・「正義の戦争」の是非を問われた教皇の、絶妙な答えとは

 教皇フランシスコが、世界教会協議会(WCC)創設70周年の教会一致を祈る集いに出席のためジュネーブへ一日巡礼の旅をされたが、21日夕の帰国途上の機上会見で、短いがきわめて注目される記者団とのやり取りがあった。それは、「教会が『正義の戦争』論から距離を置く可能性はあるのか」との問いに対しての、教皇の絶妙な返答である。

 記者団の「正義の戦争」論には直接お答えにならず、このように話されたのだ。「第三次世界大戦があれば、それは核兵器によって戦われることになる、と私たちは知っています」。そして、「第四次、というもの」があれば「棒を使っての戦いとなるでしょう」と。核兵器による世界大戦は、地球に壊滅的な被害をもたらし、原始時代に戻ってしまうだろう。仮に生き残る人がいて、また戦争をしようとしても、銃も刀さえも残っていない。わずかに使えるのは棒きれだけ…

 この教皇の答え方がなぜ絶妙だ、と思ったのか。それは、ファリサイ派とヘロデ派の人々がイエスに、どう答えても攻撃できると考えて、皇帝の税金ついて、質問した場面を連想したからだ。「正義の戦争」という言葉は、歴史的に見ても、戦争を正当化するために利用されてきた。だから、「正義の戦争」という言葉を詳細な定義もないまま、支持するような発言をすれば、「教皇は戦争を是認している」とたたく材料を、マスコミに提供することになる。

 だが、記者団の問いを肯定し、「正義の戦争」は認められない、というニュアンスで語れば、第二バチカン公会議が決めた「現代世界憲章」の関連個所も、同公会議30周年を記念して教皇ヨハネ・パウロ二世が公布し、現在もカトリック教会の具体的な教義の基本となっている「カトリック教会のカテキズム」の関連個所も否定することになり、世界の現状を無視しているようにも受け取られかねない。

 「現代世界憲章」では、1596項で「戦争は、人間の状況から根絶やしにされたわけではない。戦争の危険が存在し、しかも十分な力と権限を持つ国際的権力が存在しない間は、平和的解決のあらゆる手段を講じたうえであれば、政府に対して正当防衛権を拒否することはできないであろう」という判断を示している。

 そして、「カトリック教会のカテキズム」は第3編「キリストと一致して生きる」第2部「神の十戒」第5項「第五のおきて」の3「平和の擁護」で、で「一人ひとりの国民及び為政者は、戦争を回避するために努力しなければなりません」(2308項)としたうえで、現代世界憲章の先の言葉を引用。「軍事力による正当防衛を行使できるための厳密な条件というものが、真剣に検討されなければなりません。…行使には、以下のすべての条件がそろっている必要があります」(2309項)と述べ、条件として①国あるいは諸国家に及ぼす攻撃者側の破壊行為が持続的であり、しかも重大で、明確であること②他のすべての手段を使っても攻撃を終わらすことが不可能であるか、効果をもたらさないことが明白であること③成功すると信じられるだけの十分な条件がそろっていること④武器を使用しても、除去しようとする外よりもさらに重大な害や混乱が生じないこと⑤現代の兵器の破壊力は強大なので、該当条件には極めて慎重に考慮すること-を挙げている。

 同項では続けて「戦争を倫理的に正当化する以上の諸条件がそろっているか否かを慎重に判断することは、共通善についての責任をゆだねられている人たちの任務」とし、「このような場合、政治をつかさどる者には、祖国防衛に必要な任務を国民に課す権利と義務があります。職業軍人として祖国の防衛に従事する人々は、国民の安全と自由を守るための奉仕者です。自分の任務を正しく果たすとき、共通善並びに平和の維持に真に貢献するのです」(2310項)と言明しているのだ。

 短い飛行時間の間の記者会見で、しかも、かなりの時間が「プロテスタントである配偶者に対する聖体拝領についてのドイツ司教団の前向きの姿勢」についての是非、という微妙な質問への対応にかなりの時間が撮られた後の、この質問である。本来なら、上記のような内容をご説明になったうえで、これらに記述された内容に変更はない、とお話しになれば、良かったかもしれないが、時間がなさすぎる。中途半端な答えでは、微妙な問題に誤解を生む。それよりも、先日も米国と北朝鮮の間で一時、核戦争の危険性が高まるなど、ますます深刻化する核の脅威を抑えることが先決、という日ごろからのお気持ちを表すことが、限られた時間の中では適当、と判断されたのだろう。

 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が18日発表した2018年版「世界の核軍備に関する年次報告」によると、世界の核保有国は米国、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9か国で、2018年年初現在の保有核弾頭の合計は推定1万4465発に上っている。

 弾頭数自体は、一年前の1万4935発よりも総数では米ロ中心にわずかに減っているが、そうした中で、中国だけは弾頭数を前年より10発多い280発に増やし、北朝鮮も10∼20発保有、米本土を狙う大陸間弾道弾(ICBM)の開発に合わせて、これに搭載する核弾頭の小型化も進めている。先の米朝首脳会談で、北朝鮮側は「半島の非核化」という抽象的な言明をしたものの、現在保有している核兵器を廃棄する、とは言っていない。

 北朝鮮は9番目の核武装国として既成事実化に成功し、中国は年二けたの軍事予算の大幅伸びを続ける中で、4つの空母打撃群を日本海からインド洋に至る広範な海域に展開すべく建造を進めているが、核兵器による武装を当然、前提としているだろう。ロシアも爆撃機搭載の長距離・高精度の極超音速核ミサイルを開発していることが明らかになるなど、事実上の独裁国による核攻撃力の近代化・強化の動きが目立っているのだ。

 教皇の世界的な視野の広い、公平かつ冷静な現状認識、そしていつもご自身が繰り返されておられる識別力に、先の機上会見の短いやり取りであらためて敬意と共感をもったのは、私だけではない、と思いたい。

 そして、それにつけても、悲しい思いを新たにしてしまうのは、こうした”不都合な真実”に目をつぶり、(中国や北朝鮮であれば、党や政府の批判者はたちまち逮捕され、極刑に付されるところだが、そのような相手への批判は皆無のまま)自分は絶対安全な場に身を置き、特定の政党の主張とほとんど異なることのない、もっぱら政府・与党を的にした「反自民」「反安保」「憲法改正反対」という半世紀前と同じ主張を繰りかえし、それに異議を唱える声に耳を貸そうともしない、教会の一部の上層部も含めた人々のことだ。彼らには、自分たちが国民一般の問題意識から乖離した存在になっている、という自覚もないのだろうか。

(2018.6.24 「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年6月24日