・三輪先生の現代短評④アラン・コルバンの『静寂と沈黙の歴史』に触発されて

 平成31年1月28日午前4時、私は寝室の静寂から書斎の静寂へと身を移した。

 机上には気になった新聞記事の切り抜きが置かれている。防衛大学校の国分良成校長の教育理念の淵源が説かれている。範はイギリスのパブリックスクールにあり、「ノブレス・オブリージ」、「士官にして紳士」人のために一生を捧げる覚悟・知識・体力を備えた人間を涵養することを目標としている。

 『日経』(2019・1・21)の郵送による世論調査の結果は「信頼できる」日本の機関や団体、公職のなかで「トップ」が自衛隊であった。この2つの情報を繋ぐと、誰しもが防衛大学校の教育の成果と思わずにはいられないだろう。

 昨年の春、講演を頼まれて防衛大学校を訪れたことがある。広々としたキャンパスの戸外にも校舎内にも、豊かな静寂が満ちみちていることに、深い感銘を覚えた。

 ひるがえって自身の経験に照らして、旧制高校に同じ質の沈黙の時間帯はあったろうか。寮生にとって寝室の静寂はストームの暴力的喧噪で破られた。静寂は図書室内だけだったろうか。剣道場、柔道場に禅的な静寂はあったのだろうか。一大騒音の典型は「デカンショデカンショで半年や暮す、後の半年や寝て暮らす、ヨーイ、ヨーイデッカンショ」だった。寮生活はまさにこの造られた騒音と就寝という自然な沈黙と静寂の混淆であった。

 戦後旧制高校は廃絶され、その教育制度を惜しむ経験者はあまたいるが、その静寂を懐かしむ者はあまりいないようだ。それはどういう事か。

 戦前日本の教育の現場では沈黙と静寂は基本的徳目とされていたと思う。毎年何処かで旧制高校の卒業生による寮歌祭が開催されている。騒音による一体化の方が記憶に残り、懐かしがられている、という事なのであろうか。

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

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2019年1月30日