・菊地・東京大司教が新型ウイルス対応で新たなメッセージ

主日ミサのインターネット放映などに関して(2020.3.7 菊地大司教の日記)

 政府の発表や報道を見ますと、新型コロナウイルス感染者数はこの数日増加を続けています。どのあたりがピークになるのかは、様々な専門家が発言されているので、なかなか見極めることが難しい、ということだけを理解することができます。

 国内も心配ですが、例えばイタリアも大変な状況のようで、大学を含む学校の休校措置もされていると聞きますし、昨日にはバチカン市内でも感染者が報告されたと報道されています。それ以外にも多くの国で感染の報告が相次いでおりますが、一日も早い事態の収束と、重篤な状態に陥っている方々の回復を祈りたいと思います。改めて祈りの力に信頼を置きながら、慈しみ深い神の御手に私たちすべてをゆだね、すべての創造主である御父の御旨が実現するようにと祈り続けましょう。

 さて、すでに教区のホームページなどで公開されていますが、主日のミサをインターネットで放映しています。しばしば霊的聖体拝領の重要さを指摘しておりますが、私たちがミサにあずかるのは、物理的に聖体をいただくこと「だけ」を目的としているものではないことを、改めて思い起こしてください。

 共同体の一致のきずなのうちに、それぞれの場所は異なっているものの、朗読される神のみ言葉にともに耳を傾け、御聖体の前でともに祈る時を共有することには、大きな意味があります。

*困難な体験の今を学びを深める時期に

 大変な状況の中で四旬節を過ごす私たちは、なんとか霊的生活を深めようとしていますが、この困難な体験の時を、学びを深める時にもしたいと思います。特に、実際に御聖体をミサの中でいただくことができないという事態に直面して、多くの方が「御聖体を受けたい」という心の渇望を口にされています。これを通じて改めて、私たちの信仰における御聖体の持つ深い意義を、見つめ直す機会としていただければと思います。御聖体について、学びを深める契機としてください。

 御聖体を拝領することを希望される場合、是非とも司祭にご相談ください。個別に聖体を授けることが禁止されているのではありません。仮に、状況の変化から公開のミサ中止が予定よりも長引いた場合は、病者の拝領を援用して個別に聖体を拝領していただく機会を設けるようにしたいと考えています。

*感謝の祭儀の「儀式と祈り」をよく理解して

 また、『何としてでもミサにあずかりたい』という声も多く聞こえてきます。その通りだと思います。ですから、その何としてでもあずかりたいミサは、いったいどういう存在なのか、何をしているのか、何を求めているのか。ミサについて学びを深める契機としていただければと思います。

 第二バチカン公会議の典礼憲章は、遠くはピオ10世の時代頃からはじまった長年にわたる典礼見直しの研究と議論の成果ですが、そこには感謝の祭儀について短くこうあります。

 「したがって教会は、キリスト信者が、部外者あるいは無言の傍観者としてこの信仰の神秘に列席するのではなく、儀式と祈りを通してこの神秘をよく理解して、意識的に、敬虔に、行動的に聖なる行為に参加し、神のことばによって教えられ、主の御からだの食卓で養われ、神に感謝し、ただ司祭の手を通してだけではなく、司祭とともに汚れのないいけにえを捧げて自分自身を捧げることを学び、キリストを仲介者として、日々神との一致と相互の一致の完成に向かい、ついには神が全てにおいて全てとなるよう細心の注意を払っている」(48)

 「儀式と祈りを通してこの神秘をよく理解して」のところが英語の文章を見ると「through a good understanding of the rites and prayers they should take part in the sacred action conscious of what they are doing, with devotion and full collaboration.」となっているので、「よく理解」するのは「神秘」ではなくて「儀式と祈り」だと思いますが(ラテン語原文も「 sed per ritus et preces id bene intellegentes, sacram actionem conscie, pie et actuose participent」なので)、いずれにしろ、感謝の祭儀の『儀式と祈り』をよく理解することが重要です。

*ミサに与る義務の免除について

 次に、今回の感染症への対策で「主日のミサにあずかる義務を免除する」ことを公示しています。ご自分の体を守るとともに、反対にご自分が知らないうちに感染源となってしまうことを防ぐために、健康や年齢に不安がある場合に無理にでも教会まで出かけることがないように願いながら、そう定めています。

 しかし同時に、主日にミサに与ることが義務であることを、あまり気にかけておられない方も少なからずおられることにも気がつきました。できれば「カトリック教会のカテキズム」の2041項、2042項と2043項を見てくださればと思います。教会の掟が記されています。五つあります。ここにはあえて引用して記しませんが、仮に覚えがないと思われる方は、是非とも教会の五つの掟を探し出して、心に留めてくださるようにお願いします。

 (「カトリック・あい」参考:「カトリック教会のカテキズム」では、2041項に「『教会の掟』は、典礼生活と結ばれ、典礼生活によって養われる倫理生活に関わるものです。司牧者の権威によって公布されたこれらの実定法が義務的な性格を帯びているのは、祈り精神や道徳的努力、神と隣人への愛の成長などのために極めて必要な、最小限度のものを保証することを目的としているからです」とあり、2042項に「教会の第一の掟(「主日と守るべき祭日にミサに与り、肉体労働を休むこと」)は信者に、主の復活を記念する日と、主と聖母マリア、および聖人たちの神秘を崇敬する典礼上の主な祝祭日を聖とするよう求めています。それは、まず第一に、キリスト教的共同体が集う聖体祭儀に与ることによって、また、これらの日を聖とすることを妨げる仕事や活動を休むことによって果たされます」と説明されている)

*15日以降の対応は状況を見極めつつ判断

 3月15日以降の対応については、関東圏の状況を見極めながら、医療関係者のアドバイスを求めつつ、司教顧問や司祭評議会のメンバーと相談しながら、検討を進めます。政府が次にどのような対応策を出してくるかは不透明ですが、そちらともタイミングを計らなければならないため、3月15日の主日をどうするのかの決定が、ぎりぎりになる可能性もあります。できる限り迅速に決定してお知らせするように努力をいたしますが、状況を勘案の上、御寛恕いただければ幸いです。

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2020年3月7日