Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑱教皇、日本のカトリック記者団を特別謁見

 1981年1月13日午前7時、教皇ヨハネ・パウロ二世はバチカン宮殿の最上階にある私的聖堂で初めて日本語のミサを捧げられた。ローマ在住の日本人シスター12,3人がミサに招かれ、わたしは第一朗読を任された。そして、大きな宿題を胸に、その成功を祈りつつ、ミサに与った。

 宿題とは、教皇の訪日を前にしてバチカンに取材に来ている日本カトリック・ジャーナリスト・クラブのメンバーと、教皇との特別謁見を実現させるための許可を得ることである。日本のジャーナリストたちは、教皇庁広報評議会に正式な手続きで事前に申請書を出していたが、許可が下りず、暗礁に乗り上げていて、わたしに「SOS」を出してきたのだ。

 ミサ後、私たちは隣の控室で一人ひとり教皇さまにご挨拶した。その時、私は日本カトリック・ジャーナリストたちが教皇さまと特別謁見ができるよう、教皇の個人秘書S.Z.師にお願いした。「みんなカトリック?」と神父。「ハイ」と答えると、「したいことは何でもさせてあげますよ」。予想していた10倍もの返事が師から返ってきた。私はただ感激した。教皇さまとの謁見やインタビューの申請は毎日、世界中から何百も教皇庁広報評議会に届き、なかなか許可が下りず、その実現が難しいことを知っていたからだ。

  翌14日は一般謁見の日。ジャーナリストたちとの約束の時間に謁見広間前に行った。ジャーナリストの姿は一人も見えない。おかしいと思いながら謁見広間に入って目を見張った。広間は8000人収容できる広いものだが、席はほとんど埋まり、飛び入りの日本人ジャーナリストたちのための席はなかった。

 ところが、広間の前方、一段高く教皇がお座りになる席の近くに12の椅子が二列に並んで、日本のジャーナリストたちが、鬼の首でもとったかのように、広間の会衆に手を振って挨拶をしているではないか。一般謁見に引き続き、隣の特別謁見室に移された。そこには教皇と私たちだけしかいなかった。ジャーナリストをご覧になると教皇は「おー兄弟たち」と呼びかけながらやさしい笑顔で近づいてこられた。

 「教皇さま、日本のカトリック・ジャーナリスト・クラブの皆さんです。ご訪日に備えて日本から取材に来られました」と紹介した。

 「おーカトリック・ジャーナリスト」。ジャーナリストがお好きな教皇はお嬉しそう。会長をはじめ、一通りの紹介が終わったところで、彼らは15分間、教皇を質問攻めにした。会長のT氏が代表質問に入る。核について、投獄中の金大中について、お勉強中の日本語についてなどなど。

 時にはニコニコなさりながら、時には真剣に考えながら、言葉を選ぶように、教皇はお答えになった。去ろうとなさる教皇のお召し物の袖をつかんでさらに質問しようとする会長に、教皇は“You are terribleman!”と一言。皆の間から爆笑が沸く。礼儀正しく、和やかで楽しく、見事な15分間だった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2017年12月27日