・Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑲憧れのJALで日本へ:しかし・・・

 

 1981年2月14日午前10時半、イエズス会のR師を載せたバチカン市国の黒い車がわたしたちの修道院に到着した。わたしも乗って、ローマのヒユーミチーノ空港へ向かうためである。

 R師とわたしはバチカン放送の特派員一行より一足先に東京に向かうためにローマを出発した。KDDやNHKに挨拶をし、打ち合わせをするためだった。

 飛行機はJAL。それまでいろいろの飛行機に乗ったが、JALに乗ったことはなかった。JALは定刻に離陸、着陸。サービス満点など、よい評判しか聞いていなかったので、一度乗ってみたかった。その望みがかなってJALで空を飛ぶ。好奇心と嬉しさでいっぱいだった。空港のチェックインは厳しく、ボディー・チェックもあった。ヒューミチーノにしては珍しかった。こんな厳しさにも魅力を感じた。シートに座り、安全ベルトを締める。

 さあ飛ぶぞと意気込んだが、離陸の時間が来ても飛行機が飛び立つ気配はない。時間厳守と聞いていただけにがっかりした。裏切られたような思いさえした。40分遅れでやっと離陸。何でもが時間通りにはいかないローマで、JALまでイタリアナイズされてルーズになってしまったのかな?そう思うと笑みが浮かんだ。

 東京には定刻より2時間遅れて到着。「時間厳守の定評は借りものですか、JAL様」と言いたい心境で、わたしのうちでJAL神話は崩れ始めていた。箱崎経由で修道院に着いたのは午前零時に近かった。翌朝7時のミサの後、R師と二人で早速活動開始。NHKやKDDへの挨拶まわりから始めた。

 ( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2018年1月29日