと理解すべきである。

 分裂の痛みを体験したカトリック教会も、トリエント公会議(1545〜1563)を招集し、刷新・改革を図ろうとする。混乱した当時の社会状況から断続的な開催になったが、18年の歳月をかけて、教会の浄化と刷新について話し合い、分裂のきっかけとなった聖職者たちの腐敗堕落を払拭するために厳しい規律を設け、掟を前面に打ち出して、教会全体の綱紀粛正を図ると同時に、プロテスタントとの違いを明確にするために教義をまとめ、トリエント公会議の要理として一般に示して、教えと規律を中心とした流れを生み出したのである。

 その姿勢は、徐々に教会の隅々にまで浸透し、そのお陰で教会は浄化され、新しく生まれ変わることが出来たが、結果としては、教えと規律で信者たちを縛り、教えと規律の枠をもって人々と世界と向き合う共同体を育ててしまうことになったのである。その姿勢が現代に至るまで受け継がれてきてしまっているのである。

 一般の人々に、カトリック教会は、心の清い人たちの集まりで、自分のように汚れた人間は相応しくないなどという印象を与えてしまったのは、このような背景があったからである。

 その後、カトリック教会の護教的な姿勢をさらに強固なものにしてしまったものは、近代主義との対峙である。近代主義とは、17世紀以降のヨーロッパ社会全体に芽生えた新しい価値観・世界観による、それまでにはなかった新しい流れである。

 それは、フランス革命の際に掲げられた『人間はみな自由・平等』であると言う理念と、ガリレオ問題に象徴される合理主義・実証主義と、それに産業革命とともに誕生した資本主義経済を柱とした社会の営みである。

 当時のカトリック教会は、合理主義・実証主義は聖書の信憑性への疑いを抱かせ、資本主義経済は人々の心を、富の豊かさに靡かせ、神から引き離して地上の幸せに引き寄せ、信教・信条の自由は、人々の教会離れを勢いづかせてしまう危険な毒として受け取ってしまったのである。

 教会は、そうした毒が教会全体に及ばないように、さまざまな手を打っていったのである。ピオ9世(1792〜1878)からはじまってピオ12世1876〜-1958)に至るまでの歴代教皇に共通するものは、教会内の引き締めと近代主義に対する断罪である。

 その中でも最も目立つのが、ピオ9世だ。彼は、機会がある毎にカトリック教会の絶対性を訴え、近代主義を厳しく断罪し続けます。いくつかの回勅をだしていくが、その中でも有名なものは、1864年12月8日に公布した回勅『クワンタ・クラ』(Quanta Cura)である。直訳すると『何と心配なことか!』になる。

 その中で教皇は、自由主義合理主義、実証主義、さらにはまだ芽生え始めたばかりの社会主義共産主義まで糾弾し、その回勅の公布に合わせて、「誤謬表」を発表する。それは、近代主義の考え方を80の命題にまとめ、過ちとして列挙したものである

 また、教会は一致団結して闘わなければならないと言う思いから、世界に散らばる教会を統合し、カトリック教会を、教皇をピラミッドの頂点とした、強固な中央集権的な組織に導いたのも、彼である。

 そんな教皇の下でその手足となって働くバチカンの省庁が、全世界の教会に対して非常に大きな影響力を持つようになったのも、このような背景からである。

 さらにまたピオ9世は、第一バチカンン公会議を招集し、教皇の不可謬権を信仰箇条として宣言する。教皇は不可謬であると言う教義は、教会が示し伝える教義に信者たちが疑義を抱くことなく受け取っていくことができるための根拠となったのである。

 こうして教会は、教義について疑うことも議論することも許されない、重々しい雰囲気に覆われるようになる。聖職者を始め信者たちの言動を監視し、それを取り締まる機関として検邪聖省が生まれたのも、この時期です。この時期、教会全体が、近代社会と対話も出来ず、思考停止のような状態になってしまった言っても言い過ぎではない。。

 教会が、単なる組織ではなく、キリストを頭とする神秘体であり、教会そのものが救いの秘跡である、教会に触れるものはキリストに触れる、などという教会の神秘的な側面を強く訴えたのが、ピオ12世である。つまり、教会に触れ、教会につながっていくことの重要性を強調したのである。

 しかし、社会の営みを世俗主義とした決めつけ、聖職者たちから教えを学び、教会につながることに救いがある、と強調し続けた教会が、世界の営みに対する影響力を失っていくのは、当然である。

 それは、第一次世界大戦、第二次世界大戦が勃発し、多くの町や村そして都市が破壊され、多くの人々が血を流し、多くの人命が奪われていく悲惨な状況に、何一つ手を打つことが出来なかったことからも、明らかである。

 ヨハネ23世の呼びかけによって開催された第二バチカン公会議後、頑なな教義主義、秘跡中心主義、そして権威主義はやわらいだことは確かである。それ以前の教会のありようと比べてみれば、自由な風が吹き始めたことは、誰もが認めるところであるが、トリエント公会議後、数百年と受け継がれてきた護教的な姿勢、教義や秘跡を中心とした姿勢は、今もって私たちの心の深くに刻まれおり、無意識のうちに、縛られ動かされてしまっていることも事実なのである。

 現教皇は、その弊害を、私たち以上に敏感に、そして痛切に感じ取っておられるのではないかと思う。カトリック教会が、今もって、教義主義、秘跡主義、権威主義から抜け出せず、複雑でしかも過酷な社会の仕組みの中でもがき苦しむ人々と直接向き合おうとしてないことに、現教皇は、苛立ち、そんな教会の姿を、「イエスを教えと規律の中に閉じ込めた自己中心的な教会」と断罪し、嘆かれたのだと私には思われるのである。

 教皇が、全教会に求めるものは、人への眼差しを中心にし、人への愛に軸足を置いた教会共同体への転換である。憐れみの特別聖年をよびかけたのも、そのためだと捉えていくべきである。

 (森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)⇒筆者のご都合により、5月号以降、しばらく休載いたします(「カトリック・あい」)

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2018年4月16日