・Sr.岡のマリアの風 ㊼「世界病者の日」に・教皇フランシスコの言葉

 今年の2月11日、世界病者の日のためにパパ・フランシスコが選んだ聖書の箇所は「労苦し、重荷を負っている者はみな、私のもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ福音書11章28節)。

 メッセージの中で、パパは、心身に病を持ち、苦しみ、孤独を経験している人たちに、イエスが真の「休息」と「慰め」を与えることが出来るのは、「実際に苦しむ人―すべての人、私たち―と共に生き、ご自身で、苦しみとはなんであるかを経験し、限りある存在である人間の、根源的『弱さ、はかなさ』を生き、
そこから来る『闇』を知り、共感することが出来るからだ」と言う。

 イエスは「立ち止まって」、苦しむ「人」に気づき、見つめ、「私のところに来なさい」と言う。イエスが見つめるのは、形容詞「苦しむ」よりも先に、名詞「人」。イエスが、その「人」に差し出すのは、慰め、休息。でもそれ以上に、「いつくしみである自分自身」。

 外的な休息を超え、ご自分の「いのち」に入るように、と招く。イエスは、さまざまな「病(やまい)、弱さ」に苦しむ私たちに「来なさい」と招く。イエスは「強い」から、「スーパーマン」だから、弱い私たちに慰めを与えられる-のではない。

 パパは言う-イエスの中に、実際、この肉体と精神の「夜」に、あなた方の中に生じる不安と疑問は、通過する(乗り越える)ための力を見出すでしょう。そうです、キリストは私たちに処方箋は与えませんでした。しかし、ご自分の受難、死、復活をもって、私たちを悪の抑圧から解放します。イエスは、私たちから苦しみを「取り除く」のではなく、私たちが、人間としての尊厳をもって、苦しみを「乗り越える―過越(パスカ)」力をくださる。それこそが、真の「解放」である。

 だから、とパパは強調する-さまざまな形の苦しみの中で、時に「人間性の欠如」が認められることがある。だからこそ人間の「包括(全体)的」癒しのために「治療することcurare」だけでなく、「世話をする(ケアする)prendersi cura」ことが、非常に大切だ、と。さらに、「慰め」と「寄り添い」は、病者だけでなく、その周りの人々、苦しむ家族も必要としていることを忘れないでください、と。

 キリスト者、共同体、教会は、だから、「善いサマリア人」の「宿」(ルカ福音書10章34節)となるように招かれている-とパパは言う。苦しむ人が、親しさ、もてなし、慰めの中に表現されるキリストの恵みを見出すことが出来る場所、宿、家。それが、キリスト共同体、教会である、と。

 苦しむ人が、実際、その「家」で出会う人々は、自らが、神の慈しみによって癒され、慰めをうけた経験をもち、他の人々に、神の癒し、慰めを運ぶ協力者となった人々。傷を負い、癒された人は「自分自身の傷を『通気口feritoie』とします」とパパは言う。自分の傷の通気口を通して、「病を超えた地平線」を見つめることが出来、苦しむ人の日々の生活、人生のために「光と空気を受け取る」、と

 「通気口」という表現をパパはよく使う。私にはイメージしやすい、閉鎖された部屋にある小さな「通気口」。そこから、光が、空気、風が入ってくる… 私たちが、十字架上のキリストの、貫かれた傷を通して(通過して)真のいのちを受けたように、私たちのさまざまな「傷」も、キリストの「傷」によって癒し、慰め、休息を与える力に変えられる。

 パパ・フランシスコの病者へのメッセージは安易な「奇跡主義」、言葉だけの慰めではない。パパは言う-一度、キリストの回復(休息)と慰めを受け取ったら、今度は私たちが、兄弟たちのための回復(休息)と慰めになるように呼ばれています。柔和で謙遜な態度をもって、「先生」に倣って、私の、「苦しみ、死」に対する態度、日々の生き方、心の在り様は、どうだろうか。

 ユダヤ・キリスト教は教える、一つ一つの「命」は神に属していて、理屈を超えて神聖であり、人間の都合で勝手に使うことは出来ない。命は、誕生から死まで、受け入れられ、守られ、尊重され、奉仕されるべきです。だから、私たちは、時に、この世の理論(ロジック)に反対しなければならないこともある。場合によっては、意識(良心)の異議が、あなた方にとって、この命への、また人間(人格:persona)への「はい」への一貫性に留まるために必要な選択です。

 最後に、パパは、世界のすべての国の医療機関と政府、善意のすべての人々に訴える-世界中で、貧困のために治療を受けることの出来ないたくさんの兄弟姉妹たちを思い起こしてください、すべての人が予防と回復に必要な治療を受けることが出来るように連帯を強めてください、と。自分たちの経済的利益のため、
「社会主義「」を無視しないでください、と。今日も、多くのボランティアたちが医療設備が整っていない場所に行って「やさしさと近しさのジェスチャー(行為)」で、「善きサマリア人」であるキリストの姿を反映している、と。

 パパは、他のところで、「キリスト者であるから、キリストの姿を反映しているのではない」と言い切った。キリストを知らなくても、隣の人の苦しみに、共に泣き、重荷を共有しよう、と手を差し伸べ、あたたかい心で相手の痛みを包むことこそ、キリストの姿を映しているのだ、と。

2020年2月11日

・Sr.阿部のバンコク通信 ㊵”洗礼者ヨハネ”はラーメン屋さん

   タイに住んでいて実感する事のひとつに、人々の中に息づいている「超自然界への感性」があります。物質文明の陰で薄らぎがちな見えない世界を意識する「感知力」です。

 30万余の修行に励む仏僧、早朝裸足で巷を歩き、人々が跪座して捧げる奉納物を受けながら祈る僧侶、経済成長の波に浸蝕されないで営まれている。悪霊に非常な恐れを抱き、お布施や善行に寛大で…偽善なしでさり気なく、貧しい人も、裕福な人も、それ相応に励むのです。

 カトリック界も同様、赦しや聖体の秘跡に親しみ、祝福や聖水を大事にし、死者生者のためのミサ依頼、喜捨に励み、聖像に触れて祈り、見えない恵の世界に開かれた素朴な信仰心を感じます。

 ラーメン店を営むメタさん、見事なタイミングで臨終の人々を訪問し、見ず知らずの人にも、宗派にかかわらず、イエス様の思いで寄り添い、天国への花道に導いているのです。よく書院に立ち寄り、『これから臨終者の見舞いに行きます、シスター、お祈りお願いします』と頼まれます。

 ある日、彼は、遠方の末期ガンの臨終者を訪ね、司祭を呼んだ。彼女はマリアの名で洗礼を受け、聖体と病者の塗油の秘跡を受けて、2日後に亡くなった、と話してくれました。

 死に臨む人に赦しと安らぎ、信仰と希望を灯して、天国に旅立つのを見送るメタさん。すでに200余の人を洗礼の恵みに導いたと言います。彼の霊名は洗礼者ヨハネ、まさに現代社会の高層ビルの谷間、チャオプラヤー川の辺りで、見えない神の国、恵みの架け橋として生きる洗礼者です。

 「見えない神の次元を現実に生きる、凄いお呼びがかかった人生」-タイの人々の中で改めて使命を噛みしめています。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

(写真は「メタさんの連絡を受けた司祭が、臨終の床にある女性に洗礼を授けた」)

2020年2月4日

・ガブリエルの信仰“見聞思” ③「信仰のヒーローたち」-私たちと繋がっている!

 自ら聖書を手に取って読み始めたのは中学生になった頃でした。旧約聖書は難しそうだったから、新約聖書から読み始めました。

 しばらくの間を経て、「ヘブライ人への手紙」第11章までに読み終えた時、その章に挙げられた「信仰のヒーローたち」が深い印象に残り、彼らのことをもっと知るため、旧約聖書も読み始めました。振り返ってみれば、「ヘブライ人への手紙」第11章(ヘブライ11章)が、自分が旧約聖書を読み始めたきっかけだったと言っていいと思います。

 ヘブライ11章では、神様の救いの歴史において、信仰によって重要な役割を果たし賞賛された旧約聖書の諸人物が、いわゆる「信仰の殿堂」のように次々と挙げられました。旧約聖書を読み進めているうちに、彼ら「信仰のヒーローたち」のことを通じて、神の救いの歴史や神への信仰のあり方を少しずつ学んでいくことができました。

 ヘブライ11章の著者は、「信仰によって」という冒頭フレーズを用い、各人物を取り上げています。そして、教皇ベネディクト十六世自発教令『ポルタ・フィデイ(信仰の門)―「信仰年」開催の告示(2011年10月11日)』の中(13番)、同じ冒頭フレーズが使用され、聖母マリアを始め、新約聖書以来の信仰の証人たちが取り上げられています。

 この2つの書簡に挙げられている信仰の模範たちを展開してみると、次のようになります。

[ヘブライ11章]

 聖書の中で最初の義人(殉教者)のアベル、神とともに歩んだエノク、義の賜物を受けたノア、神の選ばれた民の父と母になったアブラハムサラ、息子たちのヤコブとエサウの将来を祝福したイサク、イスラエルの十二部族の父となったヤコブ、兄弟たちをゆるしイスラエルの民を飢えから救った、夢解きの義人ヨセフ、イスラエルの民に神の律法を与えたモーセ、リーダーであり忠実なしもべのヨシュア、危険を顧みずイスラエルの斥候を守ったラハブ、わずか300名で数万人の軍勢を破ったギデオン、従順な戦士のバラク、怪力を持つ士師のサムソン、戦士で士師のエフタ、預言者で士師のサムエル、神のみ心に適う者のダビデ。

 その他、匿名で挙げられている(33~38節)のですが、著者の説明によって旧約聖書からほぼ正確に推測することができるのが、ダニエル、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、ヒゼキヤ、エリヤ、エリシャ、エレミヤ、ゼカリヤ、イザヤ

「ポルタ・フィデイ(13)」

 神のみ心を生き、神の御独り子を産み、主とともに歩んだ聖母マリア、全てを捨て、主イエスとの交わりの生活を生き、全ての人に福音をのべ伝えた使徒たち、最初の共同体を作った弟子たち、命をささげ、福音の真理を証しした殉教者たち、従順、清貧、貞潔に基づく生活を送り、自分の生活をキリストに奉献した人たち、正義のための業を行い、主のみことばを実践した数知れないキリスト信者、家庭、職場、公共生活の中で、自分の職務の行使を通じて、主イエスに従うことの素晴らしさを告白してきた人たち

 そして、主イエスが自分の生活と歴史の中にともにおられることを生き生きと認めながら、信仰によって生きている私たち

 このように、私たちはイエス・キリストのうちに信仰によって、神の救いの歴史の中の「信仰のヒーローたち」と繋がっているのだと思います。なんと神秘的、素晴らしいことだと思いませんか。

(ガブリエル・ギデオン =  シンガポールで生まれ育ち、日本在住のカトリック信徒)

2020年1月31日

・菊地大司教の日記 (57)東京教区宣教司牧方針と、世界宗教者平和会議理事会


2020年1月29日 (水)

Konishi

 東京教区がこれから当分の間進むべき方向性を明確にしようと、宣教司牧の基本方針について、10の課題に関する皆様の意見を昨年聖霊降臨祭までに募集いたしました。

 当初の予定では、昨年中にとりまとめた上で今年の初めには何らかの方針を提示する予定でしたが、昨年半ば頃から教皇様訪日の準備にかかりきりになり、同方針策定を含めて多くの通常の作業が停止状態となっておりました。大変申し訳ありませんが、すべての日程は半年ほど遅れてしまいました。

 教皇様訪日が終了してから、早速に頂いた70ほどの意見のとりまとめ作業に入り、小委員会で検討を重ね、先日、1月27日の司祭の集まりで、メンバーの一人であるフランシスコ会の小西神父様から、とりまとめ文書を司祭団に提示して頂きました(写真)。

 あと少し手直しが必要な箇所がありますが、膨大な量の提案でしたので、すべてを網羅することはできません。それらをなんとかとりまとめた文書なのですが、これを印刷し、2月半ば頃までには皆さんに読んでい頂けるように手配しております。お待ちください。

 とりまとめ文書の最後に、小教区共同体の皆様宛のいくつかの振り返りの質問を記しました。これをできればまた話し合って頂き、小教区としてのフィードバックを頂ければと思います。その方法や期限は、別途、後日案内いたします。

 最終的には、当初の予定より半年ほど遅れて、9月頃には、宣教司牧方針の大枠をお示しすることができるかと思います。大枠というのは、全体としての方向性や優先事項のことです。

 それに伴って、組織改変の問題が出て参ります。こちらは、別途作業部会などを立ち上げて、もう少し丁寧に時間をかけて話し合う必要があります。とりわけ、一番意見の多かった宣教協力体の見直しは、もう少し時間が必要なため、3月にあらためて立ち上げる教区宣教司牧評議会の中で作業部会を設定して頂き、詳細な検討をお願いしたいと思います。組織に関する結論は、9月にはちょっと無理ですので、少なくとも一年は時間が必要かと思われます。今しばらくお待ちください。

 また、滞日外国人の信徒の方への関わりに関しても、課題がいくつも指摘されましたが、これはすでに昨年作業部会を立ち上げ検討を行ってきました。その話し合いから出てきたアイディアをもとに、基本方針の文書を作成中です。これもCTICなどとの調整を経て、9月頃の宣教司牧方針の大枠発表に会わせて、一緒に発表できるように考えています。

 頂いた意見のすべてをそのまま反映することはできませんが、なるべく多くの意見を生かして、方針を見定めていきたいと思います。今しばらく、ご辛抱ください。

 なお、この数週間、新型コロナウイルスによる感染症が顕在化しています。不確実な情報に基づいていたずらに不安をあおることは厳に慎まなくてはなりませんが、同時に例年のインフルエンザへの注意喚起と同様に慎重な対応をすることは無駄ではありませんので、これも注意喚起の文書を作成して、まもなく小教区などに配布できるように準備中です。

 中国本土に隣接する香港教区などでは、かなり厳しい対応をしているようで、その対応は香港教区のホームページに、英語と中国語で掲載されていますので、参考までにリンクを張っておきます。

 さて、白柳枢機卿様の時代から、カトリック教会は世界宗教者平和会議(WCRP/Religions for Peace)の活動に関わって参りました。白柳枢機卿様は日本委員会の理事長も務められたと思います。キリスト教関係諸団体は言う及ばず、仏教系、神道系、イスラム系など、諸宗教の交わりの中で世界平和を模索する団体で、今年で創立50年となります。立正佼成会の方々から始まりましたが、今や世界に広がり、全世界にそれぞれの委員会を置く世界的組織となっています。

 私も数年前から日本委員会の理事を拝命しておりますし、理事には複数のカトリック関係者もおり、また評議員には高見大司教様が加わっており、現在の理事長は聖公会の植松主教様が務められています。

 理事の諸宗教者の中には、世界各地の枢機卿たちも含まれています。 世界委員会の面々は、こちらのリンクをご覧ください

 今般、ドイツで開かれた世界大会で、世界全体の新しい事務総長が選出されました。エジプト出身の女性で、オランダの大学などで教え、国連の場で長年にわたって宗教団体と諸政府の関係確立の仕事をされてきたアッザ・カラム教授です。(向かって左側)

 今般、選出後初めての外遊として、アッザ・カラム次期事務総長が日本を訪問され、昨日1月28日のWCRP日本委員会理事会後には、立正佼成会本部で講演会を、そして本日は事務総長代行の杉野師と共に、東京カテドラル聖マリア大聖堂を訪れてくださいました。

 アッザ・カラム次期事務総長(米国の労働許可を待っているため、選出後も正式に就任していません)は、特に信仰に基づいた様々な人道支援団体(カリタスのような)が、規模において世界の有数な人道支援団体(国際のNGO)のリストの上位を独占していることを指摘して、それらの団体と諸宗教の指導者が協調して世界の様々な問題に取り組むことができれば、政治的な意図から離れて、民間の立場から真の平和の確立につなげて行くことができると話されておりました。

 アッザ・カラム次期事務総長は、今回は日本における信仰に基づいた人道支援諸団体との会合を予定しており、明治神宮を会場として行われるとのことでした。とりわけ、SDGs(持続可能な開発目標)の2030年の達成実現に向けて、宗教者の果たす役割の重要性を強調しておられます。カリタスの立場から、できる限りの協力を模索したいと思います。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

2020年1月30日

Sr.石野の思い出あれこれ ⑲ローマ生活、ワイン、干鱈、チーズ除けば順調な滑り出し

 ローマでの私の生活がスタートした。

 まだ修練期に入ったわけではないし、それほど厳しい規則にしばられることもなければ、緊張があるわけでもない。むしろ遠来の客に接するかのように、みなが親切に扱ってくれた。

 日本を発つ前に父から「イタリアも戦争に負けた国だから、何かと不自由なことがあるかもしれないが、決して不満を持ったり不平を言ってはいけない」と注意されていたので、その言葉を肝に銘じて毎日の生活を始めた。しかし、少しの不自由も不満もなかった。言葉(イタリア語)以外は。言葉では大いに不自由を感じた。

 しかし、それは敗戦とは少しの関係もないことだった。それと時間割の、主だった時を告げる鐘の音は日本とまったく同じなので、これまた不自由なし。建物が大きいのでいくつかある階段を間違って昇ったり、廊下の右に曲がるところを左に折れたり、その反対だったりと、小さな困難はあったが、ほんとに小さくて、問題ともいえなかった。

 身に着けるものや、ちょっとした日用品は日本から持って行ったし、必要なものがあれば、ローマの修道院から支給された。食事も十分で、どちらかというと洋食に向いている私には、少しの不満もなかった。

 ただしワインを除けば、の話である。イタリアでは昼食にも夕食にも必ずワインが出る。水のかわりにワインを飲む。数滴口にしただけで顔が真っ赤になり、心臓がどきどきしてくる私はワインを飲めなかった。それなのに皆から勧められる。これには閉口した。

 それともう一つ・・・アメリカから寄贈される干鱈が頻繁に食卓に出ることも。これは戦争と関係がある。物資が不足していたイタリアには、アメリカからいろいろの物が送られてきた。その中にたくさんの干鱈があって、たびたび食卓にのぼった

 でも一番つらかったのはチ―ズ。日本でしていたようにこまかく切って水で飲み込むわけにもいかないし、顔で笑って心で泣きながら、さも、おいしいものを食べるかのように見せかけて水で飲み込む。これは私にとって修練期に入る前の大きな試練の一つだった。

 そのうちにチーズも私の喉をスムースに通るようになった。修院の中を案内してくれていたシスターが、「ここがお風呂よ」と言って開けたドアの向こうには浴槽はなく、シャワーだけ。はじめはちょっと戸惑った。でも何も問わずに、「ハイ」と返事した。

 当時は目上にも規則にも従順、ひたすら従順。疑問をもつこと自体悪いことのように教えられていた。こうして、私のローマ生活もかなり順調に滑り出した。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2020年1月30日

・三輪先生の時々の思い ⑭英語学習の今 

 「15年戦争」と呼ばれることもあった「近代日本が戦い続けたアジア太平洋における戦争」に敗北し、米英仏ソ連合国の軍門に下った時、男どもは震え上がった。

 「占領軍は日本民族を、二度と再び平和を乱す軍国主義に陥らないようにと、改良を実施するだろう。日本男子は去勢され、日本の女子はアメリカの白人男子の精液で人工授精されるのだ」との噂が流れた。

 他方、「被占領地化する日本国内では、大和民族の純潔を護るためにと、成年女子に青酸カリが配布される」とささやかれた。占領軍兵士に弄ばれないためであった。

 だが占領軍の兵士は「文明のメッセンジャー」であった。清潔な軍服を身にまとい、満面の笑顔で群がる日本の子供らにチュ-インガムを配り与えた。NHKのラジオ放送は、平川…なんといったっけ…タダイチ先生だったかな… の英語会話が人気番組になり、「カムカム エブリボディ…」と口真似したものだ。

 それから幾星霜、英語学習の需要は再燃しているようだ。あたかも令和2年の今年は東京オリンピックの年だ。観光需要に対応するためである。「国家主導」というよりは、いわゆる「グラスルーツ」的な振興である。

 それだけ日本国民の国際化が自発的に進んできたということだろう。

(2020. 1. 30記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

2020年1月30日

・ガブリエルの信仰”見聞思” ②パソコンに残っていたヤコブの手紙の一口メモは…

明けましておめでとうございます。

 先日、久しぶりに自宅のパソコンのデータをクリーンアップしている時、ずっと放置していた多くのデータファイルの中、あるファイルの内に書いてある一口メモを目にしました。

 「James 4:13-16、Never forget! 」(ヤコブの手紙4章13節ー16節、忘れるな!)

 20年以上も前に自分自身に残したメモでした。自分にとって大事な聖句の一つであったから、従うことを忘れないようにメモっておきました。しかし、久しぶりにこのメモを再び見れば、やはり時が経つに連れて、その教えを忘れたりすることがあることに気が付きました。

 「13節 さて、『今日か明日、これこれの町へ行って一年滞在し、商売をして、ひと儲けしよう』と言う人たち、 14節 あなたがたは明日のことも、自分の命がどうなるかも知らないのです。あなたがたは、つかの間現れ、やがては消えてゆく霧にすぎません。15節 むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生きて、あのことや、このことをしよう』と言うべきです。 16節 ところが実際は、見栄を張り誇っています。そのような誇りはすべて悪です」

 一見、使徒ヤコブは商人や大人を批判しているようですが、実際には年齢と関係なくすべての人たちに向けた教えなのです。当時私が尊敬していたあるお年寄りの神父様がそう教えてくれました。何かを計画して、目的(目標)があって、そのために一定の時間を投入し、ある特定の行動を遂行して、ある特定の結果(報い)を求め得ることは、すなわち第13節のこと、学生を含めほとんどの人たちが網羅されています。

 ここでの問題は、計画を立てることではありません。使徒ヤコブは、計画を立てることが罪深い、または愚かだとは言っていません。彼は第15節で、あのことを行い、このことを計画すること自体は合理的であると指しています。また、ルカ福音書にも「あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰を据えて計算しない者がいるだろうか 」(14章28節)。

 むしろ、ヤコブが指摘している問題は、完全な自立、自分の能力に対する自信、そして謙虚さ欠如の態度です。自分が高ぶって、自分の欲と野望を叶えるための計画だけで、頭にはその目標と結果のことしかなく、神様の御心が何なのか、などを考えたり、祈ったりすることがないままひたすら、自己中心的、自分に夢中であるということです。

 久しぶりにこのメモを再び目にしたことで、使徒ヤコブの教えと尊敬していたお年寄りの神父様のことを思い出させられ、神様に感謝いたします。今度こそは忘れることのないように、常に見れるようにスマホにもメモっておきました。

  2020年は神様の内に皆様にとって素晴らしい年となることを心からお祈りします。

2020年1月16日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㊲ さようなら「閉鎖病棟」

南杏子さん(稲垣政則撮影)

 長野県のとある精神科病院を舞台にした話題の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(平山秀幸監督)を観た。

 妻と愛人を殺害して死刑が確定したものの、刑の執行が失敗したことから精神科病院に入院して生き続けることになった中年男性、秀丸が主人公。作品は、幻聴に悩まされる元サラリーマンや、義理の父親から家庭内暴力(DV)を受けた女子高校生らと秀丸が出会い、次第に心を通わせていく日々を描く。居場所をなくした人々の交流と回復、そして病院内で起きた衝撃的な事件をきっかけに、登場人物たちは別の運命を背負っていく……。

 元死刑囚の秀丸を笑福亭鶴瓶さんが演じ、役作りのために7キロ減量して撮影に臨んだというこの作品は、中国最大の映画祭「第28回金鶏百花映画奨」の外国映画部門で、最優秀男優賞と最優秀作品賞に輝いた。国内でも、「第44回報知映画賞」で女子高生役を演じた小松菜奈さんが助演女優賞を受賞するなど、何かと話題を集めた。確かに見応えのある素晴らしい作品だった。

 映画の原作となったのは、精神科医で作家の帚木蓬生さんが書かれた小説『平成病棟』。1995年の山本周五郎賞を受賞し、約四半世紀も読み継がれた名作だ。普遍的な作品には時代を超える力がある。作品のタイトルにも強いインパクトがある。ただ、作品に描かれた精神科病棟そのものは、実は大きく変わろうとしている。

 閉ざされた病室で日々を暮らし、超長期にわたる入院が当たり前だった日本の精神科医療は転機にある。厚生労働省は2004年以来、精神科医療を「入院医療中心から地域生活中心へ」改革するビジョンを掲げている。この方針の下、精神に障害のある人も地域で暮らせる仕組み作りがさまざまな形で進められ、精神科の病床は現在の約35万床が2025年には約27万床に減少する見通しだ。1年以上の長期入院患者も、現在の18万5000人から25年には半減すると予測されている。

 東京都小平市にある国立精神・神経医療研究センター病院も、精神科患者向けの病床数を大きく減らし、開放病棟のシェアを約半分程度にまで広げている。デイケアや外来作業療法などを充実させ、入院の短期化を図った成果として、長期入院はほぼゼロにまで減らしたとして注目されている。

 変革のさなかに求められるのは、市民の側の理解と学習だ。2022年度から使われる高校保健体育の教科書には、精神疾患の記述が40年ぶりに復活する。「精神疾患の予防と回復」という項目で、高校生たちは「精神疾患の予防と回復には、運動、食事、休養及び睡眠の調和のとれた生活を実践するとともに、心身の不調に気付くことが重要であること。また疾病の早期発見及び社会的な対策が必要であること」を学ぶ。精神疾患に対する偏見の解消や病気の早期発見につなげる取り組みの一環だ。

 「わしは世間に出たらあかん人間や」――。映画の中で秀丸が悲しげにつぶやくシーンが、劇場を後にしても忘れられない。私たちは今、そのセリフからさまざまなことを学ぶ必要があるに違いない。

 (みなみきょうこ・医師、作家: 末期がんや白血病、フレイル……病に負けず舞台を目指す人たちと女性医師の挑戦を描いた物語『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』を2019年9月に講談社から刊行しました。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=、クレーム集中病院を舞台に医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中!)

2020年1月2日

・Sr.阿部のバンコク通信 ㊴ケータイにはない、郵便、ポストの心のぬくもり大切に

 郵便ポスト、私の親しい街のマスコットです。(上は新型、下は旧型)

読者の皆さま、新年おめでとうございます。

 ケータイを駆使して益々大幅な年末年始の挨拶、閃光さながらの関わりに驚くこの頃ですが…、手紙をしたためて投函する時の気持ち、ポストに届く手紙、駆け巡る思いや開封時のぬくもりはやはり格別です。人を殊更に感じるのです。

 私は郵便を重宝大いに利用しています。タイに来て26年、郵便事情を観察して来ました。確実さは抜群、日本も顔負けする程です。一例ですが、友人が制服布地やシングルマザー縫製所からの仕入れが届かないと。

 調べた結果、日本側のミス。タイ側と確信していた本人が驚き、『ごめんなさい、失礼しました』と。裁判を起こし、損害全額

と再送の弁償してもらったとの事。私は事態に立合い、書類を日本に送り事情を知りました。その他にも、『着かない、届かない』事は知る限り無し。どこの田舎、僻地から投函しても確実に配達される、感動です。

 ケータイと睨めっこしている人を『首曲がり族』と呼ぶの、と台湾の親しい友が。『ぼく、今度生まれたら、ケータイになりたい、ママといつも一緒にいられて必ず探してくれるから』。人を放っておいて携帯に没頭する姿、悲しいですね。

 珍しい新しいものが大好きなタイ人、ケータイへのはまりぶりはまさに驚異。この大人の玩具必需品、時に恨めしく感じ、自戒する昨今。遊ばれずに駆使する閃きを聖霊WiFi に念じています。

 そして、人の温もりを直に伝える関わり、至近距離での面と向かっての出会い、葉書の一枚も、臆せず怠らず励む年にしたいです。新しい年、主への信望愛の翼で、令和の空高く翔く年でありますよう念願しております。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2020年1月2日

・三輪先生の時々の思い ⑬人類史上、一大転換点の予兆か 

 2019年は「子供が歴史転換の予兆を代表した年」として記憶されるだろうか。それも女子だ。スウェーデンの環境活動家、16歳のグレタ・トゥンベリさんだ。地球温暖化について国連で先進国首脳を痛罵したのだ。

 日本では学校教育で生徒が「怖くて」、叱ることもできない先生がいるのだそうだ。それをとがめて、プロスポーツ界のレジェンド、イチロー氏がテレビで警告した。「生徒が怖くてどうするんですか」と批判しつつ、「これからは自分で自分を教育しなければなりません」と呼びかけた。

 今年のクリスマスにも大きな変化があったようだ。

 曾孫からのクリスマスカード、まだ1歳そこそこだから、むろん母親、つまり私にとっては孫娘が用意したものだろうが、そこにはサンタは描かれていなくて、代わりにトナカイの帽子をかぶった男子の曾孫がプレゼントは僕が届けるよとあった。神話 、伝説 、慣習、に超然とする姿勢の萌芽が認められた。

 「生徒が怖くてどうするんですか」と、教育の現場を批判したのはイチローさんだが、時代は大きく動いていて、子供の時代に、はっきりと1歩も2歩も踏み出していることが実感された年であった。天真爛漫な子供らの楽しむお遊びも様変わりして、チャンバラや、ままごとの時代はすでに遠のいて見える。

 アーティフィシャル・インテリジェンスのおもちゃや、大人が実務で操るものと同じハイテクの機器を巧みに操る子供たちもいるような今の時代は、人類の新世紀がすでに開幕したことを告げているのだろう。ここから我々は何処に向かっていくのだろうか。環境破壊の地球を逃れて宇宙を右往左往するのだろうか。

 「希望」の光よ、今こそ輝き、燦々と、往く道を示し、励まし、たがえないように、導いてください。

(2019・12・29記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元国際関係研究所長)

2019年12月31日