*(解説・改)”東京計画”抵抗で断念した神学院をマカオに-宗教弾圧強める中国政府・共産党との関係は

(2019.8.7「カトリック・あい」解説)

 バチカン福音宣教省はもともと、「アジアにおける福音宣教のための司祭養成」を目的にNeocatechumenal Way(新求道共同体の道)に委託する形で、「レデンプトーリス・マーテル神学院」を東京に本拠地とすることを計画し、決定の形で昨年夏、日本の司教団に一方的に通知、これに司教団の中から難色を示す声が出され、紆余曲折の挙句、今年6月、福音宣教省のフィローニ長官から「教皇様ならびに新求道共同体の道の代表と協議の結果、同計画を見直すことを決定した」と事実上の計画撤回の通知が、菊地・東京大司教宛てに伝えられていた。「レデンプトーリス・マーテル神学院」のマカオ設置の決定には、同省のこのような経過を踏まえた判断があるとみられる。

 日本ではかつて、同団体の神学院が高松教区に設立されていたが、小教区に派遣されたNeocatechumenal Way共同体の司祭たちが、独自の司牧を展開し、信徒たちの間に深刻な分裂をもたらした結果、日本の司教団が閉鎖を求め、2009年にいったん閉鎖された。

 その際、再開を希望する場合は、混乱が繰り返されないよう十分な事前協議が必要と伝えていた。だが、その後、当事者であるNeocatechumenal Wayの責任者やバチカンの福音宣教省から、誠意のある説明が日本の司教団にあった、あるいは突っ込んだ話し合いがされた、とは伝えられておらず、そうした中での、一方的ともいえる神学院の再設置通告に、過去の問題の再燃を懸念する日本の司教団の中から強い難色を示す声が出ていた。

 今回のマカオへの新神学院設置で、日本との関係では問題がひとまず終わったことになるが、マカオの教区司祭たちの間では動揺も広がっていると伝えられる。

 さらに、今後、懸念されることが二つある。一つは、日本を含むアジアの宣教の指導、調整の権限を持つバチカン福音宣教省(長官と次官補がNeocatechumenal Wayのメンバーと言われる)が、今後、日本の教会にどのような対応をするのか、”意趣返し”のようなことをしてくるのではないか、という懸念だーこのようなことを考えざるを得ないこと自体、福音宣教の立場から全く情けない話だが、これまでの対応を見ると、ありえないことではない。すでにその兆候が具体的にみられる、との見方もある。

 このことより、もっと深く懸念されるのは、福音宣教省が「アジア宣教の司祭育成の拠点」としてNeocatechumenal Wayの神学院を開設するマカオの地政学的問題だ。ポルトガルの植民地だったマカオは、英国の植民地だった香港とともに、1999年に中国に返還され、それまでの民主的な政治・社会制度を維持する中国の特別行政区とされている。だが、香港で現在大きな抵抗運動が起きている中国政府による”本土への併合”の動きは早晩、マカオについても起きるだろう。

 香港の人々が抵抗しているのは、中国本土で進行する信教の自由を含む人権の弾圧の動きが、本土への併合で、香港でも現実のものとなる可能性が強いためだ。同様の危険が目前に予想されるマカオに神学院を置き、しかも、将来の本土への育成司祭の派遣を念頭に置こうとする福音宣教省とNeocatechumenal Wayは、現実をどのように見、どのように対応しようとしているのだろうか。今年1月に他界した楊・香港教区長の後任人事について、中国共産党は、関係良好なマカオの李司教を望んでいた、というBitterWinterの指摘は示唆的である。

 Neocatechumenal Wayはもともと、東京への開設を計画した段階から、この神学院を中国本土に送り込む宣教師養成を主たる狙いとしていると言われていた。新疆ウイグル地区でのイスラム教徒弾圧に象徴される中国政府・共産党の宗教活動への締め付けが進む今、どのような”戦略”で臨もうとしているのか。政府・党の政策を受け入れ、”中国化”に協力し、カトリックやプロテスタントの”地下教会”の粉砕に協力し、”福音宣教”を進めるのがいい、と考えているのだろうか。

 このような懸念が杞憂に終わることを祈りたい。

 

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2019年8月7日