[大震災 再生の歩み]息子を忘れないで(読売新聞)

(2018年2月11日 読売新聞朝刊)

6年半前、この海で田村健太さんは見つかった。26歳になる誕生日の1週間後だった。「こんな海にひとりで、寒かっただろうに、つらかっただろうに。何もできなくてごめんね」。母の弘美さんが花束を海に投げ入れると、瞳から涙がこぼれ落ちた(2017年9月26日、宮城県女川町で)

 

 東日本大震災の発生から間もなく7年。大切な人を失った家族の心の葛藤は、今も続いている。

 津波で行員ら12人が死亡・行方不明となった宮城県女川町の七十七銀行女川支店。昨年9月、JR女川駅近くに新店舗が完成し、営業が始まった。真新しい支店の外観と、「便利になる」と喜ぶ町民の姿が映し出されるテレビニュースを、同県大崎市の田村弘美さん(55)は一人、自宅で見ていた。「そこに健太もいたはずなのに……」。仏壇の遺品の名刺に目をやった。

 2011年3月11日。長男の健太さん(当時25歳)は赴任先の同支店で、激しい揺れに襲われた。上司の指示で屋上に避難したが、建物ごと津波にのまれた。遺体は半年後、女川湾で見つかった。

 翌年、壊れた支店の建物が撤去された。弘美さんは「健太のことが忘れられてしまう」と、跡地に花のプランターを二つ置いた。そして、訪れる人に声をかけては、あの日、支店で起きたことを語り伝えるようになった。

 毎週末、車で約1時間かけて女川に通い、夫の孝行さん(57)と共に語り部を続けている。遺体が見つかった9月26日にも欠かさず訪れ、海に花を投げる。「ここに来ると、健太を近くに感じられる」

 プランターを置き、語り部になってから、女川の風景はずいぶんと変わった。商店街も活気を取り戻しつつあるように見える。

 しかし、弘美さんのわだかまりは消えない。屋上ではなく、近くの高台に逃げていれば――。「私がこの悲劇を伝えることが、未来の命を救うことになると思う。健太も応援してくれているはず」。それが残された母の務めと信じている。

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2018年2月11日