・新潟教区で「性虐待被害者のための祈りと償いの日」ー東京教区は相談体制強化、新潟教区は相談窓口準備

(2019.3.17 菊地大司教の日記)

 3月17日の日曜日、新潟教会では二つの大切な行事がありました。

 まず主日の午前9時半のミサでは、新潟教区の唯一の神学生である岡秀太さんの、朗読奉仕者選任式が執り行われました。このまま順調に養成が進めば、来年のこの時期には祭壇奉仕者、その次の年の今頃には助祭叙階式とつながります。岡神学生のためにお祈りください。

 そして午後1時半からは、新潟教区における性虐待被害者のための祈りと償いの日の行事とミサが行われました。司教協議会のこどもと女性の権利擁護のためのデスク責任司教である名古屋の松浦司教と私の挨拶の後、こどもと女性の人権擁護デスクの事務局担当者からの解説があり、その後、私の司式で新潟地区の司祭も参加してミサが捧げられました。
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 教会において、聖性の模範であるはずの聖職者が、全く反対の行動をとって多くの人の心と体を傷つけ恐怖を与えてきたことを、特に私たち聖職者は真摯に反省しなければなりません。被害を受けられた方々に、また信頼していた存在に裏切られたと感じておられる方々に、心からゆるしをこいねがいます。

 いのちの尊厳を護ることを常々強調してきた教会が、弱い立場にある人たち、特に未成年の子どもに対して、このような行為に及んだことは、いのちの尊厳に対するダブルスタンダードと批判されて当然であると思います。

 聖職者による性的虐待の被害に遭われた多くの方が心に抱いている傷の深さに思いを馳せ、心からゆるしを願いながら、その心の傷にいやしがもたらされるように、教会はできる限りの努力を積み重ねる決意を新たにしたいと思います。

 同時に、積極的で真摯な対応を怠り、事態の悪化を漠然と看過してきた私たち司教も、その怠りの罪を反省し、真摯に対応していく決意を新たにいたします。

 私たちは、「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」というイエスの言葉のうちに、すべての人、とりわけ弱い立場に置かれた人のうちに主がおられると信じているはずです。虐待の加害者は、残念ながら、被害者の方の心に思いを馳せることができなかっただけでなく、同時にそこにおられる主ご自身をも傷つけてしまったことを、自覚しなければ成りません。

 新潟教区では対応委員会がすでに設置され検討を重ねてきた結果、現在は相談窓口を準備中で、まもなく窓口について教区からお知らせできる予定です。

 なお東京教区でもすでに対応の窓口がありますが、4月号の東京教区ニュース2ページ目に対応窓口の電話番号を掲載します。この番号は教区本部の番号で、まず教区の女性職員が相談のお電話に対応し、専門にお話を伺う委員につなぐようにしております。専門にお話を伺う委員へつなぐご案内をいたします。

(菊地功・東京大司教)

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2019年3月26日