・教皇フランシスコを心からお迎えするために…若干のヒント

  教皇フランシスコの11月来日がようやく正式発表されましたが、精神面も含めて準備の期間はあと2か月しかありません。具体的な準備に携わっておられる方々はご苦労様ですが、私たちに何ができるでしょうか。

 菊地・東京大司教が先日、教皇が10月を「福音宣教のための特別月間」と定められたのに合わせて、福音宣教への新たな熱意を教会内に生み出すような、個々の信徒のためのいくつかの提案をされています。

  それは ①10月中の主日のミサの共同祈願に意向を加える

            ②教皇フランシスコの著作、メッセージなどを分かち合う

      ③「世界宣教の日」(10月20日)のカテドラルでの晩の祈り(午後5時)を聖体礼拝を伴う晩の祈りとする

          ④東京教区にゆかりのある信仰の先輩と出会う巡礼 ⑤アジアの教会同士で祈り合うプログラムへの参加、などです。

 このうち②教皇フランシスコの著作、メッセージなどを分かち合うーのための、若干の材料をご紹介します。

 まず、この「カトリック・あい」のご活用をお勧めします。「カトリック・あい」は2016年10月に創刊しましたが、その狙いの一つが「日本になかなか十分に届いていない教皇のメッセージを、可能な限りタイミングよく、きちんと届けること」でした。具体的に言えば、教皇が毎週、主日の正午の祈りの中でなさっている説教、そして水曜の一般謁見の際の講話を、ほぼ同時に、全訳あるいは抄訳として掲載することを創刊以来続けています。

 また、教皇の出されている使徒的勧告、シノドスの動きなども時機を失することなく、”新鮮”さを失わないように、速やかに、できるだけわかりやすく、正確な日本語訳、概要を掲載することに努めています。これらは、創刊時から現在までのものを、全て検索してお読みになることができますので、すでに目を通されておられる方も含めて、是非、お役立ていただければ、と思います。

 タイミング、と言えば、まさに9月13日の教皇来日の正式発表の直前、10日に「カトリック生活」(ドン・ボスコ社)の10月号が発行されました。「新しい時代を築く教皇フランシスコ」をテーマにした特集がされています。記事は「新しい時代の教皇」(阿部仲麻呂)「教皇の祈りの世界ネットワーク」(柳田敏洋)「教会の現在と未来へー教皇の若者に対する強い期待」(南條俊二)「教皇のダイナミズム」(戸口民也)など。サンパウロなどキリスト教系の書店で一冊200円+消費税で販売中です。

 また、教皇就任直後に出版され、「教皇の今を理解するために必携の書」と好評を博し、現在も大手書店に置かれている「教皇フランシスコの挑戦-闇から光へ」(ポール・バレリー著、南條俊二訳)も、10月初旬に新装版として出版される予定です。本文は初版と変わりませんが、訳者あとがきで、教皇が就任されてから現在までの軌跡、問題、展望などを追加執筆しています。改めてお役立ていただければ幸いです。

 11月に教皇をお迎えする心の準備を進めましょう。教皇フランシスコが健康で、活力あふれる旅をなさることができますように!

(「カトリック・あい」南條俊二)

2019年9月14日

Sr阿部のバンコク通信 ㉟「大きくなったら… ”タハーン”になりたい」

 「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、何人かの男の子はさっと答えますー「タハーン(軍人)」と。身近なところで軍隊が国民を守り、窮地を救い活躍している姿が身近にあるからでしょうか。

    過日、向かいの聖ミカエル教会で若い空軍兵士の追悼ミサに与りました。複座戦闘機で訓練中の事故。搭乗していた仲間をパラシュートで脱出させ、自分は機が民家を避けられるようにして、川に墜落、死亡。一瞬の出来事で原因は未だ調査中との事。彼はカトリック信徒で、顔見知りの大勢の親族が参列、若い溌剌とした軍服の青年が機体の傍に立つ遺影が印象的でした。

  都心の北部20km余、ドンムアン空港に隣接するこの地帯には空軍の基地が広がり、時に戦闘機のつんざく音が響きます。

 私は、タイ軍人と結婚したカトリックの日本女性と親しくなり、興味を持ち、情報を得る機会ともなりました。多くの士官が日本の防衛大学校に留学しており、日本語が堪能な幹部も少なくありません。

 タイの徴兵制については、高校にも大学にも軍事訓練の科目があり、それを履修していれば兵役の対象になりません。履修していない人は全員が兵役の対象となり、自分で入隊を志願すれば兵役の期間は1年、くじ引きを選んで「赤」をひけば、期間は2年になるそうです。

 タイの軍隊は正に「自衛隊」と言えます。国王と自国を勇敢に護り、災難窮地に立って大活躍、皆に愛され期待される存在です。本当に警護に当たっているタハーンに会うと、感謝と親しみの気持ちが湧いてくる私です。(写真は、タイの兵士たち)

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2019年9月4日

・菊地大司教の日記 ㊾8月の出来事、そして新枢機卿の発表、心痛む香港情勢

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 あっという間に8月は終わり、9月となってしまいました。その9月1日の日曜日、教皇様は新しい枢機卿の任命を発表され、13名の名前を昨日公表されました。そのうち10名が80歳未満で教皇選挙の投票権を持っています。親任式の枢機卿会は10月5日に開かれます。その13名のうちに、以前上智大学でも教えておられたイエズス会員で、ルクセンブルグのオロリッシュ大司教が含まれていました。おめでとうございます。これで、枢機卿団のなかに、前田枢機卿とともに、日本語を話す方がもうひとり増えました。

 さて、手遅れになる前に、8月後半の出来事を一興に掲載します。

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8月18日の日曜日は、生まれ故郷である岩手県の宮古教会で主日ミサを捧げてきました。毎年少なくとも一度は、故郷の教会でミサを捧げさせていただいてます。わたしが通っていた教会の幼稚園の先生はまだまだご健在ですし、土曜の夜には同級生やそのあたりの年代の方々と夕食会もあり、旧交を温めました。

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 8月22日と23日は、東北の復興支援を行っている仙台教区サポート会議が、今回は南相馬の原町教会で開催されました。22日には福島第一原発の周辺地域を訪れ、東電の廃炉作業に資料館も訪れて、これからの工程について学び、帰還困難区域がまだまだ残る被災地を訪ねました。

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 23日には、福島県内で支援活動に取り組んでおられる方々からお話を伺い、その後、いつものような定例会議でこれからについてを話し合いました。福島の地で復興に取り組まれる方々と、各地で避難生活を続ける方々、また廃炉作業に取り組む多くの方々と、様々な命を生きる現実を受け止め、歩みをともにする決意を新たにしました。震災と事故によってもたらされた地域社会の分断は、簡単には修復できない溝を生み出しているように感じました。その修復のお手伝いが少しでもできればと思います。

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 8月24日は、日本カテキスタ会の恒例の信仰養成講座で、お話をさせていただきました。日本カテキスタ会は、神言会の故ゲマインダー神父が創設したもので、今年で50年。わたしにとっても大先輩が関わったことですし、わたしの神言会の小神学校進学にも関連しているので、特別な思いがあります。講演は、これからの日本の教会について、お話しさせていただきました。12月には同じ内容で、長崎でも話をするように依頼を受けています。

 またこの日の夜には、青山学院大学で、母校である名古屋の南山中学高校の同窓会の依頼で、教皇フランシスコについてお話しする機会もいただきました。

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 8月29日から31日は、東京教区の3名の神学生と、2名の養成担当者、そして司教総代理とわたしの7名で、那須の聖ヨセフ山の家を会場に、神学生合宿を行いました。初日は日光まで足を伸ばし、夜にはわたしの講話。二日目は神学生面談の後に、会津の大内宿まで足を伸ばし、その日の夜は養成担当者による講話。朝早くの祈りとミサにはじまって、夜遅くの講話まで、みっちりと詰まったスケジュール。お世話くださったベタニアのシスター方に感謝。

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 わたしは最終日一足早く新幹線で帰京し、上智大学へ。今般横浜で開催されたアフリカ開発会議TICADの関連で、外務省やイタリア政府も加わり、立正佼成会と聖エジディオ共同体と上智大学の共催で開催された、「アフリカの新たなビジョン2019」国際会議に参加して、ご挨拶。午後の「白熱教室」では、パネリストのひとりにも加わりました。NGOの専門家の方々の専門性と、会場に詰めかけた立正佼成会の方々の熱気に圧倒されて、あまりまともなコメントができなかったのが悔やまれます。

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 そして9月1日は、カトリック教育学会で講演と閉会ミサを頼まれていたので、名古屋の母校、南山大学へ。全国から50名ほどの方々が参加。生命の尊厳について、司教団のメッセージ「いのちへのまなざし」と、わたしのアフリカの体験に基づいて、講演させていただきました。

 南山大学の教室で話をしたのは、司教になる前に非常勤で教えていた時以来ですので、15年ぶりでした。南山大学は、新しい教室も増え、様変わりしていました。閉会ミサは、わたしが中学一年から大学院までを過ごした、南山大学の隣にある神言神学院の聖堂で。これまた懐かしくミサを捧げさせていただきました。これで8月は終わりました。

 ところで、このところ香港では非常に不安定な状態が続き、警察と反政府デモとの激しい対立や暴力的鎮圧、また北京政府の介入の恐れなどが報道されているのはご存じの通りです。香港には、わたしも知人や友人が大勢いますから、メールで様々な情報が伝わってきています。非常に心配です。

 香港教区は、わたしの長年の友人であったミカエル楊司教が今年の1月に病気で亡くなられて以来、司教座空位が続いており、前教区長の湯枢機卿が管理者に任命されています。湯枢機卿は、香港の方々と、香港政府と、北京政府の間の緊張関係の中で、なんとか事態を平和裏に終結させようと、日々仲介の努力をされています。香港のために、祈り続けたいですし、これ以上の混乱がないように、関係者が自制心を持って行動されるように聖霊の照らしを祈っています。

 心苦しいのは、近隣の国で起こるこういった事態に対して、そもそも他の国の司教協議会やそれぞれの司教は、現地からの要請がない限り、他の国の政治当局などに対して批判したり呼びかけをしたりすることが許されていないため、今にいたるまで何も言えないことです。加えて中国に関しては、本土に信教の自由を完全には保障されていない兄弟姉妹がいる中で、彼らを困難な状況に陥らせるような外からの発言は、賢明ではありませんから、慎まなくてはなりません。

 そうなのですが、しかし今の状況を目の当たりにし、友人たちからの叫びを受け取っているなかで、ただ黙っていることはできません。北京政府は、香港の人々に現在保障されている様々な権利や自由をあからさまに侵害したり、様々な手法を持って制限したり、また暴力的に弾圧することなく、平和裏に共存する道を選ぶように賢明な判断をされることをこころから望みます。

 自由と民主主義を尊重する世界の多くの国々が、北京政府と香港政府の行動を見つめていることを、リーダーたちが心にとめられことを、真摯に期待します。そして賜物である生命を尊重するキリスト者は、北京政府と香港政府の賢明な判断と行動を求めます。

 9月の主な予定です。

  • 9月3日 日本聖書協会会議 (午前中、銀座)

  • 9月5日 常任司教委員会他 (終日、潮見)

  • 9月6日 日本聖書協会理事会 (午前中、聖書協会)

  • 9月7日 コルカタの聖テレサ記念日ミサ (10時半 足立教会)

  • 9月8日 徳田教会堅信式ミサ (10時)

  • 9月9日 教区顧問会他 (終日)

  • 9月14日 教区カテキスタ養成講座修了式 (関口)、秋田巡礼 (聖体奉仕会)

  • 9月15日~17日 秋田巡礼 (聖体奉仕会など)

  • 9月20日 臨時司教会議 (終日、潮見)

  • 9月21日 ネットワークミーティング・ミサ (12時半、千葉、鎌取)

  • 9月22日 葛西教会50周年ミサ (11時)

  • 9月24日 ロゴス点字図書館会議 (午後潮見)

  • 9月25日 新潟教区顧問会

  • 9月26日 WCRP(宗教者世界平和会議日本委員会)理事会 (終日、京都)

  • 9月28日 カトリック聴覚障害者の会全国大会ミサ (13時から、船橋)

  • 9月29日 青梅教会堅信式ミサ (11時)、聖グレゴリオの家40周年ミサ (16時半)

  • 9月30日 司祭月例会 (10時半、関口)、教区会議 (午後、関口)

(2019.9.2記)

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

2019年9月3日

・三輪先生の時々の思い ⑨日韓歴史認識の断層

 朝鮮半島をめぐる日韓両国民の間に介在する歴史認識の断層は、何によって生じているのか。そして、それを克服するにはどうすれば良いのかについて、いささか卑見を開陳してみたい。

 はじめに、一つの歴史的事実としての日清戦争(第一次日中戦争)に触れておこう。

 この戦争の正義を、内村鑑三は、「李氏朝鮮を日本と同じ近代国家にすること」に見ていた。明治維新と共に立ち上がった新日本は、西欧発の国際法秩序の一角に参入して、大日本帝国建設の途に就いた。

 当時の朝鮮は、東アジアの旧秩序である清国による冊封体制下にあった。つまり、宗主国である中国の「属国」の一つに位置付けられていた。

 「脱亜論」を世に問うた福沢諭吉は、日本の国防に重大な戦略的位置を占めていた朝鮮が、ロシアの拡張主義の歯牙にかかり、滅びることを予測して、危機感を募らせていた。アヘン戦争以降、英国のみならずフランスにも侵略されて、衰退著しい清朝中国に、朝鮮を防衛する余力は最早、皆無であった。

 そのような状況下であったから、李王朝を援け、日本を模範とする近代化路線に乗せ、共々、国運開拓の道を進もう、と考えるのは、理の当然であった。

 というわけで、日清戦争の目的は、朝鮮を冊封制度から切り離し、国際法秩序の中の一国とすることにあった。それ故に、理想主義者の内村鑑三は、朝鮮が中国から独立したことをもって、日清戦争の戦争目的が達成されたもの、とし、明治政府が自身の期待に添わず、強権支配の政策に転じると、そのような現実主義政治に幻滅し、「理想は、戦争では達成されないもの」と観念して、戦争を否定、放棄する絶対平和主義者に転じるのであった。

(2019.8.30)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長)

2019年9月1日

・Sr石野の思い出あれこれ ⑭着衣式!遂にシスターになる

 1950年11月1日、諸聖人の祝日。教皇ピオ12世が、聖母被昇天の教義を教会の信仰箇条と宣言された日、私と志願者Sさんは阿佐ヶ谷の小さな聖堂で着衣式を挙げることになった。

 着衣式とは、一定の志願期を過ごした者が志願者の服を脱ぎ、シスターの制服をいただいて身に着ける式のことをいう。現在は式が全く簡素化され、実に簡単にしか行われないが、当時は着衣によってキリストの花嫁になると考えられていたので、先ず白い花嫁衣装で身を包み、頭には花輪のついた白いベールを戴き、きちんとたたんだシスターの制服を両手で持って聖堂に入った。

 聖堂では神父様が、私たちが手にしている制服を祝別して下さり、簡単なお話の後、私たち二人は一度、聖堂を出て部屋に戻り、白い花嫁衣裳を脱いで黒いシスターの制服に着替えた。

 裾まである長い服を身に着け、黒くて長いベールを冠り、左わきには大きなロザリオをさげて、皆が見守る中を再び聖堂に。こうして私たちは外見上、シスターになった。聖堂には両親をはじめ、家族や友人が大勢参列してくれていて、修道服を身に着けた私たちの姿が見えると、割れるような拍手が起きた。

 このおかげで全身を覆っていた緊張は解け、笑顔が浮かんだ。その夜、皆でお祝いをするようにと、父が我が家での手作りのお寿司を修道院に届けてくれた。それをいただきながら喜びと感謝、溢れるほどの恵みのうちに過ごした一日について、みなで楽しく語り合った。

 「さあ一生懸命しよう!」私は心に誓った。言葉では言い表すことのできない深い幸せ感が、私を包んでいた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2019年8月31日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉞医師が体を張って…

 いわゆる医学書に分類される書籍は、書店や市場での動きが概して鈍い。専門性が高く、大判で分厚く、それに高額だという事情が背景にある。ところが今年、この3つの条件を兼ね備えたある医学書が、またたく間に売り上げを伸ばすという「事件」が起きた。

 その本の名は、『Dr.夏秋の臨床図鑑 虫と皮膚炎』(学研メディカル秀潤社、税込1万2960円)。ほぼ全編にわたって、虫と虫による皮膚炎の写真がちりばめられている本だ。

 2013年6月に発売された本書は、皮膚科医や内科・小児科医を主な読者に想定したもので、一般にはさほど知られていなかった。ところが今年5月、NHKテレビの人気番組「ガッテン」で、著者の夏秋優(なつあき・まさる)兵庫医科大学准教授が紹介されるや、知名度が急拡大。夏秋先生は8月にも日本テレビ系の「世界一受けたい授業」に出演を果たし、お茶の間に広く知られる存在となった。

 ずしりと重い本書を手にした方は、驚きの声を上げるだろう。おそらくは「ギョエ~」「ゲゲゲ」といった不快の思いとともに。何しろこの本には、蚊や毛虫、ムカデや蛾など一般によく知られている虫から、近年になって世間を騒がせているヒアリやセアカゴケグモ、マダニやトコジラミなど、ありとあらゆる虫と、その虫に刺されたり触れたりすることで起きる皮膚炎を豊富なカラー写真付きで紹介している。虫の生態や生育環境の説明、治療法や予防対策に関する記述も十二分な臨床図鑑である。

 この本のさらに特筆すべき点は、夏秋先生自身が「実験台」となって虫に刺され、その様子を写真に収めつつ観察を続けた症例を多数掲載していることにある。たとえば、茶の害虫として広い地域に生息するチャドクガの毛虫による皮膚炎を解説したページの記述はこうだ。

 <チャドクガの幼虫に触れてからどのような時間経過で皮膚炎が生じるのかを確認するために、皮膚に幼虫を付着させ、その後の皮膚の変化を観察した。また、毒針毛接触30分後と48時間後の皮疹部を生検して病理組織を観察した>

 実際に毛虫を自分の肌に押し当てた夏秋先生は、接触30分後の経過として、<強い瘙痒(そうよう)を伴う膨疹が出現している>と書き記す。これが48時間後には、<浸潤性虹斑は紫紅色となり、紫斑を混じている。この時期の瘙痒がもっとも強い>となり、96時間後に<紫斑は淡くなり、褐色斑に移行しつつある。瘙痒も軽快傾向にある>と記録している。チャドクガの毛虫に触れると4日間にわたって傷と痛みが続きますよ――というナマの情報を、まさに身をもって私たちに示しているのだ。

 種痘(天然痘ワクチン)を開発したエドワード・ジェンナーは1796年、8歳になる使用人の息子の腕に接種を試みた(『実の息子で種痘を試した』というのは誤解)。華岡青州は1804年、世界で初めて全身麻酔下での乳癌手術に成功したが、麻酔薬の開発過程では母と妻が臨床試験に参加。妻・加恵が薬の主成分アトロピン有害作用で失明したとされる話は、有吉佐和子さんの『華岡青州の妻』で広く知られている。

 医学の発展の陰には、臨床試験と被験者の存在がある。虫刺されによる皮膚炎という<小さな実験>ではあるが、夏秋先生はそれを自らの身体を使って確かめようとしている。

 すごいドクターがいたものだ――と関心を持たれた方は、お近くの図書館で『Dr.夏秋の臨床図鑑 虫と皮膚炎』を探してみてはどうだろう。東京都内を例にとると、同書はほぼすべての公立図書館で所蔵されている。ただし本稿の執筆時点では、そのほとんどが「貸出中」になっている。9月に入っても例年以上の暑さが続く予報を前に、「夏秋本」の人気は衰えを知らない勢いだ。

 (みなみきょうこ・医師、作家: 新刊小説のお知らせです。癌や白血病、フレイル……病に負けず舞台を目指す人たちと女性医師の挑戦を描いた物語『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』が、9月17日に講談社から刊行されます。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=、クレーム集中病院を舞台に医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中です)

2019年8月28日

・三輪先生の時々の思い ⑧「敗戦」か「終戦」か 

 「『敗戦』と言え」という人がいる。

 「多大の人的物的犠牲を払った無謀な開戦の結果を直視せよ。誤魔化しを許してはならぬ。責任の所在に頬冠りするな」と叱責するのである。

 しかし、「終戦」にはそれなりの意味合いがある。

 「敗戦」は事実であるが、「終戦」にはこの詞でなければ言い表せない、それなりの含意がある。交戦状態に終止符を打ったのである。敗戦状態にあった国際紛争を終結させたのである。国家の最高意思決定の結果であった。

 その意味で「『終戦』と言うな、『敗戦』と言え」という主張=提言は、「終戦」という詞の重要な含意を見落しており、受け入れることは出来ないのである。

 (2019・8・15記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所所長)

2019年8月23日

・菊地大司教の日記㊽ 聖母被昇天祭@東京カテドラル

2019年8月16日 (金)Assump1901

 8月15日は様々な思いが去来する日です。470年前に聖フランシスコ・ザビエルが日本に初めて福音をもたらした日であり、ザビエルが日本を聖母に奉献した日でもあります。

 74年前には、日本が降伏を受け入れ、戦争が終結することが明らかになった日でもあります。ですから、8月15日は過去の歴史を振り返り、「戦争という手段を国家間の争いごとの解決のために選択はしない」という決意を新たにする日です。日本の教会は、8月6日の広島の原爆の日からはじまり、9日の長崎の原爆の日とともに、15日までの10日間を平和旬間として、過去に学び、今の生命に生き、将来の平和を祈り続ける『時』としてきました。

 わたし自身とっては、3世紀のローマの殉教者である聖タルチシオの記念日でもあります。(現在は聖母被昇天祭の関係で、8月12日に移りましたが、たぶん多くのタルチシオを霊名にいただいている人は、いまでも8月15日に祝っていると思います)

 そして、教会にとっては、聖母被昇天祭であります。

 『聖母の被昇天の祝日は、1950年に「無原罪の聖母が地上の生涯の終わりにからだも魂もろとも天にあげられた」と教皇ピオ12世によって定義されたように、マリアが栄光につつまれて天国へ上げられたことを祝います。(女子パウロ会Laudateから)』

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 東京カテドラル聖マリア大聖堂では、午前10時のミサに続いて、夕方6時からもミサが行われ、夕方のミサは私が司式いたしました。当初の予定では、カテドラル構内で一番歴史の長いルルドの前で祈りを捧げ、そこから大聖堂までロウソク行列をする予定でした。残念ながら、台風の影響で雨が降り、ロウソク行列は取りやめになってしまいました。昨年も強い風が吹いたため、この日の外での行事は中止でしたが、来年の好天に期待しましょう。

 ミサは同じ聖マリア大聖堂で祈りを捧げている、カトリック関口教会(小教区)と東京韓人教会(属人小教区)の合同で行われ、ミサ後にはカトリックセンターホールで、納涼会も行われました。参加してくださった多くの方々に感謝します。

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 以下、昨晩のミサの説教の原稿です。

「ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか」

 38年前の2月25日、教皇ヨハネパウロ二世は、広島での平和メッセージのなかで、特に若者に対して呼びかけて、そのように述べられました。

 第二次世界大戦が終結したものの、ベトナム戦争をはじめアフリカや世界各地での紛争や内戦は頻発し、さらにはイデオロギーの相違から来る東西の対立が深刻となり、全面的な核戦争の可能性も否定できなかった時代に、教皇は「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」と力強く宣言して広島の平和メッセージを始められました。

 戦争は、自然発生的に生まれてくるものではなく、人間の意図によって引き起こされるものだからこそ、人間は生命の破壊を避けるために自ら行動することができるのだし、そうしなければならないと、教皇は広島から世界に向かって呼びかけられました。

 今わたしたちが生きている38年後の現実は、平和を確立できたのでしょうか。

 世界は「ともに手をとり合って、友情と団結のある未来を」実現してはいません。地域紛争は各地で絶えることがなく、自らと異質な存在を排除しようとする動きは消え去るどころか、勢いを増しています。

 「窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか」という教皇の呼びかけは、格差が拡大し、教皇フランシスコの言われる「廃棄の文化」と排除が進み、その存在すら無視される人々をさえ世界各地で生み出しています。38年経っても、平和は実現されていません。

 かつての戦争で生命を奪われた多くの方々、敵味方に分かれた双方の軍隊にいた人たち、一般の市民、戦場になった地で巻き込まれてしまった多くの方々。理不尽な形でその尊厳を奪われ、暴力的に生命を失った多くの方々の生命への責任から、私たちは逃れることはできません。「戦争は人間のしわざ」だからです。

 過去の歴史を振り返り、その生命に対する責任を思う時、私たちの選択肢は、同じ過ちを繰り返さないという決意を新たにする道でしかあり得ないと思います。

 あらためて、戦争で亡くなられた数多くの方々の永遠の安息を祈りたいと思います。その上で、国家間の対立を解決する手段は武力の行使ではなく、対話による信頼醸成にしかないことを、世界の政治指導者たちが心に留めてくれるように、神様の導きを祈りたいと思います。対立や排除ではなく、対話と協力の道を選び取る勇気と英知が与えられるよう、国家の指導者たちに聖霊の照らしがありますように。

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 本日のルカの福音には、聖母讃歌(マグニフィカト)が記されていました。聖母マリアは、全身全霊をもって神を褒め称える理由は、へりくだるものに目をとめられる主のあわれみにあるのだと宣言されています。

 すなわち、神の偉大さは、人間の常識が重要だと判断している当たり前の価値観とは異なっている神ご自身の価値観に基づいて、自らが創造されたすべてのいのちが、一つの例外もなく大切なのだと言うことを、常に具体的行動で示されるところにあるのだと、聖母は自らの選びに照らし合わせて宣言します。

 まさしく教皇フランシスコが、神のいつくしみを強調し、誰ひとりとして排除されてよい人はおらず、誰ひとりとしてその存在を無視されてよい人はいないと、常々強調されていることに、聖母の讃歌はつながっております。

 勝ち組、負け組などという言葉がもてはやされ、他者を押しのけてさえも、自分の利益や立場を確保することがよいことだとでも言わんばかりの社会に対して、人間の尊厳は神から与えられたいのちを生きていること、その事実にあるのだと言うことを明確に示されています。

 自分の力に頼るのではなく、創造主である神の存在の前に謙遜にたたずむときに初めて、神のいつくしみはわたしたちに働きかけることができます。自分が、自分がと、自らの力に頼って生きているときには、神のいつくしみは、あたかもバリアに跳ね返されるようにして、わたしたちに働くことはできません。聖母マリアの選びは、「お言葉通りに、この身になりますように」という、天使ガブリエルへのへりくだりの言葉によって、初めて実現しました。

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 教皇パウロ六世は、ベトナム戦争が激化し、東西の対立が鮮明になっていた1969年の聖母月10月に、平和のためにロザリオを祈るようにと呼びかける使徒的勧告を発表され、そこでこう述べておられます。

 「『平和の君』、平和のしるしのもとにお生まれになったかた、『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる』と全世界に向けて宣言された方の母となったのは、ナザレの慎ましいおとめです。福音書はわたしたちに、マリアは人々の必要に敏感な方であると教えています。・・・それなら、わたしたちが心から祈っただけでも、マリアが尊い宝である平和のために仲介しないことなど、どうしてあり得るでしょうか。(レクレンス・メンシス・オクトーベル)」

 今日、聖母被昇天を祝っているわたしたちは、同時に世界の平和のためにも祈りを捧げます。それならばこそ、平和の君である主イエスの母であるマリア様に、平和を求めて取り次ぎを祈らないわけにはいきません。聖母讃歌の中で、マリア様ご自身が神の望まれる世界の姿を示唆されたように、その世界が、すなわち神の平和が達成されている世界が実現するように、聖母の取り次ぎを祈りましょう。

 パウロ六世は、ロザリオの祈りの重要さを説いたこの文書の続きにこう記します。

 「マリアは非常に簡単に『葡萄酒がなくなりました』と知らせ、キリストは大変寛大にこたえました。それならば『平和がなくなりました』と告げるマリアに、キリストが同じ寛大さをお示しにならないことがあるでしょうか」

 わたしたちも聖母の取り次ぎに信頼しながら、ひたすら神の平和の実現のために祈り、自らの言葉で神の平和を語り、そして『お言葉通りにこの身になりますように』と応えた聖母に謙遜さを学びながら、神の国の実現のために行動してまいりましょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

2019年8月16日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉝「死の会議」で学ぶこと

 病院では日々、さまざまな会議が開かれる。新しい医療知識や技術を学んだり、ミスになりそうな事案を報告したり、サービス向上を図るために情報共有を進めたり……。

 その一つに、「デスカンファレンス」がある。直訳すれば「死の会議」。「死亡症例検討会」などとも呼ばれ、病院で亡くなられた患者さんの症例を振り返る勉強会のことを言う。多いところでは週に1回、あるいは月1回程度のペースで開催されている。とりわけデスカンファレンスは、手術や治療にかかわる死亡事例が発生した場合に重要度を増す。患者さんが死に至った経緯を細かく検証し、医療の質や完全性を高めることに医療者が意を注ぐためだ。

 デスカンファレンスを開く目的は、別のところにもある。先日筆者が出席したデスカンファレンスで取り上げられた症例は、老衰で亡くなった男性患者・田神さん(85歳)だった。

 入院当初の田神さんは、「僕には仕事が山ほどある。こんなところで、のんびりしていられない。すぐに帰るからタクシーを呼んでくれ!」と繰り返す。「ご家族と相談しましょう」と言うと、「あてになるかっ」とかえって激昂し、パジャマ姿で外に出ようと開いたドアに向かって突進する。「危ないですから」と制止しようとするスタッフを殴りつけた。

 すでに認知症の症状を呈していたゆえだが、デスカンファレンスにある看護師の対応報告は、次のようなものだった。

 「『かしこまりました。車はただいま呼びますので、お茶でも飲んでお待ち下さい』と言って、おやつを出しました。すると、田神さんはお茶を飲み、おやつを食べ、スタッフと雑談しているうちにタクシーのことを忘れてしまいました。夕方になって再び『タクシーを』と言われた際には、『もう暗くなってきましたから、今夜はお泊まりになられては?』とうながすと、穏やかに納得してくださいました」

 すでに多くのスタッフは知っていたことだが、担当していなかったスタッフは大きくうなずく。患者の個々の症状やエピソードを再確認し、それに応じてなされたケアを記憶に刻むことで、今後のよりよいケアにつなげることができる。新人ナースにとっては、ベテラン看護師長の報告を通じて、彼女たちの「技」を学ぶ場でもあるのだ。

 デスカンファレンスはまた、医療スタッフのクリーフケア(悲しみのケア)を行う場でもある。

 長く時間をともに過ごした患者さんが亡くなることで心の痛みを抱えるのは、家族や友人だけではない。医師、看護師、介護士らも同様に悲嘆に襲われ、ときに絶望と孤独を感じる。看取りの事例を静かに振り返り、悲しみを共有することはスタッフにとっても極めて重要だ。

 この点を強く意識して、会議の前に長い瞑想の時間を取るケースもある。さらには、デスカンファレンスに僧侶を招き入れる病院も出始めた。欧米では教会の聖職者が病院と積極的な関わりを持つのが当たり前だが、日本でもようやく変化が生まれつつあるということだろう。

 本稿の前半で、「とりわけデスカンファレンスは、手術や治療にかかわる死亡事例が発生した場合に重要度を増す」と書いた。しかし、覚えておられるだろうか、あの「事件」を。腹腔鏡による高難度の肝臓手術を受けた患者が次々と死亡した群馬大学医学部附属病院の旧・第二外科(消化器外科)では、患者8人が亡くなるまで約3年半にわたってデスカンファレンスが開かれることはなかった――という。

 この事実一つにしても、私たちが学ぶべき点は多い。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が、昨年7月に文庫化されました。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)

2019年8月3日

・Sr.阿部のバンコク通信㉟ 仏教信仰と結びついたタイの数字表記…

   タイ国では仏暦を使い、今年は2562年です。西暦も随分使われるようになりましたが、まだまだ仏暦でないと一般にはピンと来ないのが現状。頭の中で西暦に543足して、仏暦で年号を言ったり書いたりしています。

    そう言えば、タイには独自の数字があります。タイ文字と数字は私の興味の的で、来泰当初から、日付と一行ぐらいの日記を書いて親しみました。例えば今日は วันที่๑(1日)สิงหาคม(8月)๒๕๖๒(2562)という具合に、曜日も入れて書き、文字が好きになりました。1~10まで๑ ๒ ๓ ๔ ๕ ๖ ๗ ๘ ๙ ๑๐ 11からは๑๑ ๑๒ ๑๓ ๑๔ ๑๕

 タイ数字も文字と一緒に13世紀ごろ、言語経典語として発案されたのでしょうか。信仰の雰囲気を感じる言語です。丸から書き始めます。

     タイに来た頃は値段もタイ数字、コインも紙幣も立派な厳かな雰囲気。生年月日を聞かれ西暦で答え、ポカンとされたことで私の方がポカンとすることがありました。観光政策で海外からの客が多くなり、次第にアラビア数字で表記され、現在は一般化されています。

  タイ語で出版の仕事をする為、文字に親しまなければなりませんが、どうやら一生涯の課題となりそうです。夜な夜なタイ語の聖書を読み味わい書き留めるのが楽しく、嫌気どころか幸せなひと時、まだここに居てもよいのだと思うこの頃です。

 お札もこの通り・・・・

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2019年8月1日