・菊地大司教の日記㊱東京教区青年の合宿、合同追悼ミサ、1日で60歳に 

*2018年11月 5日 (月)

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 東京教区の青年たちの合宿、「mass mass 楽しい」が、11月3日と4日、イエスのカリタス会管区本部を会場に行われ、60名を超える青年たちが参加しました。主催は東京教区の青少年委員会。そのホームページには、今回の目的が次のように記されていました。Youthc1802_2

「神様のもとで、同年代の若者が集うこと。それが第一の目的です。 共に学び、語り合い、食事をし、ミサを受ける中で、仲間の広がりを大事にします。 そして、ミサについて少しでも知って考えてもらうこと。ミサに関して、分かっている / 分かっていない ひとまず置いておいて、ひとつひとつ大事な基本要素を学んでいきます。ミサの中で行われることひとつひとつに意味があって、それぞれに思いがあります。 ただ学ぶばかりではなく、ミサについて考え、若者によるミサを作ることを目的にします。ミサについて、たくさん知っている人は、もっと深めるために、まったく知らない人は、この機会にちょっぴり知るために、興味ない人も、楽しさを見つけ出すために、単純に、仲間と楽しく過ごすために、ぜMemorial1806ひ、この青年合宿参加してみてください」

というわけで「mass mass 楽しい」をテーマに、参加者は典礼について真剣に学び、いくつかのグループに分かれて意見を交わし、私たちの信仰の中心にある聖体祭儀への理解を深めたようです。

わたしは二日目の10時から行われたミサを、司式させていただきました。事前にしっかりと学んだこともあり、よく準備され、また積極的に参加する、良い典礼であったと思います。修道院のシスター方も一緒に参加してくださいました。準備したリーダーたちに感謝。もっとこの輪が広がりますように。

そして、同じ11月4日。11月は死者の月です。11月最初の日曜日に、府中と五日市のそれぞれの教区墓地と、納骨堂のある関口で、合同追悼ミサが行われています。関口の納骨堂にご親戚やご家族が眠っておられる方々を中心に、多くの方がミサに参加され、亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、地上の教会と天上の教会の交わりを心にとめ、互いに祈り合うことの大切さを再確認しました。の日曜日午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、合同追悼ミサを執り行いました。

復活の主を信じる者にとって、死は終わりではなく永遠のいのちへの門です。私たちは、目に見えるこの世の生活だけで、すべてが完結するものではないことを信じています。常に、永遠のいのちへの希望のうちに生きています。

ミサの奉献では、亡くなられた方々を追悼して記入された名簿が奉納されました。またミサ後には、地下の納骨堂へ移り、祈りが捧げられました。亡くなられた方々の、永遠の安息を、心からお祈りいたします。

*11月1日(木)60歳となりました

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11月1日は、私の60歳の誕生日でありました。多くの方々からお祝いの言葉やお祈りをいただいたことに、心から感謝申し上げます。これまでも多くの方々のお祈りによる支えをいただき、司教職をなんとか務めることができまし た。

健康が許すならば、司教職の定年は75歳ですので、まだ15年も先があることになります。どうか皆様のお祈りによる支えをいただきますように、心からお願い申し上げます。お一人お一人に、御礼を申し上げることが適いませんので、この場を借りて、感謝申し上げます。

還暦ですから、何か赤いものを身につけるのが慣例ですが、先般行われた東京教区の司祭研修会では、伝統的な還暦の衣装をいただきました。その写真は、白黒ですが、教区ニュースの最新号に掲載されています。

カリタスジャパンのチームからは、10月末に行われた全国担当者会議の懇親会で、Share the Journeyキャンペーン(日本では排除ゼロキャンペーン)のTシャツを、記念にいただきました。もちろん赤色のTシャツです。

そこでもお祝いのケーキをいただきましたが、日曜日のイエスのカリタス会管区本部で行われていた教区の青年の集まりでも、ミサの後の振り返りの集まりで、お祝いのケーキをいただきました。配慮してくださった青年のリーダーたちに感謝します。(写真上)

これからも、職務に忠実で、そして懸命に使命を果たしていくことができるように、皆様の変わらぬお祈りをお願いいたします。

感謝のうちに。

2018年11月6日

・菊地大司教の日記㉟開かれ、生き生きした教会へ、若者たちに期待

2018年10月31日 (水)

日曜日は清瀬教会、小平教会、そして師イエズス修道会修道院へ

 10月28日の日曜日は、清瀬教会を訪問し、10時の主日のミサを、主任司祭の伊藤淳神父と一緒に捧げました。

Kiyose1802 もちろん聖堂に一杯の信徒の方々が集まり祈りをともにしてくださったことは大きなよろこびですが、同時に侍者をしてくれた『少年・少女』が10名もいたことに、ちょっと感動。これからも、楽しく教会に通い続けてくれることを、期待してます。

 また、清瀬教会にも長年にわたってフィリピン出身信徒のグループがあり、みなと一緒に協力しながら共同体を育てている姿が印象的でした。

 カトリック教会は、日本において、「日本人の教会」や「フィリピン人の教会」など「○○人の教会」を生み出さないようにしたいと思っています。なぜなら私たちの教会は、「一つの教会」です。キリストの教会です。信仰は一つ、洗礼は一つ。同じキリストの元に集まっている教会です。

 日本に生まれた人も、海外からやってきた人も、同じ神を信じ、同じキリストの名の下に集まるとき、おなじように安心して心やすく、信仰生活を歩めるようにすることが重要だと思います。ですから教会は、もちろん不安定な立場にあり、文化の違いに戸惑う人たちに手を差し伸べますが、同時に、同じいつくしみの心を持って、日本に生まれた多くの人たちの生きる困難さにも寄り添い手を差し伸べる存在でありたいと思います。

 ちょうどバチカンでは若者をテーマにした世界司教会議(シノドス)が終了しました。最終文書が中央協議会でいずれ翻訳されますが、参加された勝谷司教からも様々な発信が始まることが期待されます。これからの次代を担う青年たちが、文化や国籍の違いを乗り越え、外にも内に心を配りながら教会共同体を生かしていくように、失敗を恐れず歩み始めることを期待しています。

 11月4日には青年たちの集まりがイエスのカリタス会を会場に行われ、これには主に日本人共同体の青年たちが集まります。そして11月18日にはCTIC主催で、国際青年の集いがカテドラルで行われます。近い将来、この二つが合同して、一緒に歩みを初めてくれることを、心から願っています。

Kiyose1812 清瀬教会では、ミサ後に30分間お話をさせていただき、その後30分間の質疑応答をいたしました。時間があれば、ほかの教会を訪問したときにも(堅信式など行事がないときには)こういう質疑応答の時間も持ちたいと思います。

 そしてその後は懇親会。準備してくださった皆さん、ありがとうございます。

 この日は、清瀬教会からの帰り、お隣の小平教会へちょっと立ち寄りました。ちょうどサンマを焼く集まり中。おいしいサンマをいただきました。ごちそうさま。小池神父様が率先してサンマやらなにやら、バーベキュー係のように働く姿が光ってました。

 そしてそのまま、米軍の横田基地の横を通過して八王子へ。

Pieta 八王子にある、師イエズス修道会の日本管区本部修道院へ。この日が会のお祝いの日だと言うことで、管区本部と、その隣にある修道院のシスター方があつまり、午後4時半からミサ。ミサ後は一緒に夕食をいただき、シスター方からの合唱の歓迎もありました。

 今更言うまでもなく、師イエズス修道会のシスター方は御聖体の前での祈りとともに、典礼のために奉仕してくださるカリスマで、教会関係者なら必ずお世話になる典礼用品店「ピエタ」を運営しておられます。シスター方の使徒職に、感謝します。今月10月は、東京教区のために取りなしの祈りをしていただきました。感謝。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)(「司教の日記」より許可を得て転載)

2018年11月2日

・Sr.阿部のバンコク通信㉖にぎやかなバンコク都心の教会、国際結婚も数多く

  バンコクは国際都市、世界中の国々とのアクセス良く、交通はもとより人々と文化の交流交差点です。

 都心の教会 Holy Redeemer Church では、主日の英語のミサが5回、平日は3回捧げられ、特に11時のミサは、プロのエンターテイナーが聖歌奉仕、あらゆる国の人々で聖堂は満員、入口や回廊も補助椅子がびっしり。主のみ名のもとに集い感謝の祭儀、手を取合い主の祈り時は鳥肌が立ち、カトリックを実感します。

  国際結婚も実に多く、あらゆる国籍の組み合せカップル。ビザ取得のための偽造結婚や破綻した結婚も無数にありますが、感動する素敵な例も限りないです。

 タイの女子パウロ会はフィリピン管区に所属。現在3人のフィリピン人と生活を共にし、楽しく親しいフィリピンの友人達、特にタイ人とのカップのとの交流は絶えません。信仰に感化された例を紹介します。

 タイ人ヌゥタット氏、イメルダ 夫人はフィリピン人、共に皮膚科の専門医師。ヌゥタット氏がイメルダさんに魅せられ結婚を考えていたところ、友人から「彼女はカトリック信者、仏教徒とは結婚しないよ」と言われて秘密裡に教会通い。要理を学び受洗した自身を彼女に贈り、イメルダさん本当にびっくり感動。

 一言の強制の言葉なしに導かれた、素敵なカトリック信徒ご夫妻。先日修道院のミサに与り、昼食を共にしながらアツアツの実話を披露。摂理の出会いに感謝と賛美。

(写真は、右から2,3番目のご夫妻がアツアツの話の主。中央のシスターたち、3人目のタイ女子パウロ会員、誓願更新ミサ後記念撮影)

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年11月2日

・三輪先生の現代短評②歴史研究の新境地

 「東京裁判史観」として批判されることが久しかった戦前史に、世代交代ということもあって、ようよう新境地が開拓され始めている。具体的に言うと「昭和12年学会」の成立とその最初の成果である。宮脇淳子、倉山満、藤岡信勝著『昭和12年とは何か』が藤原書店から出版された事である。序章と7章そして終章からなる本書の性格と内容を各章の小項目立ての言語を拾いだして提示してみると以下のようになる。

 共産主義の脅威と貧困問題 「侵略戦争」「侵略国家」と言い出した学者たち 「昭和十二年の」の世界地図 戦後の歴史学会の偏向 通州事件と正定事件から 満洲とモンゴルから見た日本の昭和十二年;日清戦争で大陸の暴力に直面した;きちんとした因果関係をたどることの重要性

 明治日本が文明開化路線を選び、欧米先進国が確立していた国際法秩序のもとで富国強兵政策を推進していた時、大陸は非文明のままに止まっていた。日清戦争の性格はまさに文明と非文明の相克であった。しかし其処に出現した「大日本帝国の愚かさ」は「客観的」に析出されねばならないのであった。

 この学会に集う人々は、社会科学の諸分野をカバーしつつインターディスプリナリーに総合を試みることを使命としている。なにか昔見た夢が現実に展開しているようなイメージがある。

 そう、上智大学に国際関係研究所がピタウ理事長のもとで創設された1968年 明治100年の年―あれはピタウ先生がハーバード大学でその年の最高博士論文と評された明治憲法の生成過程の研究が心の隅にあって、実現した一大プロジェクトだったのかも知れないと今、私はふと思ったりもした。

 それで研究所のスタッフは政治学 社会学、経済学、歴史学などの分野から一人、二人と集められた。しかし、何か特定の地域、あるいは国家を研究対象とするのではなく、まさに「国際学」と名付けたらいいだろう学際的学問領域のための総合的「理論」の形成を図ろうとしたのであった。

 そして研究成果は順次 鶴見和子・市井三郎編『思想の冒険・社会と変化の新しいパラダイム』(筑摩書房、1974);武者小路公秀・蝋山道雄編『国際学・理論と展望』(東京大学出版会、1976);川田侃・三輪公忠編『現代国際関係論』(東京大学出版会、1980);納屋政嗣・デヴィッド・ウェッセルズ編『ガバナンスと日本・共治の模索』(勁草書房、1997)となっていった。

 『昭和12年とは何か』の共同研究者等が生みだした昭和12年学会の今後の活動が、この国が逢着している歴史意識の問題解決にどんな貢献ができるものか、刮目していきたい。(2018. 10. 30記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

・Sr石野の思い出あれこれ④思いもかけず…母は反対したが、受洗を決断

 そうこうするうち、未だ洗礼は受けていなかったが、週日だけではなく、日曜日のミサに出席したいという強い希望を抱くようになった。その旨シスターに申し出てミサに参加するようになった。

 ミサの説明は一応聞いていたので、全く分からないわけではなかったが、当時、典礼はすべてラテン語で行われていたし、その上、神父様は会衆に背中を向けてミサを捧げられるので、神父様が何をしていらっしゃるのか全く分からない。

 シスターたちが神父様の祈る言葉に答える声〈それもラテン語〉だけが聖堂に静かにこだました。静寂と清らかな声が醸し出す雰囲気、わたしはその雰囲気にのみ込まれた。特に、シスターたちが歌われたとき、澄んだ美しい声に全身が震えるほどに感動した。

 シスターたちの中に、修道院に入る前はオペラ歌手だったという方が一人いらした。聖歌隊の近くに席を取っていたわたしの耳に彼女の歌声が弱く、強く響いてきてわたし全体を包んで心を強く揺さぶった。

 そしていつか知らないうちに、わたしの目に涙があふれていた。その時・・・洗礼を受けようと、心に誓った。一時の感傷から来た決心だったかもしれない。それでもその決意は実行に移され、掟の厳しさに対する恐れ以上のものでわたしの心を燃やし、今日までわたしの生き方を導いてくれる決意となっていたのだ。

 神は思いがけない時に、思いがけない方法でわたしたちに語りかけ、わたしたちを動かされる。その時は知る由もなかったが、こうしてわたしが生涯進む道は神から示され、与えられたのだった。たとえ生涯を神に捧げ尽くすということはまだずっと先のことではあったが。

 洗礼を受けようと決心したからには両親にそれを伝えなければならない。父は宗教心の熱い人だったからおそらく洗礼が何かを知らなかったが、わたしの洗礼に反対はしなかった。たとえ宗教は違っても、宗教をもつことは大切だと、よく言っていたから。

 母は反対した。キリスト教徒、とくにカトリックになったら結婚ができないと聞いて、それを信じていたからだ。どこからそんなことを聞いてきたのか分からないが、それが当時の通念だった。

 わたしもそう思っていた(実は間違った風評に過ぎなかったのだが)。しかし、それは洗礼に対するわたしの決意を覆すほど強いものではなかった。たとえ結婚が出来なくても、わたしは洗礼を受けたい、その望みが強かった。そうこうするうち母も考えを変えた。

 ある日わたしに言った。「わたしは洗礼が何かよくわからないけれど、あなたがそんなに望むなら、それを受ければよい。きっと良いことなのでしょう。あなたはキリスト教を学ぶようになってから変わった。いやなことがあっても嫌な顔もせず、文句も言わず、お母さんの手伝いもいつもよくしてくれるようになった。きっと洗礼もよいことに違いない」と。

 こうしてわたしの洗礼への準備は始まった。要理の勉強の他に、洗礼の時に頭に被るベールの刺繍があった。手先が不器用なわたしにとっては十字架だった。込み入った刺繍を選んでしまったので、洗礼式までに間に合うか心配だった。母も一緒に心配してくれるまでになった。

 洗礼式は夕方から。その日の午前3時過ぎ、わたしのベールの刺繍はでき上がった。洗礼式に頭に被ることができたのだった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

 

2018年10月29日

・Sr 岡のマリアの風㉟身近に起こると… 「インマヌエル」-「身近に」なる-

 一人暮らしの母が、詐欺電話を受けて、かなり怖い思いをしたらしい。妹からメールで連絡があった。

 孤独な思いに付け込んで脅すのは、たとえお金を取らなくても、それ自体で「犯罪」だ、と本当に思った。心の傷、人に対する不信、この世界は怖いものだ、ということがインプットされるから。

 「幸い、近くの地域交流センターの人に相談して、消費生活センターに電話して、アドバイスを受けて大丈夫だったらしい」と、妹。電気屋さんが来て、「詐欺撃退電話」に替える相談をする、と。

 ありがたかったのは、地域の人たちの支えだった。母は、「ちょっと面倒だけど…」と言いつつ、家から歩いて少しのところにある「地域交流センター」にたびたび通っている。本を借りたり、お茶を飲んでおしゃべりしたり、たわいのないことだけれど、「これから、地域の方にお世話になるかもしれないから」と、意識的に 最近では、地域の防災訓練や行事にも参加したそうだ。お互い顔も覚え、センターのスタッフたちは、とても親切にしてくださる、という。

 センターの所長さんは、父が生きていたころからずっと同じ人、それを生きがいにしているようなおじさんで、いつも気軽に声をかけてくださる。今回も、センターの方々が、親身になって具体的な対策をアドバイスしてくれたようだ。消費者センターへの電話を繋いでくれただけでなく(回線が混んでいて、なかなかつながらなかった)、母の様子から問題を察し、「今は、心が高ぶっているでしょうから、少し、ここで休んでいってください」と、コーヒーを出し、話を聞いてくださった。

 心配性の妹は、定期的にお母さんを訪ねてくれる、わたしたちが小さい時から家に来ていた、化粧品セールスのおばさんにも電話した。このおばさんは、殆ど化粧品など買わない、つまりお得意先ではない母を、特に父が帰天して母が一人になった後は、心配して、善意で(母が何も買わなくても 母に声をかけ、「健康チェック」をするために訪ねてくれている。野菜や、おかずを持って来てくれることもしばしばで、お母さんは助かっている。おばさんは、妹の連絡を受けて、その日に、母を訪ねてくれたらしい。たぶん、野菜などをもって(そこまでは聞いていないが)。

 教皇フランシスコは、ひじょうにしばしば、「共同体」としての歩みについて語っている。最近の使徒的勧告『喜びに喜べ』(2018年3月19日)の中でも、第二バチカン公会議文書を思い起こしながら、「神は、人々を個別的に、まったく相互のかかわりなしに聖化し救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に神に使える一つの民として確立することを望まれた」と、再確認している。

 「他者と隔絶した個人として単独で救われる人などはおらず、神は、人間共同体の中に示される複雑に交差した人間どうしのかかわりを大切になさりながら、ご自分のもとへとわたしたちを引き寄せて」くださり、さらに、神ご自身が「民の躍動の中に、民という躍動に、加わろうと望まれた」 と(6項)。

 現代のイギリスの ユダヤ教のラビ、Jonathan Sacks(ジョナサン・サックス)は、モーセ五書に関する彼の著作の中で、神がいかに辛抱強く、長い年月をかけて、人間の成長を見守ってきたかを、まさに聖書の「現実」の中で具体的にたどと意味するかのように」と考察している。

 人がひとりでいるのはよくないIt is not good for man to be alone』(創世記2章18 節)… わたしたちは一人で生きることは出来ない。それは、聖書の人間論の原理(公理)の一つである。ヘブライ語の「命」life、ĥayimは、複数形である。あたかも、命は本質的に分かち合われるものだと意味するかのように。

 Dean Ingeはかつて、宗教を、 個人が、彼自身の孤独とともに行うもの-what an individual does with his own solitude-と定義した。それは「ユダヤ教の見方ではない」(Jonathan Sacks, Exodus: TheBook of Redemption[試訳])。神は人間を男と女として造り、家族を形作り、やがて一つの「民」を形作る。イスラエルの民は、神と「同等」のパートナーとして契約を結ぶよう呼ばれる。

 母の「出来事」を通して、今までニュースで耳にし、「一人暮らしの高齢者の寂しさを利用してだまし、脅すなんて、ひどい」と思っていたことが、何か「異なる次元」で、わたしにとって現実的になった。わたし自身の心の中で憤りを感じたし、怖い思いをした母への、さらなる気遣いが生まれた。人は決して、一人で自分自身を救うことはできない、「いのち」は「寄り添い」の中で育まれる、という、ユダヤ教・キリスト教の根本にある原理を、今までよりさらに深く「実感」した。

 神は、わたしたち一人ひとりの内奥に自然に湧き上がる感情、思い…を、自ら「体験、実感」するために、ご自分が導き、忍耐をもって成長を見守ってきた民の「一員」となった。人間となった。その、分かっていたつもりの神秘が、わたしの心のさらに深くに入った、という経験だった。

 人となった神の御子、イエスは、幼少で、家長である養父の死を体験した。「正しい人」であったヨセフが、神のもとで永遠に生きるだろうことを確信しながらも、「人間の心」をもつイエスは、愛する人を失った悲しみ、一人残された母の孤独への共感を「体験」しただろう。

 やがてイエスは、大人になって、託された使命を実現するために、「善い知らせ」を人々に運んでいく。しかしそれは、家に母を一人残して出て行くことをも意味する。イエスは除々に、血のつながりから成る家族から、イエスのことばを信じることによって形成される家族へと、母を導き入れていくが、それは、母にとっても子にとっても、痛みを伴うものだっただろう。究極は、十字架の出来事における、母と子の姿である。

 イエスは、神であるから、「知恵」そのものであるから、すべてを知っていた。しかしそれは、死、別離、孤独、恐怖…という、自然に湧き上がる人間の感情を抜きにしてではなかっただろう。「神の痛み」については、神学的にいろいろ議論されるが、少なくともわたしは、イエスが、人間としての究極の怖れ、苦しみを体験した、それこそ、神が「人となった」という神秘(ヨハネ福音書1 章14節参照)だと信じる。

 わたしたちは、さまざまな人間の苦しみ、怖れ、痛みを、メディアを通して知り、共感し、憤り、涙する。しかし、それが「身近なもの」となる時、その同じ苦しみ、怖れ、痛みは、一変して何かより強烈に「自分の体験」となる。わたしは、わたしの母の怖れ、憤りを通して、日々、ひじょうに多くの人々が体験している怖れ、憤りを、さらに身近に、さらに深く、体験する。

 神が「人となった」のは、イエスが望んだのは、人々に何かを教えるとか、慰めるとか、癒すとかいうことよりも先に、本質的に「人間の心、感情、思い…」をご自分のものとして感じ、体験することだった、とも言えないか。イエスが「人の子」として、十字架のもとに立つ母の心の中の、深淵の「闇」を感じ取らなかったとは(わたしには)思えない。その「闇」の中に、決して消えることのない光が輝き出でることを知っていたとしても。

 「分かっていても」、信じることが難しいわたしたち。信じていても(信じているつもりでも)、それを生きることに躊躇するわたしたち。人となったイエスは、そんなわたしたちの弱さを叱咤激励、または非難することよりも、先ず、自分自身でその「弱さ」を体験することを望んだ。「わたしたちの一人」となって。罪を除いては、わたしたちと全く同じものとなって。

 妹から連絡を受けた翌日、母と電話で話した。このようなことが起こると、地域の人、周りの人、友人たちのありがたさが分かるね、と話した。損得勘定ではなく、互いに寄り添い、支え合うために、「そこにいてくれる」善意の人々。このような善意の人々(キリスト教信徒であるとかないとかを超えて)のただ中に、すでに「神の国-いつくしみの神の国-」が来ている、と、パパ・フランシスコはたびたび言っている。

 人の心の奥底に刻み込まれた「神のイメージ(像)」を成長させていき、「真のわたし自身」になり、「神の家族」を形作っていくよう、わたしたち一人ひとりは、神の協力者として呼ばれているのだろう。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年10月29日

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑮人生の指針としてのハーフェズの詩の断片

 今回からは、筆者が自分の人生の指針、あるいは戒めとして日々暗唱しているハーフェズの詩の断片を、それが含まれる詩一遍の全体とともに紹介する。筆者が教訓として汲み取っていることと、ハーフェズの本意は必ずしも一致しないが、ハーフェズの生きた時代や社会背景と筆者のそれが異なる以上当然であろう。同時にそのこと自体、ハーフェズの詩が時と所を超えて、多様な読み方を許すものであることを示すものであろう。

 ハーフェズが、今なおイランやイランを超えて圧倒的な人気を持っているのもそうした点に由来しよう。

 「*途は恋の道 脇にそれることも終わりもない そこでは己が魂をゆだねるほかはない* 心を恋に委ねるときは素晴らしい瞬間 良きことにおいてはいかなる占い(迷い)も不要 真摯に修行の道を大切にせよ この宝の場所への道しるべは だれにも明らかというわけではない 己が知性を放棄することを怖がるまい 葡萄酒を持ってこい 我らの世界(恋)では警察長官(知性)は全く役立たず それ(恋)は澄んだ心をもってのみ見ることができる 新月を見るように 誰の目にも月のごとき美しきその(恋人)姿が現れるわけではない おのが目に尋ねよだれが我らを殺すのかと 絶対に運や不運の責任ではない (汝ゆえの)ハーフェズの号泣は何の効果ももたらさない 途方に暮れたわが心は硬い石(汝の冷酷な心)に劣らず」(*から*は、筆者が教訓としている部分)

 筆者にとってこの言葉は、何事も全力で最後まであきらめずに頑張れとの意味、あるいは人生最後まで愛し続けるもの(人とは限らない)を持て(生きがい)という意味になるが、ハーフェズの本意はもっと特定されたものである。

 「イスラームの神への愛の道を究めんとするハーフェズ、すなわち神を求め抜き、神との融合・邂逅を果たさんとするハーフェズの人生において、神は捉えたと思ったら次の瞬間には突き放されてしまう得難き存在、人生はそのことの繰り返しであり、あきらめずに命がけの修行を真摯に続けるほかにはない」との意味である。

 この詩には、神の愛を求める神秘主義の修行道の要諦をいくつか述べている。誰もが修行すれば、間違いなく成功する、すなわち神との融合・邂逅を実現できるものではないこと、したがって真摯に修行を続けなければならないこと、修行に当たっては、頭に頼り知識にすがっても却って有害であること、ただ心(魂)を清く研ぎ澄まし求め続けなければならないことなどが述べられる。

 そして、神の愛を求め抜く生き方に失敗すれば、その責任は自らにあり、運命や運不運の問題ではない、と手厳しい。

 最後の2行(ベイト)は、ハーフェズが神の恋を求める修業でいくら苦しみもがこうが、血の涙を流して号涙しようが、美女(神の表象)は冷血漢のごとく聞いてはくれず、何の効果もないと、修道の厳しさを歌っている。

 新月は、イスラーム教徒にとっての務めである断食月の終わり(したがって断食の終了)を告げる重要な印であるが、新月の出現は清き心を持った宗教者のみに見える、と信じられている。
(詩の翻訳は筆者)駒野欽一(元イラン大使)

2018年10月29日

・菊地東京大司教の11月、12月の主な予定

 年末も迫ってまいりましたが、11月から12月の主な予定を記します。ただし、12月に関しては流動的なところがまだあるものですから、すでに決まっていた予定の変更をお願いしなくてはならなくなると思われます。そういった予定に関しては、とりあえず記載してありません。(菊地功・東京大司教兼新潟司教)

11月1日 常任司教委員会 (潮見)

11月2日 カトリック美術協会追悼ミサ (関口地下15時)

11月3日 聖ヨハネ会総会 (小金井)

11月4日 青年のミサ (イエスのカリタス会10時)、教区合同追悼ミサ (関口14時)

11月5日6日 新潟教区司祭静修 (新潟)

11月7日 ミラノ会総会 (府中)、神学生静修 (神学院東京キャンパス)

11月8日 神学生静修 (神学院東京キャンパス)

11月9日~11日 新潟教区合同堅信式 (11日午前9時半、新潟教会)

11月12日 司祭評議会 (本部)、ロゴス点字図書館月次報告 (潮見)

11月13日~15日 日韓司教交流会 (韓国)

11月17日 宣教司牧評議会 (本部、14時)

11月18日 江戸の殉教祭ミサ (高輪教会10時)、国際青年ミサ (関口)

11月19日20日 新潟教区司祭代表会議、顧問会 (新潟)

11月21日 カトリック関東小中高連盟校長との集い (本部14時)、平和旬間常任委員会 (本部、18時半)

11月22日 ペトロの家運営会議 (本部)

11月23日 ベタニア修道女会総会 (江古田10時)、カリタスソウル歓迎会 (名古屋18時)

11月24日 正義と平和全国大会カリタスジャパン分科会 (名古屋)

11月25日 小金井教会ミサ (10時)、世界エイズデー合同祈祷会 (17時)

11月26日 司祭月例会、財務委員会 (本部)

11月28日~12月5日 ケルン教区表敬訪問

12月6日 常任司教委員会 (潮見10時)、神学院常任委員会 (福岡18時)

12月7日 神学院常任委員会 (福岡)

12月8日 澤田神父様白寿感謝ミサ (関口14時)

12月9日 神田教会90周年ミサ (神田、10時半)

12月10日 司教顧問会 (本部午前中)、ロゴス点字図書館月例報告 (潮見14時)

12月11日12日 神学生静修 (神学院福岡キャンパス)

12月12日13日 司教総会 (潮見)

12月14日 司教研修会 (潮見)

12月15日から20日まで、この期間は予定が変更になる可能性があります。すでに予定のある関係者には別途ご相談いたします。

12月21日 カリタスジャパン事務局会議 (潮見、14時半)

12月22日 コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会 (調布)

12月24日25日 主の降誕 ミサ (関口)

12月26日 東京教区司祭・テデウムの集まり (関口)

12月27日 新潟教区司祭、年末の集まり (新潟)

2018年10月26日

・Dr.南杏⼦の「サイレント・ブレス⽇記」㉕ 銀幕に浮かぶ「⽣と死」

 映画が好きだ。とりわけ、「⽣と死」をテーマに掲げる作品は、できるだけ ⾒ておきたい。

 ⾃宅にも近いJR中央線沿線の⽴川や吉祥寺などの映画館の座 席に体を預け、暗闇の中で作品のテーマについて考える。楽しみの機会でもあ り、医師としての学びの場でもある。 死と隣り合わせとなって、⼈は⽣きていく――。

 2018年の⽇本映画は、そ うしたことを深く考えさせる印象的な作品に恵まれたのではないだろうか。

 第71回カンヌ国際映画祭で、最⾼賞パルムドールに輝いた是枝裕和監督の 「万引き家族」は、犯罪や不正に⼿を染めて都会の⽚隅に暮らす疑似家族の⼈ 間模様を描いた秀作だ。 物語の後半でこの家族は、ともに暮らした「祖⺟」が病気で亡くなった事実 を隠し、遺体を庭に埋めてしまう。すべては年⾦⽬当ての⾏動で、死んだはず の彼⼥は、家族の⼿で「⽣かされて」しまう。祖⺟役の樹⽊希林さんが9⽉に 亡くなったこともあり、「万引き家族」は⽣と死を強く印象づける作品となっ た。

 生と死を考える映画という点では、死刑囚と向き合う牧師の姿を描いた佐向⼤監督の「教誨師」(きょうかいし)も⼤きな話題を呼んだ。

 この作品では、佐向監督の脚本にほれ込んだという俳優の⼤杉漣さんが、⾃らプロデュース役を買って出たうえ、主役の教誨師を演じている。ご存知のように教誨師とは、刑務所や少年院などで、被収容者の宗教上の希望に応じ、礼拝や⾯接、講話などを⾏うボランティアの宗教家だ。

 カメラは、ほぼ全編を通して教誨室から動こうとしない。6⼈の死刑囚の内⾯に迫る⼿法で、「⼈はなぜ⽣きるのか」という命題を「死の側」からとらえた強烈な物語である。今年2⽉に死去された⼤杉さんにとって、最初のプロデ ュース作であると同時に、最後の主演作となったことでも注⽬された。

 同じ⽂脈でもう⼀作紹介したい。中川⿓太郎監督の「四⽉の永い夢」である 。

 主⼈公は、中学の⾳楽教師を辞め、そば屋でアルバイトをしている27歳の ⼥性・初海(はつみ)。3年前に死んだ恋⼈が書き残した⼿紙が届いたことをきっかけに、それまで変わることのなかった彼⼥の⽇常が動き出していく。 愛する⼈を失い、「喪失」と「悲嘆」から⽴ち直れずにいた初海が、再⽣の 2 道を歩む物語。しかし、カメラが追いかける初海の⽣活には、恋⼈を想って激 しく泣き叫んだり、回想の世界に沈み込んだりするシーンは登場しない。

 それでも、なぜだか空虚な思いがして、なんとなく悲しい。中川監督は、喪失と悲 嘆に⼈⼯的なドラマを作ろうとせず、遺された者のリアルな⼼情を静かに描く 。映画の観客は死んだ元恋⼈の顔すら知らされぬまま、初海の⼼情に寄り添い 、悲しみを追体験していく。⼤切な⼈を亡くす経験って、実際、こういうもの だろうな――と。

 本作は第39回モスクワ国際映画祭で、国際映画批評家連盟賞などを受けたものの、上映資⾦に恵まれずに全国津々浦々の公開とはならなかった。だが、各地の上映会ではいずれも⾼い評価を得たと聞いている。

 初海を演じたのは、朝倉あきさん。平成3年⽣まれの27歳という若⼿なが ら、⽣と死をテーマにした作品で⼤きな存在感を⽰したと評価された。今年は樹⽊さんや⼤杉さん以外にも、夏⽊陽介さん、朝丘雪路さん、加藤剛さん、津 川雅彦さん、菅井きんさんらの実⼒派が天に召されたが、朝倉さんのような若⼿有望株の活躍は⼀映画ファンとしても⼼強い。

 ところで「四⽉の永い夢」は、東京都国⽴市が主な舞台になっている。映画の撮影は、JR中央線の国⽴駅周辺をはじめ、南⼝から⼀橋⼤学へ続く ⼤学通りやブランコ通り、国⽴市内の銭湯や公園、⽼舗の喫茶店「⽩⼗字」な どで⾏われたという。中川監督⾃⾝は、「この映画は、多摩地域のライフスタ イルからインスピレーションを受けて作りました」と静かに語っている。

 監督 の弁は、多摩地域に⽣きて多摩地域で映画を観る者にとって、晩秋の町歩きに も暗闇での思索にも、新しい刺激を与えてくれる。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり⽅を問う医療ミステリ ー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が、7⽉12⽇に⽂庫 化されました。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のある べき関係をテーマに据えた⻑編⼩説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好 評発売中)

2018年10月25日 | カテゴリー :

・Sr.岡のマリアの風㉞「地元の病院」に通って気が付いたことは・・

  優しくて人気(?)のH先生の担当日に、いつものように定期通院。でも、いつも車で一杯で、停めるところを探すのに苦労する駐車場が、がら空き。思わず「えっ?H先生、休み?」と、そちらに思考が行く。

 車を降りると、やはり通院に来たおばあちゃんが「今日は、人が少なかとですね~」と、わたしに声をかけてくる。「大丈夫ですか?」とヨロヨロ歩いているおばあちゃんと一緒に病院に入ると、待合室もがら空き。H先生の担当日には、二時間以上待つこともざらなのに…。

 名前をすぐに呼ばれて行くと、H先生は、いた。

 「今日は、人が少ないですね~」と看護師さんに言うと、「そうですね~。稲刈りだからじゃなかとですか~」。「地元の病院」に四週間に一度の定期通院を始めて数か月(お恵みで、いたって健康だけれど、骨密度が問題らしい)。

 初めのころは、あまり病院に通ったことのないわたしにとって、何となく「場違い」な感じがしていた。でも、だんだん、「地元感」の良さを発見するようになってきている。

 確かに、車の窓から、田植え、稲刈りの風景は、見ている。だけど、「いつも通院してきている」おじいちゃん、おばあちゃんが、実際に稲刈りで通院を休んでいる(?)」と思うと、何か、季節感がぐっと現実味を帯びてくる。確かに、最近、台風をはじめとして天気が悪かった。今日は、秋晴れ。そうか、みんな、体が痛いことより、まず、稲刈りなのか…。

 そういえば、と、急に思い出した。東日本大震災後の、岩手県O町で、ボラティアをしていたとき。学童支援センターにいつも来ていたお兄さんが、いなかった。「○○先生は休みですか?」と聞くと、「わかめ取りに行っている。彼は漁師だから」との答え。その時、O町は、こうやって、少しずつ、地道に復興しているのだな~、と実感したっけ。

 O町で、カトリック教会のボランティア活動を立ち上げた、故F神父が、言っていた。わたしたち、長崎で生まれた三つの修道女会(「みつあみの会」)が被災地にボランティアを送ることを計画し、「でも、わたしたちに何が出来るでしょうか?」と尋ねたときだ。「とにかく、まず、現地に行ってください。

 地元の空気を吸い、地元の店で買い物をし、地元の食材を買って味わい…。人々と『共にいる』、同じ空気を吸う、それが、すでにボランティアです」。

 F神父は、その土地その土地で異なる「空気」、「雰囲気」は、決して言葉では通じない。ニュースで見ただけでも感じることは出来ない。自分が、地元に
行かなければ分からない、と言っていた。初めて、O町に行ったとき、それはすぐに分かった。理屈ではなく、体で。

 「地元の病院」の待合室では、病気の話しよりも、「あんたの息子、嫁さんもらうってな~」「○○さんのとこ、男の子が生まれしゃったとよ~」「母ちゃん、元気にしとるとね?」…と、単なる挨拶、好奇心以上に、「寄り添う」心、「関心をもっている」心に出会う。

 キリスト教のある伝統は、ナザレのマリアが、神の使いのお告げを受けた時(受胎告知)、最初の部分は、マリアが井戸に水を汲みに行ったときだった、と語っている。それが事実かどうかはともかく、このような、人類の歴史の中で最も偉大な出来事の一つが、小さな村の「普段性」、「日常性」の中で起きたと考えることが、わたしは好きだ。神はわたしたち自身さえも気づかない時、場所、方法で、わたしたちに会いに来る。教皇フランシスコは、しばしば、わたしたちの神は「サプライズの神」だ、と言う。

 地元の待合室での、何気ない「寄り添い」のひと時。稲刈りの時期には人が少なく、雨が続くと人の多い、待合室。「おはようございます」と挨拶すれば、恥ずかしそうに答えてくれる、おじいちゃん、おばあちゃんたち。

 通院を始めたこともあり、初めて、特定健康診断も「地元の病院」で受けた。シスターたちとは長い付き合いの看護師さんたち。すべての診断(胃カメラも)で、ベールを取らなくていいです、と言われ、「地元感」から来る何とも言えない温かさに、すっかりリラックスした。

 「都会の有名病院」ではないから、高度な治療を受けるわけにはいかないかもしれない。もしかしたら、病気が発見されなかった、ということがあるかもしれない。でも、60歳も過ぎれば、あとは「返す」人生。今まで、わたしだけでなく、先輩たちがお世話になった地域の人々の中で、今日は調子が良いとか悪いとか、痛いとか痛くないとか、よく眠れたとか眠れなかったとか、そんなことを繰り返しながら、一緒に「返していく」ことが出来たらいい、と思うようになった。

 いつかは行くんだ、天国に。それが一年早くても、一年遅くても、同じ共同体のシスターたちだけでなく、「地元の」おじいちゃん、おばあちゃん」たちと一緒に行く方がいい。だって、こうやって、だんだん「中古車」になってきた自分の体と付き合いながら、ときにはつぶやきながらも、それでも寄り添いながら、いたわりながら、共に今まで、歩いてきたのだから。

 教皇フランシスコは、特にシスターたちと話すとき、「お母さんになってください」と呼びかける。「お母さん」は、「わたし」よりも「あなた」-子ども-を中心に置く。お母さんは、生活の中心に「他者」を置くことを、自然に知っている。

 昔、映画が大好きで、よく出かけていた友人が、結婚して、子どもが出来たら、映画を見に行くことも出来なくなった(ビデオやDVDのない時代である。映画館に行かなければ、なかなか映画を見ることは出来なかった)。やっと時間が出来て外出するつもりでいても、子どもが熱を出して行けなくなった、ということはしばしばだった。

 でも、彼女は、だから昔が良かった、とは言わなかった。むしろ、ずっと幸せそうだった。

 生まれてくる子ども、障がいをもった人、高齢者…を、この世は「問題」として提示するけれど、それは「賜物」です、とパパは言う。なぜ「賜物」か、と言うと、この人たちは、わたしたちに、一番大切なもの、中心に置くべきものを教えてくれるから。それは「いのち」。わたしたちが他者に、特に、より弱い、より傷つきやすい「いのち」に、わたしの時間を、わたしの心を、わたしの空間を開く時、その時、わたしたちは、知らない内に、「いのち」を真ん中に置いて生きることを学ぶ。

 パパ・フランシスコは、「若者」をテーマにしたシノドスの機会に集まった若者たちに、語りかけた。

 いただいた賜物であるいのちを、あたかも自分だけのものであるかのように考え、先人たちに耳を傾けることなく、「わたしが」好きなように生きようとする時、わたしたちは迷路に入り、行き詰まり、閉じこもる。「いのち」に開かれていないからだ。わたしたちを解放するのは、自由にするのは、「あなた」、そして特にもっとも小さな「あなた」の「いのち」である。「わたし」が「あなた」に中心を譲る時、わたしたちは癒され、ゆるされ、解放される。

 わたしたちは、一人だけでは、決して解放されることはない。自分の利益だけを求めていると、いくらお金、権力、名声を得ても、「孤独」である。孤独な人は、自由にはなれない…

 「地元の病院」の待合室で、今日も、いろいろなことを考えている。人生は、いくつになっても、学ぶことに満ちている。もし、「謙虚に」「耳を傾ける」ことを知っているなら…。祈りつつ。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年10月13日