菊地・新東京大司教への応援のメッセージ

「教会のリーダーとして、私たちだけでなく、教皇も期待なさっています」

 教皇フランシスコはここ数か月、世界の主要な大司教区で新たな大司教を相次いで選任されています。東京(日本)、ブラッセル(ベルギー)、ミラノ(イタリア)、ニューアーク(米国)、そして今月に入って、メキシコシティ、パリの両大司教区の大司教を新任されました。ある英国の有力カトリック誌は、このことを取り上げて、「これら6人すべてに共通するのは、『自分の羊たち(教区の信者たち)』のそばにいようとする志をもっている、ということだ。このことは、教皇が、枢機卿を新任する際、これまで日の当たらなかった地域で活動する聖職者、自分の教区に必要な心の糧を行き渡らせようと努めている聖職者を選んでいることと共通している」と論評しています。

 私たちはもちろんですが、教皇も、菊地大司教はじめ世界の新任の6人の大司教に、それぞれの教区のみならず、それぞれの国・地域、そして世界の教会のリーダーの一員として、牧者としての働きに期待されているのです。おあせりになることはありません。重責にひるむことなく、まず、しっかりと地を固め、ご自分のペースを作って、私たちの、そして教皇の期待に応えてください。

(東京教区 男性 71歳 S.N.)

「日本人の枠を超えた国際平和への貢献を」

「紛争の根源を断って平和の構築を」故ピッタウ大司教は東欧で活躍し、米ソ冷戦の平和的終結に大きく貢献されました。日本人の平和への信念を持って、日本人の枠を超えた国際平和への貢献を菊地大司教には期待したい。

 さし当たって、それは旧約聖書時代からいっこうに変わり映えしない民族の対立抗争の現場を、直近の巡礼の旅で目撃されていらっしゃる菊地大司教には、やらずもがなの政策執行であらたな紛争を挑発したアメリカ大統領の罪過を払拭するような、愛と理性の具体的な行動をよびかけてほしい。

(東京教区 三輪公忠)

「多様性における一致のうちに主の道を歩めるように」

 菊地大司教さま。こうお呼びするだけで、にこにこなさる大司教さまの笑顔が目に浮かびます。個人的にお目にかかったことはございませんが、講演をお聞きしたことがございます。溌剌として信仰と熱意にあふれておいで、という印象をお受けしました。これから東京大司教区で、わたしたちのリーダーとしてお働きくださることに対して、心からの感謝と大きな期待に心膨らませております。

 今までの豊かなご経験を活かされ、東京大司教区が大司教さまのお望みのような「多様性における一致」のうちに、主のお望みの道を歩んでいくことが出来ますように、お導きくださいませ。大司教さまのこれからの一歩一歩の歩みを主がお守りくださり、お導き下さいますよう。心よりお祈り申し上げております。

(東京教区 シスター M.I.)

「カオスの現代社会の中で、心ひとつに光に向かって・・」

 東京大司教就任、着座おめでとうございます。神さまから離れてカオス状態の現代社会の中で、教会に求められている使命は大きいと思います。方向性は見えてもそこに至る道筋がなかなか見えないような気がしますが、かすかな光はあると思います。

 私たち信徒も、その光に気づき、大司教さまを支えながら心を一つにして向かっていけますようにお祈りします。また、大司教様にはこれから多々困難とご心労があるでしょう。聖霊が知恵と力を与えてくださるように心からお祈りしております

(東京教区 下村はるみ 69歳)

「『良き牧者』とともに歩めることの楽しみ」 

 今年11月にイスラエル・ヨルダン聖地巡礼に参加しました。菊地司教さまがご一緒でしたが、グループの、あるときは先頭にたち、あるときはしんがりを務められ、常に参加者に目を向けられているご様子に「良き牧者」の印象を受けました。これから菊地東京教区大司教さまとともにに歩めることが楽しみです。個人的には菊地司教さまが繰り返し言っておられた「多様性における一致」をわたしのこの一年の目標の一つにします。お忙しい日々を送られることになるかと思いますが、お体にお気をつけ下さいますように。

(東京教区 74歳 女性 N.T.)

「日本の教会の福音への回心に努めて」

 菊地司教さまの東京大司教区任命のニュースは大きな喜びです。自分も含めて日本の教会の福音への回心に期待します

(福岡教区 男性 M.Y.)

「日本の教会に新しい風を」

 東京教区だけでなく日本中の教会が菊池司教さまの大司教任命に湧き、着座式を祈りと共に待ってます。日本のカトリック教会に新しい風を吹かせて下さい!

東京教区   73歳 女性 T.S.)

「新大司教のもとで、神のみ旨が成就しますように」

 東京大司教ご就任を御祝い申し上げ、神さまのみ旨が、菊地・新大司教さまのうちに成就されますよう、心からお祈り申し上げます。
(東京教区 横山  澪 71歳)

「弱い人たちを愛で包み込む共同体を目指して」

 菊地功大司教さま、東京教区へようこそおいで下さいました。心より歓迎申しあげます。私は個人的には菊地大司教さまを深くは存知上げませんが、日本カトリック医師会の一員として以前から大司教さまを尊敬申しあげておりました。

 というのは、今から約10年前、カトリック医師会新潟支部が新潟市に在住する在日外国人の健康診断事業をやろうと立ちあがった時、新潟教区のカトリック教会としてそれを全面的にバックアップして下さり、見事にそれを軌道に乗せ、今では新潟市全体を巻き込む大事業に発展させて下さったことがありました。また、カトリック医師会は医学生、看護学生など医療関連の学生を集めたセミナーを毎年夏に開いていますが、新潟市で開催した時には夜の懇親会にご出席下さり、医学・看護学生たちと親しく語り合って下さいました。その時の慈愛あふれるお姿を忘れることができません。

 菊地司教さまは長い間、日本カトリック司教協議会の社会司教委員会の一つであるカリタス・ジャパンの責任司教さまであり、またエイズ問題担当司教さまでもいらっしゃいます。ともに弱い立場の人たちへの支援活動・救援活動を行う部門であります。東日本大震災後のカリタス・ジャパンの救援活動は目を見張るものがあり、それは現在も続いています。その中で新潟からの援助活動がとくに活発だった印象がありますが、それは菊地司教様のお膝下だからと納得していました。

 本年12月1日発行の「東京教区ニュース」に大司教さまから東京教区の皆さまへのメッセージが載っていますが、それには「徹底的に愛の奉仕に生きる共同体として一致しながら、一緒にすばらしい教会を生み出して参りましょう」と書かれておりました。本当に弱い人たちを愛で包み込む共同体として、東京教区を発展させて下さることを心から期待しております。

(東京教区小金井教会所属  石島 武一 83歳 )

 

「愛と一致の中で信徒が生きていけますように」

 東京大司教へのご着座おめでとうございます。そして有難うございます。心から嬉しくお待ち申し上げておりました。 「カトリック・ あい」へのご投稿を何時も楽しみに読ませて頂いております。  大司教さまは「多様性の内に一致しながら教会を生み出していく」、そして「愛の奉仕に生きる共同体に向かう」とお話しされておられます。私たち信徒が、その中で生きていくことができますよう、どうかお導き下さい。

 信徒数1300人の小金井教会に所属する私たちは、前主任司祭のヨセフ・ デイン神父さまの慈しみ溢れるお導きで成長してまいりました。今、そのデイン神父さまが転勤され、主任司祭が不在の状態となっています。信仰弱く、愛の乏しい私は信仰の危機におります。 イエスさまへと心を向けて下さる力強く、お優しいお導きに飢えております。 是非早く主任司祭を小金井教会に派遣して下さいますよう心からお願い申し上げます。

 厳しいお寒さに向かいます折から、どうぞ御自愛も下さいまして、お健やかにご活躍下さいますようお祈り申し上げます

(東京教区小金井教会所属  マリア パウリーナ長野泰子  73歳)

 

 「障がい者を含め、全ての人が等しく集える教会に」

 東京教区へのご着座、おめでとうございます。昨今の厳しい社会環境から、教区も多くの課題を抱えておりますが、幅広い視野をお持ちの大司教様により真の信仰に根差した教会が育つものと期待をしております。

 私は電動車椅子に乗る障がい者ですが、2009年に新潟教区で日本カトリック障害者連絡協議会(カ障連)新潟大会が開かれた際には、大きなご支援を頂きまして有難うございました。

 現在、東京教区では障がいを持つ信者が、お互いを理解し合い、助け合い、信仰を高めるために、初めて、障がいの種類を問わない障がい横断的な集まりを作ろうと活動を始めております。2018年には「東京カトリック障がい者連絡会・ヨブの会(東京カ障連・ヨブの会)」として正式に組織化する予定で、カ障連への加盟も視野に入れておりますので、こちらもよろしくお願い致します。

 障がい者の立場から見ますと東京教区内の各小教区は、スロープによる教会の段差解消など、目に見える物理的な面の受け入れはかなり整って来ています。しかし、手話通訳などの情報保障や障がい者に対する心の受け容れの面では、まだまだ足りない部分の多い状態で、障がいを持つ者が教会に向かう心を削ぐ状況にあります。また、教会によっては、対人関係の苦手な発達障がいの方や寛解した精神障がいの方を排除しようとする動きも強く、心を痛めております。

 高齢者も若者・子供も、そして障がい者も含めて、全ての人が等しく神の子として喜びをもって教会に集い、世界に神の国が実現するための働き手になられることを願って止みません。

(東京教区 小金井教会 西田正純 68歳)

 

「バンコクから、心を込めて声援を」

 バンコクより、心からの祈りの声援を送り続けます。大任重責を負う司教さま、聖霊の翼に委ねて、確かな道、方向に導いていただけますように、アーメン。

(タイ在住 女子パウロ会員 阿部羊子)

 

「『すべての民の御母』がいつもお守りくださいますように!」

 菊地大司教さま、13年間たくさんお世話になりました。これからも、今のままで、ご自分らしく歩んでください。エマオで手にされた御絵『すべての民の御母』がいつも大司教さまをお守りくださいますように!

(新潟教区 聖体奉仕会会員 秋保 望)

2017年12月12日

「カトリック・あい」創刊一周年に寄せて・皆様のご意見特集

*創刊一周年を迎える「カトリック・あい」にコラムニストとしてご協力いただいている方々、購読者の方々から、温かいお言葉が寄せられています。以下にまとめて掲載させていただきます。感謝!ご批判、ご提案も歓迎します。(andynanjo@gmail.com)までどうぞ!

 

 現代の信仰者に必要な真実を求める真摯な心、複眼的視点、健全な批判精神 森一弘

  現代の信仰者が、あるいは、宗教者が、最も避けなければならないのは、思考停止と盲信である。

 どのような信仰者にも、どのような宗教者にも、アンテナを張り巡らして情報を敏感に鋭く分析し、捉え、自ら考え、問いかけ、自らの目と心で真実を求めようとする真摯な心と柔軟な姿勢、そして複眼的視点、健全な批判精神が求められる。

 カトリック新聞は、基本的には、司教団の機関誌なので、その点、物足りない。カトリックの月刊誌や情報誌も、その点で物足りない。「カトリック・あい」のさらなる充実と発展を祈ります。(司教・真生会館理事長)

 心揺さぶられた時、対処できる知的空間を得た幸せ 三輪公忠

  10月をもって1周年だという。私がコラムの「国際関係論」に毎月寄稿することになったのは、12月からだったと記憶する。出版業界のジンクスに、月刊誌は第3号が出版できれば、一応前途の見通しがたつものだとかいわれているのではないか。その鬼門の12月号に初寄稿した私はひょっとして福の神だったのかな。
偉そうな口はきくものではない。それはひとえに編集長として「カトリック・あい」を立ち上げた南条俊二君の企画力の賜物である。学園紛争たけなわの1968年、小野梓を卒論として英語で綴り、ゲバ学生に乗っ取られた『上智大学新聞』を『上智新聞』創刊で、見事駆逐した南条君には、てらいの陰は無く、梓を師表とする青年ジャーナリストの爽やかさがあった。
私は上智大学の新聞学科に一年だけ学生として籍を置いていた経験がある。創刊月刊誌の第3号についての上記のようなジンクスを東大で新聞学を創始した小野秀雄教授だったか、非常勤講師の大宅壮一氏に教室で聞いた記憶がある。
余分な話だが、大宅先生は新学年初めの4月に「フィーチャー・ライティング」を開講し、「日本人12歳論」を来週までに書いてこい、と言われた。見本は『朝日』の「天声人語」だとも言われた。しかし先生は翌週お見えにならなかった。次の週も、またその次の週も。クラスの代表が宿題のエッセーを集めて、先生のお宅にお届けした。結局、年度末になっても、先生からは、なしのつぶてだった。上智の非常勤講師報酬が、そんなものだったのだろうと、見捨てられたジャーナリストの卵たちは忖度したものである。
南條俊二君は上智は英語学科の出身である。新聞学科出ではない。鍛えられたのは就職先の『読売新聞』であったろう。それにカトリック信徒としての知見のひろさであろう。特派員として世界の情報の集積地ロンドン駐在中に鍛えられた部分も多々あったろうと想像している。

  その南條君が始められた『カトリック・あい』の電子ジャーナリズムの一角に呼び込んでくれたことに、感謝している。教育の現場から切り離されてなお、言いたいこと、伝えたいことが途切れることなく日々、心をとらえ、精神を揺さぶる時、それに対処できる知的空間を与えてもらって幸せである。
『カトリック・あい』のますますのご発展をこの国の為、世界の為に心から祈念いたします。(上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

 

 すでに立派な働き―「メッセージ力」に期待 Sr.石野澪子

  まずは、カトリック・あい開設一周年おめでとうございます。毎月原稿を集め、それを整理しながら写真や文字を配分し、読めるように割り付けして、発行して下さったスタッフの皆さまご苦労様でした。

  コラム執筆では、ありし日のバチカン放送でのことを懐かしく思い出しながら文字を綴っていくのは楽しみでした。600字という文字制限に、もうちょっとこんな風に書きたいなと思っても、600字が目の前にちらつき、頭の中で泳ぐとストップ。舌足らず文章になってしまったこともあり、ご理解に苦しまれたこともあったのではないかと、申し訳なく思っています。一応一年間のお勤めは果たしました。これからどうなる?一年間続いたこのウエブ・マガジンがこれからますます成長し、息長くいつまでも続くように願っています。

 「カトリック・あい」開設一周年。人間なら満一歳。まだ口も利けず、アーとかウーとか言っている程度でしょう。でも「カトリック・あい」はもう立派な働きをしていると、わたしは思っています。なぜ? その理由をお話ししましょう。

 今から30年ほど前、わたしがまだバチカン放送に勤務していたころのことです。一人の高校生がバチカン放送を聴いて、「人を許せ」、「隣人を愛せよ」などと言う言葉に「そんなことできっこない」と反発し、正直にその思いを綴った感想文をバチカン放送に寄せてくださいました。それに対してわたしが返事を書いたとのことですが、彼の手紙の内容も、わたしがどのように返事をしたのかも覚えていません。

 高校を卒業した彼は大学、大学院へと進み、ドイツに留学して、帰国後は、ある大学の教壇に立ちました。その間もいつも隣人愛について考えていたとのことです。忙しくても出来るボランティアはないものかと考えているとき、骨髄バンクのことを知って登録し、ドナーになりました。病気で苦しんでいる人を一人助けることが出来た喜びは大きく、洗礼にまで導かれたと言います。

 今は50歳。わたしたちは何回かメールで交信した後お会いしました。勿論初対面です。彼はご自分の回心の歩みについて目を輝かせて語ってくれました。放送で聞いたことばに反発したことを彼は折に触れ思い出し、考え、やがては心を180度転換させて、人生の歩む道を見出したのです。彼の話を聴きながらわたしはコミュニケーション・メディアが持つ力について考えました。

 メディアが提供するメッセージを聞く人、読む人が皆、感想文やリアクションを伝えてくれるわけではありません。むしろ伝えない人の方が多いでしょう。でも、コミュニケーション・メディアがもたらすメッセージには力があります。最近はテレビやラジオよりも、インタ―ネットが、もっと身近に情報を提供してくれます。「カトリック・あい」もその一つに違いないと、わたしは信じています。

 「カトリック・あい」に書いてあることが、きっと、これを読む方々の心に触れ、語りかけ、訴えかけ、何かを心に感じさせてくれるのではないかと。これを読まれた方が感想文を書いたり、リアクションを送ってくださることは少ないかもしれません。でも、このサイトの重要性を大切にしながら、末長く続くようにと願っています。(女子パウロ会修道女、元バチカン放送日本語課アナウンサー・編集者)

文明間、宗教間対話の共通基盤作りに役立つ機会に 駒野欽一

 まだ、投稿を初めてひと月弱、大したことは言えませんが、イスラーム教を背景としたペルシャの詩歌を紹介する機会をいただき、感謝しています。文明間、宗教間の対話が言われて久しいですが、やはり、人間としての共通基盤からスタートするほかないような気がします。少しがっばってみます。(元イラン大使)

坂の上の教会のように・・・ 南杏子

  「カトリック・あい」1周年、おめでとうございます。皆さまには、毎号の「コラム」に掲載いただいている拙文をお読みいただき、本当にありがとうございます。
20代の新婚時代、函館で3年間暮らしました。神の言葉も正しく知らない私ですが、港町を見下ろす大三坂に建つ「カトリック元町教会」には、何度足を運んだでしょう。美しいゴシック様式を用いた大鐘楼を、夫や友人たちと飽くことなく眺めた日々が忘れられません。堂内の中央祭壇や副祭壇、聖画などは、教皇ベネディクト15世から贈られたとも教えていただきました。
あのときと同じ静穏な心持ち、同時にまた、石畳の急坂を懸命に上るような思いで、私は毎月「カトリック・あい」の原稿を書いています。終末期医療の現場に臨み、小説という形での発信も続ける身として、人が生まれ死んでいくということ、読むこと・書くことなどについて、今後も折々に感じたところを書かせていただきたいと願っています。
函館の元町教会は、明治10年(1877)に木造の初代聖堂が建立されと聞いています。今年はそれから140年。歩み始めた「カトリック・あい」が、坂の上の教会のように、これからの長い歴史に向けた2年目へ踏み出されることに心からお慶びを申し上げます。
さらなるご発展を祈念いたしております。どうぞよろしくお願いいたします。(医師・作家)

 教皇のメッセージが身近に、ニュースやコラムも読みごたえあり  枝川葉子

 「カトリック・あい」のサイトが経ちあがって1年、バチカンの動き、特に教皇フランシスコのメッセージが身近に迅速に伝わりとてもありがたいです。そして翻訳された日本語がとても読みやすいのが嬉しいことです。国内ニュースや時事コラムもタイムリーで、読み応えあります。今後も、日本の信徒だけではなく、より多くの方に読まれ愛されるサイトとして発展していくことを、心より応援しています。(カトリック東京教区信徒)

 目を開かれる    田中典子

 

  「カトリック・あい」には、教皇フランシスコ、バチカン、国内外のキリスト教あるいは社会で問題となっている記事がバランスよく掲載されています。コラムからも執筆者の方々の息づかいと深い思いが感じられます。貴紙からイエスの隠されている姿が顕わになり、目を開かれます。

   新しく「読者のページ」が設けられました。たった一人の意見でも多くの方々と分かち合うことで開かれたつながり(教会)ができます。頻繁に記事を更新される南條氏に感謝申し上げます。(カトリック東京教区信徒)

2017年9月21日