・菊地大司教の日記㊺聖霊降臨・合同堅信式/教皇フランシスコ5

2019年6月11日 (火)

聖霊降臨の主日、合同堅信式@東京カテドラル

 

 聖霊降臨の主日の午後2時半、東京カテドラル聖マリア大聖堂において、東京教区の合同堅信式が行われました。

 毎年、それぞれの小教区で堅信式を定期的に行う大きな共同体もいくつかありますし、または司教訪問の際に堅信式をする小教区もありますが、それではすべてを年内にカバーできないので、こういった合同堅信式も大切です。

とりわけ、教区はその司教とともに歩みをともにする一つの共同体なのですが、その「ひとつであること」を感じる機会はそれほど多くはありません。どうしても、一人ひとりが所属する小教区共同体を基準に教会を考えますし、それは当然です。しかし同時に、教区としての共同体の意識は重要ですし、その意識はひいては教皇様を牧者とする普遍教会の共同体の意識を持つためにも、重要です。わたしたちは一緒になって、時の流れの中を旅し続ける、神の民だからです。

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今年は、22の小教区から168名の方が、合同堅信式に参加してくださいました。昨年は、わたしひとりですべての堅信を授けた結果、ミサの終了が夕方5時を遙かに過ぎることになってしまいました。遠方から来られる方も少なくありませんので、今年は、私と一緒に、堅信を授ける権能を委任した、関口教会と韓人教会の両主任司祭に、一緒に手伝っていただくことにいたしました。2時半に始まったミサは、4時半には終えることができました。

多くの神父様が共同司式に参加してくださり、今年からの式典係(小池、江部、高田神父様方)に従い、堅信前の按手の祈りでは、共同司式司祭が一列に並び、手を差し伸べて聖霊の助力を祈りました。なかなかの壮観ではなかったかと思います。

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堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。それぞれの心の内に秘めた思いはわかりませんが、それに関わらず、聖霊の力をもってわたしたちをご自分の考えのように使われるのは、主ご自身であることを忘れずにいましょう。

以下、ミサ説教の原稿ですが、ミサ中には少し変更してお話ししています。

「この世界で、与えられたいのちをより良く生きていくために必要なことは、いったいなんでしょうか。

人ぞれぞれに思うところもあるでしょうし、それぞれの置かれた事情も異なりますから、そこには様々な答えがあることでしょう。わたしは、与えられたいのちをより良く生きていくために必要なことの一つは『未来への希望』であると思っています。

何年も前に訪問したアフリカの難民キャンプで、キャンプのリーダーに『何が必要か』と尋ねたとき、彼は『俺たちは世界中から忘れられた。まだここにいることを、皆に知らせてくれ』と訴えました。食べるものも、住むところも不足し、着るものさえも、不足している。ないないづくしの困難の中で彼が真っ先に訴えたのは、『皆から忘れ去られることへの絶望でした。

このとき、『人が生きていくためには、もちろん衣食住がそろっていることが不可欠だけれど、それ以上に、人とのつながりの中で、将来への希望を見いだすことが大切なのだ』と知りました。

希望のない世界で、いのちを豊かに生きることには、大きな困難がつきまといます。いのちの大切さを訴えるわたしたち教会は、生きていくための希望を失っている人たちに、なんとかその希望をもたらしていきたい。希望を生み出す社会を生み出していきたい。そもそも、わたしたち教会の共同体が『生きる希望を見いだす場』でありたい。そう思います。

復活祭のスリランカでの事件や、先日のカリタス小学校での事件のように、大切な人間のいのちが、暴力的に奪われる事件が相次ぎました。亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、残された方々の上に神様の慈しみ深い、いやしの手が差し伸べられるように、心から祈りたいと思います。

その上で、あらためて、『神から与えられたいのちの尊厳が守られ、賜物である命が始めから終わりまで守られるように』と、わたしたち教会は主張します。同時に、暴力的な犯罪に手を染めてしまったを犯人も含めて、すべての人に生きる希望が生み出されるように、希望に満ちあふれた社会を生み出していくことができるように、努めていきたいとも思います。

さて、五旬祭の日に、弟子たちは一つになって集まっていたと、第一朗読に記されていました。そこには共同体として一致している弟子たちの姿が描かれています。人々を恐れて隠れてしまうというほどに消極的だった弟子たちは、聖霊を受けることによって、『霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した』と記されています。
この弟子たちの様子を目撃した人々の言葉にこうあります。『彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは』。すなわち弟子たちは聖霊に満たされることによって、神の業を語り始めたのだけれど、それは人々が理解できる言葉であったということです。

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堅信の秘跡を受ける信仰者は、大人の信徒としての道を歩み始めます。大人の信仰には、与えられた賜物に応えていく責任が伴います。その責任とは、主イエス御自身が弟子たちを通じて私たちに与えられている、福音宣教の命令です。大人の信徒の責任は、派遣されて出た社会の現実の中で、人々が理解できる言葉で福音を語ることであります。いや、言葉以上に、わたしたちの生きる姿勢で、福音を目に見えるものとしているか、であります。

わたしたちは、自分の生きる姿を通じて、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。わたしたちはイエスのいつくしみを表すような生き方をしているでしょうか。いのちを大切にするような生き方をしているでしょうか。いのちを生きる希望に満たされているでしょうか。

わたしたちは、ほかの方々との関わりの中で、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。忘れ去られる人のいないように、手を差し伸べようとしているでしょうか。人間関係の中で、希望を生み出しているでしょうか。

わたしたちは、愛の奉仕の業を行うことで、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。わたしたちは、困難に直面する人たちの存在に気がついているでしょうか。必要な助け手をなり得ているでしょうか。愛において希望を生み出しているでしょうか。

本日の第二の朗読、ローマの教会への手紙でパウロは、霊の望むところと、肉の望むところは相反しているのだ。私たちは霊の導きに従って神の子となり生かされるのだ、と教えます。

肉の望むところ、すなわち、わたしたちが実際に生きているこの世界が大切だ、大事なのだ、と教えるところに従っていくことです。残念ながら、わたしたちが生きているこの世界は、完全なところではありません。悲しみや恐れを生じさせ、いのちを奪うことさえ許してしまうような世界です。

それに対してパウロは、霊に従って生きる、すなわち、神の霊によって導かれ、神の望まれるような生き方をするときに、わたしたちは神の子となり、イエスと同じ相続人となるのだ、と教えます。

イエスご自身の人生は、他者のために自らを犠牲にする人生でありました。わたしたちはそのイエスと同じ相続人となろうとするのですから、イエスとおなじように、他者への犠牲のうちに生きようとするのです。

わたしたちは相続人ですから、イエスと同じようにいのちを生きる希望を告げ知らせるのです。

わたしたちは相続人ですから、悲しむ人へ慰めをもたらし、すべての人が神に愛される大切な存在であることを、言葉と行いで示すのです。

一人ひとりの能力には限界があります。私たちはひとりでは完璧にはなることができません。でも私たちには互いを支え合う信仰の共同体があります。そして、なによりも、私たちを支え導く聖霊の照らしがあります。「上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬の七つの賜物が、聖霊によって与えられます。聖霊の導きに信頼しながら、そして共同体の支えに力づけられながら、勇気を持って、自らの言葉と行いで、希望を掲げてまいりましょう。

*教皇フランシスコ

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 教皇フランシスコの来日は、その可能性の報道や噂が先行し積み重なり、すでに確定したように語られていますし、教皇様自身も、先日国際カリタスの総会参加者謁見の終わりに、謁見室から退場する際、歩みを止められて最前列にいた私のところへ近づいてこられ、「次は東京で会いましょう」と言われたほどですから、かなりの程度で確定に近づいているのでしょう。

 しかしながら、今の段階では、聖座から公式な決定の発表はなく、実は、完全に確定しているわけではありません。実現するように祈り続けたいと思います。

 さてそんなわけで、中断していますが、使徒的勧告「福音の喜び」から、教皇フランシスコの考えているところを学び続けたいと思います。

 「宣教を中心にした司牧では、『いつもこうしてきた』という安易な司牧基準を捨てなければなりません。皆さんぜひ、自分の共同体の目標や構造、宣教の様式や方法を見直すというこの課題に対して、大胆かつ創造的であってください。目標を掲げても、達成のための適切な手段の探求を共同体が行わなければ、単なる夢に終わってしまうでしょう」(「福音の喜び」33項)

 ちょうどこの聖霊降臨祭を締め切りにして、東京教区の宣教司牧方針への提言をお願いしていました。メールだけでも60通の回答をいただきました。ありがとうございます。

 教皇フランシスコは昨年開催された青年のためのシノドス最終日の10月28日、お告げの祈りに集まった人々に、シノドスのプロセスを振り返って、こう述べています。

「しかし、このシノドスの第一の実りは、これから見習うべき、準備段階から取り入れられた手法にあると思います。それは、書面の文書を作成することを第一の目的としない『シノドス様式』です。書面の文書も貴重で有益なものですが、それ以上に、現状に即した司牧的選択をするために、老若男女が集まり、協力しながら傾聴と識別を行う方法を推進することが重要です」

 東京教区全体から代表者を集めて、実際に会議を開いて方針を話し合うことは、それに必要な準備も考えれば、あまり現実的な選択ではありませんでした。そこで会議を開かずに、できるだけ多くの人が互いの話に耳を傾け、祈りのうちにともに識別を進める方法を模索しました。それが今回の、祈りのうちに行われる話し合いであり、その実りの集約であります。少しばかり大げさですが、今現在東京教区の宣教司牧方針を識別するために、わたしたちはシノドス的な道を歩んでいると考えています。

 これからの道のりについては、後日教区ニュースで詳しく解説いたしますが、いずれにしろ目標を掲げて、その具体化を目指していくことになります。目標を掲げるプロセスで、また具体化する実行で、教皇様の『福音の喜び』の言葉を思い出したいと思います。

 「大胆かつ創造的」に、『いつもこうしてきた』という判断基準を捨てて、東京教区のこれからのために、一緒になって道を見いだしていきたいと思います。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

(カトリック・あい:「司教の日記」から、ご本人の了解を得て転載しています)

2019年6月12日

・菊地大司教の日記 ㊹海外にいる間に…ひたすら悲しい‥ローマで国際カリタス総会

海外にいる間に    2019 年6月1日

   国際カリタスの総会のためローマにいる間に、日本では生命に関わる悲しい事件が発生していました。

   28日の朝、登校するためにスクールバスを待っていた川崎市のカリタス小学校の子どもたちが刃物を持った大人に襲われ、6年生の女の子お1人と、保護者の男性お1人が命を奪われ、17名が傷を負われた、と聞きました。

 大切な存在を突然暴力的に奪われた方々。その心の悲しみに対しては、どんな言葉も足りないのだと思います。心からお悔やみ申し上げるとともに、わたしも言葉にならないくらいに悲しいことだけをお伝えします。亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りするとともに、傷を負われた子どもたちの一日も早い回復をお祈りします。

 カリタス小学校に通われている多くの子どもたち、その家族、そして教職員。多くの方が心におわれた悲しみ、恐れ、怒りなどを思うとき、犯行に及んだ人物の凄まじい暴力の負の力に、わたし自身の心をつぶされそうに感じます。

 どんな理由があっても、神が与えられ愛される人間のいのちを、暴力的に奪い取ることは許されません。ましてや、人から生きるための希望を暴力的に奪うような暴虐も、許されてはなりません。

 これからしばらくの間は、犯行に及んだ人物の背景などが報道されることでしょう。確かに背後には社会的な要因も指摘されることでしょうし、そういった社会的要因の解消に取り組むことも避けてはならないでしょう。

 しかし、何にもまして、わたしは「この社会にあって、人間の生命を大切にすることは人間の務めだ」という価値観が、普遍的な価値観でなければならないことを、主張し続けたいと思います。「生命における希望を奪い取ることは、許されないのだ」と言うことを、主張し続けたいと思います。

 カリタス小学校の皆さんに、そして関係する多くの方々に、生命の創造主である神様の慈しみと力に満ちた守りがあるように、心から祈ります。ただただ、悲しいです。

第21回国際カリタス総会@ローマ  5月23日~28日

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 国際カリタスは160以上の国と地域にある、それぞれの司教協議会などに認められたカリタス組織による連盟ですが、同時に教会の愛の活動の組織として、教会法上の法人格も与えられており、その本部はバチカンに置かれています。

 全体の活動方針を定めたり、総裁や事務局長、また理事会に当たる地域代表会議のメンバー選出などのため、4年に一度、総会が開催されています。

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 去る5月23日から28日まで、ローマ市内のコンファレンスセンターを会場に、21回目の総会が開催され、450名以上が世界中から参集しました。日本からは、国際カリタスの連盟のメンバーであるカリタスジャパンから委員会の秘書と事務長の3名が参加しました。

 国際カリタスは世界を7の地域に分けており、わたしはその一つであるカリタスアジアの総裁の立場で、カリタスアジア事務局長とともに参加してきました。(写真は、会場外に設けられた各地域のブースで作業をするカリタスアジアの代表たち)

 国際カリタスの役職は4年が一期で、2期8年までとされています。わたしは2011年の総会でアジアの総裁に選ばれ、2015年に再選されていたので、今回が8年目で最後の総会となりました。1999年の総会以来、様々な立場で国際カリタスの総会に参加してきましたので、今回が5回目の総会参加となりました。

 なお今回の総会の間にアジア地域の会議が行われ、その場で、新しい総裁に選ばれたバングラデシュのベネディクト・アロ氏にバタンタッチをいたしました。またカリタスアジアの理事会である地域会議へは、東アジアから韓国、東南アジアからフィリピン、南アジアからネパール、そして中央アジアからモンゴルが選出され、そのうちのフィリピンと韓国が国際カリタスの地域代表会議に参加することになりました。

 国際カリタスの総裁は、マニラのタグレ枢機卿が4年の一期目を終わったところでしたから、ほかに対立候補もおらず、あと4年間の再選となりました。またわたしと同じく8年の任期を終えたミシェル・ロワ事務局長の後任には、彼と同じくカリタスフランス出身で、これまで国際カリタス事務局で働いていたアロイシウス・ジョン氏が選出されました。アロイジウス氏は、もともとインド出身で、アジアのカリタス組織とも長年の連携がある人物です。

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 また総会開始に先立って、23日の午後には、聖ペトロ大聖堂で教皇様司式の開会ミサが行われ、さらには、27日の月曜日午前中に、会議参加者全員との特別謁見も行われました。この謁見で教皇様は、なんと450人以上の参加者全員と握手をされました。

 謁見が終わって退出される際には、一番前の席に座っていたわたしの方に近づいてこられ、「次は東京で会いましょう」と声をかけていただきました。(写真は、教皇様に挨拶するカリタスジャパンの田所事務長)

 今回の総会のテーマは「One Human Family, One Common Home」とされていました。「One Human Family」は、このところの国際カリタスの継続したテーマで、「わたしたちは一つの人類家族」というような意味。「One Common Home」は、教皇様のラウダート・シによっていて、「共通の一つの家」というような意味です。

 総会の中では、これまで国際カリタスが4年間取り組んできた活動計画を、さらに充実させて4年間継続するような内容の、活動の全体枠が採択されたり、それに掲げられた優先事項への具体的な取り組みについての、小グループでの話し合いも行われました。

 ビジネスだけではなくて、会場のホテルには聖堂も設けられ、毎日朝7時からテゼ共同体のブラザーによる朝の祈りではじまり、会議前の朝8時半からは、タグレ枢機卿による30分の霊的講話。夕方6時半からはミサ。さらに夜9時からは、再びテゼ共同体のブラザーによる晩の祈りも行われ、カトリック教会の援助支援団体としての性格を明確にしました。

 なお今回の総会で、アジアのカリタスから推薦していた、キルギスのカリタスと、シンガポールの二つ目のカリタスであるCharisの二つが、メンバーとして認められました。シンガポールは、国内の事情で、国内の活動に取り組むカリタスシンガポールと、海外の活動に取り組むCharisの二つがあり、これまではカリタスシンガポールだけが国際カリタスのメンバーでした。ただし一つの国に複数のメンバーがいても、投票の権利は一つの国、または地域で、一票だけとなっています。

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 会議初日には、国連のグティエレス事務総長からのビデオメッセージがあったり、国連食糧農業機関(FAO) 事務局長ジョゼ・グラチアノ・ダ・シルバ氏の講演があったりと、国際社会からのカリタスへの期待を感じさせるものがありました。

 また教皇様は、ミサの説教でも謁見でも、完璧なプログラムではなくて人が大切であることを強調され、「耳を傾ける謙遜」「様々なカリスマの集まり」「捨てることの勇気」の3つをもった主にしたがって歩む教会で会ってほしい、と述べられました。

 また、聖座の総合的人間開発促進の部署(タクソン枢機卿担当)が国際カリタスを担当するが、それは国際カリタスのが役所の下にあるのではなくて、ともに歩んでいくためだとも強調され、教会の愛の奉仕の業の手段としてふさわしく機能してほしいと期待を述べられました。

 なお、わたしは、カリタスアジアとそれに伴う国際カリタスの役職は終わりましたが、カリタスジャパンの責任者は継続していますので、まだしばらくは、カリタスのことに関わり続けます。(写真上。カリタスアジアの総裁を引き継がれたベネディクト・アロ氏と私)

 

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)(「司教の日記」よりご本人の了解を得て転載)

2019年6月2日

・Sr.阿部のバンコク通信㉝来タイ25周年の私たちの修道会に、初のタイ人終生誓願者が2人!

   聖パウロ女子修道会がタイ国に設立されて25年の月日が経ちました。派遣された1994年4月21日と同じ日、修道院の小さな聖堂で感謝のミサを捧げ、心新たに再出発しました。

 これまでのお導き、多くの方々の支え励ましを偲びながら、3日間黙想巡礼を計画し、創設当初の家、毎朝黙々と通った教会、お世話になった修道院などを御礼訪問しました。

  中でも、この6月15日に終生誓願を立てる初のタイ出身の2人を伴っての、25周年のミサと巡礼は、正に感無量でした。 設立当初からいる私が、当時の様子を説明し、一緒に祈りました。華やかさは一切避けた25周年のお祝い、感謝と賛美を、心をひとつにして捧げました。

 2人の入会は、私たちの修道会がメディアを通じてタイでささやかに始めた、福音宣教の道々の出会いの中にありました。

 タイ語を学びながら家探し、友人宅に2年余りの仮住まいの後、郊外の聖ミカエル教会の前に居を構え、次いで最初の出版に挑戦。日本の女子パウロ会の『ベンハー』2巻の翻訳出版、続いて『白い鳩のように』、『クォヴァディス』、講談社『漫画聖書物語』などの単行本を、それぞれ5,000 冊づつ出版し続けました。

 なぜ漫画?お世話になっていた修道院の経営する学校の子供達のカバンの中が、日本の漫画本(タイ語)でいっぱいだったのを見て、そこからヒントを得たのです。早速、日本の本部から本を取り寄せ、版権使用許可を得て翻訳、当初はフィルムに手書きで書き入れる作業をしていました。

  この漫画本を、タイの北の果てのメーホンソン、南はチョンブリに住む、本大好きのアティタヤー、メディアや漫画好きのパリチャットが手にし、私たちの修道会を知って入会。長い養成の後、終生誓願を銀祝の年の贈り物にしてくれたのです。

 刈り入れの主に感謝し、働き人を切に祈る日々です。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員=写真は、左右がタイ出身の初の終生誓願者二人)

2019年6月1日

・三輪先生の時々の想い ④フランスの経験に学べ-無防備な”隣人愛”の日本を憂う

 外国人のご意見番として知る人ぞ知る高名なフランス人歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏は「問題の所在が明らかになっているのに、日本政府は明確な対応策を確立していない」と警鐘を鳴らしている。少子化に対して具体策は示さずに、人手不足を補う策を労動力たりうる人材の受け入れだけを示しているに過ぎない。

 そうしてようやく、外国人受け入れに舵を切ったかに見える政府だが、変な”人類愛”だか”隣人愛”だか、はたまた変な”平等主義”だか知らないが、選別の目安さえ明確に認識している様子が無い。トッド氏は、その事に警告を発している。

 フランスでは、多文化主義的に移民を受け入れたが、イスラム系移民の同化が進まず問題が多発し、「いずれフランス語を話し、フランス国民になる」との期待が報いられなかった。「フランスの轍を踏むな」「多文化主義だ」などと書生っぽいユーピア思想に酔ったりしていたら、とてつもない”禍根”を残す事になるーとも、彼は指摘する。

 ”禍根”の恐れの最たるものは、中国と中国人。人口十数億を擁する巨大な隣国である。ひとたび移動が始まれば、やがて巨大な流れに発展して止まるところを知らぬだろう。独裁国家中国から来る中国人はそれぞれ国家的使命を託されている、と見るべきである。隣人として無防備な友好関係を築くと危険である。

 ところがそんな潜在的な危険因子に気付いていないのか、あるいは気付いているが日中友好の看板のためなのか、日本のメディアは民間の日中交流を高く評価するニュースを採り上げたがっているように見える。トッド氏の警鐘には、ほうっかむりを決め込んでいるようだ。

 例えば『日経』の特集記事「令和に生きる」2(2019年5月22日付け)の紙面である。「外国人と共に暮らす 店主や住民深まる交流」と大小の見出しのもとに、次のように報告する。

 「かつて違法な性風俗店が乱立していたJR西川口駅(埼玉県川口市)前の繁華街。2006年ごろの摘発強化で空いた物件に中国人が相次いで飲食店を出し、中国語の看板が並ぶリトル・チャイナに生まれ変わった」

 経済的ばかりでなく、軍事的にもアメリカ合衆国と、つばぜり合いを始めてしまっている超大国、巨大な独裁国家の”人民”としてやって来た在日中国人。彼らに何の疑心も抱かず、彼らの愛国心が時としてわが日本国の国益と両立しえない方向に向かうかも知れないことに、全く気配りもせず、「友情の花を咲かせた」と自己満足に陥ってしまったかのような言いようだ。

 こんな無防備な”隣人愛”と”国際親善感覚”でいいものだろうか。(2019・5・27記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授・元同大学国際関係研究所長)

2019年5月31日

・Sr石野思い出あれこれ⑪続・志願者生活-いちばん辛く苦しいのは、本の”プロパガンダ”

 朝の祈りを唱えてからミサに与る。ミサの後は黙想、朝食と続く。朝食には苦手のチーズが頻繁に出て情けなかった。出されたものは何でも食べること、と言われていたので、残すわけにもいかず、ナイフとフォークでチーズを細かく刻んで水と一緒に薬のように飲みこんだ。それを見ていたシスターは止めてもくれず何も言わなかった。でもそのおかげで、今はチーズが食べられるだけでなく、大好きになった。

 朝食が済むと一人ずつ名前を呼ばれて、その日の仕事が割り当てられる。「Aさんはお洗濯」、「Bさんはお掃除」、「Cさんはお台所」、「Dさんはお使い」など。私たちはこれを「お告げ」と呼んでいた。

 ある日、聖パウロ修道会(男子修道会)で印刷され、製本されたカトリック関係の本が私たちの修道院に運び込まれた。それらを普及することによって直接の布教活動をするためだった。黒い布の大きなカバンに入るだけの本を詰め込み、イタリア人のシスターと志願者が二人ずつ一組になってそのカバンを持って出かける。

 一軒一軒家を訪ね、「私たちはカトリックの修道院から参りました。よいご本をたくさん持っておりますので、どうぞ、ご覧になって下さい」と、イタリア人の神父様がローマ字で書いてくださった文章を丸暗記して口に出し、玄関先に本を並べる。たいていの家で本を買ってくださった。こうしてキリスト教の布教につとめた。

 これを私たちは「プロパガンダ」と呼んでいた。私にとってこの仕事は非常に辛く苦しいものだった。重いカバンを下げて歩くことは、まだ若い私にとってそれほど苦にはならなかった。しかし、布教という大切な仕事をしているにもかかわらず、私には行商をしているように思え、また私を見る人からもそのように見られているのではないだろうかという思いが頭に去来し、自分が惨めで、哀れで、情けなかった。修道院が阿佐ヶ谷、実家が阿佐ヶ谷だから知人に会わないわけがない。

 「ごめんください」とお玄関のドアを開けると「ハイ」と言って出てきた人が学校時代の上級生だったり、駅の改札口を出た途端に実家の近くに住んでいる人に出 会ったり、今なら何でもないことだが、その頃の私は顔から火が出そうなほど恥ずかしく、足が動かなくなってしまった。

 それでも夜、綿のように疲れた体を布団の中に横たえた時「今日も一日神様のために働くことが出来た」という感謝と喜び、幸福感が心を満たしてくれるのだった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2019年5月31日

・Sr.岡のマリアの風 ㊴日々の生活の中で、神さまの夢が、ちょっと見える時…

 昨年、イタリアの母校の先輩、フランシスコ会のステファノ神父が、教皇庁立国際マリアン・アカデミー(略称PAMI)の長官となった。北イタリア出身のステファノ神父は、「ほんとに、アシジの聖フランシスコの子やな~」と感じさせる人柄だ。

 ステファノ神父と共に、PAMIは今、「境を越える」歩みを始めている。あらゆる境を超えて-個々のカリスマ、修道会、信心会、巡礼地…、国境、文化、言語、さらには、宗教も超えて、「平和、赦し、和解の道としての、母マリア」というテーマに向かって。

 わたしたち、PAMIの、アジアとオセアニア部門とも言える、AOMA(アジアとオセアニアのマリアン・アカデミー)は、PAMIの小さな「反映」「証し」となれれば、と願いつつ、ひじょうにささやかだが、一歩一歩、とにかく前に向かって歩みを続けている、という感じ。

 まことに、手探りのように模索している状態だけれど、「境を超える」動きに共感しながら。何といっても、まず「自分の考え、自分の利益、自分の興味」を超える。「マリアのためのアカデミー」と言いながら、「わたしはこう思う、わたしの方が正しい…」と言っていると、いつのまにか、「マリアの道」から離れていく。

 神さまが地上に蒔いた「みことば」から、野原にさまざまな花、植物、木…が生えている。それぞれが「誰が一番きれいか」と競争している間は、一つにはなれない。いろいろな花、いろいろな色、花の咲かない木や野菜があってもいい。それぞれが、「神さまの夢」-ありとあらゆる「違い」が、違いのままで、美しい園-の実現のために、救いの歴史の中の「自分のパート」を一生懸命生きるとき、初めて一つになっていくのでは、と感じている。

 歩みを止めてしまって、議論していても、一つにはなれない。人間の理屈が造り出す「一致」は、はかなくもろいものだ。神の夢である「一つになること」は、理屈ではない。誰の方が正しい、ということではない。みんなそれぞれ、わたしもあなたも、足りないところがある、間違っていることがある、だから、足りないところを補い合って、間違っていることを共に悔い、そして改めながら、歩んでいく。神さまのふところで「一つになる」ために。

 議論していても、和解の道が見つからなくても、同じ目的に向かって、共に汗をかくとき、知らない内に、わたしの手が、あなたの手と重なって、同じものを造り出していく。いつのまにか、「わたしの幸せ、わたしの成功」ではなく、共に造り出している「わたしたちの幸せ」を望んでいることに気づく。

 それが、神さまのイメージ(姿)として、自由の賜物を与えられて、「共通の家-人類家族-」を造り出す協力者として呼ばれている、人間の本当の姿だろう。

 神さまの夢は、神さまのイメージである「すべての人間」が、正義といつくしみ、和解と赦しの社会-共通の家-を造り出すことにある。もしわたしたちが、「わたしが、わたしが…」と自分の世界に閉じこもっているなら、それは神さまの夢から「後退している」ことになるだろう。

 わたしは、イスラエルの民の娘、ナザレのマリアの道は、小さな者たちの道、地道で、でも具体的な道だと思っている。「お母さん」のふところの中で、どの子どもも、みんな大切。だから、マリアの道は、差別せずに、すべてをふところに受け入れていく道。神さまの夢は、いつも、もっと大きいことを知っているから、マリアの道は、神さまの大きい心に信頼して、あきらめずに歩んでいく道…だと、わたしは感じている。

 マリアのように、みことばに耳を傾け、心を開き、祈りつつ、一歩一歩、謙虚に歩いて行く。小さな者たちが、共に、歩いていく。神さまの夢の実現のために!

 祈りつつ

                           (岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2019年5月31日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉛ 100年前に学ぶ「在宅」

 今から113年前の明治39年4月1日に世に出た医学書が手元にある。刊行されたのは、日露戦争の終戦翌年に当たり、「満鉄」設立の勅令が出され、夏目漱石が『坊っちゃん』と『草枕』を発表した年だ。本の題名は、『実用家庭看護法』(目黒書店)。当時はまだ相当に珍しかった女性の医師・大八木幸子氏が編集した家庭向けの医学書である。現代医学の立場から眺め直して、違和感を覚える記述もある。しかし、「在宅医療」に関する記述には、大いに学ぶべきところがあると感じた。

 明治の世に病気を患った人々は、家庭で療養生活に入り、必要に応じて医師の往診を受けるというケースが非常に多かった。俳人・正岡子規が結核で療養生活を送り、36歳の若き一生を閉じたのも自宅だ。その<終の間>を公開している東京・根岸の「子規庵」を見学されたことのある方も多いだろう。子規の没年は明治35年。『実用家庭看護法』が刊行される4年前に当たる。

 一方、明治政府のテコ入れもあって、首都・東京を中心に近代的な病院の整備は急速に進みつつあった。患者や家族にとっては、「在宅医療を受けるか?」「入院生活を送るか?」を選択できるようになった初めての時代だった。

 こうした中で、前掲の『実用家庭看護法』は次のように記述する。

 〈病人は、心静かに、快楽に日を送らしむることをはかるべし。人の、病にかかりたる時に、家族の者より慰めを受くるは、最大幸福なることにして、これをもって家庭療養の病院療養にまされりとするところなり〉(第二編『病者の衛生および各容体について』の『慰愉』の章から=仮名遣いなどを一部改め、句読点も追記した)

 在宅医療には家族の慰めがある――。自宅に身を置いて療養生活を送ることの長所をずばりと指摘した記述だ。家族とともに穏やかで安らぎに満ちた時間を過ごせる点を強調することで、在宅医療のメリットをうたう。

 求められる家族のケアについては、次のように記述されている。

 〈病人には、病苦を忘れしめむために、その病人の好むところに従いて、花を活け、琴を弾じ、書籍を読み聞かせ、また静かに談話などして気を転ぜしむべし。しかしながら、ただ安静をのみ必要とする場合には、これらも害あり〉(同)

 令和の時代に、ベッドサイドで琴を演奏するのはさすがに難しい。だが、患者が好む環境を作り出す工夫を指摘している点は、なるほどとうなずける。注目したいのは、介護に当たる家族に対して「休息を取る」ことの重要性を繰り返し説いている点だ。

〈病人のある家にては、看護する人も良く摂生を守り、相当に休息せざれば、第二の病者を生ずることあり。あるいは、看護に怠たりを生ずるものなれば、看護者も疲労せざるようにすべし。夜間看護を要する場合には、二人以上あい交代し、睡眠時間はかならず六時間以上取り、食事を正しくし、滋養分を取り、日々入浴して身体清潔にし、健康を破らざるようにすべきなり〉(第二編の『診察を受け看護するについての注意』の章から、同)

 介護者の睡眠時間、夜間の要員確保、食事の注意…。現代社会で盛んに指摘される在宅療養の問題点を、明治の書は早くから指摘している。では、家庭内でこれらの問題を解決できない場合は、どうすればよいのか?『実用家庭看護法』の回答はシンプルだ。

 〈重き病の者には、看護婦を雇うを良しとす。しかる時は、病床についてのことは看護婦に依頼し、その命に従い、家人は他人の力に及ばざるところの、病者を慰愉することを務めて、看護婦に差し出がましきことすべからず〉(同)

 介護の負担が大きければ、プロフェッショナルを雇いなさい。むしろ家族は、プロがカバーしきれない患者の心のケアに力を入れなさい――。指摘は明解だ。

 幸運なことに113年後を生きる私たちは、この指摘を実現できる社会環境を手に入れている。自治体の地域包括支援センターに相談し、看護師や介護士、ヘルパーなど、さまざまな専門家のパワーを家の中に呼び入れる。とにかく、そこから始めることだ。家庭内の介護に少しでもお悩みの方は、まずは相談へ最初の一歩を踏み出してほしい。

 (みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が、昨年7月に文庫化されました。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)

2019年5月30日

・カトリック小金井教会は「富士をめぐる春の巡礼」を5月7日に

 東京教区のカトリック小金井教会では信徒有志による実行委員会の企画・実施で1999年5月5日に「キリスト教伝来450年記念―江戸の殉教者を偲ぶ巡礼」を実施して以来、今年で20年目を迎えた。今回は、5月7日に「富士(富士吉田教会・富士の聖母像・富士聖ヨハネ学園)をめぐる巡礼」を、主任司祭の加藤豊神父さまと信徒49名の参加により実施された。

 平成から令和の時代に移行する10連休明けの5月7日午前8時に、小型バス2台で小金井教会を出発し、中央高速を経て、カトリック富士吉田教会に到着。主任司祭の内藤聡神父さまと6人の女性信徒の出迎えをいただき、内藤神父さまから「富士吉田教会と小金井教会のより良い交わりと巡礼が豊かなものとなりますように」との歓迎のお言葉があった。

 午前11時には地域の司祭の会議に出るため教会を発たねばならない内藤神父さまの貴重なお時間を頂戴し、加藤神父さまと共同司式のミサを捧げていただいた。祭壇の十字架上に輝く金色のイエスさまは復活されたイエスさま。深いまなざしで今にも話しかけてくれそうな美しいテレジア像とともにとても印象的。ミサが始まると、聖歌が響き渡るほどで全員の思いが一つになっているように感じられた。

 ミサ後、吉田教会の信徒の方から全員に、ボランティアが作成されたという素晴らしい「カトリック富士吉田教会巡礼来訪記念」の絵はがきのセットが手渡され、小金井教会からは小金井教会創立40周年記念のボールペンが加藤神父さまから内藤神父さまに贈られた。

 教会を去るころは富士山の頂上の雲が少し流れ、頂上の雪の白さと紺色のコントラストの美しい、雄大な姿を間近に見ることができた。富士スカイラインをバスで登り、2合目と3合目の間にある樹海台駐車場から整備された階段を10分ほど徒歩で登って、高さ3㍍の純白の大理石の富士聖母像に到着。加藤神父さまからルルド、ファティマ、無原罪、扶助者それぞれのマリアさまのお姿について説明があった。綠の木々を背景に白さの際立つマリア像の前で聖歌「あめのきさき」と、喜びの原義のロザリオ一環を捧げ、最後に「アベマリア」を歌った。晴れ間の見えた天気が途中で小雨になるなど富士の春らしい天気となったが、駐車場に下るころには雨は上がった。

 富士スカイラインを下って、忍野にある障碍者福祉施設の聖ヨハネ学園へ。同学園は聖ヨハネ会を通じて小金井教会と深い関わりがある。ここで遅めの昼食の後、遠藤克彦園長から同学園についての説明があった。この地に開設されて以来、半世紀近い歴史を持つヨハネ学園は、利用者の高齢化に対応して改築され、光溢れる「自然の中に佇む大きな家」をコンセプトとする建物が平成29年に完成した。

 現在約120人の男女園生が生活し、スタッフや利用者の保護者などが約180人が、利用者の思いを受け止め、それを目に見える形にして継続し伝えていくことを重視して奉仕しておられる。利用者に合せたタイプ別の食事、車椅子でも入浴できる高額な設備の設置、人生の最後までその人らしく生きられるようなターミナルケアなど、利用者を支えるための支援員、看護師、リハビリ担当者、ボランティアなどによる支援が、私たちの予想を超えた物質的・精神的・医療的な配慮に基づいているのに感心した。

 スタッフから「あなたは今日、何回、笑いましたか」という園生への問いかけを大切にしていると聞いたが、園生たちの明るい表情からその意味が納得できた。人生の最後は、マリアンナホールでの通夜ミサ、ソフィアホールでの葬儀ミサと学園全体でお別れ会が行われるという。学園での生活を維持するには莫大な費用がかかるが、多くの方々から援助をいただいているという。「キリストのように人を愛し、病める人、苦しむ人、弱い人に奉仕します」という言葉が生きていることを目の当たりにする思いだった。

 今回の巡礼は聖ヨハネ学園訪問を最後に、中央道を戻り、小金井教会で参加者一同、巡礼を終える祈りを捧げ、聖歌「われ神をほめ」を斉唱して、感謝のうちに帰途に就いた。

    (カトリック小金井教会巡礼実行委員会・記事は田中典子、写真は南條秀子、望月利将)

2019年5月18日

・菊地大司教の日記㊸佐渡巡礼-語り継がれる、信仰を守った先人たちの偉業

2019.5.11 佐渡島巡礼 

 新潟教区には、福者となった殉教者が53名おられます。米沢の殉教者たちです。しかしそれ以外にも、各地にキリシタン殉教の歴史を物語る遺跡が残されており、その中の一つが佐渡島の百人塚です。ここには名も知れぬ多くのキリシタンが、迫害の嵐の中でいのちを捧げ、葬られていると伝えられています。

 新潟港からフェリーに乗って二時間半ほど。高速船なら1時間10分。(先日、鯨と思われる海洋動物と衝突したこともあり、現在速度が落とされているため、通常より時間がかかっています)佐渡島の玄関口の一つである両津港に着くと、近くに百年以上の歴史を誇るカトリック佐渡教会の聖堂があります。再宣教の早い時期から佐渡島にはフランス人宣教師が訪れたこともあり、新潟教区(秋田。山形、新潟の各県))では最も古い聖堂の一つです。

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 17世紀の初頭に、両津から島の反対側にある相川に金山が開山し、全国から多くの働き手が佐渡に集められました。その中には、背景のはっきりとしない「無宿者」も多くいたとみられ、キリシタンはその中に紛れていたのでしょう。両津から相川に向かう途中に中山峠があります。いまでこそ中山峠はトンネルで通過しますが、そのトンネルの上に、当時の峠があり、そこにキリシタンの墓と伝えられる百人塚(キリシタン塚)があるのです。

 いまでも、軽自動車以外は、自動車がはいることはできません。整備されていない山道を徒歩で登ること一時間ほどで、峠にある百人塚に到達します。今そこにあるのは、明治以降のカトリック教会の信徒の墓で、ここを教会の墓地とすることで遺跡を守ってきたのは、当時の宣教師や教会員の知恵でした。峠のさらに奥へと登っていくと、小道の傍らには聖母子像がおかれ、さらにその奥にはキリシタン殉教地を象徴する十字架がそびえています。

 キリシタン迫害の時代に、この地にあっていのちをかけて信仰を守った先人たちの偉業は、多くの人を通じていまも語り継がれています。

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 新潟教区では、基本的に5年に一度、佐渡に巡礼を行ってきました。今回は、かなり久しぶりになるのかも知れません。前回は、教区100周年の時でしたでしょうか。今回は5月11日の土曜日に教区の巡礼が行われ、中山峠の百人塚では、12時半からミサが捧げられました。Sado1906

 久しぶりに企画された佐渡巡礼には、70名ほどの方が参加されました。新潟からのグループとともに、直江津港からも直行されたグループもありました。お天気に恵まれ、殉教地の十字架の前の祭壇で、ミサを捧げることができました。

 わたしは、その前日が仙台での会議でしたから、前晩に新潟へ入り、当日11日の朝9時40分発の高速船で佐渡へ。そして帰りは、入院中の佐渡教会主任司祭の川崎神父様を見舞った後、午後4時半の高速船で新潟へ戻り、そのまま東京へ戻りました。

 巡礼は観光旅行ではありませんから、歩いて山道を登り、苦労をして祈りを捧げる、その苦労にこそ意味があるのだと思います。なぜなら、わたしたちの信仰は、楽をするためのものではなく、まさしく信仰するが故に、面倒を生み出し、苦労させられるものだからです。信仰の先達の生き方に学び、勇気を持って苦労する道を歩んでいきたいと思います。

(菊地功=菊地・功=東京大司教、新潟司教兼務)(写真は菊地大司教撮影、佐渡教会のみ南條俊二撮影=2018.6)

2019年5月17日

・菊地大司教の日記㊷連休中の出来事と5,6月の予定

5月6月の主な予定

5月に入ってすでに一週間が過ぎてしまいましたが、5月と6月の主な予定を記しておきます。

5月

  • 8日 ペトロの家司祭ミーティング (朝、ペトロの家)、平和旬間会議 (夕方6時、教区本部)
  • 9日 常任司教委員会、東京神学院常任委員会 (全日、潮見)
  • 10日 仙台教区サポート会議 (全日、仙台)
  • 11日 新潟教区佐渡殉教地巡礼 (全日、佐渡島)
  • 12日 堅信ミサ (清泉インターナショナル学園、午前中)
  • 12日 世界召命祈願日ミサ (関口、午後2時半)
  • 13日 司祭評議会など (教区本部、10時半)
  • 14日 新潟教区司祭静修 (全日、新潟)
  • 15日 アレルヤ会総会、ミサ (13時、イグナチオ)
  • 17日 カトリック美術展 (有楽町マリオン、 午前中)
  • 19日 フランス語共同体ミサ (聖心女子大学、10時半)
  • 20日 HIV/AIDSデスク会議 (潮見、15時半)
  • 21日 ロゴス点字図書館理事会 (潮見、14時)
  • 22日 ペトロの家会議 (教区本部、15時)
  • 23日~30日 国際カリタス総会 (ローマ)

6月

  • 2日 成城教会ミサ (成城教会、14時)
  • 3日 司祭月修 (教区本部、10時半)
  • 4日、5日 新潟教区司祭の集い (全日、胎内市)
  • 6日 常任司教委員会 (全日、潮見)
  • 7日 日本聖書協会理事会 (11時)
  • 8日 ロゴス文化教室 (講師:若松英輔氏、14時)
  • 9日 聖霊降臨祭、教区合同堅信式 (14時半関口)
  • 10日 教区司教顧問会 (午前中、教区本部)
  • 11日 カリタスジャパン事務局会議 (午後、潮見)
  • 12日 ロゴス点字図書館評議員会 (14時、潮見)
  • 13日 カリタスジャパン会議 (全日、潮見)
  • 15日 世田谷聖母幼稚園講演会 (午前中)
  • 16日 吉祥寺教会ミサ
  • 17日 臨時司教常任委員会 (午前中、潮見)
  • 17日18日 日本カトリック老人施設協会関東支部研修大会 (全日)
  • 19日~21日 カリタスアジア理事会引き継ぎ (バンコク)
  • 22日 日本カトリック映画賞授賞式 (13時、なかのZERO)
  • 23日 歴代教区長ミサ (9時半、築地教会)
  • 23日 イグナチオ教会ミサ (15時半、麹町教会)
  • 24日 司祭金銀祝のお祝い (10時半、関口)
  • 26日 カリタスジャパン関連講演 (15時半、上智大学)
  • 27日 聖心女子大学ミサ (12時半)
  • 28日 仙台白百合大学、修養会 (全日)
  • 29日 ペトロの家後援会ミサ (14時、ペトロの家)
  • 30日 豊四季教会ミサ (10時)
  • 30日 フィリピン共同体ミサ (市川教会、14時半)

休中の諸々の出来事から

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10日間という連休が終わりました。その間には、すでにお知らせしたように、新潟教区では、現役の主任司祭(亀田教会と白根教会)であり園長でもある山頭神父様が亡くなられ、その通夜と葬儀がありました。山頭神父様は、昨年3月頃に体調を崩され、検査の結果は余命3ヶ月ほどと言われていましたが、その後の治療もあり、最後は在宅の緩和ケアで亡くなられました。5月3日の夜に新潟教会で通夜。5月4日に葬儀が行われました。

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4月27日の土曜日には、上石神井のイエズス会黙想の家の設立70周年と、霊性センターせせらぎの20周年を祝うミサがありました。黙想の家の聖堂が一杯になるほど、関係者の方が多数集まってくださり、私が司式し、イエズス会のレンゾ・デ・ルカ管区長と、責任者の柳田神父様と一緒にミサを捧げました。またミサ後には、お隣にあるイエズス会の高齢会員施設であるロヨラハウスを訪れ、30分ほど大先輩の宣教師の皆さんにお話をさせていただく機会もありました。

黙想の家は、その昔、1979年の秋頃、神言会の修練者であった時分に、同級の修練者5名で、一ヶ月間の黙想に来たことがありました。一人を除いてまだ20代前半でしたので、まだまだ未熟な修道者であったわたしたちは、ろくに黙想も祈りもせずに過ごしておりましたが、最後の週に当時指導をしてくださっていたイリサリ神父様の逆鱗に触れ、追い出されそうになったことだけを覚えています。そこで追い出されては修練期が続かないので、必死でお願いして、追い出されずに済んだことを覚えています。建物は、当時は昔の旧カルメル会修道院で、今は新しくなりましたが、懐かしい場所です。その一ヶ月の黙想会にはシスター方も多数おられましたが、後に、司教になってから、ある修道院でそのとき一緒だったシスターに再会して、冷や汗をかいたこともありました。

4月28日の日曜日は、昼12時から、千葉中央宣教協力体の合同ミサが、鎌取にある聖母マリア幼稚園を会場に行われました。千葉中央宣教協力体に所属しているのは、西千葉、千葉寺、東金、茂原の各小教区です。

きれいに晴れ渡った空の下で、野外ミサでした。祭壇の向こうには、鯉のぼりもみえて、素晴らしい環境でした。

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この日のミサでは、特に、復活の主日に発生したスリランカでの爆弾テロ事件の被害を受けられた方々に思いを馳せ、亡くなられた方々の永遠の安息を祈りました。この地域におられるスリランカ出身の方も数名ミサに参加してくださいました。

Kamatori1909

祈りのために集まった聖堂で、そのようなとんでもない事件に巻き込まれた方々の心にはどれほどの悲しみと恐怖が刻まれてしまったことでしょう。スリランカの教会のために、祈り続けたいと思います。そして、どのような理由があるにせよ、暴力的な方法でこのように人間の生命を奪うことは、決して許されることではなく、犯行に及んだ者たちのその暴挙を、あらためて強く非難します。

ミサ後には、それぞれの教会で木陰に席を設け、一緒に弁当の昼食会となりました。また教区の青年たちが、今年の9月に予定されているネットワーク・ミーティングの打ち合わせのために、ミサ後に合宿を行っておりました。よい企画が立てられることを期待しています。

連休中でもあり、また行きも帰りも事故があったようで、道路は凄まじい渋滞でした。

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4月29日の月曜日は、昼過ぎから、JOC(カトリック青年労働者連盟)の日本での創立70年のお祝い行事が、東京隅田川の辺にある永代働く人の家で行われました。JOCのOBやOG中心に50名ほどの方が参加。青年たちによるコンサートあり、分かち合いの発表あり、同伴しているペラール師(パリ外国宣教会)の80歳の誕生祝いありと、楽しいひとときでした。

JOCは、例えばガーナなどではYCWとして知られていますが、ホームページによれば「20代前後の働く・働こうとする若者のグループです。“人を大切にする”という精神をもとに、それぞれの現状を分かち合いながら、仲間と共に成長していくことを目指します」とあります。

また、「個人の活動を助けるために毎週あるいは月2、3回程度の集まりをしています。 そこではお互いの生活や活動について分かち合い、「見直し」をしています。 仲間を広げたり、グループの仲間意識を育てるために、自分たちで楽しい行事を企画しています」ともあります。関心のあるかたは、JOCのホームページをご覧ください

そして、5月5日には、六本木のフランシスカン・チャペルセンターで堅信式があり、32名のおもに子どもたちが堅信を受けました。

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フランシスカン・チャペルセンターのミサは英語ミサで、東京近隣に在住する英語を使う様々な国籍の方々がミサに参加されています。しっかりとした聖歌隊には、3本のブラスの伴奏もついて、荘厳でした。海外に住む親族などのためでしょうか、堅信式の様子はインターネットで同時中継されていたようです。

千葉中央宣教協力体のミサでも、六本木でのミサでもお話ししたことですが、主の復活を見なければ信じないと言ったのは弟子のトマスでしたが、まさしく見なければ神など信じないと主張する世界の中で、わたしたちは信仰を生きています。そもそも現実の生活においては、様々な具体的価値観がもてはやされ、人生の中にあって大切だと思われているものは、何らかのレベルでの利益をもたらす具体的な事柄ばかりであって、目に見えない神を信じる宗教は、それほど重要な位置を占めてはいません。宗教に重要性があったとしても、例えば祈ればこれだけの効果があるとか、この神に頼ればこれこれの願いが叶うとか、そういった類いの具体的な出来事でもてはやされることはあっても、なかなかそれ以上ではありません。大げさに言えば、たくさんの神の存在を疑うトマスに囲まれてしまっています。

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その中にあって、神を示すのは、わたしたち信仰者による共同体の存在そのものではないでしょうか。教会は社会の直中にあって、神によってもたらされる愛と希望と喜びの目に見えるしるしでありたいと思います。その共同体の存在を通じて、神の存在を実感させるような、愛と希望と喜びと、そして大切な霊性に満ちあふれた共同体でありたいと思います。小教区共同体を、そういった存在に育てていくことは、福音宣教の一つの道であると思います。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
2019年5月14日