*創刊一周年を迎える「カトリック・あい」にコラムニストとしてご協力いただいている方々、購読者の方々から、温かいお言葉が寄せられています。以下にまとめて掲載させていただきます。感謝!ご批判、ご提案も歓迎します。(andynanjo@gmail.com)までどうぞ!
現代の信仰者に必要な真実を求める真摯な心、複眼的視点、健全な批判精神 森一弘
現代の信仰者が、あるいは、宗教者が、 最も避けなければならないのは、思考停止と盲信である。
どのような信仰者にも、どのような宗教者にも、 アンテナを張り巡らして情報を敏感に鋭く分析し、捉え、 自ら考え、問いかけ、 自らの目と心で真実を求めようとする真摯な心と柔軟な姿勢、 そして複眼的視点、健全な批判精神が求められる。
カトリック新聞は、基本的には、司教団の機関誌なので、その点、 物足りない。カトリックの月刊誌や情報誌も、その点で物足りない。「カトリック・あい」 のさらなる充実と発展を祈ります。(司教・真生会館理事長)
心揺さぶられた時、対処できる知的空間を得た幸せ 三輪公忠
10月をもって1周年だという。私がコラムの「国際関係論」に毎月寄稿することになったのは、12月からだったと記憶する。出版業界のジンクスに、月刊誌は第3号が出版できれば、一応前途の見通しがたつものだとかいわれているのではないか。その鬼門の12月号に初寄稿した私はひょっとして福の神だったのかな。
偉そうな口はきくものではない。それはひとえに編集長として「カトリック・あい」を立ち上げた南条俊二君の企画力の賜物である。学園紛争たけなわの1968年、小野梓を卒論として英語で綴り、ゲバ学生に乗っ取られた『上智大学新聞』を『上智新聞』創刊で、見事駆逐した南条君には、てらいの陰は無く、梓を師表とする青年ジャーナリストの爽やかさがあった。
私は上智大学の新聞学科に一年だけ学生として籍を置いていた経験がある。創刊月刊誌の第3号についての上記のようなジンクスを東大で新聞学を創始した小野秀雄教授だったか、非常勤講師の大宅壮一氏に教室で聞いた記憶がある。
余分な話だが、大宅先生は新学年初めの4月に「フィーチャー・ライティング」を開講し、「日本人12歳論」を来週までに書いてこい、と言われた。見本は『朝日』の「天声人語」だとも言われた。しかし先生は翌週お見えにならなかった。次の週も、またその次の週も。クラスの代表が宿題のエッセーを集めて、先生のお宅にお届けした。結局、年度末になっても、先生からは、なしのつぶてだった。上智の非常勤講師報酬が、そんなものだったのだろうと、見捨てられたジャーナリストの卵たちは忖度したものである。
南條俊二君は上智は英語学科の出身である。新聞学科出ではない。鍛えられたのは就職先の『読売新聞』であったろう。それにカトリック信徒としての知見のひろさであろう。特派員として世界の情報の集積地ロンドン駐在中に鍛えられた部分も多々あったろうと想像している。
その南條君が始められた『カトリック・あい』の電子ジャーナリズムの一角に呼び込んでくれたことに、感謝している。教育の現場から切り離されてなお、言いたいこと、伝えたいことが途切れることなく日々、心をとらえ、精神を揺さぶる時、それに対処できる知的空間を与えてもらって幸せである。
『カトリック・あい』のますますのご発展をこの国の為、世界の為に心から祈念いたします。(上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)
すでに立派な働き―「メッセージ力」に期待 Sr.石野澪子
まずは、カトリック・あい開設一周年おめでとうございます。毎月原稿を集め、それを整理しながら写真や文字を配分し、読めるように割り付けして、発行して下さったスタッフの皆さまご苦労様でした。
コラム執筆では、ありし日のバチカン放送でのことを懐かしく思い出しながら文字を綴っていくのは楽しみでした。600字という文字制限に、もうちょっとこんな風に書きたいなと思っても、600字が目の前にちらつき、頭の中で泳ぐとストップ。舌足らず文章になってしまったこともあり、ご理解に苦しまれたこともあったのではないかと、申し訳なく思っています。一応一年間のお勤めは果たしました。これからどうなる?一年間続いたこのウエブ・マガジンがこれからますます成長し、息長くいつまでも続くように願っています。
「カトリック・あい」開設一周年。人間なら満一歳。まだ口も利けず、アーとかウーとか言っている程度でしょう。でも「カトリック・あい」はもう立派な働きをしていると、わたしは思っています。なぜ? その理由をお話ししましょう。
今から30年ほど前、わたしがまだバチカン放送に勤務していたころのことです。一人の高校生がバチカン放送を聴いて、「人を許せ」、「隣人を愛せよ」などと言う言葉に「そんなことできっこない」と反発し、正直にその思いを綴った感想文をバチカン放送に寄せてくださいました。それに対してわたしが返事を書いたとのことですが、彼の手紙の内容も、わたしがどのように返事をしたのかも覚えていません。
高校を卒業した彼は大学、大学院へと進み、ドイツに留学して、帰国後は、ある大学の教壇に立ちました。その間もいつも隣人愛について考えていたとのことです。忙しくても出来るボランティアはないものかと考えているとき、骨髄バンクのことを知って登録し、ドナーになりました。病気で苦しんでいる人を一人助けることが出来た喜びは大きく、洗礼にまで導かれたと言います。
今は50歳。わたしたちは何回かメールで交信した後お会いしました。勿論初対面です。彼はご自分の回心の歩みについて目を輝かせて語ってくれました。放送で聞いたことばに反発したことを彼は折に触れ思い出し、考え、やがては心を180度転換させて、人生の歩む道を見出したのです。彼の話を聴きながらわたしはコミュニケーション・メディアが持つ力について考えました。
メディアが提供するメッセージを聞く人、読む人が皆、感想文やリアクションを伝えてくれるわけではありません。むしろ伝えない人の方が多いでしょう。でも、コミュニケーション・メディアがもたらすメッセージには力があります。最近はテレビやラジオよりも、インタ―ネットが、もっと身近に情報を提供してくれます。「カトリック・あい」もその一つに違いないと、わたしは信じています。
「カトリック・あい」に書いてあることが、きっと、これを読む方々の心に触れ、語りかけ、訴えかけ、何かを心に感じさせてくれるのではないかと。これを読まれた方が感想文を書いたり、リアクションを送ってくださることは少ないかもしれません。でも、このサイトの重要性を大切にしながら、末長く続くようにと願っています。(女子パウロ会修道女、元バチカン放送日本語課アナウンサー・編集者)
文明間、宗教間対話の共通基盤作りに役立つ機会に 駒野欽一
まだ、投稿を初めてひと月弱、大したことは言えませんが、イスラーム教を背景としたペルシャの詩歌を紹介する機会をいただき、感謝しています。文明間、宗教間の対話が言われて久しいですが、やはり、人間としての共通基盤からスタートするほかないような気がします。少しがっばってみます。(元イラン大使)
坂の上の教会のように・・・ 南杏子
「カトリック・あい」1周年、おめでとうございます。皆さまには、毎号の「コラム」に掲載いただいている拙文をお読みいただき、本当にありがとうございます。
20代の新婚時代、函館で3年間暮らしました。神の言葉も正しく知らない私ですが、港町を見下ろす大三坂に建つ「カトリック元町教会」には、何度足を運んだでしょう。美しいゴシック様式を用いた大鐘楼を、夫や友人たちと飽くことなく眺めた日々が忘れられません。堂内の中央祭壇や副祭壇、聖画などは、教皇ベネディクト15世から贈られたとも教えていただきました。
あのときと同じ静穏な心持ち、同時にまた、石畳の急坂を懸命に上るような思いで、私は毎月「カトリック・あい」の原稿を書いています。終末期医療の現場に臨み、小説という形での発信も続ける身として、人が生まれ死んでいくということ、読むこと・書くことなどについて、今後も折々に感じたところを書かせていただきたいと願っています。
函館の元町教会は、明治10年(1877)に木造の初代聖堂が建立されと聞いています。今年はそれから140年。歩み始めた「カトリック・あい」が、坂の上の教会のように、これからの長い歴史に向けた2年目へ踏み出されることに心からお慶びを申し上げます。
さらなるご発展を祈念いたしております。どうぞよろしくお願いいたします。(医師・作家)
教皇のメッセージが身近に、ニュースやコラムも読みごたえあり 枝川葉子
「カトリック・あい」のサイトが経ちあがって1年、バチカンの動き、 特に教皇フランシスコのメッセージが身近に迅速に伝わりとてもあ りがたいです。そして翻訳された日本語がとても読みやすいのが嬉しいことです。国内ニュースや時事コラムもタイムリーで、読み応えあります。今後も、 日本の信徒だけではなく、より多くの方に読まれ愛されるサイトとし て発展していくことを、心より応援しています。(カトリック東京教区信徒)
目を開かれる 田中典子